59.すれ違う運命
「僕としてもね、実は鴉に恨みが無いとかそうわけではないんだよね」
デスクでパソコンを打ちながら、月兎はひたすら口を動かしていた。
自らがハニーと呼ぶ加山が、一切の反応を寄越さずとも関係ない。相手がどう思おうがただ自分が喋りたいから喋る、それだけだった。
「幻明芸能でよく稼いでくれてた『ルナーズBEST』。君たち……特に鴉が彼らと鉢合わせになったおかげで死んだようなものだ……。残念だよ。なにって、事後処理が面倒なことが」
月兎はそう語るが、その声色は全く変化していない。
「残念だ」という言葉が果たして本当なのか。加山はまともに信じてはいなかった。
他の妖怪の部下たちがアイドルたちと自分の魂を捧げることで陰摩羅鬼に変化するように仕組んでいたのは月兎である。つまりアイドルたちが死ぬところまで含めて彼のマッチポンプなのだが、当の本人は白々しく鴉に責任を擦りつけていた。
「……あなたが仕組んでたことでしょ」
「まあね! だが、鴉が来るというトリガーが無ければ彼らが死ななかったことも事実だ。芸能界が闇深いって話は有名だろ? 食い潰されても文句は言えないし、死人に口無しってやつさ」
「なんて下衆……。あなたたち四大財閥は、必ず失脚するわ。私たちが絶対に挫いてみせる」
加山は目を閉じたまま、デスクに座る月兎へそう言い放つ。
「…………。ふーーん。あくまでもそういうスタンスなんだね」
敵対心を向け続ける加山。しかしそんな彼女に対する月兎の反応は冷ややかだった。
パソコンを打つ手が止まり、再び立ち上がって部屋を歩き回り始める。
「今も日本を盛り上げ続ける、このおよそ60年間の好景気。それを支え続けたのは、僕たち『四大財閥』だ。尤も、僕らが表立って頭角を表したのはごくごく最近の話だけどね……。ここ10年前後くらいか?」
「……?」
「多くの日本人が、この"社会"という『世界』に魅了されている。戦争を終えた血気盛んな先人たちが築き、僕たちが磨き上げた、力こそ全てのこのシステム! これが、数多の人間たちを幸福に導いたのさ」
「馬鹿なこと言わないで! 知ってるのよ。あなたたちは日本以外の国々に攻撃し、まともに機能しなくなるまで破壊した! だから生き残った日本だけが、全ての利益を独占してるのよ!」
「言ったじゃないか。力が全てなんだよ。武力、権力、知力、そして財力。それらを誰よりも持ち合わせる者が、この世を支配できる。頂点でなくても、上澄みでいられる。それがこの世界のつくりなんだ。一体誰が決めたのか……だが残念なことに、その誰かに責任を追及することなんてできやしない。僕たちは用意された籠の中で、その誰かのために踊るしかないっ」
月兎の声色は先程とは打って変わり、どんどん熱を帯びていく。怒りではない。むしろそれは楽しさを表すかのような、動物園を訪れた子どものように無邪気な、正の感情の溢流だった。
「そして四大財閥は、その"誰か"に最も近づいた。君が言った通り、他を蹴散らし、この時代を作った! 僕たちは今の日本社会の頂点なのさ! そしてそんな僕たちに仇なす……そう! 君たちだよっ。僕たちは今の日本を築き上げ、多くの者が幸せと富を享受する楽園を作った正義の存在!」
「違う……!」
月兎が何を言いたいか。
加山はそれを察し、反射的に否定する。
「まるで僕たちを罪人かのように! 本当はどっちなんだ!? 君たちは何を成した!? 一体誰を幸せにした!? 僕たちは確かにいくつかの外国を破壊し尽くした……大勢を殺したよぉ。だけどね、その代わり、この光景を作り出したんだよ!」
「幸せ……ですって…………!? 違う、これは堕落よッ!」
「金の吹雪が舞い! 酒の雨が降り! 男も女も狂って絡み合う! 堕落だって!? 黄金に輝く夜に祭囃子が毎日のように轟くんだ、そりゃ当然誰もが呑まれていくというもの。正気ぶってそれを邪魔しようというなら、そっちの方が異常者であり排除されるべき異分子だ!」
