55.落日
フシテレビにて陰摩羅鬼を撃破し、先に帰宅する加山を追ってテレビ局を脱出した鴉と覚。
二人は公共交通機関を使わず、持ち前の人間離れした身体能力をフルに活かして疾走していた。
皆途区から加山のマンションのある斗島区まで、二人の足でおよそ一時間。負傷の影響下でノンストップで走り続けたため、加山宅に着く頃には二人は既に息も絶え絶えに。
加山は自身の車とハイウェイを使い、40分程度で帰宅していた。息が上がって部屋の前で今にも倒れ込みそうになっていた覚と鴉を、彼女は急いで部屋にあげて休ませていた。
「二人とも、本当におつかれさま。テレビで中継してるけど、あれからすぐに陰摩羅鬼は倒せたのね」
加山はテーブルに突っ伏す二人に冷えたお茶を出す。
時刻は18時を回ろうとしており、加山の部屋に着いてからの一時間で二人は息を整え、風呂に入らせてもらっていた。風呂上がりの今はひたすら体の疲れを回復させようとしており、同時に加山の作る夕食も待っている。
「……テレビではなんて?」
覚は顔だけ上げ、加山に尋ねる。
「原因不明の火災発生。少なくとも出火元が三階のスタジオだろうってことと、被害者が100人を超えてるってことが一番報道されてるわ。あり得ない焼死体が云々、みたいなのは無いわね。玉藻の手が回ってるのかしら」
「可能性はあるな。もしくは……月兎か」
陰摩羅鬼との戦闘開始からこれまでの時間経過は三時間弱。戦闘終了までの経過は一時間程度であり、たったこれだけの短時間で100人以上が死亡し、しかし焼けているのはほぼ三階だけというのは一般人からすれば怪事件でしかない。
それを報道しないというのは、そこまでの情報をマスコミがそもそも掴んでいないという可能性も考えられるが、月兎や玉藻といった『四大財閥』が待ったをかけている。そう考える方が、加山たちにとって現実的であった。
「……一番の問題は、加山だ」
黙って突っ伏したままの鴉が口を開く。
「どうして月兎に狙われているんだ? 加山の存在は鬼たちにしか伝わっていないはずだ……。奴らが月兎に情報を売ったってのも考えつくが、それでも狙う理由がわからない」
「田枯って男が言ってた限りだと、どうやら私の高い霊力が目的みたい。何かに利用しようとしてる……とか……」
加山のトーンは明らかに落ちる。
これまで彼女は「妖怪と鴉の戦いをサポートする」というのが自分の立ち位置だと考えていた。妖怪に直接見つかり襲われる、というのは想像できても、名前を覚えられてピンポイントで狙われることなど考えたこともなかった。
相手は四大財閥のトップであり、彼直々に加山を名指ししている。
その事実が恐怖でしかなかったのだ。
「鴉、何か思いつくか?」
「さあな……」
鴉は顔を上げて背もたれに体を預ける。
覚も頭をひねって考えるが、答えは出なかった。
「……覚、付喪神の生まれ方って知ってるか?」
「ん? ああ……。いや、待てよ。たしかにそれは人間の霊力が誕生の要因だが……まさかそれか?」
「え、どういうこと?」
鴉と覚の話を理解できない加山は説明を求める。
そんな彼女に、鴉はテーブルの隅に置かれた醤油差しを手にとって解説を始めた。
「付喪神は知ってるな。何でもない、こうした物品に命が宿って動き出す妖怪たちの総称だ」
「ええ。たしか、人間の魂が乗り移って生まれるって本にはあったけど……」
「その例もあるが、基本的には違う。付喪神は人間の魂から湧き出る"霊力"を浴び続けることによって生まれる。霊力についてはこの前教えたな」
「ええ。生物や妖怪が、自分の体を動かすために使う魂のエネルギー……って感じよね。で、霊力の性質を変換させることで"妖力"にし、それを行使できる存在を妖怪と呼ぶ……」
「その通りだ。付喪神は人間の霊力を浴び続けることによって、それを凝縮し擬似的な魂を得る。そしてそこから妖力を生み出せるようになった存在だ」
「ということは、私の霊力を使って付喪神を作ろうとしてる……ってこと?」
「可能性は高いが一つ足りないものがある。"時間"だ。さっきも言ったが、浴びた霊力を凝縮して魂にするというのは時間しか解決することができない。お前一人攫ったところで、付喪神が出来上がるのには数十年は必要だろう」
鴉は醤油差しを元の場所に戻し、コップの中の麦茶を喉に流し込む。
カランカランと音を鳴らす氷も二個ほど口の中に入れ、噛み砕いて呑み込んでしまう。
鴉の解説に一つ区切りがついたところで、今度は覚が口を開いた。
「霊力の使い道についてもう一つ心当たりがある。人間の霊力を餌とする妖も数が多いんだが、月兎がまさしくそれだという可能性がある。言ってしまえば、加山さんを餌箱として捕まえたがってるということだ」
「え、餌……」
加山は直球な表現に面食らう。
