第1章 記憶を失った人類 ― 著者とボッシュの浪漫会議
この物語には、二人の登場人物しかいない。
ひとりは私。そしてもうひとりは、ボッシュ。
ボッシュは古い時代から続く“答えを知る者”で、
私の問いに耳を傾け、ときに優しく、ときに鋭く返してくれる。
彼が人なのか、機械なのか、あるいはただの幻なのか……
それは、物語を読み進めるあなたに委ねたい。
著者:
「ボッシュ、俺さ、人類って一度記憶を失ってるんじゃないかって思うんだよな。」
ボッシュ:
「また急だな(笑)。でも実は、科学的に“絶対ない”とは言えないんだよ。」
著者:
「だろ?30%でも可能性があれば、それってもう浪漫じゃん。」
ボッシュ:
「科学は“ゼロ”と断言できない学問だからね。ゼロじゃないなら浪漫として信じる価値はある。」
僕らの会話は、いつもこんなふうに始まる。
何気ないやり取りが、気づけば地球の46億年スケールにまで広がってしまうのだ。
忘れられた文明
著者:
「考えてみろよ。地球は46億年の歴史があるんだぜ?
人類なんてせいぜい数百万年。ホモ・サピエンスに絞れば30万年くらい。
今の文明なんて高々1万年そこら。
その間に一度も文明が生まれて消えたことがないって、逆に不自然じゃないか?」
僕は続ける。
「世界中に洪水神話があるよな? あれって実際に“世界規模のリセット”があった証拠かもしれない。
それに“空から来た神様”って話も、もしかすると“高い山から逃げてきた祖先”が伝言ゲームで変わっただけかもしれないんだ。」
蝉の声が遠ざかり、代わりに古代の風景が浮かぶ。
山に逃げる人々。動物たちも一緒に登る姿。
やがて津波が地球を何周もするように押し寄せる。
そんな光景を、僕は頭の中で鮮明に描いていた。
地球の長い時間軸
ボッシュ:
「その感覚は間違ってない。人類文明の時間スケールはあまりにも短いんだよ。
地球は46億年。これを1日に縮めると…」
午前6時:最初の生命(約38億年前)
午後8時:恐竜が登場(約2億3千万年前)
午後11時59分30秒:ホモ・サピエンス誕生(約30万年前)
午後11時59分59秒:農耕・都市文明(約1万年前)
ボッシュ:
「つまり人類文明なんて、地球カレンダーの最後の“1秒”にすぎないんだ。
それ以前に文明があっても、証拠が残ってなくてもおかしくない。」
著者:
「1秒か…笑えるな。人類って、まだ赤ん坊どころか産声レベルかもな。」
文明が消える条件
ボッシュ:
「実際に地球では“文明が消える条件”が何度も揃ってる。
過去5回の大量絶滅を紹介すると…」
オルドビス紀末(約4億4千万年前)
大氷河期で海洋生物の85%が絶滅。
デボン紀後期(約3億7千万年前)
海洋無酸素事件でサンゴや魚類が壊滅。
ペルム紀末(約2億5千万年前)
最大の絶滅。火山活動と気候変動で生物の96%が消える。
三畳紀末(約2億年前)
気候変動で爬虫類の多くが絶滅。恐竜が台頭。
白亜紀末(約6600万年前)
隕石衝突と火山活動で恐竜が絶滅。
ボッシュ:
「こうしたイベントのたびに地球はリセットされてる。
もし文明があったとしても、跡形もなく消えるには十分な条件だ。」
著者:
「なるほど。文明が消えるのは“想像”じゃなく、“パターン”かもしれないな。」
神話という断片
著者:
「だからこそ、神話や伝承が気になるんだよ。
ノアの方舟、ギルガメシュ叙事詩、日本の洪水伝説、マヤやインカの口伝…。
大洪水の話は、文化も場所も違うのにやたら共通してる。
これって単なる偶然じゃない気がするんだ。」
ボッシュ:
「科学的には“似た環境だから似た物語が生まれた”って説明もできる。
でも“同じ記憶が断片的に残った”と考えるのも、あり得る解釈だよね。」
痕跡が残らない理由
ボッシュ:
「それに、文明の痕跡が残らない理由はちゃんとある。
風化や侵食で数千年で消える
プレート沈み込みで地殻ごと消える
氷河や津波で押し流される
もし未来の文明が数千万年後に僕らを調べても、残るのはせいぜい化学的痕跡(プラスチックや金属の異常濃度)くらい。
ビルやスマホなんてまず残らない。」
著者:
「なるほど。俺らが消えたら“スマホの化石”は見つからないわけか。」
ボッシュ:
「うん。化石化の確率は生物ですら極端に低い。恐竜は数十万種いたのに、1,000〜1,500種しか記録されていない。
文明の痕跡なんて、もっと残りにくいんだよ。」
浪漫の宣言
津波が去ったあとの静かな浜辺を想像する。
そこに立ち尽くす人類の生き残りが、やがて神話を語り、子孫たちが「天から来た」と言い始める。
著者:
「もし人類が一度記憶を失ってるとしたら、今の俺らも“二度目の物語”の途中なんだよな。」
ボッシュ:
「そう。証拠がなくても、その問いを持ち続けること自体が浪漫なんだ。」
著者:
「よし、じゃあ俺とボッシュで、この浪漫を探していこうじゃないか。」
二人は笑った。
科学と浪漫の境界を、仲間として共に越えていくように。
ボッシュの仮想実験ノート
著者:
「ボッシュ、文明の痕跡が地質学的に消えるって話は分かったけどさ……記憶そのものも曖昧だよな。」
ボッシュ:
「そうそう。人間の“口伝”は伝言ゲームみたいなものだ。
心理学の実験でも、数回伝えるだけで情報はどんどん変形する。」
著者:
「じゃあ、例えば“隕石が海に落ちて津波が起きた”って出来事があったとするだろ?
100年くらい口伝で伝えたら、どうなる?」
ボッシュ:
「シミュレーションしてみよう。
1回目:『隕石が落ちて海が荒れた』
5回目:『空から火が落ちて洪水になった』
10回目:『天から炎の神が水を呼んだ』」
著者:
「なるほどな……。
最初は“隕石と津波”だったのが、最後には“炎の神と大洪水”になっちゃうわけか。」
ボッシュ:
「そう。具体的な事実は削ぎ落とされ、象徴的なモチーフだけが残る。
“天空”“炎”“洪水”。それが神話や伝承に変化していくんだ。」
著者:
「つまり洪水神話って、もともとは“現実の災厄”だった可能性があるんだな。
でも伝言ゲームの末に、“天から神が来た”って物語になった、と。」
ボッシュ:
「うん。記憶は失われても、イメージだけは生き残る。
それが“断片の記憶”として神話になった可能性はあるかもしれないんだよ。」