39.風の刃
「あっ! ズリーぞ窮奇!」
ホールのすぐ外の廊下のガラスを破り、空中へ飛び出していった窮奇。
玉藻の紹介を待っていた四凶のうちの一人が、そう言って彼の後を追おうとする。
その者の顔の左側には縦一文字に傷が走っている。
刈り上げた短髪、虎柄の腰巻きをした上裸の長身痩躯の彼は、その場にいる四大財閥や他二人の四凶に目もくれず扉へと駆けた。
「鬼童丸、悪いがアレを止めてくれないか」
「……!」
玉藻は走っていく彼を止めるよう、近くにいた鬼童丸に依頼する。
大した関係値もない玉藻にいきなり話しかけられ、しかも自分を選んできたことに鬼童丸は目を丸くする。
だがすぐにそれを聞き入れ、「仕方ない」と目の動きで示しつつ床を蹴って彼を追った。
「あん? なん──」
ドゴォン!
「んがっ!?」
一瞬で男の前に先回りした鬼童丸。
素早く彼の腹部に拳を叩き込み、四凶の男はその威力に思わず前屈みになって怯んでしまう。
しかし──
「フンッ!!」
「ッ!?」
カウンター炸裂。
四凶の男は前屈みになった状態からアッパーを繰り出し、鬼童丸の顎を思いきり打ち上げた。
「倅殿……!?」
「ヒューー……! すごいな、鬼童丸を力で」
男のアッパーの威力は鬼童丸の体が持ち上がるほどのもの。
脳を揺さぶられ、鬼童丸は片膝をついてしまう。
その様子を見た茨木童子と月兎は驚きを隠せず、瑞子に至っては自分ですら鬼童丸の動きを封じることができなかったために自尊心を少し傷つけられていた。
(拳一発で鬼童丸に片膝ァつかせるだと……!? 全身を水で撃ち抜いても止まらなかったヤツだぞ!? 四凶……このレベルのが四体もいるってのか!)
鬼童丸に一撃浴びせた男。
名前は檮杌。"荒野の檮杌"という。
古代中国の荒野で暴れ回り、人間の道理を解しようとせず人妖問わず己の敵と定めて殺し続けた妖である。
彼を討伐するために派遣された兵士は四千を超え、その全員が彼の胃袋の中に消えていった。
「なんだ。やるのかお前っ! 言っとくが、俺様は四凶最強だぜ! 勝てると思ってんのか? ああん!」
「…………」
鬼童丸は立ち上がり、目の前の人型の獣と正面から相対する。
檮杌も自分の目の前に立ち塞がり、まっすぐ睨みつけてくる鬼に興味が湧いたようであった。
チンピラのような風貌の檮杌だが、妖怪としての格は最上位クラス。鬼童丸よりも上である。
『赫津鬼会』ナンバー2の鬼と、自称四凶最強の獣。戦いの勝者はどちらになるのか、ホールの中に緊張が走る。
が、それはすぐに緩んだ。
「うおっ……ぐぇぇ!?」
「はい、そこまで。ありがとう鬼童丸。まったく……四凶はせっかく強くてもこういうのが過半数占めるんだからさーー」
檮杌の背後から紫電色の光の網のようなものが高速で迫り、あっという間に彼を捕縛してしまう。
玉藻だ。彼は自身の妖力を網状にし、檮杌を縛り上げたのである。
網を構成する妖力の糸の根本は空中に消えかかっており、まるで空間そのものから出現して檮杌を捕まえているようだった。
「がッ、ぐぎぎ……!」
「落ち着いて檮杌。まだ紹介は終わってないだろ? 全く……大陸の連中も大概、作法がなってなくて困るよ」
「いやぁ、すみませんねぇ玉藻さぁん。それじゃ、お詫びとして私から残り二人を紹介しますねぇ」
「頼んだ饕餮」
饕餮は玉藻の前に出て、四大財閥の妖怪たちに檮杌の紹介を行い始める。
鬼童丸は檮杌に殴られて口内が切れていた。饕餮の話の最中に口角から垂れる血を指で拭っていると、巨大な人影が彼に近づく。
「……!」
「…………」
それは肥満体というにはあまりに巨大だった。
身長は3メートルほど。横幅もあり、力士どころの騒ぎでない体格をしている。
不気味な紋様の描かれた札を顔に貼り付けており、フードも被っていて全く表情や頭部の形がわからない。
彼は血を拭う鬼童丸に、無言でハンカチを手渡してきた。
「ああ、鬼童丸さん……でしたっけぇ? 彼の名前は渾沌。"白痴の渾沌"です。変な見た目ですけどぉ、怖がる必要はありませぇん。いずれわからなくなるでしょうからねぇ、ウフフフフフフフフフフフ」
───────────
「なに見てんだ、あぁっ!?」
「ひぃぃ!」
歩道ですれ違う女性を睨みつけ、いきなり噛み付く窮奇。女性は悲鳴を上げて小走りで逃げ去っていく。
すれ違うだけとはいえ、自身に近づく者皆に牙を剥くこの姿勢。加えて上裸にそのまま黒いモンゴルベストを羽織った外見から、彼は道行く人間たちから怯えた視線を受けていた。
「チッ……ムカつくぜ。あの狐野郎も、バカ共もよ」
アスファルトに唾を吐き、悪態をつく。
翼は収納可能であり、現在は仕舞って完全な人型となっているものの、苛つきから妖力が周囲に漏れ出、妖怪であれば即彼の存在に気がつく状態だ。
