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それは呪いか祝福か  作者: さうろんぼ
4/5

ノポート砦にて戦場を覗う

 乾いた風が草原を吹き抜けてゆく。

 夏の盛りはとうに過ぎ、日射しにその気配を残しつつも随分と穏やかに過ごせるようになった。作物は実りの季節を迎え、農村は収穫の喜びに活気づく。

 その土地々々で、大地の恵みに感謝を捧げる宴が催され、道行く農民らの表情は一様に明るい。ここ、国境線にほど近いフォルオトーの村でも、それは同じであった。


 昨晩のこと、思いがけず領主から振る舞われた酒に、村民たちは歓喜し、大いに呑み喰い、歌い、踊り、そして今朝は安息の日として、夢の中で未だ余韻を味わっている。

 トゥオーリンと一行は、朝日の眩しさに目を細めつつ、騎馬にまたがり、村を後にしようとしていた。目指すのは東にもう二日ほどの位置にある、魔国との最前線であって、王国守護の要衝、ノポート砦。


 トゥオーリンは昨夜の村人たちの笑顔を思う。


 たとえ戦時下に在っても、力強く、朗らかに生きる民の、その底抜けの明るさを。いまを懸命に生きる命の美しさを。この大地に根ざし、生まれ、育ち、恋をして、家庭を築く。子を生み、育て、やがて老いた暁には、先祖の眠る地へと還ってゆく。

 人の身を超越し、『英雄』となった自分は、もはやその生命の円環に戻ることはない。自分にとって死とは、舞台から幕の外に退く程度のことだ。それも一時のこと、出番がやってきたなら、再び舞台に立たねばならないのだ。己の意思とは関係なく。

 最初の頃はそれで良かった。

 願われ、自らも望んで、この身に神の祝福を得たのだ。不満などあろうはずもない。

 だが、いつの頃からだろうか。人々が求めるのは、あくまで英雄としての力であって、トゥオーリンという人格は、英雄に付随するおまけのようなもに過ぎないのだろう、と感じるようになったのは。


 思索は至り、トゥオーリンは自らのその考えに苦笑する。

 まさしく今の自分は演劇の配役そのものだ、と。


 英雄ではない、ただのトゥオ―リンなど不要。

 だが英雄としての力は、現にこの手にある。

 故に、舞台の幕はいつだって上がったまま。

 乾いた風がするりと肌をなでる。 

 と、王子直属の近衛騎士が馬を寄せてきた。

 ノポート砦に到着次第、おそらくは戦端が開かれるだろうと言う。加えて、魔国には、


 『古の魔王』が復活したという――。


 トゥオーリンは背筋に破滅の百雷を落とされたような衝撃を受けた。

 文字通り百条の雷光が、ばりばりと音を立てて大気を引き裂き、轟轟と地を震わせながら降り注ぐその様は、正に激烈。いや、実のところ、破滅の百雷自体は彼に毛ほどの痛痒をもたらし得なかったりするが、それは兎も角として、魔王の存在には、いくつか心当たりがあった。大概は、アークデーモンが魔王を名乗る場合だ。ならば大したことはない。自分なら特に苦労することもなく討ち果たせるだろう。それが例えデーモンロードであったとしても、せいぜい少し手を焼く程度のもので、問題なく討伐できる。

 これは慢心でもなんでもない。これまでに似たような事を、幾度、繰り返し経験してきたことか。そしてその都度、件の魔王たちを打破してきた自信が、トゥオーリンにそう言わしめるのだ。


 だが、今回は『古の』魔王ときた。

 となれば、話は変わってくる。場合によっては、ただ討ち取れば良いという訳にはいかない可能性がある。

 もしも古の魔王とやらが、果たして自分の思ったとおりの存在だったなら――それは後ろ手で針に糸を通すような、ほんのわずかな可能性ではあったが――瞑目した大英雄は、瞼の裏に浮かぶ僅かな可能性に思いを馳せた。 

