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それは呪いか祝福か  作者: さうろんぼ
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王宮にて

 王宮の祈りの間。

 荘厳な間を厳粛さが支配する。

 この場に居るひとりひとりの息遣いまで聞こえてきそう――それほどの静謐な空気の中、神官服に身を包んだ十数名の男女が、跪き一心に祈りを捧げていた。一団のなかには、王も、王妃も、宰相も、将軍も混じり、共に両手を組み、頭を垂れている。

 そこに只ひとりだけ、跪くことなく錫杖を掲げる老人がいた。神官服とはずいぶんと意匠の異なる、漆黒のローブを身に纏った、細身の男である。

 祈りの間の最奥にしつえられた祭壇の前で、老人は額に脂汗を浮かべ、掲げた錫杖に全神経を集中させていた。


 こうして毎日祈りを捧げるようになって、もう三ヶ月が過ぎようとしている。 

 いや、これは祈りというよりは、むしろ儀式と言った方が正確だろう。祭壇のすぐ前には円形の幾何学模様でびっしりと描き込まれた魔法陣と、これまた真古代語で記された分厚い古書が開かれている。その他にも祭壇の上に置かれた水晶珠や、積み上げられた白金貨、大小さまざまな宝石類に、ぶどう酒がなみなみと注がれた銀の酒盃などなど。


 壁掛けの燭台に灯された蝋燭は、もう随分と丈を短くしている。

 今日も、日没から始めたこの儀式に、もうどれ程の時間を要しているだろうか。

 王は乞い願い、王妃は悲愴感に身をひたす。

 宰相は苦悩し、将軍は焦れる。


 まだか、まだ成らぬのか。この儀式の成就こそが、我らの行く末を決めるのだ。


 見渡せば、誰も彼もが、色濃い疲労を隠せないでいた。

 老人においてもそれは同様で――いや、むしろとりわけ顕著と言ったほうがいい。眼窩は落ち窪み、頬はこけ、肌は艶のない土気色をしていた。だが、そうであって、彼の瞳の奥で、煌々と燃え立つ精気は、始まりの日から今日に至るまで、まるで失われてはいなかった。そこには、どのような困難にも打ち勝ってみせるという、鉄の意志が宿っており、これが肉体的衰えをはねのけ、三ヶ月もの間、老人の体を支えていたのだ。


 と、月を遮っていた雲が流れていったのだろうか。天窓から降りそそぐ月光が、ふと、明かりを増す。


――曇天続きで気づかなんだが、今宵は満月であったか。


 と、老人が月に想いを寄せたとき、それは不意に訪れた。

 祈りの間に強烈な光が満ち溢れる。

 流石に月明かりではない。

 祭壇から黄金の光が溢れ始めたのだ。

 まばゆさに手をかざしながら目を細め、老人は、三ヶ月に渡る苦行の如き儀式が遂に成就したのだ、と確信する。と同時に、身体の芯から気力、体力、精神力といったものが根こそぎ消失するのを感じた。錫杖を支えにどうにか堪えようとするが、膝に力が入らず、がくりと崩れ落ちそうになり――何者かの手によって背後から抱きとめられた。


 振り返り見やれば、それは老人と犬猿の中であったはずの将軍であった。彼は老人がふらついたことに気付くと同時に飛び出し、いち早くその背中を支えたのだった。

 なぜお前が、と老人が問うよりも早く、将軍は、これほどの重責をよくぞ、と、その労をねぎらう。そのまま将軍は神官に声をかけ、別室で老人を休ませようとしたのだが、かといって老人としても顛末を見届けることなく、離れるわけにもいかぬ。二言、三言の問答を経て、結局は将軍の肩を借りて、この場に留まることになったのだった。


 そうこうする内に、光は徐々に治まりつつあった。

 祈りの間に溢れていた黄金の光は、魔法陣上に収束し始めていた。収束して行くにつれ、まばゆかった光はやわらかに、そしてぼんやりと、ほのかに。


 そうして光が完全に収まったとき、魔法陣の中にひとりの男性が現れていた。


 すらっとした長身。その肢体はたくましさと生命力に満ち溢れていた。

 隆々と盛り上がった筋肉は、そこに秘められた膂力を極めて明快に物語る。そうであって、ごつごつとした、所謂男臭い印象はまるでない。細身というわけでもない。

 そう、此れは何を足す必要もなく、何を引く必要もないのだった。もし、類するものを探すのであれば、それは美術品や芸術品――しかも極まった――に似たものを見つけることができるかもしれない。それほどまでに、均整の取れた体つきなのである。

 その上、容貌もきわめて整っていた。あるべきものが、あるべき形を持って、あるべき所に収まっている。

 男性にしてはやや長めの金髪をさらりと流した、一糸纏わぬその姿は、どこか人外めいた美しさを伴っていた。年の頃は、二十代半ばと見えた。しかしあくまで、それは見かけのことであり、実際の彼の年齢を推し量ることは、この場の誰にもできなかった。

 何故ならば、その碧眼が醸すのは、十代の少年のような躍動感に、二十代の青年のような熱量感、三十代が持つ落ち着きに、さらに年齢を重ねた者達だけが持ち得える深い包容感を湛えているのだ。

 

一同にざわめきが走る。

 間違いなく、間違いなく、儀式は成功だ。

 さらに言えば、今、祈りに応じ我らが前に顕現したのは、皆という皆が望んで止まなかった、あの、伝説の中の伝説、英雄の中の英雄としか思えないのだ。


 王が神官長らに命じ、衣などを用意させる。

 その間、英雄は一同をぐるりと見渡すと、なにか合点のいった様子で、その尊顔に穏やかな笑みを浮かべた。

 神官から差し出された衣をまとい、将軍から受け取った鎧に身を包み、老人から手渡された指輪を嵌め、宰相の用意した外套を羽織り、最後に王から献上された剣を、手に取る。

 古の大英雄たる彼にとって、どれもこれも見覚えのある、どこか懐かしさを感じる品々だった。過去、幾度これらを身に着け、配下であり友でもあった勇者たちと、荒野を駆け抜けたことか。目を細め、感慨にひたる。

 そして、今。

 自分が呼び出されるということは、つまるところ、自分を必要とする事情があるからに他ならぬ。

 と、いうことは。


 細めた目を、

 一度閉じ、

 そしてまた開く。

 

 仰ぎ見る月は、その慈しみの明かりを以て、煌々と、祈りの間を包んでいた。

 彼は剣を鞘から抜き放ち、頭上に掲げる――その軌跡に銀閃が煌めいて、場のざわめきは、すうっと静まる。何やら物申したげな王をやんわりと制し、一同に告げる。

 その碧眼にうつる白刃は、月光を受け、ただ優しく輝いていた。


――我こそは、始まりの英雄、トゥオーリン也。


――皆よ、我が降臨したからには、


――憂うべき尽くを、すべからく導いてみせよう


 祈りの間に、ゆったりと響き渡るテノール。

 そこまでを聞き届けて、老人はやれやれとばかりに、必死で保っていた意識を安堵の中、手放すのだった。


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