54.吟座にて
鴉や加山によるフシテレビ潜入作戦が行われたその夜、『吟座』にある鮨屋『潮並』に来客があった。
長身で長髪を後ろで結んだ童顔の男。
そして右頬に大きな傷痕があり、黒髪ハーフバックの三十代ほどの男の二人組。
四大財閥の一角『一目連龍水道』の大蝦蟇、そして社長の瑞子鳴河である。
街の明かりがギラギラと夜を照らす中、こじんまりとしたこの店は人を寄せつけず、ひっそりと営業されている。
中はカウンター席のみで、六席分しかない。
客も大蝦蟇と瑞子だけであり、板前も一人だけ。客二人と向き合って、黙々と寿司を握っていた。
「フシテレビ、どうなるんですかね。規模こそ小さかったですが犠牲者は120人って。しばらく放送は休止でしょうか」
そう言って大蝦蟇は口の中に小肌握りを放り込む。
「知るか。あそこは月兎の領域、俺たちにゃ何の関係もねェ。心配する必要もな……」
瑞子は大蝦蟇にそう答える。
鴉と鬼たちによる一目連龍襲撃作戦からおよそ二週間が経過し、鴉による負傷が回復しきった大蝦蟇も業務に復帰した。
相変わらず本社の片付けは終わらず、その合間の小休憩として二人はこうして江戸前鮨を楽しみに来たのだった。
「しかし……我々との戦いを生き延びて、『四凶』の一角に傷を負わせ……その後はテレビ局を襲撃、ですか。今回の鴉は活きが良いですねぇ」
「なに楽しそうに話してんだ。何も良いことはねェだろ」
「そうですか? まあ確かに、社長の立場からでは言いづらいとは思いますが……。正直、社長もあの鴉に思うことがあるのでは?」
大蝦蟇はニヤニヤしながら問いかける。
瑞子は返答をせず黙ったまま前を見つめている。そしてゆっくり湯呑みを掴み、あがりを飲み干した。
そんな様子を見て、板前も少しだけ警戒心を高める。彼の目からは瑞子は明らかに苛立ちを覚えていたから。
「……さァな」
湯呑みを置いて瑞子が口にしたのはその一言だった。
爆発しなかったことに、板前は安堵する。
「フフ。社長室で仕事をほったらかしにして、フシの報道にかぶりついてましたし。前に鴉と戦ってから、明らかに社長の様子がおかしいです」
「余計な世話だ。ガマ、それ以上下らねェこと言うとクビにすんぞ」
「げっ、それは勘弁です!」
「おい、石垣貝と鮑」
「はい」
瑞子は一切笑っていないが、これは彼のいつもの調子。キレやすく、四大財閥の中では舐められやすい彼だが、部下の前では威厳を保っているのである。
冗談で大蝦蟇を黙らせると、瑞子は板前に注文する。
板前もまた妖怪であり、瑞子の部下ではないものの自身より格上かつ常連である彼らを贔屓にしていた。
「おおーーっ、こちらが『潮並』さんですかぁ。どうでしょう、今空いてますぅ?」
「「「!」」」
新たな客がガラガラっと戸を開けてやって来た。
板前は挨拶と席への誘導を口頭でしようとするも、その口は閉ざされる。何故なら、来客から妖力を感じ取れたから。
しかもただの妖力ではなく、ドス黒く重たい性質にして、瑞子と同レベルの強大さを感じさせるものであった。
来客の正体とは『四凶』の饕餮。
「おやぁ、奇遇ですねぇ。えぇーーっと瑞子鳴河さん、でしたねえ?」
「しゃ、社長……! こいつは……!?」
「……饕餮」
ズカズカと入って来て、瑞子の隣の椅子に腰を下ろす饕餮。
そんな彼を瑞子は静かに冷ややかな目で見つめる。大蝦蟇はそれとは対照的に、先程とは打って変わって警戒心を高めて饕餮を見据えていた。
「ウフフフ、実は私お寿司というものに興味がありましてねぇ。玉藻さんにここを教えてもらったんですよ。瑞子さんがたまに来るという風にも伺ってます」
「お前、そのナリで人間どもの前を堂々と歩いてきたわけじゃねェよな」
「ご心配なく。姿を隠してここまで来ましたよぉ」
饕餮の容姿は異業そのもの。
腕と顔は人間と大差ないものの、頭には捩れた黒色の山羊角が生えており、首から下は黒いスライムのような粘液が湧き出ているかのようで、それに覆われている。この粘液が服の役割も果たしており、また地面に残された粘液の痕もすぐに消えていて店を汚す様子も無かった。