 幾星霜を超え、胸の奥に秘めるひとつの想い。

 と、いつの間か随分と考え込んでしまっていたらしい。隣で騎馬を駆る王子が、怪訝な表情でトゥオーリンの様子を伺っていた。心配無用――と、大英雄は苦笑交じりに馬に鞭を入れる。


 そうして予定通り二日後、彼等はノポート砦に到着、魔国の軍勢と対峙するのである。



  ※      ※      ※



 急ごしらえの天幕の中で、アルレシアは鱗の老女から、報告を受け取っていた。自分の言いつけどおりに、矢文が砦へと放たれたそうだ。


 聞けば人の王国には、伝説の英雄が降臨したという。


 英雄と名乗る輩に、アルレシアはこれまでに幾度となくお仕置きをしてきた。それは半ば八つ当たりのようなものだったが、事あるごとに敵対者として登場する彼等にうんざりしていたのも事実。これが自分を脅かすほどの実力者であれば、ある意味で気が紛れたかもしれない。だが、残念なことに――と表現すべきかどうかは別として、残念なことにまるで相手にならない連中ばかりだったのだ。

 まともに相手をしたところで、まず弱い者いじめになってしまうのもどうか。だから、もっと頑張れ――と発破をかけるつもりで――嘘だ。やっぱり只の八つ当たりで、憂さ晴らしをしたに過ぎなかった。


 気障な格好でニヒルを気取ってた剣士は、ちりちり頭と熊猫お目々の刑に。


 カール髭で偉そうにふんぞり返っていた自称騎士は、片方だけ髭剃り落としアンド眉毛も片方ついでに逆モヒカンの刑。


 体が頑丈ってだけで、他に取り柄もないのに威張り散らしていた格闘家には、君が泣くまで殴るのを止めないの刑。


 気が遠くなるほど年月を経て、いろいろな意味で期待を裏切られ続けてきた。だが、それでも尚、英雄という言葉を聞く時、この胸は乙女の心持ちのままに躍る。


 今回は『伝説の英雄』だという。

 そう、きっと英雄を自称する有象無象では、ない。その言葉が意味する可能性のひとつに、始まりの魔女の胸には、荒れ狂う昇龍の豪炎の如き熱情が湧き上がった。


 昇龍の豪炎――自身を中心に、四方五十間の敵対者を、地から噴き上げる豪炎で包む超高等魔術。その様が、天に昇る龍を思わせることから、誰彼となくそう呼ばれるようになった魔術だ。


 もしかして、まさか、ひょっとすると。

 アルレシアは、夜風へ当たってくる――と、鱗の老女に告げ、天幕を出た。


 外に出て辺りを見渡せば、野営の篝火が無数に並んでいた。

 アルレシアは天を仰ぎ、まだ自分が魔女を名乗る以前、只の少女だった頃の記憶を手繰ってみる。


 さわさわと、プラチナブロンドの髪が夜風に靡く。

 昼間はまだ少々夏の名残を感じるが、この時間帯となると流石に涼しい。頬を撫でる乾いた風は、胸の炎こそ鎮めるには足らなかったが、頭の方は少し冷やしてくれたようだ。

 陣中を、特にあてもなく歩いてみる。

 ふらふらと物憂げに彷徨い歩くアルレシアの遥か頭上を、ぼんやりと丸い月が浮かんでいた。雲はひとつとしてない。黒のサテンに宝石箱をひっくり返したかのように、夜空には数え切れないほどの星が瞬いて、静かな夜を音もなく賑わせていた。


