64.破片
「それで、月兎を殺す計画は今のところあるのか?」
茨木童子は鴉に尋ねる。
当の鴉は、そんな質問にすぐに答えることができず座ったまま前のめりになって考え込む姿勢を見せた。
しばらくしても回答が得られないため、茨木童子は鬼童丸と顔を見合わせて「やれやれ」と首を振るのだった。
「──殺す方法はまだ考えついてないが、やつが無視できない情報なら……ある」
「ほう」
鴉はぽつりと呟いた。
その言葉に茨木童子は関心を寄せ、聞き返す。
「加山が遺してくれたものだ……。今手元にあるわけじゃないが、あれは、妖怪を人間の社会から浮き彫りにできるほどの爆弾」
「……? どういう意味だ、爆弾だと? 妖が社会から孤立するようになる、ということか?」
「瑞子鳴河を襲撃した後、お前は覚や加山と話したそうだな」
「ああ。加山優香の携帯電話から、倅殿が発信してな。それがどうした」
「あの時、覚は録音機という物を持っていてな。お前の言葉を録音していたのさ」
『虎水館』から飛び出したきた鬼童丸を、覚と加山がパトカーで救出。その後瑞子から逃げ、落ち着いた時に鬼童丸を通して二人は茨木童子とコンタクトを取っていた。
鴉はその時気を失っていたため、知っている出来事については全て伝聞である。だが覚がレコーダーによって茨木童子の言葉を録音しており、『四大財閥』が玉藻草司のマッチポンプによって生まれたこと、トップ四名の正体は妖怪であり日本人を経済的、肉体的、精神的に貪っていること。茨木童子の口から語られた、その言質が記録として収められていたのだ。
覚は加山にこのレコーダーを渡し、人間としての反抗に使うようにと託していた。鴉が話しているのはそれである。
「……なるほど。味な真似を……」
鴉から秘密兵器のことを聞き、茨木童子はそう漏らす。
「やってしまった」というよりは、「この俺に対してよくそんな真似ができたな」という感心が彼のため息には込められていた。
「それで? それをどう使うつもりだ」
「今思いついた限りでは、やはりお前たちの存在を大々的にすることだ。テレビを使って、この音声を日本中にばら撒く」
鴉の言葉を聞いている間、茨木童子はまっすぐ彼に視線を向けていた。
まるで思うことがあるかのような表情を向けられる鴉は、思わず彼に問う。
「何だ……。『四大財閥』で殺し合うっていうなら、社会の混乱は避けられないはずだろう。お前たちだってそれはわかりきってるはずだ」
「はぁ〜〜……やはり、社会に触れてこなかった者というのは駄目だな。まるでわかっていない……なあ、倅殿?」
「な、何だと……!」
茨木童子が鬼童丸に同意を求めるが、彼は特に頷くなどの反応は見せない。
しかしわざとらしい上司のため息を真似るように、フンっと鼻を鳴らしていた。
真面目に取り合わない二人に対し、鴉は馬鹿にしているのかと憤りを覚える。それはある意味で正解であり──
「鴉、それだけでいいと思っているのか」
「……それだけだと?」
「その時だけの、俺だけの台詞で『四大財閥』が怖気付くと思っているのかと聞いている」
「……!」
「俺たち財閥は、面倒な人間社会を登り詰めるのに時間はかけなかった。だが、その過程で面倒な壁には幾度となく当たってきた。その中で、俺たちの不祥事をでっち上げて社会的信用を地に堕とそうとしていた連中もいた……。つまり、慣れっこだ。たかが俺一人の、短い音声で、奴らを揺さぶれると思っているのならとんだ思い違いだな」
茨木童子の言葉は社会に潜む妖怪のものでありながら、堂々と生きる人間の側面も併せ持つ。
四大財閥のトップたちは海外こそ純粋な戦闘能力で蹂躙したが、日本国内では彼らなりに穏便に潜り抜けてきている。
金や嘘で彼らを出し抜こうとする、他企業の役員や政治家は大勢いた。そんな者たちの扱いにはもはや慣れている。鴉の持っている茨木童子の音声は、実際には財閥トップたちには決して通用しない脆い武器である。
鴉は加山の側にこそいたが、そうした社会の仕組みにはまだまだ疎かった。
「なら、これは使えない手ということか」
自身では認識していないが、鴉はわかりやすく肩を落として再び考え込む。
だがそんな彼に、茨木童子は言葉を続ける。
