53.満月は微笑む
太陽が落ちていく。橙色の光が、惨状となった『フシテレビ』を照らす。
17時を回り、消防隊や警察がテレビ局を封鎖してあらゆる"後片付け"を行っていた。
死体の処理や、瓦礫の撤去。火元は既に消えており、消防士たちもその原因がわからず首を傾げるばかり。しかも被害が全二十五階中三階までであり死者の数に対して規模が異様に小さい火事という、まさに怪事件という有様だった。
鴉と覚は消防士たちの介入に際して姿を消し、テレビ局から既に撤退している。
彼らが局を去って一時間半ほど経過した現在、建物内にはスタッフはほとんど残っておらず、消防士らも出火の原因を探る以外では三階よりも上のフロアには足を踏み入れていない。四階以上には人気は無くなっていた。
そんな中、七階屋上庭園を訪れる人影があった。
「……派手にやってくれたものだね。少し落ち着いてから顔を出そうと思ってたけど、まさか三階がほぼ全焼してるとは」
紺色のスーツに身を包んだ美青年、月兎。
屋上庭園に突如として人間大の黒い靄が出現すると、その中からヌッと彼が姿を現した。
「『ルナーズBEST』、稼ぎ頭の一つだったんだけどなぁ。ここまで陰摩羅鬼が大暴れして、大量に犠牲者が出てるとなると……やっぱりここに配置した連中だけでは鴉の足元にも及ばなかったってことか……」
月兎はそう呟きながらゆっくり歩いていく。
彼の手には水入りのペットボトルが握られており、足を進めると同時にキャップを回して開けようとしていた。
「……起きろ、田がらし」
屋上庭園の真っ直ぐの通路を進む月兎。
やがて何かがぐずぐずに溶けているか、乾いた吐瀉物のようなものが広がっている地点に至ると、月兎はそこへペットボトル内の水を全て溢してやる。
水を手に入れた謎の物体はボコボコと盛り上がり、スポンジのように穴が大量に空いた、歪んだ一塊に変形していく。そして加山を襲った時のような触手を床との接地面に生やして、六本足で立ち上がる。
月兎の膝下程度までの大きさになったそれは、おぼつかない様子で言葉を発した。
「あがっ……ゲッ……げぇぇ〜〜っ……げっ、月兎、ざまぁ〜〜〜〜……」
「おはよう、田がらし。フシが大変な時だってのに、呑気に寝てたのかい?」
「あふぅ……うばわあぁぁ〜〜……ぞ、それがぁあ、しゃちょぉ……」
「んん?」
「がっ、かやばッ……かや、ま…………」
「……加山優香か?」
「ぞうっ! そうでふぅ〜〜……」
妖怪、田がらしは体表に空いた穴を変形させ、空気を吐き出し、なんとか発声を成り立たせようとする。
そんな醜悪な姿から目を逸らすように、月兎は手すりにもたれかかり外の景色を眺めながら話した。
しかし彼からフシテレビに加山がやって来ていたということを知ると、月兎は途端に目の色を変える。
田がらしの方へは振り返らず、余裕のある表情から驚きを交えた顔に。
「彼女がここに? どうして?」
「ぞっ、それは……わがらない……」
「君は彼女にやられたのか? 陰摩羅鬼を召喚したのは君ではなく絡新婦だというのは既に知ってる。それに戦いの舞台は三階のT2スタジオから下の階まで……。つまり、君は陰摩羅鬼が召喚されるより先に鴉にやられたかもしくは……」
月兎は田がらしに背中を向けたまま、近くのコンクリートの柱に近づき身を屈め、その根本に手を伸ばす。
彼が手を伸ばしたその場所には、狙撃銃の弾頭がコンクリートを穿つようにしてめり込んでいた。
「鴉と加山優香とはまた別の、協力者に……」
「おぅぅお……俺が、加山を捕まえようとしたらぁぁ、いきなり、頭を……。てっ、敵は三人……いたんですぅぅ」
「二人目の鴉か、それとも──」
月兎はそう言い残すと、再びフッと姿を消す。
取り残された田がらしは月兎の消失に戸惑いながら、目玉の無い頭を周りを見回すようにして動かしていた。