――あの頃も、今も、

 この星空は同じなのになあ――


 翌朝。

 ノポート砦から矢文の返しが届いた。




   ※    ※    ※



 砦を見上げる盆地の中央で、二騎の騎馬が対峙していた。

 互いの距離は七、八間といったところか。

 身じろぎひとつせず、真正面に向かい合っている。

 丘の上でその背を見守る者達。

 王子はその勝利を信じ、唇を真一文字に引き締め、近衛騎士すら下げさせ、あえてその身を衆目に晒す。

 鱗の老女は巫女服の少女をともない、その者、昏き衣を纏て云々と呟き、眦に皺を寄せる。


 日は充分に昇り、夏の名残が盆地に降り注ぐ。

 一騎は、白金に輝く全身鎧に身を包んだ英雄。

 一騎は、漆黒の衣を纏った紅眼の魔女。

 どちらが、ということもなく、二人共が騎馬を下り、それぞれの陣営へと戻らせる。

 馬が充分に下がったのを見届け、片方が中央へと一歩を踏み出せば、応じる側も、また一歩。

 剣はまだ抜かない。杖もまだ構えない。

 そうして手を伸ばせば触れられるほどに近づいて。


 アルレシアは囁いた。

 

 トゥオーリンは微笑んだ。


「――やっと、やっと会えた」


「ああ、幾星霜の時をこえ、ようやく」


 丘の上にはふたりの会話は聞こえない。

 と、トゥオーリンは、アルレシアの握る小さな拳が、ふるふると小刻みに揺れていることに気がつく。俯き気味に、肩まで震わせ、口元を戦慄かせている。

 夏が戻ってきたかのように、盆地を熱波が焼く。

 いや、それにしても気温が高すぎる。トゥオーリンがその違和感に気づいたときだった。

 ふと身を一歩引いたアルレシアが、への字口でこちらを睨みつけた、その瞬間。

 膨大な魔力の奔流が渦を巻いて溢れ出す。


「くぉのおーっ――昇龍のッ……豪炎ンンンん!」


 極めて濃密な魔力が瞬時に膨れ上がり、次瞬、地を割り、土石を巻き上げ、爆轟とともに噴き上がる火柱として具現する。


 術者のマナを喰らい、渦を巻き、旋風となって天へと

昇る炎の龍。それに呑まれたものは消し炭すら残さず、骨まで焼き尽くされることだろう。

 その渦中にあって、トゥオーリンは平然と佇んでいた。

 魔法は自分の加護を突破してくることはない。が、しかし――。


 視界を覆い尽くす紅蓮の炎。

 水を掻くように右手で炎を振り払い、視界を確保――したその眼前に、唸りを上げて黄金の錫杖がせまりくる。咄嗟に左手の籠手で三日月を模した杖先を、受けようとする、が、予想に反した軽い手応えに、しまった、受けは悪手であったかと臍を噛むや否や――視界の端からアルレシアの白い滑やかな下腿が後ろ回しに閃いて、炎を巻き込んだその踵がトゥオーリンの側頭を捉えた。

 魔力障壁同士がぶつかりあう、独特の衝撃音が盆地一帯を震わせる。弾けた魔力が炎龍を搔き消し、分厚い鉄門扉を破城槌で打ち付けたかのような、下腹に響く轟音を突き切って、トゥオーリンの躰が吹き飛ぶ。


 二度、三度と地に打ち付けられ、四度目の衝突で地面に掌打を打ち込み、その反動を利用した後方宙返りで着地する。

 追撃は……来ていない。

 アルレシアは蹴りを放った構えのそのままに、吹き飛ぶトゥオーリンの様子を伺っていた。

 

「――怒っているのか?」 


 外套の土埃を払い、肩をすくめてみせる。

 返答はない。

 腕を組み、つかつかと歩き出すアルレシア。

 見るからに魔導士然とした彼女が、これまた見るからに戦士系のトゥオーリンに近づいてゆくのは、戦場のセオリーからすればありえないことである。

 