「話を聞いてなかったのか? 俺一人の声では駄目だと言ったんだ」
「……他の妖怪の声も集めろってか? それじゃあ明後日までに絶対間に合わないだろ」
「そうだな。今から集めたら、間に合わない。それは未来の話だからな……」
「あ?」
「時間は常に進み続けている。今から、というのは未来に進みながら行動を起こす宣言だ。もったいないことに、時間を捨てながらの進路を征くことになる」
わけのわからないことを話し始める茨木童子。
鴉は「何言ってんだこいつ」という困惑と、煙に巻かれているような感覚に対する苛立ちで、眉間にシワを寄せている。
鴉の反応など意に介さず、茨木童子は続けた。
「今からやれば間に合わない。だが、前にやっていたことにすれば問題はない」
「お前……さっきから何言ってんだ? ワケのわからんことを……。前にやっていたことにすればいいだと? 過去に戻れとか頭のおかしいことを言うつもりじゃねぇだろうな」
「ああ、そう言っている」
「おちょくんのもいい加減にしろよ」
鴉の苛立ちは増す。
しかし彼を変わらずまっすぐ見据える茨木童子の目つきは、至って真面目そのものだった。
茨木童子はおもむろにデスクの引き出しを開ける。そしてそこからコルクで密閉された試験管を取り出し、鴉に見えるように掲げて見せた。
試験管の中には、渦巻く黒い煙のようなものが。
「車の中で言ったな。玉藻草司は今、自分に比肩するほど強い大妖怪を自らの手で生み出そうとしている。これは、その『あすこここ』の破片だ」
「なに……!?」
覚の目を欲しがっていた玉藻。その理由は、自分が丹精込めて作っている『あすこここ』の更なる強化のためである。
茨木童子から覚が玉藻に狙われた理由について教えられた時に、この人造妖怪の存在についても一緒に伝えられた。
だが、その一部がなぜ茨木童子の手元にあるというのか。鴉の理解は追いつかなかった。
「あすこここは大量の妖の死体によって作られている。そのため部品となった妖の能力をいくつも保持しているんだが、あすこここ自体の能力というのも別に存在している。それが、"時空間移動"だ」
「なっ……!? そんなことが……!?」
時空間移動。鴉はこの単語だけを聞いてもあまりイメージはできていない。だが、先ほどの茨木童子の「過去に戻ればいい」という言葉から何ができるかということは想像できた。
「『あすこここ』という名前は、いつ、どこにでも存在しているという意味らしい。あすは明日、ここは此処と、まあそういう感じだろうな」
「……玉藻はどうやってそんなものを……」
「さあな。そこまでは知らん。だがとにかく、このあすこここの破片が取り巻く者を狙った時間軸へ一時的に飛ばす力があるのは事実だ。破片は全部で三つあってな、一つ試した。だから今ここに残っているのは二つの破片だ」
茨木童子は試験管二本をデスクの上に並べて見せる。
「…………過去に戻れるなら、加山を直接助けることもできるんじゃないのか」
鴉は静かに、喉元から振り絞ってそう口にする。
茨木童子は過去に戻って、『四大財閥』が妖怪であるという根拠となる情報を集めろという話を進めていた。だが、過去に戻れるというのなら加山が死ぬあの場面にもう一度立ち会えるというもの。
もしかしたら。結末を知った上であの時、全力で加山を救いにビルを駆け上がっていればあるいは。
そんな一抹の希望を抱いてしまう。
「……無理だな」
だが、それはすぐに否定された。
「過去に戻ることによって現実を改変することはできない。できたとしてもせいぜい数秒から数分前の出来事で、改変の内容にもよる。数時間前の出来事はもうどうしようもない」
「……」
「逆に言えば、"今"に全く影響を与えることにならなければ何でもできるってことだ。アクションを起こすのは、"今"から先。そのための材料を"過去"から集める。お前がやるべきことはそれだ」
茨木童子の言葉は事実に基づき、故に厳しい。
しかし彼は彼なりに、鴉を立ち上がらせようとしていた。背中を押すだけではなく、腕を掴んで引っ張り上げようと。
鴉が自分の駒だからというのも正しい。沈んだ者を目にしているのが嫌いだからというのもその通りである。だがあと一つ、茨木童子が鴉に対して抱いているのは、彼なりの同族への仁だった。
