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それは呪いか祝福か  作者: さうろんぼ
3/5

奥深き森にて

 夜の闇にすっかりと静まり返る樹海。

 奥深き森の、更に奥深く。

 その最深部に佇む一本の大樹。

 そびえ立つ大樹を囲むように、数十人の男女が腰を下ろしていた。

 周囲に他の樹木は生えておらず、もし、空を飛ぶ鳥の視線で見ることができたならば、そこだけが鬱蒼とした樹海のなかで、王国銅貨に空いた穴の如く、ぽっかりと開けているのが分かっただろう。


 月夜に向かって堂々とそびえ立つ大樹。どれ程の年月を掛け、今に至ったのか。その胴回りを測るには、手を広げたおとなが十人程集まったところで、まだまだ、まるで足るまい。

 大きく、高く、そして広大に。

 威風すら漂う佇まいに、見る者はすべからく畏敬の念を抱くことだろう。それはいまこの時、この果てしなく大きな老木を囲む男女達もまた、例外ではなかった。

 ただ、その姿は様々である。

 ただ腰を下ろしている者。

 胡座に構える者。

 敷物を用意し、その上に結跏趺坐する者。

 果ては、横寝に頬杖をついている者。

  

 それぞれが、思い思いの格好で大樹を囲んでいる。共通していることと言えば、誰もが手に手に剣や槍、長弓といった武具を携えていることか。

 そんな彼、彼女らを、くらくらと燃える篝火が照らしていた。

 時折吹く夜風に、篝火は揺れ、梢がざわざわと鳴る。

 季節はようやく変わり目を迎え、芽吹きの時期を迎えていたが、風はいまだにひどく冷たい。しかし誰ひとりとして、文句を言うこともなく、とある一点を見つめているのだった。


 その視線の先――。

 大樹の根本には、銀髪の少女がひとり、佇んでいた。


 まだ大人に成りきらない、青き肢体を包んでいるのは、大きな切れ込みの入った、丈の短い緋袴に、胸元が大きく開いた薄手の白衣。

 右手には、細身の曲刀を。

 左手には、連ね鈴を。

 その背には――黒色の翼。

 上気、いや陶然とした表情に、弾む吐息。着崩れた白衣のその隙間から覗く、その抜けるように白い肌は、じっとりと汗ばみ、ほのかに朱が差していた。

 かれこれ、もう三日三晩になる。

 一同が国を離れ、この地へと出立したのが二月半ほど前のこと。古き地図を頼りに、樹海に踏み入ったはよいが、襲い来る凶暴な魔獣に、ひとり、またひとりと、決して少なくはない犠牲者を出しながら、ようやくたどり着いた魔境。


 と、脇に控えていた老女が、少女へ薄紫色の小瓶を差し出した。今晩だけで、すでに三本目だ。見れば、差し出す老女のその手には、びっしりと生えた鱗。同時に、別の者が黒塗りの鼓を打ち始める。その頭部には水牛のそれに似た角が生えていた。

 そう、この場にいるのはヒトではない。

 ヒト、とりわけハイマンと自称する者達が「デミ」だとか、「亜人」だと呼び、蔑んでいる――魔族――だった。


 とん、とん、ととん


 少女は小瓶の中身を、くいと一息に飲み干し、大きく息を吐く。始めの晩、老女はこれを一族秘伝の強壮剤だと言った。確かにそれで間違いはない。間違いではないが、かと言って正確でもなかった。

 零れた液体が首筋をつう、と伝う。少女はそれを拭いもせず、しゃらんと鈴を鳴らし、肢体をくねらせ始めた。

 腰まである銀髪を振り乱し、曲刀を閃かせ、舞う。

 弾む吐息は白く、篝火に照らされた横顔は、年齢不相応な妖艶さを醸していた。

 鼓の拍子は少しずつ、少しずつ速さを増してゆく。

 篝火には薪が継ぎ足され、炎はより勢いづく。

 風は止んでいる。

 大樹をふり仰ぎ見れば、その合間から満天の月が覗いていた。

 早まる鼓の拍子に、鈴の音もまた絡み合う。

 合間を縫って、ひゅん、ひゅぱっと曲刀が空を絶てば、その指先からは飛沫が舞う。


 森はすっかり冷えているというのに、体の奥はこんなにも熱い――。


 ふと、一団の後方で怒号が上がり、老女は何事かと目を凝らす。大樹の近くからではよく見えない。どうも大きな黒い影が蠢いているようである。

 夜の静寂をつんざく咆哮に、その近くの十数人が一斉に立ち上がり、手に手に得物を構える。そうして黒い影へと向かって剣や槍を突き出せば、杖を構えた者の、その杖の先から人の腕ほどもある氷槍が射出される。


――そう、これまでも一団に犠牲者を強いてきた、魔獣の襲撃だった。


 突然の喧騒に老女は眉をひそめるが、しかし少女にとっては何事も起こっていないかのようだ。一心不乱とはこのことか。脇目も振らずただ舞い続けていた。

 いつしか、少女の口からは、苦悶の呻き声が混じるようになっていた。それは喉の奥を絞るように「んっ、くぅ」と。声だけではない、事実、その表情もどこか切なげであった。

 鼓の拍子はいよいよ狂おしいほどに早まり、肢体を振り乱して舞う少女は、もはや漏れ出る嬌声を抑えようともしなかった。そう、嬌声なのだ。原因は、老女が渡した最後まで舞いきるための強壮剤――催淫効果混じりの。