一方の月兎は、弾頭がコンクリートに撃ち込まれたその弾道を辿り、覚が狙撃していた建物に瞬間的に移動していた。
覚が田がらしを撃ち抜くのに使ったビルの屋上に到着した月兎は、その場に手をつき、残された僅かな妖力を感知する。
「──鴉と鬼たちが手を組んでるっていうのは、この前の瑞子の一件があったからわかってる。だがこの妖力……鬼のものではない……?」
月兎が感じ取った妖力は鬼たちのそれとは違い、野生的でありながら落ち着きのある雰囲気であった。
「獣のような妖……。だが、かなり歳はいってるね。知的で、銃を扱える妖か……」
月兎は妖力を辿って歩いていく。
妖力の持ち主は屋上に出る扉を使ってはおらず、ビルの壁の凹凸を掴んで登ってきていた。
四大財閥の社長、日本の現支配者である彼からすれば、この僅かに残された妖力を辿り、追いかけることは容易であった。
月兎はある考えを思いつき、ほくそ笑む。そして再び姿を消して、テレビ局屋上庭園へ。
「鴉の仲間は加山優香を含めて二人いるということがわかった。そしてこちらは何体もの震々と絡新婦、いいお金になるアイドルグループを失った。狂骨たちの群れも、しばらく使いものにならなくなったし……フシももう駄目だ。儲けは割に合わない」
「え、えぇえ〜〜……ぼっ、ほ、本当に……ぃ……」
「誰のせいかな、ねぇ」
月兎は相変わらず田がらしに顔を向けない。
そのままぐるぐると、背の低いスポンジのような生物の周りを歩き始める。
「君が加山優香と出会った時のことを教えておくれよ」
「えぇぇ……俺、がぁ楽屋でスタッフぅをぉぉつまみ、食いしてた時にぃ……出会い、ましたぁ。んで、霊力が高いなぁぁと思ってぇぇ話しかけて……その時にぃ、彼女ぉ違う名を……」
「なるほど、潜入捜査をしてたってことか。だけど、そうなるとその目的が気になるね。わざわざ身分を偽ってテレビ局に潜入してたわけだから……」
「それはぁぁ……わからない……」
田がらしは萎縮するように小さくなり、呟く。
「君は名前を変えた彼女を怪しまなかったのかい? 加山優香は、ハッキリ言ってこの東饗にいる人間の中で最も霊力が高いと伝えていたはずだよ。そうなれば、高い霊力を放つ人間には必ずマークするのが当然だ」
「あ、うぅぅぅ……だ、だから俺はぁぁ」
「彼女に話しかけたって? その結果が……こうして正体を知られて、敗北しここで寝ていた。陰摩羅鬼と鴉の戦いに君も参戦していれば、また違った結果もあったかもしれないのに。加山優香も、捕まえられたかもしれないのに」
「う、うぅ」
「僕が何のために君をフシテレビに置き、他の妖たちのリーダーに据えたか。理解しているのかい?」
「…………??」
「水さえあれば、どれだけ痛めつけられても復活できる。それこそ切り刻まれようが、焼き払われようが破片の一つでもあれば蘇るという……その便利な不死性に目をつけたからだ。君は、使える駒だと思ってたんだけどねぇ」
「あ、あ、あ……」
「自分の性質を理解して、水を携帯するなり水を得られる場所に標的を誘き寄せるなりできたはずだ。そんな簡単なこともできない無能には──」
月兎は足を止め、田がらしの方へゆっくり振り返る。
そんな彼の様子を前にした田がらしは怯え、その体を小刻みに震わせ、恐怖を全身で表現していた。
「死の制裁だ」
「ひぅッ──!」
月兎が完全に田がらしの方へ向き直ると、田がらしは怯えきった声を漏らすとビクッと同時に一際大きく体を震わせる。
そして月兎が水を与える前のように、形を崩してぐずくずに溶けて床に広がっていった。今度はそれだけに留まらず、蒸発して消えてしまった。
一人残された月兎は再び手すりに近づく。そこにもたれ、昇りゆく月を眺めながら呟くのだった。
「……いよいよ会えそうだね。マイハニー」