「――理由を聞いても?」


「それは……自分の胸に」


 ひくっ、と頬を引き攣らせ、アルレシアは答える。

 そんな彼女の背後には、暗雲が立ち籠めていた。

 比喩でも何でもない。その身から溢れ出た魔力が、彼女の胸中そのままを表していたのだ。そしてそれは次に発動する魔術の先駆けでもあった。

 暗雲は殊更に広がり、急速に厚みを増す。やがてその黒色の合間合間に、煌めく黄金の発光を伴いながら、大型獣の唸り声に似たごろごろという低い音が混じりだす。


「――破滅の百雷いッ、アルレシア謹製、連鎖発動バージョンッ!」


 後も先も考えぬ、無茶苦茶な量の魔力を放出し、アルレシアは自身考案の連鎖発動式魔術を展開する。

 不気味なほど分厚く積み重なった黒雲が、渦を巻きトゥオーリンの頭上を覆い尽くす。彼を中心につむじ風が舞って、百を超える雷撃が、一斉に放たれる。折り重なる放電が、直視できぬほどの閃光と大音響を発し、その混沌の力を発露する――これが破滅の百雷。

 だがアルレシアの唱えたのは、普通の破滅の百雷ではない。そもそも『普通の』と呼べるほど平易な魔術ではないのだが。それが第二波、第三波と、術式に込められた出鱈目な量の魔力が無くなるまで、波状に雷撃が浴びせられるのだ。


 耳を聾する爆音に大地が揺れる。

 辺りの地形が変わるほどの破壊の嵐の中、アルレシアはその最中に飛び込んでいった。

 黒雲からは無数の雷撃が放たれている。その中に踏み入れば、いくら術者本人といえど落雷を免れるものではない。無作為に放たれる雷光は、彼女自身をも巻き込み、穿つ。しかしアルレシアは雷撃にダメージを受けるどころか、黄金の螺旋を描くその角が、落雷の都度、より一層輝きを増してゆくのだ。

 アルレシアは咆哮する。


「もう、どこほっつき歩いていたのよおおおおお!」  


 ――あれ?


 自身への落雷を、三日月の黄金杖に纏わせ、少女は突撃する。輝く黄金杖は障壁貫通効果を帯び、白色の閃電が煌めく。

 破滅の百雷は兎も角、流石にこれの直撃を受けては只では済むまいと、トゥオーリンは遂に抜剣を決心する。

 いや、そうじゃなくて「どこほっつき歩いていたのよ」という雄叫びについて。

   

 丘の上の一行は、我らが英雄殿が、我らが魔女さまが、身命を賭して天地を揺るがす一騎打ちをなさっている、と手に汗を握り、陣営の勝利を願っていた。


 自分たちからは雲の中の様子は見えない。大気を引き裂く雷鳴と、破城槌の如き激突音が轟くのみである。先程からは、金属同士がぶつかりあう硬質な響きも混じるようになった。

 ようやく雲が薄れて、ふたりの姿が見えてきたかと思うと、とんでもなく巨大な火球がみっつ、よっつと飛んでゆく。かと思えば、煌めく銀閃がそれを真っ二つに切り裂き、割れた火球の破片が大地に窪地を作る。

 背後に獅子のオーラを纏った大英雄が風のように大地を駆け抜ければ、魔女は漆黒のローブを翻し宙に舞う。

 光の輪から白い鬣の一角獣が現れれば、土石を巻き上げアースゴーレムが這い出す。

 銀閃と金閃が火花を上げてぶつかり合い、その都度弾ける魔力が放射状に土煙を巻き上げる。が、その時には二人の姿はすでにそこにはない。


 目にも留まらぬ攻防。


 もし王国随一のパーティと、魔国最強のパーティ同士が戦ってもこうはなるまい。それでも一般の兵や冒険者からすれば隔絶した次元の戦いに映るだろうが、目の前に繰り広げられる光景と比べれば、おそらくは子供遊びかと錯覚するに違いない。


