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第4節 『たまごかけごはん』を食べたことがない人 (1)

 現在日本に居住しているほとんどの人は、今までに少なくとも一度くらいは『たまごかけごはん』を食したことがあるであろう。しかし、中には未だかつて『たまごかけごはん』を食べたことがないという人々が存在する可能性は否定できない。

 本節では、そのような人々の直面する問題点を提示し、次節にてその解決策を提案する。




4ー1 『たまごかけごはん』を知らない


 『たまごかけごはん』を食べたことがない人は、そもそも『たまごかけごはん』を知らないという可能性がある。(註5)

 外国人に日本料理を紹介する目的で書かれた文章であれば、この可能性は見過ごせず、懇切丁寧な『たまごかけごはん』の説明が必要であろう。


 だがしかし、(日本語をきちんと理解している日本人を対象とした)本稿においては、この可能性は考慮しなくて良いであろう。第2節で登場した『たまごかけごはん』の定義で十分である。


 なぜなら、日本人で『たまごかけごはん』を知らない人は(乳幼児等の極端な例外を除いて)居ないだろうからだ。

 実際、第3節でも述べた様に、筆者によるフィールドワークでも、「『たまごかけごはん』を知らない」という回答はゼロであった。


 それにそもそも、『たまごかけごはん』を知らない人が本稿を読むとは思えないからだ。

 あなたも「失敗しない『ピニャベルドンサガーチャ』の作り方」という文章なぞ、読みはしないであろう。筆者も同様だ。

 「いや、逆に読んでみたい」という『天邪鬼な人々』が存在する可能性も論理的には否定できない。

 だが、この『天邪鬼な人々』の存在は統計学的に無視できるほど少ないことが、以下で示される様に、背理法を用いて証明可能である。


 まず仮に、「『天邪鬼な人々』が一定層存在する」と仮定する。

 この仮定と『需要のあるところに供給が存在する』という経済学の初歩的事実により、「失敗しない『ピニャベルドンサガーチャ』の作り方」という文章が誰かによって書かれている筈である。

 しかし、「失敗しない『ピニャベルドンサガーチャ』の作り方」は存在しない。

 この矛盾から、「『天邪鬼な人々』が一定層存在する」という前提が偽であることが示された(証明了)。(註6)


 以上の考察より、本稿の読者は『たまごかけごはん』を知っていると仮定しても、何ら問題がないことが示された。

 以降は、読者諸氏が『たまごかけごはん』を知っているという前提で議論を進めていく。




□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□


(註5)


 例外的なケースとして「食べたことはあったが知らなかった」という奇特な人もいるかもしれない。

 それとは知らずに『たまごかけごはん』を食しており、本稿を読んではじめて自分が食べたものが『たまごかけごはん』であったことに気づいた、というケースである。




 たとえば、小学校5年生の運動会の当日。

 10月半ばの雲ひとつない晴天だった――。


 午前中の競技がすべて終了し、現時点では紅組にかなりリードされていた。

 だが、午後にはまだ目玉競技――5・6年生合同の騎馬戦が控えている。

 小柄な僕は大将役(3人組の騎馬の上に乗って、敵の紅白帽を取る役目)だ。

 僕が頑張れば、まだまだ逆転も狙える。6年生相手でも、負けるもんか!

 そのためにも、しっかりとエネルギー補給するぞ!!!


 周りのクラスメイトたちはカラフルなレジャーシートを広げて、両親や兄弟と一緒にワイワイ楽しそうに食べている。

 「かけっこ頑張ったな」とか、「お母さん、張り切ってお弁当つくりすぎちゃったわ」とか、「パパ、午後の親子競技で1位とってね」とか、「おにいちゃん、それワタシの唐揚げだよー」とか、そんな会話が聞こえてくる。