方法は口にしないが、少なくともこの姿を人前に出してはいないと饕餮は瑞子に弁明する。
そして食べることが好きだと自負する饕餮は、大蝦蟇と瑞子に出された寿司を見て目を輝かせていた。
「おおっ、大将さん! 私にもお二人と同じものをくださいなぁ〜〜」
「は、はい……」
「あ、それとですねぇ……マグロとエビとカニとカツオとえぇとえぇと」
「おい、この饕餮の注文なんぞ聞かなくていいッ。俺が代わりに注文する。お前はとにかく握ってろっ」
「はっ、はい! すみません瑞子様!」
「ああーー、申し訳ないですねぇ瑞子さん」
赴きも作法も素知らぬ顔で注文しようとする饕餮を制し、瑞子は彼に代わって板前に注文をしていった。
せっかくの休息を壊され、別の客に意識を向けなければいけなくなった状況に、大蝦蟇も瑞子も不満を露わにする。自分たちの付け台を空けたまま、二人は寿司をポイポイと口の中に放り込んでいく饕餮をただただ見ていた。
板前もここまで不躾な客は初めての経験で、戸惑いながら寿司を握っている。そんな彼を憐れんでか、瑞子は饕餮の注意をそらすように彼に質問する。
「本当にただ食いに来ただけなのか? 俺たちがよく来るってのは玉藻から聞いたんだろ。俺たちに何か用があったんじゃねェのか」
「いぃえ〜〜〜〜……モグモグ……。本当ですよぉ。私はただ食べに来ただけです。しかし瑞子さん、何か用があってほしかったって感じの言い草ですねぇ?」
「お前ほど迷惑で鬱陶しい客はいねェんだよ。俺からしても、板前からしてもな。何か用があるなら少しは話を聞いてやったが……これ以上場の空気壊しながら居座るなら追い出してやる」
「まあまあ! そこまで言うならぁ瑞子さんに質問でもしましょうかねぇ」
饕餮はそう言って中トロを呑み込むと、首を90度曲げて瑞子の方に顔を向けた。
「瑞子さん、アナタ、玉藻さんを憎んでいるんじゃないですかぁ?」
「!」
「!?」
瑞子の眉がピクリと動く。その隣の大蝦蟇は、ガタッと音を立てて椅子を立つ。
瑞子が玉藻に対して明確に敵対心を持っていることは大蝦蟇も知っている。そして饕餮は現在、玉藻の勢力にある。
饕餮が瑞子を始末しに来たのではないか、大蝦蟇はそう考えたのである。
社長を守るのが己の使命。そうして立ち上がった部下を、瑞子は静かに制する。
「いきなりだな。だったらどうすんだ? ああ?」
「別にどうもしませんよ。そこのあなたもお座りになってくださいなぁ」
促された大蝦蟇は、饕餮を睨んだまま再び席に着く。
「私は確かに玉藻さんのところでお世話になっていますがね、彼も言っていたように部下になっているわけでも、配下に下ったつもりも無いんですよ。ですからぁ、あなたが玉藻さんにどんな気持ちを抱いてようが叛逆するつもりであろうが、私からは何もしませぇん」
「じゃあなんであんなことを訊いてきた?」
「……興味ですよ興味」
饕餮は少し間を置いて答え、あがりを飲み干す。
明らかな間だったことから、瑞子はそれが嘘であることに勘づいていた。
付け場の水道から、蛇口を捻っていない状態にも関わらず水が溢れ出てくる。瑞子の能力の影響だ。溢れる水は空中を流れ、やがて饕餮の首回りを包囲する。
「本当のことを言えよ。何か目的があるのは見え見えだぞこの野郎。その首飛ばされたくなけりゃ、とっとと吐くんだな」
「本当のことですよ! そんなに警戒しなくてもいいじゃないですかぁ。楽しくやりましょうよぉ〜〜」
「社長、こいつ……痛い目に遭わせないと駄目じゃないですか? こっちのこと舐め腐ってます」
「ウフフフ……私は基本他の方をリスペクトしているつもりなんですけどねぇ〜〜。この場で戦おうというのなら、まあ相手をしてもいいですが…………。瑞子さんの後ろのそちらの方、あなたぐらいなら造作もなく殺せますねぇ」
「……っ!」
饕餮は大蝦蟇を指して言う。
一触即発といった雰囲気になってきた店内で、蚊帳の外にいた板前も冷や汗を流す。