「――蜘蛛の巣ッ」

「地よ泥に――」

「ちっ、魔法浄化ぁッ!」

「――聖なる祈り」

「うざいわよっ、混沌の嵐ッ――」

「――大天使召喚」

「もうっ、引っ込んでなさい――破滅のオーラあッ!」

「――くっ、獅子の魂」

「メガファントムぅ、召喚あんッ!」

「――真実の光景」

「しゃらくさいわね、早まる刻ぃっ!」

「――神聖なる大盾」

「とっておきよ、アルレシアバーストッ!」

「何だそりゃ? うぼぉあっ」

「今よっ、出てきなさい、レッドドラゴン!」

「――くう、我が声に応えよ、ブルードラゴン!」

「え、ちょっと、ブルードラゴンって魔法免疫持ってるじゃない、そんなの反則よ! 反則!」

「そういう君自身も魔法免疫があるじゃないか! って、レッドドラゴンはまずいだろ、色んな意味で!」

「何よ、ブルードラゴンは障壁貫通のブレスを吐くでしょ! ああ、メガファントムちゃんが!」


 きっとこれが古の人外同士の戦い。

 古の書物に語られる、伝説級の戦い。 

 赤き竜が障壁ごと焼き尽くす灼熱の業火を吐く。

 蒼き竜は極光の光線で応じる。

 英雄と魔女は、数人がかりで組む術式をほぼ無詠唱で連する。大地は揺れ、空気は震え、破壊の嵐が吹き荒ぶ。

 天変地異を思わせるそれは、近づくことすら叶わぬ、次元の違う圧倒的な戦い。

 精鋭ぞろいの一団をして、巻き添えを食ってはならぬと、丘の上の軍勢は一時の退避を始めた。


 ※      ※     ※



 いつの間にか、日は傾き始めていた。

 盆地からは段々と大きな音が起こらなくなり、その代わりに丘の上ではどこからか、涼やかな虫の鳴声が聞こえ始める。陽射しも和らぎ、快い風がゆらりと草葉を揺らす。

 一時退避していた一行は、再び盆地を望む丘の上に戻ってきていた。見やれば、盆地には開戦前の地形が思い出せぬほど、破壊の爪痕が荒々しく、しかも広範囲に刻み込まれている。


――なにをどうすればこうなるんでしょうか。


 それは誰が発した言葉か。

 王子も、近衛騎士も、老女も、巫女少女も、ちゃっかり魔導遠眼鏡でノポート砦から戦況をうかがっていた将軍と老人も、誰もが唖然茫然愕然と、同じ思いを抱いていた。


 その破壊の中心に、ふたりの男女が佇んでいた。


 ともに満身創痍と見て取れる。

 白金に輝いていた英雄の全身鎧は、色あせ、黒ずみ、あちらこちらがひしゃげ、あるいは欠けている。聖剣は相変わらず銀色に輝いていたが、切っ先は曲がり、所々刃毀れも見られた。

 少女のプラチナブロンドの髪は、あれほど艷やかだったものが、今では水分を失ってぱさぱさ。髪型も大いに乱れ、枝毛がぴょんぴょんと跳ねて、みっともない。吸い込まれるようだった漆黒のローブはぼろぼろに擦り切れている。その隙間からは白い肌がちらちらと覗いて露出過多気味に――端的に言えば、あられもない姿である。