試験管を一本、鴉に差し出す。
「倅殿も協力させよう。やってこい」
「……本当にいいのか。そんなとんでもない道具、手に入れるのも簡単じゃなかったろう。玉藻の目を盗んでやったんじゃないのか?」
「まあ……そうだな。いや、これは貰い物でな」
「貰い物? 誰からのだ?」
「何でもいいだろう。改変ができないというなら、俺たちには大した意味は無いと判断したまでだ。お前が好きなように使え」
茨木童子は鴉に押しつけるようにして試験管を渡した。そして同じように、鬼童丸にも試験管を手渡す。
「使い方は簡単だ。中身を出して、自分の周りにばら撒いてしまえばいい。そして自分の行きたい時間軸を念じるだけだ」
「わかった。準備をしてからさっそく向かう。鬼童丸」
鴉の呼びかけに鬼童丸は頷く。
茨木童子はそんな彼に面白くなさそうな顔をするが、他二人は一切気づいていなかった。自分の副官が、仕方ないとはいえ他者の言うことを聞くのが気に食わないのだ。
ましてや鬼童丸はここまでの鴉と茨木童子のやりとりの中で、茨木童子から何か振られてもほとんどリアクションをしなかった。かの上司は心の中で「反抗期か?」と呟くのだった。
「ああ、鴉。最後に一つ」
「何だ?」
「俺は今後、この件には関与しない。倅殿を貸すのも証拠集めまでだ。その後はお前だけでやれ」
「わかってる。始めからそのつもりだ。むしろ、色々使わせてもらったり月兎を優先させてもらってありがたいまで思ってるよ」
さらりと言う鴉だったが、その目には全く嘘の色が無い。茨木童子も、彼が本当に感謝していることを疑いはしなかった。
だが、彼が話しておきたいのはその点ではなかった。
「……逆に月兎に殺されてしまわん内に、俺からの餞別でもくれてやろうと思ってな」
「餞別?」
「『四大財閥』は人間を舐めている。人間が家畜や虫を舐めているようにな。だが、犬猫のような愛玩動物でさえその気になれば人間を引きちぎることは容易い。虫でさえ、ものによっては人間を苦しめることは得意とする……それは、妖と人間の関係であっても同じだ」
「…………」
それはヒントであった。
鬼は月兎と鴉の戦いには関与しない。つまり、鴉は一人の戦いを強いられることになる。
月兎への復讐を認めたのは茨木童子の個人的な感情と、『四大財閥』というバランスを崩す第一歩を踏み出すため。そのために、自分たちの主戦力かつ要である鴉を失うわけにはいかない。
鴉ができるだけ上手く立ち回れるように、大きなヒントを与えた。鴉と、失われた仲間たちの命の最後の共闘ともいえる作戦に繋がる、大きなヒントに──
───────────
翌日の朝、八時頃。
慌ただしい朝の出勤ラッシュに揉まれながら、神宿警察署刑事課の長濱が自分のデスクに着席する。
彼は加山とよく行動を共にしていた刑事であり、加山を除いて鴉の存在を知る唯一の人間である。しかし彼女とは違い、長濱には高い霊力は備わっていない。鴉のことは加山から聞かされて知ったのだ。
そんな長濱だが以前に行われた覚による読心によって、玉藻に買収されていた事実を白日の下に晒された高橋警視を弾劾することに成功していた。覚による呪い(ブラフ)を恐れた高橋警視は、むしろ自ら進んでその任から降りたのだ。
だがそれからが大変であり、役職者を失ったことでその皺寄せが部下たちに来たのである。デスクとデスクの合間を皆が走り回るこの忙しさは、それが原因であった。
「……うん? 何だこりゃ」
長濱は着席と同時に、デスクに置かれた封筒に気がつく。
封筒の表面には「長濱へ、鴉」とだけ書かれており、彼はすぐにそれが加山と行動を共にする黄泉の使者からの手紙だと察した。
すぐに封筒の中身を取り出す。入っていたのは三等分に折られた手紙だった。
「鴉から俺に……一体何の用が──」
言いかけてすぐ、長濱の口が止まる。
手紙の最初には、衝撃的な文が書かれていたからだ。
「か、加山が……死んだ……!?」
部下の死。
彼がこの事実を飲み込むには時間を要した。本来の仕事が手につかなくなるほどに、加山が殺されたという最初の文が長濱を苛むことになった。
しかし、彼は昼には切り替える。その後に続いた、鴉からの"依頼"。それを遂行するために。