窮奇は元々群れるのが嫌いだった。
単に自分を相手に合わせるのが気に食わないというのも理由の一つだが、何より他の四凶と一緒にされることに辟易していた。
自分が一番マシだという、人間のようなプライドを持っていたがために。
「俺は俺で好きに動かせてもらうぜ。せっかくだ、鴉とやらの首は俺が斬り落としてやる」
四凶が玉藻から依頼されていたのは、例によって鴉と相対し交戦することだった。
しかし彼らは「殺せ」とは言われておらず、あくまでも「戦え」としか言われていなかった。
『鴉という、真っ黒な服装をした男と戦ってほしい。彼は刀を持っていて……そう、こんな感じの帽子も被ってる。適当に暴れていれば、向こうから来てくれるはずだ』
『殺すのではなく戦え、とぉ? それまたなぜぇ」
『……それは秘密だ。とりあえず、彼を追い込んでくれたらいい。もしかしたら珍しいものが見れるかもしれないよ』
玉藻の仕切る『Nined Tailer Corporation』本社に連れてこられた四凶は、彼がいつも鴉の戦闘を鑑賞する巨大なモニターのある部屋に通された。
そして鴉と祢々の戦闘の映像を流しつつ、四名に鴉の概要を説明していたのだった。
「死んだ妖を狩る、か……。おもしれぇ。俺のことも狩れるのか試してやるよ……」
窮奇はニヒルな笑みを浮かべながら道を行く。
玉藻に従うつもりも、他の四凶と馴れ合うつもりも一切ない。
だが一千年の封印から解放されたことで気分が良いことは確か。爽快な今の気分のままひと暴れしたい、そんな欲求が窮奇の中で渦巻いていた。
「こら、そこの君!」
「……あ?」
突如、窮奇の背後から彼を呼び止める男の声が。
不届きにも自身に声をかけてくる者に、窮奇は威圧するように返事をしながら振り向いた。
彼の元に近づいてきていたのは二人の警官だった。
「君か。ついさっきから黒いベストを着た不審者がいるという通報が度々入ってきてな、ちょっと話をしようか?」
「なにをそんなイライラしてるんだい。おじさんたちが話聞いてあげるから」
若い男と、小太りで背の低い中年の男。
二人組の男性警官は窮奇との距離をぐっと縮めながらそのように言った。彼の注目を自分たちに集め、他の通行人が目に入らないようにするためである。
だが不幸なことに、窮奇は妖怪。
そうした行動は無辜なる一般人を守るどころか、逆に火に油を注ぐのと同じだった。
「チッ、うるせーカス共だな。ぶっ殺されてぇのか」
「はいはい、落ち着いて落ち着いて。そんな言葉おまわりさんに使っちゃいけないよ? あ、他の人にもね、ダメだけどね」
「公務執行妨害で検挙されたいのか? とりあえずそっちの道の隅に行くぞ。こい」
中年の警官は窮奇を宥めようとし、若い警官は人目を引くのを避けるために彼の背中に手をやって軽く押しながら移動しようとする。
しかし、これが悪手であった。
虫の居所が悪く、加えて普通の人間のように何の力も無い弱者のことが、窮奇は何より嫌いなのだ。
「おいコラ、てめぇ。気安く触ってんじゃねぇぞ」
窮奇は若い警官の方へ振り返り、自身の背中に回されている腕を鷲掴みにする。
それなりのパワーで握ったため、警官の腕はミシミシと悲鳴を上げていた。
「うッ、ぐぅ!? おっ、お前!?」
「相模くん!? こらっ、君! 早く手を離しなさい!」
「下民がよ、俺に触れていいわけねぇだろうが。なぁ、おい。そうだろうがァッ!!!」
窮奇がそう怒鳴った瞬間、二人の警官の体に無数の亀裂が走り出す。
頭からつま先まで、満遍なく。横一文字の亀裂が縞模様のように。
そして亀裂から血液がプシュッ、プシュッと噴き出すと、二人の体は輪切りにされたかのように無数の破片となって地面に崩れ落ちていった。
「キャアアアアアアアァァァァァ!!!」
その様子を見ていた女性が悲鳴を上げると、通行人は次々に窮奇のいる方へ振り返り……そしてその惨状を目にして同じように叫び声を上げて逃げていく。
窮奇は彼らに思う。「うるさいクズ共だ」と。
自身の前方や後方に蜘蛛の子を散らすように逃げていく大衆に、窮奇は妖力を込めた掌を向ける。
彼の腕には微かに"風"が渦巻いており、それは妖力の流れに合わせて掌へと収束していた。
「"鎌鼬"!」
窮奇の掌から突風が放たれる。
その風は逃げ惑う人々に追いつき、そして彼らの肌に触れていく。すると窮奇に殺された警官たちのように、人々もバラバラに切り刻まれていった。
道の先をタイミング良く通過した自動車も、運転手もろとも無数の鉄屑に刻んでしまう。
「……あの狐野郎やその仲間たちもぶっ殺して、俺がこの国の王になってやる。その前に、掃除をしねぇとな。まずはお前からだぜ、鴉……!!」




