61.水槽の中のリィンカーネーション
『Nined Tailer Corporation』本社。その地下六階の、玉藻の個人的な研究施設にて。
いつも被せられている黒い布を取られた、高さ3mほどの水槽に、玉藻は血塗れの二つの球体を落とす。
それはピンポン玉とほぼ同じサイズのもので、血管が走り、大部分は白いものの円状の黒い部分も表面に一箇所見られた。
「……お目当ての覚の眼球は手に入った。これで、この『あすこここ』に相手の心を読める力が付与された」
玉藻は満足そうに話す。
彼の後方には流動する黒い粘液で胴体が覆われた山羊角の妖怪、『四凶』の饕餮が静かに佇んでいる。
彼の目線も玉藻と同様に水槽に向いており、いつものニヤついた口も今は閉ざされていた。
「恐ろしいですねぇ〜〜。ただでさえかなり強力に仕上がってるのに、心まで読めるようになるなんて……。ところでぇ、玉藻さん?」
「何だい?」
「妖の能力というのは、妖力に依存するのではないのですかぁ? 妖力はそれぞれの妖ごとに独特な性質があって、だから固有の能力があるものだと思っていたのですがぁ」
「つまり、覚の魂ではなく目玉をあすこここに組み込んでも読心の能力は植え付けられないのではないか……そう言いたいのかな」
「はいぃ」
饕餮の疑問。それは、妖怪にとっての妖力がどういう存在かという部分に根ざしている。
全ての生命というのは魂から霊力を発し、これを肉体を動かすエネルギーとしている。
中でも妖怪はこの霊力を妖力に変換し、物理法則を無視した異能を行使できる存在であると妖怪たちの中で定義されている。またこの妖力は種族、あるいは個体によって性質が異なり、特に突出した強い妖怪は二つとない独特な妖力の性質を帯びるとされる。
最も重要なのは"魂"である。妖力の核である魂が無ければ、能力も使えない。
だが玉藻が回収したのは覚の眼球。つまり肉体の方であった。
「確かに、君がそう思うのも無理はない。君の認識は正しいよ……。ところで私は、一度死んで黄泉から出た後、真っ先に霊力と妖力の探求を行った。あらゆる妖と比べて、私はそれらの力について最も造詣が深いと自負している」
「おお〜〜、そこまで言うということは……説明していただけるんですねぇ?」
「もちろんだとも」
玉藻は水槽に背を向けると、人差し指をクイクイっと動かして「こっちへ来い」というジェスチャーをする。
すると横からホワイトボードが一人でに車輪を動かして二人の元へ近づいてきた。
玉藻はペンを持ち、ホワイトボードに文字を書き始める。
「いいかい? あくまでも、霊力や妖力というのは燃料でしかない。それ自体は特別な権能を持たないんだ。妖力は霊力から変換されて生み出されるが、燃料であるという役割から逸脱しない」
「ほぉ〜〜? しかしぃ、玉藻さんは妖力をそのまま可視化して使ってますよねぇぇ。この前暴れる檮杌を束縛した時は、妖力を実体化させて縄にしていたじゃないですか」
「それは私だからできることだよ」
『四大財閥』と『四凶』が初めて揃い踏みした時のことである。
ビルから飛び出した窮奇を追って同じようにビルから飛び出しそうになった檮杌。玉藻は彼を妖力の縄で捕縛し、しばらく拘束して身動きが取れないようにしていた。
玉藻は妖力はあくまで燃料でしかないと言っているが、彼自身の行動がその矛盾を突きつける。
「さっきも言ったけど、私は妖力を数十年研究した。まあ、年月だけでいえば大したことはなさそうに聞こえるだろうけど。私の固有の能力は何か、と訊かれれば私はきっと答えづらいだろう」
「確かに、色々できますものねぇ。魂を弄ったりとか、変身したりとか」
「そう、つまりそれだよ。確かに妖怪は固有の能力を持っており、それを実現しているのは妖力だ。だが私のように、研鑽を積めばやれることはいくらでも拡張できる。妖力はあくまでもキッカケに過ぎない」
玉藻はヒートアップしてホワイトボードにさらに文字を書き込んでいく。
「そして面白い話がある。"記憶"だよ。肉体は脳や魂とは別に、経験を記憶する。子ども時代から数えて何十年も自転車に乗っていないのに、自転車に乗れる能力を損なうことは少ないとされる。妖も同じだ。覚の眼球は、他者の心を読み続けてきた経験を忘れてはいない……!」