 だが、僕はひとりぼっちだ。

 父親は物心つく前から居ないし、カーチャンは今日も仕事が忙しくて来られない。

 いつものことだ。

 毎年の運動会も授業参観も、カーチャンが来てくれたことはない。

 入学式ですら、仕事の合い間に抜け出して、ちょっと顔を出してくれただけだった。


 だから、僕は平気だ。慣れっこだ。

 少しだけ寂しいけれど、一日中座りっぱなしの仕事で腰が痛くなるまで働いているカーチャンのことを思えば、それくらいヘッチャラだ。

 帰りの遅いカーチャンをひとり待ち続ける夜は寂しい。

 でも、時折「今日はボーナスが出たよ」と、カーチャンがチョコレートを持って帰って来てくれる日もあった。

 両目を真っ赤に充血させながらも、疲れている様子を僕に感じさせまいと、嬉しそうにチョコレートを差し出すカーチャン。

 僕が分けようとすると「アタシはいいから、アンタがお食べ」、そう言って僕に全部くれるカーチャン。

 そんなカーチャンは、今日も朝早くから仕事を頑張っているんだ。

 だから――僕は平気だ。


 広げた新聞紙の上に座り、僕はリュックサックから弁当箱を取り出した。

 銀色の四角いアルミ製弁当箱だ。本当は僕も竹下くんみたいにポ○モンの弁当箱が欲しかった……。

 けど、ウチの生活が苦しいことは、僕だって知っている。

 家にまで借金の取り立てに来る怖い大人に、必死で頭を下げるカーチャンの小さな姿を見ていたら、そんな贅沢はとてもじゃないが言えなかった。


 それに、そんなことより、今は嬉しい気持ちでいっぱいだ。

 だって、今日はカーチャンの手作り弁当が食べられるから。

 カーチャンはいつも忙しいから、カーチャンの手料理を食べる回数自体が少ない。

 それが弁当ともなると、なおさらだ。

 運動会や遠足といった特別な日だけ、年に数回しかない大チャンスだ!

 去年の運動会みたいにカーチャンが忙しすぎたときは、そんな日でもアンパンひとつだったこともある。

 そう考えると、今日はいつもより早起きして頑張ってくれたカーチャンに感謝の気持ちでいっぱいだ。


 僕はワクワクしながら、弁当箱に手を伸ばし、フタを掴み、最初はゆっくりと、そして待ちきれなくなって、一気に開けた。


 視界いっぱいに飛びこんできた、一面の黄金こがね色――。


 弁当箱の中にぎっしりと詰まったお米は一粒一粒が金ピカに光り輝いていた。


 見たことのない料理だった。

 僕の知っているお米は白や茶色のやつだけだ。

 こんな素敵な色をしたお米を見たのは初めてだった。


 僕にはそれが金貨のいっぱい詰まった宝箱のように思えて、食べてしまうのがもったいなく感じられた。


 僕は感激のあまり、弁当に見惚れていた。

 周囲の喧騒が消えていき、世界には僕と弁当とカーチャンの愛情しか存在しないように思われた――。


 だが、その静寂は突如破られた。

 広げたままのオレの弁当に気づいた同級生が、いつものように囃し立て始めたんだ。


「おい、アイツの弁当、オカズなしだぜ」

「うわ、ほんとだ」

「しかも、真っ黄っ黄」

「しょんべん飯だー」

「ギャハハハ」

「わーい、しょんべん飯、しょんべん飯」


 ヤツらはいつもそうだ。

 貧乏な僕をからかい、バカにする。

 僕が何か言い返しても、殴りかかっても、大人数でやり返されるだけ。卑怯なヤツらだ。

 ヤツらの親も、そんな振る舞いを咎めるどころか、僕を見下すような目で見てるだけ。子供が子供なら、親も親だ。みんなまとめて卑怯者だ。


 いつもなら、悔しさと恥ずかしさと悲しさに、俯いてジッと耐えているだけだ。

 だけど、今日は違う。

 いくらバカにされようが、これは自慢のカーチャンが作ってくれた自慢の弁当だ。

 僕は胸を張って、堂々と弁当を口に運んだ。


 その思い出の弁当は、甘くて辛くて、そして、ほんのちょっぴりしょっぱかった――。


 ――あの頃の僕は、なにも知らない子供だった。

 大人になった僕は、いろんなことを学んだ。

 そのなかでも2つ、大切なことを知った。


 ひとつ目は、あの日に食べた弁当は『たまごかけごはん』だったってこと。


 そして、ふたつ目は――僕の母親はパチンカスだったってこと。

 お土産のチョコレートはパチンコの景品だったし、あの運動会の日も、新装開店のパチ屋に早朝から並んでいただけだった…………。




 この例のように「知らずに食べて、後から気づく」、あるいは「知らないうちに自分で『たまごかけごはん』を発明していた」という人もいるかもしれないが、極めて例外的なケースであろう。




□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□


(註6)


 このように、聞いたこともないモノの作り方を読みたがるような人は、自分が統計上無視できるほどのマイノリティであることを自覚するとともに、ワケのわからない、なんの役にも立たない文章を読んだりせずに、時間を有意義に使うことを強くお薦めする。

 人生は有限で、とても短い。ボケッと過ごしていて、筆者のように職歴なしの30代になってしまえば、確実に人生詰みである。

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