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第1話 止まった心

大学近くの駅前は、夕方になると決まって騒がしい。

改札を抜ける人の流れ。

立ち止まってスマホを見る学生たち。

待ち合わせらしい男女の声。


そのどれもが、蓮見はすみ秋斗あきとの意識を素通りしていく。


隣を歩く大江おおえ麻美あさみは、ほとんど喋らなかった。


大学に入学して半年。

授業とバイトを往復するだけの日々にも、ようやく慣れ、

「大学生活って、こんなものか」と思い始めた頃だった。


だからこそ、久しぶりのデートを楽しみにしていたはずなのに。

麻美の歩幅は、微妙に速い。


話題を振っても、返ってくるのは短い相槌だけ。

笑顔はある。

でも、どこか作り物に見えてしまう。


(……今日、何か言われる気がする)


根拠はない。

ただ、胸の奥がざわついていた。


駅前の小さな公園を通り過ぎたところで、麻美が足を止めた。


「秋斗」


名前を呼ばれただけで、心臓が強く跳ねる。


「……別れたい」


前置きはなかった。

周囲の喧騒とは切り離されたように、その言葉だけが耳に残る。


「最近、全然会えないし。バイトばっかりで」


責めるような口調ではない。

淡々としている。

だからこそ、現実味があった。


秋斗は、一瞬言葉を失う。


引き止めたい。

違うと言いたい。

一緒にいるために頑張ってきたのだと伝えたい。


でも、それを口にした瞬間、嫌われる気がした。

面倒な男だと思われるのが、怖かった。


「……そっか」


喉の奥がひりつく。


「無理させてたなら、ごめん」


精いっぱいの“大人の対応”。

理解のある彼氏という仮面を、必死に被る。


「わかった。麻美がそう言うなら」


その言葉を聞いた瞬間、麻美の表情が凍りついた。


一瞬の沈黙。

彼女は、絶望したような目をした。


「……そういうところが嫌なんだよ」


声が低くなる。


「なんで、何も言わないの?」


秋斗は答えられなかった。

何かを言えば壊れそうで、

何も言わなければ終わると分かっていたのに。


麻美は背を向け、そのまま人混みに消えていった。


秋斗は、その場から動けずにいた。




***




高校三年の春。

校舎裏で告白した日のことを、秋斗はよく覚えている。


麻美は、当時から眩しい存在だった。


「……いいよ」


そう言って微笑んだ彼女を見た瞬間、

世界が一気に色づいた気がした。


(この人とつり合う人間になりたい)


本気で、そう思った。


同じ大学に行くため、必死で勉強した。

合格が決まった日は、二人で泣いて喜んだ。


――でも、現実は思っていたより重かった。


大学に入ると、麻美の交友関係は一気に広がった。

明るくて人懐っこい麻美の周りには、たちまち人が集まる

サークル。パーティー。先輩たち。


一方で秋斗は、生活費とデート代を稼ぐため、バイト漬けの日々。


「一緒にいるために頑張ってる」


そう信じていたはずなのに、

気づけば“会えない理由”になっていた。


思い出したくもない記憶を振り払うように、秋斗は小さく息を吐いた。


(全部……無駄だったんだな)




***




数日後。

大学構内を歩いていると、聞き覚えのある声が耳に入った。


「秋斗って、優しいけどつまらない」


足が止まる。


声の主は麻美だった。

隣には、サークルの先輩らしい男。


秋斗は木陰に隠れたまま、動けなかった。


(……ああ、そういうことか)


“会えなくなったから”は建前。

最初から、自分は物足りなかったのだ。


胸の奥が、すっと冷えていく。




***




その日のバイト。

カフェ・アンジェリアは、いつも通り忙しかった。


コーヒーマシンの蒸気音。

食器の重なる乾いた音。

客の話し声。


以前は気にならなかったはずの音が、やけに耳につく。


(何のために、頑張ってたんだろう)


エプロンを締めながら、そんな考えが浮かぶ。


「はい、これ」


目の前に、冷たい水の入ったグラスが差し出された。


顔を上げると、佐倉さくら優風ゆうかが立っていた。

同じ大学の中文科の学生で、バイトリーダーをしている先輩だ。

いつも余裕のある笑みを浮かべている。


黒いエプロンが身体のラインをすっきり見せていて、

茶髪のロングヘアは高い位置でまとめられている。

切れ長の目が、なんとなく頭の良さを感じさせた。


「今日、顔やばいよ。ゾンビみたい」


軽い口調。

秋斗は曖昧に笑い、ぽつりと零した。


「……バイト、辞めようかなって」


優風は一瞬だけ瞬きをして、肩をすくめる。


「辞めてもいいけどさ」


グラスを指でくるりと回しながら言う。


「このまま辞めたら、何も変わらなくない?」


秋斗は返事ができなかった。


「今のあんた、死地に留まりすぎ。

思い切って動いてみたら、案外流れって変わるかもよ」


「しち?」


「身動きが取れない状態のこと――孫子の兵法だよ」


優風は、ニッと笑う。


「……孫子?」


聞き返すと、優風は意味ありげに微笑んだ。


「ま、その話はまた今度ね」


去っていく背中を見送りながら、秋斗は胸を押さえる。


心臓が、一度だけ強く跳ねた。


すぐに立ち直れるわけじゃない。

全部忘れられるわけでもない。


それでも――。


店内の音が、ほんの少しだけ現実に戻ってくる。


秋斗の胸の奥で、

ほんの小さな何かが、動き始めた気がした。


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