 ふたりとも両膝をつき、ぜーはーと肩で息をしている。

 顔も煤だらけだ。


「こ……これが最後よ。私の気持ちを――」


 杖を支えによろよろと立ち上がった少女が、どこにまだそれ程の力を、と常識を疑わんばかりの魔力を練り上げ始める。

 量も、質も、これまでとは段違いだ。

 息苦しさすら感じるほどの魔力の高まりに、これをなしてはならぬと、英雄は力を振り絞り立ち上がる。

 お互いに疲労困憊の躰に鞭打ち、最後の行動に出る。


「私の怒りを受けなさい。虚無の呼びご――ん、ぅっ?」


 少女が最後に放とうとしていたのは、もしも発動したなら、きのこ雲とともに一帯を焦土を化すような、戦略級の禁術だった。

 だが、その危険極まりない魔術は最後まで発動することはなかった。

 魔術名を唱えようとした少女の唇に、英雄の唇が重ねられたためである。


「――ふ、んっ? ぅ、ん、んんっ、んぅぅ~」


 その豊満だが華奢な躰を抱きしめ、大英雄は半ば強引に唇を重ねる。

 目を白黒させて、しばらくはじたばたと抵抗していたアルレシアであったが、やがてその紅い眼を閉じると、その身を委ねるのであった。

 戦場に静寂が訪れる。

 あとはトリガーを引くだけだった破壊の魔力は、夕暮れの涼しげな秋風に溶けていった。


 目が点なのは見ていた丘の上の一行&遠眼鏡の老人である。ちなみに将軍は「いったい何が起きている、代われ、代わらんかこのクソジジィ!」と、老人の残り少ない髪の毛を引っ張り、そのことが原因で後日、王国にちょっとした騒乱が起きるのだが、それはまた別の話である。


「んっ、んっ、んんっ」

 

 むちゅうう


「ぅんっ、んんっ、んんーーッ」


 むちゅうううう


「んんンッ、ンッ、んっ、ゥん」


 むちゅううううううう


 長えよ! と、誰かが突っ込みを入れそうになったその時、ようやくふたりの唇が離れた。

 口の端から、つう、と銀線が垂れる。

 少女は、はぁと桃色の吐息を漏らすと、英雄を大地に押し倒し、その首に両手を回す。そして今度は自分から英雄の唇を貪りにいった。それはもう、熱烈に。

 舌を絡め、吐息を交わし、遠目とは云え、見ている方が赤面するほど熱いヴェーゼ。


「長えよ!」


 あ、ついに誰かが口にしたようだ。ちなみに先程言いかけたのとは別の人物である。

 が、丘の上からなので当然ふたりには聞こえるはずもない。当の本人たちは、草一本生えぬ荒野と化した荒涼たる大地の上で、固有結界「ふたりだけの世界」を展開していた。なので、もしも誰かが近くにいたとしても(近づけるはずもなかったが)、きっと目には入らなかっただろう――そうして無視された誰かが「私って空気? ムキーッ!」までがワンセットのはずなのだが、幸か不幸かふたりの近くには誰もいなかった。


「……もう、離さないからね。ひとりにしちゃ、嫌だよ」


「ああ、やっと再開できたんだ。誓うよ」


 大の字でごろんと地面に寝そべる英雄。

 その傍に寄り添う少女。

 少女の双眸からは透明の雫が溢れ、頬を濡らしていた。

 紅く燃える夕日が、ふたりの影を長く延ばす。


「……それで、我々はこの状況をどう見ればよいのだ」


 王子が呟く。

 

「愛……。愛だ、愛なのですぞお!」


 近衛騎士が鼻息荒くまくし立てる。


「婆さんや、長生きはするものじゃ……ええい、お前には絶対に見せんぞ、この割れアゴめがぁッ! よくも、よくも儂の髪の毛を毟りおってえええ!」


 喧嘩するほど仲良き哉。いや、違うかもしれない。


「その者昏き衣纏て 紅く染まる大地を 紡がれし古き縁とともに歩まん――。おお、若者たち見ゆるか、言い伝えは真じゃった……。儂のこのめしいた眼の代わりに、よく見ておくれむにゃむにゃ――」


 鱗の老女は感極まり、その双眸から滂沱の涙を流していた。いや、あなた別に盲目じゃないでしょう。

 

「――あふぅ、ふぅ。ああ、どうしちゃったのでしょう、わたし」


 嗚咽する鱗の老女をよそに、内股でもじもじする巫女服の少女。色風にあてられた彼女は、きゅんきゅんする下腹部に戸惑っていた。


 そうして色々な混乱と困惑と有耶無耶の内にノポート砦防衛戦&攻略戦は終わるのだった。

 

これで良かったのかと自問しつつ、次話ラストです。

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