「違うっ……違う……! そんなこと!!」
「気づいてないようだから教えてあげよう。いかにも正義のヒーローぶってる、君たちの正体は──」
「"社会"に刃向かう悪だ!」
ヒートアップした月兎は加山にそう言い放つ。
彼の高笑いが部屋中に響き渡る中、加山は必死に目と耳を塞いでいた。それ以上、月兎の言葉が自分の信条を揺るがさないように。
「……はぁ。ちょっと落ち着こうか。言い過ぎたよ。でもね、実際そうじゃないか。僕たちがいなくなれば、この社会は崩壊する。そのレベルまで来てるんだ」
月兎は再び、コロっと態度を変える。
すっかり落ち着いた様子で、月明かりの差し込む窓辺に寄り添った。
「霊力や妖力に正の影響を与えるのは感情の昂りだ。怒りや憎しみ、悲しみ。喜びとか上向きな感情でもいいけどね、激しく昂りやすいのはいつだって負の感情なんだ。君の今の感情……僕の主張に対する否定的な怒りや、ひょっとしたら君の信条が揺るがされている悲しみが……あの月を通して僕に、"力"となって流れ込んでくる……。これだよ、これが君の役割だ」
月兎は手を伸ばし、手のひらに妖力を集中させる。満月を思わせる淡黄色のオーラが炎のように揺らめく。
加山はその間も黙って俯いており、月兎の行動や可視化された妖力を見てはいない。
だが、こうしている間にも自分が利用されているということ。それだけは痛いほど理解させられていた。
「別に、妖怪が憎いわけじゃないんだろう。だったら君にできることは、現状維持。それに従事することだけだと思うんだけどね」
「…………」
月兎の言葉に加山は答えない。
(私は…………守りたいだけ。妖怪が人を襲う……その悲劇を、無くしたい、だけ……。そのために…………その、ためには……?)
自問自答を繰り返す。
月兎の言うことは、たしかに正しい。加山はそう感じていた。
自分が妖怪になぜ立ち向かうのか。それは決して、善や悪といった概念が動機になっているというわけではない。自分のことながら、加山はそれも理解できている。妖怪が人を襲う、それもまた事実だから。
一番の問題は、人間の社会に深く入り過ぎてしまった『四大財閥』。彼らは真に倒すべき敵と言えるのかどうか。彼らは人間を食い潰している。だが社会のシステムを作り出し、守っている。同時に、妖怪たちの親玉、悲劇の元凶でもある。
敵だ。間違いない。だが、打倒するべき存在だというのか。
「……まあ、もうどう足掻いても僕たちには反抗できない。君はここに縛られ、鴉はここには来られず、覚も……。切り替えていこう。僕も切り替えて、会見の準備するから」
そう言って月兎はまたデスクの方へ。
『ルナーズBEST』の死亡は、月兎による加山宅襲撃の間に封じられている。本日中の会見はないが、翌日には行わなくてはならない。
他の役員との打ち合わせもしなくてはならないため、仕事を完全に放置することもできない。
妖怪でありながら、月兎はそうしたロールプレイを決して放り出したりはしなかった。
『加山ァァァァーーーーッ!!』
「「!!」」
突如、窓の外から男の叫び声。
瞼を閉じていた加山は、その聞き覚えのある声に反応して開眼。ソファから飛び上がるようにして窓に駆け寄ると、急いで鍵を開けて声の聞こえた下方へ顔をやった。
「鴉!!」
「! 加山……! 無事だったか」
声の主は鴉。
加山は六階にも関わらず、身を乗り出して鴉に呼びかける。
地上の鴉も、彼女の姿を見て安堵の息を吐いた。
「…………!?」
(バカな……。玉藻には確かにこのことは話していた。檮杌が戦いたがっているから、彼を出すと……! まさか、檮杌がやられたのか……!? この数分で?)
月兎は「あり得ない」と言いたげな表情を浮かべる。考えが頭の中を巡るが、どれだけ考えたところで意味はない。
事実として、鴉は『幻明芸能事務所』に来てしまった。
(左腕は……もう繋がってきているな……。加山一人を受け止めるぐらいならできるか……!?)
