第6話 恋愛上級者の仮面
閉店後のカフェは、昼間の喧騒が嘘のように静かだった。
椅子を上げ、テーブルを拭き、レジを締める。
いつもなら何気なく終わる作業が、今日はやけに長く感じる。
秋斗は、カウンターの奥で片付けをしている優風を、何度も盗み見ていた。
話しかければ、返事はある。
でも、それ以上は近づいてこない。
(……誤解したままだ)
麻美との会話が、何度も頭をよぎる。
曖昧に笑った自分。
それを見て、何も言わずに離れていった優風の背中。
(ちゃんと、話さないと)
意を決して、秋斗は声をかけた。
「優風さん。……話したいことがあるんです」
優風は、一瞬だけ動きを止めた。
それから、何事もなかったように布巾を置く。
「……駅までの帰りなら」
その言い方は、距離を保つための線引きだった。
秋斗は、それでも頷いた。
***
夜道。
秋斗は自転車を押しながら、優風の少し後ろを歩く。
街灯の明かりが、二人の影を長く伸ばしていた。
沈黙が続く。
先に口を開いたのは、秋斗だった。
「麻美とは……もう、何もないです」
――俺は、何の言い訳しているんだ。
でも、言わずにはいられなかった。
「復縁なんて、考えてません。
あのとき笑ったのは……はっきり拒む勇気がなかったからです……」
自分の情けなさを認めるのが、怖かった。
それでも、嘘はつきたくなかった。
「俺……優風さんに誤解されたままなのは、嫌なんです」
しばらくして、優風が小さく息を吐く。
「……秋斗くんは、ほんと“いい人”だよね」
その言葉は、褒め言葉の形をしていた。
でも、どこか痛みを含んでいた。
優風は少し足早になり、公園の明かりの方へ向かう。
秋斗は、その背中を見つめながら思った。
(俺は、また“優しさ”を押しつけようとしているのか)
***
公園の入り口。
ベンチの前で、優風が立ち止まった。
「……ちょっと、座ろっか」
二人は並んで腰を下ろす。
夜風が、静かに木々を揺らしていた。
優風は深呼吸をひとつしてから、言った。
「私も、秋斗くんに言わなきゃいけないことがあるの」
秋斗は背筋を伸ばす。
「私ね……恋愛上級者なんかじゃない」
「え……?」
「いつも失恋ばっか。
“もてる女”のフリしてただけ」
苦笑する優風の横顔は、どこか幼く見えた。
「孫子の恋愛術なんて気取っているけど、実戦は全敗。
どう? 引いた?」
秋斗は、言葉を失った。
「肝心なところで、勇気がでないの。
緊張しちゃって、失敗ばかりするし……」
「だからね……失恋の立ち直り方は語れても、
その先は、どうすればいいかなんて、全然わからない」
夜の公園に、正直な声が落ちる。
***
優風は、ぎゅっと手を握りしめた。
「秋斗くんが変わっていくのを見て、
私も動かなきゃって思った」
「でも……怖かった」
視線が、地面に落ちる。
「失敗ばかりの自分を見られたくなかった」
秋斗の胸が、きしりと鳴った。
「だから、距離を置いたの。
バレるのが怖かった」
震える声。
(……同じだ)
秋斗は気づいた。
弱さを隠していたのは、自分だけじゃなかった。
***
秋斗は、ゆっくりと言葉を選んだ。
「優風さん……俺も同じです」
優風が、顔を上げる。
「俺も、ずっと弱さを隠してましたから」
夜風の中で、秋斗は続ける。
「麻美に言われた“優しさ”は、
俺にとっての“弱さ”でした」
「でも……優風さんは、それを“強さ”だって言ってくれた。
だから、俺、一生懸命、強くなろうとした」
優風の瞳が、揺れた。
秋斗は、静かに微笑む。
「俺も、優風さんの“弱さ”を“強さ”だと
言えるようになりたい」
言い切った瞬間、胸の奥がすっと軽くなる。
***
優風は唇を噛んで、視線を落とした。
「……強くなれるかな」
「なれますよ、きっと」
優風は涙を拭い、小さく呟いた。
「怖いけど、秋斗くんと一緒に……頑張ってみようかな」
「はい、一緒に……」
秋斗の胸に、温かいものが広がる。
(この人と一緒に、また動き出したい)
二人は空を見た。
いつの間にか雲が切れ、月明かりが静かに二人を照らしていた。