「だが逆に言えば、目的が霊力であるのなら殺されることはまずないと考えられる。まあ、仮定に仮定を積み重ねているだけだから希望的観測もいいところなんだがな」
「霊力を喰う妖怪、もしくは……魂を喰う妖怪……」
「魂を…………」
鴉と覚が考えつく月兎の目的の候補は以上である。
いずれにせよ加山が狙われていることは事実であり、月兎が本腰を入れて攻めてくるかもしれない。そう想像するのは、三人にとって容易いことであった。
加山を守るため、また新たに三人の身の振り方を考える必要があるなと鴉は締める。
鴉と覚の予想は、人間の加山を恐怖させるのに十分過ぎた。夕食を作る彼女の手は止まり、二人には見えないまな板の上で小刻みに震えていた。
月兎はただの妖怪ではない。社会の頂点に君臨する、『四大財閥』のトップの一角。
フジテレビでは平気だったが、今ではそんな彼に狙われていると心の中で繰り返し反芻する度に、吐き気と同時に悪寒が走っていた。
それでも加山は、なんとか鴉と覚を信じる。二人と一緒なら必ず乗り越えられる。四大財閥も月兎も、倒せると。
ピンポーン──
「「「!!」」」
三人の会話に区切りがつき、ふと静かになったところで突然インターホンの音が響いた。
「だっ、誰……!?」
先程の話もあり、加山は完全に怯えた表情を浮かべていた。
客が来る約束は無い。
配達物が来るという予定も。
そして鴉と覚は──
「覚……!!」
「あ、ああ……! この妖力は……」
二人は即座に椅子から立ち上がった。
鴉はテーブルの脚に立て掛けていた刀を手に取り、覚は手持ち無沙汰ながら警戒心をマックスに暗がりの中の玄関を見据える。
彼らが扉の向こう側から感じ取ったのは妖力。しかもただの妖力ではない。
妖力量はこれまで鴉が出会ってきた妖怪たちと比べてもトップクラスに膨大で、それは四大財閥トップの一角である瑞子鳴河と並ぶほど。さらにその妖力の性質も常軌を逸しており、あまりにも掴みどころがない。
視覚的には派手だが触れられないような感覚は、まるで夜空に浮かぶ『満月』。
「……鴉、俺が開けに行く。アンタは加山さんの側に」
「ああ……気をつけろよ」
鴉は加山を広いダイニングの方へ呼びつける。掃き出し窓が近くにあり、いつでも脱出できるようにするためである。
玄関に向かい扉を開ける係は覚。床に無造作に散らかされた鴉の荷物からナイフを取り上げ、覚はゆっくりと玄関に進む。
嗅ぎつけられたということは、つまり覚の妖力から追われてしまったということ。彼はそれを理解し、先鋒を買って出たのだ。誰もいないと今更誤魔化しても意味が無いから。
「っ……」
固唾を飲み、覚はゆっくりと覗き穴に顔を近づける。
「…………!?」
(誰もいない……!? だが、妖力は確かに扉を挟んで向こう側に感じる……)
覚は驚きながらも冷静を保ち、ゆっくり、静かに鍵を解除する。
そしてドアノブに手を掛け、ドアを開けると同時にナイフを勢いよく突き出した──
「……ッ!? なっ、消えた!?」
覚の繰り出したナイフは空を切る。
それまでは理解できた。覗き穴から何者の姿も無いことは確認していたから。問題は、覚が感知していた妖力がこの一瞬のうちに消滅していたということ。
覗き穴からの死角になるドアの両側にも誰もいない。マンションの階段を駆け降りていくような足音も聞こえず、まるで最初からそこには誰もいなかったかのようだった。
「か、鴉!」
「!! 違う覚ッ! お前の後ろだッ、敵はいるッ」
「なにっ──」
一瞬部屋の方へ振り返った覚。
現れた敵は彼が部屋の外へ背中を向けるのを待っていたかのように再出現した。
それは黒い靄であり、覚が鴉に叫ばれて再び振り返ろうとした瞬間、大きな刃物で彼の胸を貫いた。
「ガハッ…………!!?」
「覚ィッ!!」
靄はすぐに刃物を引き抜き、倒れる覚を跨ぐようにして部屋の中へ滑り込んでくる。
鴉は加山の前に躍り出ると、靄を両断しようと素早く刀を引き抜く。しかし靄は鴉が刀を振るうと同時に再び消失。
「しまった」と鴉が一瞬漏らすと同時に、彼の右胸から斜め一文字に胴体に斬り傷が走り、左腕の肘から下が斬り落とされてしまう。
「うあああああッ!?」
「鴉っ!! ああっ……!?」
その場に崩れ落ち、悶える鴉。
声を上げる加山だったが、靄は彼女に纏わりついて口を塞ぐ。そして靄はすぐに空気に溶けるように消えてしまい、襲撃者の正体が明らかになる。
それは確かに人間の姿を持っており、綺麗に整った紺色のスーツを見事に着こなしていた。しかし彼は後ろから加山を捕まえているためにその顔は彼女の背後に隠れてしまっている。うずくまりながらなんとか振り返る鴉からは見えない。
襲撃者は深手を負った鴉と覚、そして加山に向けて言い放つ。
「やあ。突然の訪問失礼するよ。僕は四大財閥が一角『幻明芸能事務所』社長、月兎。もしかしたら知ってるかもしれないけど……加山優香さんを貰いに来た」