 そうとも知らず、いや仮に知っていたところでどうなるわけでもないが、衣擦れに己の体がなぜ熱くなるのか、分からぬままに、少女は、ただ舞い続ける。


 熱い、熱い。

 声が漏れる。

 頭がぼうっとする。

 もっと、もっと、もっと早く。

 ああ、何かが、何かがやってくる。

 聞こえる、聞こえる、我慢できない。

 何も、考えられない、白、白が、に、あ、


 一団の後方で、壮年の男性――青白い肌に長い牙――が、討ち取った魔獣の首を掲げる。だが歓声は上がらない。魔獣の遺骸の側には、無残な姿を晒す、同朋の亡骸があった。

 そして少女は身を捩り、絹を引き裂くような声を上げ、その黒い翼を痙攣したように震わせた。


 そうして、異変が起きた。 


 それは地面から浮かび上がるように、ふわっ、と。

 弱々しいが、優しく光る発光体が出現したのだ。 

 ひとつ、ふたつと、浮かび上がり、漂い始める。

 少女は熱病に浮かされたように、半眼でその様子を眺めながら、膝から崩れ落ちる。荒い息遣いは、男女の行為のそれと変わりなく、その未成熟な体を艶かしく包んでいた薄手の白衣は、躰にぴたりと張り付き、肌が透けるようであった。

 その間にも発光体は次々と数を増やし、わずかな間に数え切れぬほどになる。大樹のまわりを漂うその様は、真夜中だと言うのに、満開の花が咲いたかのようだった。

 そうして、しばらくはふわふわと漂っていた発光体であったが、やがて明滅を繰り返しつつ、一箇所に集まり始めた。それを見た老女は口の端を歪ませ、事は成ったのだと、同胞らの尊い犠牲を払ってまで、古文書の内容に賭けた価値はあったのだと、しわがれた喉を鳴らす。

 絶頂の余韻覚めやらぬ少女の目の前で――

 感慨にふける老女の目の前で――

 大樹を囲み、固唾をのむ一同の目の前で――


 数多の光は、ただひとつに収束し、人の姿を形取る。 

 再び夜風が流れ始める。

 雲が流れ、月を覆い隠す。

 やがて光は消え、篝火の明かりだけが、ゆらゆらとその場を照らしていた。

 ふと気がつけば、大樹の前に、ひとりの少女が立っていた。胸元と陰部を手で隠し、伏目に恥じらう、その肌は 雪のように白く、絹の滑らかさ。程よく肉の付いた、若々しく豊満な肢体は、すぐさま老女の差し出した漆黒の衣に隠されてしまったが、しかし何より、視るものの目を引くのはその額から生えた角であった。

 天に向かって螺旋を描く黄金の角。


 また呼ばれちゃったぁ。

 この時って、いつもハダカだから恥ずかしいんだよね。 

 う~ん、でも、ま、いいか。

 だって、ほら。


 物憂げにため息を付き、白金に輝く前髪をふわりとかき上げれば、そこから覗く眼は、燃える紅眼。

 老女が何か口を開こうとするのを、一寸たりとも気に留めず、足元ではぁはぁと荒い息を付く少女に、手を差し伸べる。そのまま抱き寄せ、耳元で労をねぎらう言葉を掛けてやると、彼女は至福ともいえる表情を浮かべ、そのまま気を失ってしまった。取り敢えず水牛角の青年に預けた。

 さて、自分がまた現世に召喚されたということは、つまり、そういう事情があるということだ。

 場を見渡せば、どうも戦闘行為のあった形跡も伺える。

 自分にとっては庭のようなものだが、彼女らにとっては、そう簡単に行き来できる場所ではないのだろう。痛ましいことだが、犠牲者も出ているようだ。ならば期待に応えてやらないわけにもいくまい。


 月は隠れていた。

 夜の闇に、篝火の炎がゆらめいている。

 ときにはこんな夜もいいのかもしれない、と、ひとり妙に納得する少女は、さて。


 老女が一本の杖――どこか見覚えのある――を差し出してくる。続けて、いくつかの指輪に、ネックレス、腕輪。そのどれもが少女の記憶の琴線に触れるものだった。

 ひとつ、ひとつ、指輪を嵌めるごとに、その懐かしい感覚にきゅうと胸が締め付けられる思いがした。

 追い求め、追い求め、手に入れたと思ったら、するりとすり抜けてしまう。まるで指のあいだをさらさらと零れる、砂漠の砂のように。何度も、何度も、拾い直そうとしたって、どれが元の砂なのか分かりゃしない。だけど、いつか掴める日が来ると信じて、また繰り返す。

 瞼の裏に浮かぶ情景に、少女の口元が引き締まる。本来の自分は楽天的で、どちらかというと怠惰で、できればのほほんと過ごしていたい。でも、最も叶えたい望みだけは、これだけは――。

 いつの間にか閉じていた瞼を開けば、鱗の老女が、水牛角の青年が、青白い肌の男が、皆、皆が、自分を取り囲み、傅いていた。

 うん、分かっている。

 これが私に科せられた役割なのだから。

 だから、名乗らないと……この古き名を。


――皆、よく頑張りました。私の名は、アルレシア。


――またの名を、始まりの魔女。


――どうか、心安らかに。不安はもう、無いのだから。

 

 森の広間を、柔らかなアルトが流れる。

 自身を魔女と名乗った少女は、慈愛とも憂いともつかぬ表情で、夜の闇を見上げた。

 

 


 


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