鴉は左手の指を動かす。
二十分程度テープで雑にくっ付けていた腕だが、既に癒着は完了してきている。
力を加えればまた千切れてしまう可能性があるが、そんな悠長にはしていられない。全てに優先するのは加山の救出だから。
鴉は右手でジェスチャーを送る。「飛び降りろ。俺が受け止める」と。
「……鴉……」
「行かせると思うかい?」
加山が窓枠に足をかけようとすると、デスクから立ち上がった月兎が迫る。
「どうせ飛び降りて来いって合図でもされたんだろう? やってみるといい。鴉が君をキャッチした瞬間、僕が鴉を殺す」
加山は月兎に背を向けたまま。彼の足音を耳にしながら、月兎がどこまで迫ってきているかを把握しようとする。
しかし月兎の手には、家を襲撃された時に使用していた柳葉刀が握られていた。加山はそれは認知できていない。
「……鴉のことは殺さないんじゃなかったの」
「事情次第だね。僕は君の方が重要だ」
「そう……」
月兎は加山の2メートルほど後ろで立ち止まる。
鴉のことはできれば殺したくないと言っていたが、加山を逃すことになるなら殺す。月兎の殺しの基準を、加山は理解する。
「……私たちのこと、テロリストって言ったわね」
「…………? 言ったね。根に持ってるのかい?」
「いいえ。最後に、言い返しておこうと思ってね」
「何だって?」
加山は窓枠によじ登る。
それを地上から見上げていた鴉は、スマホを服の中にしまって加山を抱き止められるよう構えた。
「確かに、私たちがやろうとしていることはこの社会に大きなダメージを与えるわ。『四大財閥』の一角でも落ちれば、混乱は避けられない」
「……」
「それでも、鴉はあなたたちを殺す。彼は正義や良心に従って戦ってるわけじゃない。社会がどうなろうと、知ったことじゃないのよ」
「知ってるとも。彼のような鴉たちは、皆黄泉の神の傀儡。神に与えられた使命のために妖怪を狩る。でも残念なことに、僕は鴉の標的じゃないんだ。僕は一度も、黄泉に行ったことがない──死んだことのない妖だからね」
「いいえ。鴉はあなたも殺すわ」
「……どういう意味だい」
「あなたは……私を殺すからよ」
「!?」
「加山……何をしてる……!?」
月兎は目を見開く。
下で加山が飛び降りてくるのを待つ鴉も、一向に動かない彼女に焦燥感を隠せない。
「私と鴉はあくまでも手を組んだ関係でしかない。彼の使命に、私ですらほとんど関係ない。でも、彼はここまで来てくれた……。彼は、私のことを仲間だと思ってくれてるのよ。だから……私を殺した者には、きっと鴉は容赦しない」
「何を……する気だ……!?」
「あなたたちを殺すのはテロリストじゃない。これまでしてきたことの……ツケよ」
加山は、ゆっくりと振り向いた。
彼女の目に、この世で知る人間が一人としていない月兎の顔が映る。
「意外と、普通の顔ね──」
「なッ──!?」
加山の体から力が抜ける。
振り向くと共に窓枠に腰掛けるような体勢になったために、外側へ背中、頭から崩れ落ちるようにして倒れ……頭から落下した。
窓の外へ落ちていく加山へ手を伸ばす月兎だったが、予想だにしない行動を取られたために動くのが遅れ、彼女の体を掴むことができず。
「加やっ──」
窓から落ちてくる加山を下から見ていた鴉は、右腕から彼女をキャッチしようと走り出す。
だが、すぐに彼女の異変に気がついた。
「加山……?」
彼女から感じ取れていた霊力が、完全に消失していたのだ。
つまり、彼女は生きてはおらず──
「……し、しまった」
部屋に一人残された月兎はそう呟く。
彼の手元には、尋常ではない霊力を放つ光る玉のようなもの。加山の魂があった。
彼女の体は動きを止めてしまった鴉によりキャッチされることはなく、地面に激突した。




