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6 若竹要くん視点・千葉弥生さん視点

● 若竹要くん視点


 俺は兄に呆れている。

 兄は一言で言うなら「テニス馬鹿」。テニスのことばかり考えている。

 俺よりは上手だけど、俺の一学年上の瀬戸先輩には負けていた。

 瀬戸先輩はテニスが上手なだけじゃなく、男の俺から見てもイケメンだと思うし、成績も良いと評判だ。

 更に下級生の面倒もよく見てくれて、優しい。

 瀬戸先輩は高等部ではテニス部に入らず、何故か大学の兄のテニスサークルに混ざっていた。

 のちに、理由がわかった。結婚式の招待状が届いた。

 瀬戸先輩は、テニスサークルの虹川先輩に惚れていて、猛烈なアタックをしていたらしい。

 兄に聞いた話によると、瀬戸先輩は虹川先輩の前で、ものすごくテニスが上手な先輩と勝負をして、見事に勝ったという。

 それから少しして、瀬戸先輩は虹川先輩と付き合い始め、十八歳の誕生日に婿入りすると。

 テニスでアピールして、高等部三年で結婚まで持ち込むとは……瀬戸先輩の熱烈さには脱帽だ。

 素晴らしい心意気の示し方だ。

 それに引き替え我が兄は……。


「俺、彼女が出来たぜ! 瀬戸のおかげだ!」


 俺に興奮して、いきさつを話してきた。

 兄は瀬戸先輩とテニス勝負をして、勝利を収め、観戦していた「彼女さん」に付き合っても良いと言われたとか。

 それは良い話だと思うが、卑怯なことに、瀬戸先輩の利き手でない方で勝負したと……。

 瀬戸先輩は潔い勝負を行い、心意気を示したというのに、この兄ときたら。


「それは、ちょっとずるいんじゃないの? 兄ちゃん」

「何を?! 素直に祝福しろ!」


 やがて兄は社会人になり、彼女さんを家に連れてきた。

 可愛らしくて、しっかりした感じの人だ。兄にはもったいない。


「俺達、結婚するから」


 家族で仰天した。


「どうぞよろしくお願いします」


 正座して、深々頭を下げる彼女さん。

 ──印象通り、しっかりした女性だ。

 この人ならば、思い込んだら一直線の兄を上手くコントロールしてくれそうだ。


「弟の要です。こちらこそ、どうぞ兄をよろしくお願いします」


 俺も頭を下げて、呆れるばかりの兄に失望しないよう、お願いをした。

 兄は結婚式を挙げた。弟なりに、ご祝儀を奮発した。

 月日は流れて、奥さんに子どもが生まれた。男の子だった。


「要。名付けに悩んでいるんだ。お前だったらどんな名前がいいと思う?」


 兄が相談してきた。テニス馬鹿の兄の名前は努。俺は要。一文字に拘るならば。


「……例えばなんだけど。兄ちゃん、テニス好きでしょ? 庭球の『てい』に漢字を当てはめて『逞』なんてどう?」


 俺が考えた名前を口にすると、兄はぱっと顔を明るくした。


「お前、センスあるな! 若竹逞か。テニスが上手い、逞しい子になりそうだ!」


 気に入ったらしい。喜んでもらえるならば、考えた俺も嬉しい。

 奥さんも気に入ったらしく、男の子の名前は、若竹逞になった。

 名付け親として、叔父として、逞くんとよく遊んだ。

 兄が小さい頃から熱心にテニスを教えた為か、逞くんはみるみる上達した。

 ……兄より、ずっとテニスセンスあるかも。時々相手をする俺はそう思う。


「お、おい……」


 六歳の逞くんは、兄から1ゲーム取った。兄は呆然としている。


「ちくしょう! 逞! もう1ゲームだ!」


 大人気ない兄に、今日も俺は呆れている。

 どうか奥さん。兄を見捨てないでやってください。


 ♦ ♦ ♦


● 千葉弥生さん視点


「無常」は、この現象世界のすべてのものは生滅して、とどまることなく常に変移しているということを指す。

 私の大学での専攻は、鴨長明の『方丈記』。

 出家遁世者が書いた、名高い随筆だ。

 無常観の文学とも言われる。

 有名な「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」。

 普通は逆接の意味で使われるであろう「しかも」。

 でも添加で訳しているものを支持したい。

 絶えずしてしかも、だからだ。逆接ならば、絶えずしかも、だろう。

 しかも、を添加して、ただの無常ではなく常住も視野に入れて、深い意味の無常を示している所がすごい。

 私には『方丈記』の文面は、とても積極的に生きようとしている姿が見られると思う。

 ただ、無常を主張するだけではないと考える。



 そうは言っても、この世は「無常」。

 移り変わりゆく世の中だ。

 そんな世の中、積極的に楽しまず生きずして何になろうか。


「千葉は、いつも楽しそうだね」


 大学二年のとき、テニスサークルの四年の男の先輩に言われた。


「そりゃあ、楽しまなきゃですよ。この世は無常。何でも移り変わるんだから、今を楽しまないと」


 軽く答えると、先輩は眉をひそめた。


「……割り切りすぎ。楽しむのはいいけど、享楽的なのはどうかと思う」


 びっくりした。そんな風にたしなめられたことはなかった。

 それから、先輩のことが気になり始めた。

 隙をみては、話しかける。


「千葉の『方丈記』のその解釈、良いんじゃないかな。無常を主張するだけじゃないなんてさ」


 私は嬉しくなった。

 性格を変える気はないけれど、考え方を変える切っかけになった。

 ただ単に、自分が楽しむだけじゃない。

 他のことも気にかけて、思いやりを持とう。

 そうしたら、先輩が褒めてくれた。


「千葉は楽しそうなだけじゃなくて、色々前向きになったな」

「ありがとうございます。先輩のおかげです」


 笑いかけたら、先輩が少し躊躇う素振りをみせた。

 どうしたのだろう。


「千葉は本当に良い人間になったと思う。……俺と、付き合ってくれないか?」


 さすがに驚いた。

 今までもちらほら言い寄られたことはあったけれど、皆私の内面なんか見ていなくて、外見が綺麗と言われたくらいだ。

 この先輩は、私の内面を変える切っかけをくれて、更にそこが良いと言ってくれた。

 多分、私をこんなに理解してくれる人は現れないだろう。


「いいですよ。付き合いましょう」


 翌年、先輩は卒業してしまったけれど、付き合いは続けていた。

 思いやりを持って、新入部員達に接した。

 特に、月乃ちゃんと玲子ちゃんという後輩は懐いてくれた。

 月乃ちゃんは、驚いたことに、早々と二十二歳で結婚してしまった。

 結婚式のブーケトスで、運命のようにブーケは私の手に収まった。

 持って帰って先輩に見せた。綺麗な紫色のブーケ。


「良かったな、弥生。……本当に、次の花嫁になるか?」


 唐突な求婚。それでも私は嬉しい。


「うん、花嫁になりたい」


 先輩は微笑んだ。


「無常に負けないように、早いところ、そのブーケをドライフラワーにしようか」


 この現象世界のすべてのものは生滅して、とどまることなく常に変移している。

 それは確かにその通り。

 でもきっと、変わらないものだってあるはず。


「私達の愛は、きっと変わらないね」

「そうだな。万が一ドライフラワーが駄目になっても……愛だけは変わらないに違いない」


 さあ、結婚式準備の始まりだ。


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