「この店は俺たちがケツ持っててな。暴れてぶっ壊すようなことはしねェよ。問題は……てめェの目的が何なのか。それを素直に吐かねェ限り、死ぬのはてめェだけだってことだ」
「おぉ〜〜〜〜怖い怖いぃぃ」
饕餮の周りに漂う水は無数の槍のように尖り、今にも彼の首を貫こうとしている。
それでも饕餮は余裕の態度を崩さず、おどけて両手を上げて見せる。所謂"降参"のポーズだが、表情は笑顔のままだった。
「何度も言いますが、これは本当に興味なんですよぉ。そもそも用事が何なのかってしつこく聞いてきたのはそちらなのにぃ、私をいじめてそんなに楽しいのですかぁ〜〜? それに──」
饕餮は小さな水の槍に顔を近づける。
そして唇で水に触れると、チュルンッとゼリーのように吸い込んでしまった。槍は大きな輪で繋がれているように滞空しており、一つの槍が饕餮に吸われたことでその輪ごと他の水の槍も饕餮の口の中に消えてしまった。
「「なっ!?」」
「何でも食う能力……それのことか」
板前と大蝦蟇は驚きの声を上げる。
瑞子は以前にも饕餮と出会っているためその能力も知っており、驚きこそしないが警戒心は強めていた。
水とはいえ槍、さらに液体の性質を保ちながら密度を上げて硬度を増していた。それをゼリーのように食べられたのだから。
「んん〜〜、水道水だからそんなに美味しくないですねぇ……。話を戻しましょうか。私の目的、強いて言うならあなたと同じです」
「なに……?」
「我々四凶は大昔、力の強い王様の末裔としてこの世に産まれました。しかし異形で、特殊な力を持っていたために迫害され……王座、王族を追われて人間に殺されかけていました」
中国を三皇五帝が支配していた時代のこと。
饕餮だけでなく、窮奇や檮杌、渾沌もまた王の末裔であり、故に彼らは王座に特別な思いを寄せている。
「"妖の王"として君臨しようとする玉藻さんですが、我々としてはそれは見過ごせない。彼は我々に王座のポストを用意するとは言っていますが、それもハッキリ言って疑わしいものです」
「それで?」
「なに、玉藻さんには思いの外敵が多いものですねぇと、思っただけですよぉ。私もまた、あなたと志を同じくする者。この事実をどうするかはあなたの勝手ですがね、私は私で上手いこと振る舞っていくつもりです。ああ、ご心配なく。あなたが玉藻さんに叛逆しようとしていることは……結構バレバレですからぁ」
だから玉藻に自分が敵対しようとしていることがバレるのではないかと、心配する必要はないと瑞子に告げる。
それを考えていたつもりは一切無い瑞子だが、鼻を鳴らして饕餮から視線を外した。
「……俺から一つアドバイスだ」
「はいぃ?」
「人間社会に紛れて、こういう店を楽しみたいなら、作法を身につけてくるんだな」
「肝に銘じておきますぅぅ。あ、大将さんお会計をお願いしますねぇ。カードで払えますかぁ?」
「え、えぇ。対応していますよ」
饕餮はのそのそと椅子を降りて、玉藻から貰った十億円分貯められたカードをどこかから取り出す。そして会計を済ませ、店を後にしようとした。
扉を開けて立ち止まり、また瑞子に声をかける。
「ところでぇ瑞子さん?」
「あん?」
「もし、あなたが玉藻さんを倒すというのならぁ──それは自分だけの力で、と考えていますかぁ?」
突拍子の無い質問。しかし瑞子は戸惑うこともなく返答した。
「当然だろ」
「……そうですかぁ。では、また今度もご一緒させてくださいねぇ」
開けたままの戸をピシャリと閉め、饕餮は退店した。
「……何だったんですかね、あいつ……」
「さァな。だが──」
瑞子は板前に、付け台に何か乗せるよう手で合図を送る。
「『四凶』の中で一番面倒そうなのは、あいつだな」
大蝦蟇はしばらく食事に手がつかなかった。
饕餮のインパクトのせいであるが、瑞子はまるで影響されておらず独り寿司を食べ続けていく。
大蝦蟇もようやく寿司を食べるようになると、二人の会計は六十万にものぼり、退店する頃には時計の針は12時を回っていた。