「なるほどですねぇ……」
(字汚いですねぇ……)
魂を表す円と、その周りに描かれた霊力や妖力を表す矢印、そして空白をぎっしり埋めるような文章。文字一つ一つが小さく形が崩れているために、遠目から見ている饕餮には何が書かれているのかさっぱりわからなかった。
それを玉藻に指摘することもしなかったが。
「──とまあ、そんな感じで眼球を扱うことは全く的外れではないということさ。覚の魂もあれば話は変わったと思うけど、彼はもう黄泉に行ってしまったろうからね」
「残念ですねぇ〜〜」
「──玉藻……!」
「「!」」
玉藻と饕餮の話が一段落したタイミングで、突如玉藻の名前を呼ぶ声が二人の耳に届いた。
声の聞こえた方へ目をやると、なんと黒い靄から月兎が姿を現す。
焦った様子の彼の手には、光る玉のようなものが。
「月兎。どうしたんだい、そんな焦って」
「やってしまった……。ど、どうにかならないか? 玉藻……」
「……?」
月兎は玉藻に光る玉を差し出す。
玉藻はすぐに気がついた。それは人間の魂であり、普通ではあり得ないほどの霊力を放っていることに。
「これって……あれか? 君が欲しがってた〜〜、何だっけ。加山優香?」
「そ、そうなんだ。彼女はわざと僕の顔を見て自害したんだ……。しかも、ただ魂が抜けただけじゃない。肉体は六階から落ちて、もう使えない……!」
「ああ〜〜、なるほど。だからむき出しのままの魂を持っていると」
月兎はすっかり困った様子で玉藻に泣きつく。
肉体も破壊が著しく、魂を再び戻して生き返らせることができない。月兎は生きている加山から霊力を長く吸収し続けることが目的だったため、何としてでも生き返らせたかったのだ。
しかし玉藻は、月兎が望む返答はしなかった。
「……無理だな。私は生命を蘇らせたことはない。魂自体の扱いに関しては君の方が上手いんじゃないのか?」
「で、でも肉体の方が駄目だったらどうにもできないんだ。どうにかしてくれよ……。そうだ、あすこここの体をくれよ!」
「「えっ」」
あまりにも焦っているためか、饕餮はおろか玉藻ですら予想できなかったことを言い出す月兎。思わず二人は間抜けな声を漏らしてしまう。
「嫌だ」
「なんで!」
「あすこここは、私に匹敵する最強の妖として作っているんだ。いくら飛び抜けた霊力の持ち主だとしても、人間の魂を組み込むわけがないだろう。精神的には弱体化してしまう可能性がある。不純物だ」
「な、何だとぉ……」
「それに、君が生きた加山優香を欲しがったのは月を介して自分の霊力を高めるためだろう? ここはそもそも地下だから月光なんて当然届かない。ああ、じゃあ上に移動させろって? 人間にバレたり予期しないトラブルの元になるから却下だ。そもそも君が霊力を高めたいって思う根本の理由は──」
「弱いから。自分のせいじゃないか」
「〜〜〜〜ッ!!」
子どものようにわがままを言う月兎に対し、玉藻は容赦なく断じた。
月兎の"魂の強制徴収"は確かに恐ろしく、強力な能力である。生命を簡単な条件で即死させられるのだから。
だが、相手が大妖怪となると話は別である。
顔を合わせるだけで殺せるとしても、手で遠距離から魂を回収できるとしても、『四大財閥』トップクラスともなれば妖力で無理やり魂と肉体の結びつきを強めていれば、月兎にはどうすることもできないからだ。
「……いやぁ、美味しそうですねぇ。もうどうしようもないなら私に魂くださいよぉ〜〜。美味しくいただいてフードロス削減ですぅ」
「ああ?」
「おおっとぉぉ〜〜〜〜……駄目ですかぁ」
後ろからゆっくり月兎の手元に近づいた饕餮だったが、月兎に凄まれて後退してしまった。
思い通りにならない。自分のことを舐めている。そんな玉藻と饕餮に、月兎の堪忍袋の緒は千切れる寸前だった。
掴みどころがないと覚や鴉は評していた。しかし今の月兎は、子どものような未熟さの塊でしかない。
否、これこそが月兎の本質だった。
「じゃあ……いいよ、もう」
苛立ちに満ちた声でそう呟くと、月兎は再び靄の中へ消えていった。
残された玉藻と饕餮は顔を見合わせ、「何だったんだあいつ」とアイコンタクトを取るのだった。




