3.鴉の使命
「鴉……」
鴉と名乗った男は再び歩き出す。
だが加山は彼を行かせようとはしなかった。
「ちょっと待って!」
「何だ」
「鴉って、何なの? 私はあなたのように鴉を名乗る人と二十年前に出会ったことがあるわ。彼は、私を妖怪から助けてくれた……。あなたたち鴉って、一体何をしているの!?」
「…………」
二十年前の夏のあの日。
猿の化け物を倒し、自分を助けてくれたあの男。
加山は彼の言葉と面影だけを頼りに、今まで生きてきたようなものだ。
今目の前にいる、同じく鴉と名乗る人物を逃すわけにはいかなかった。
自分を保つためにはそうすることしかできなかった。
「それを聞いてどうする」
「どうもしないわ……。でも、私はどうしても聞きたいの。私は妖怪という存在を知っている。私は妖怪を視ることができる! あなたのような鴉に助けられてから、私は自分の力を人のために役立てたいと思って生きてきたわ。あなたも妖怪を倒しているなら、どうか、協力させてほしいの……」
「協力はいらん。そして一つ勘違いを起こしているようだからそれも訂正しておこう」
鴉は加山に向き直る。
「俺たち鴉は、人間を妖怪から助けるために妖怪を狩っているんじゃない。もしお前が他の鴉に助けられたというのならそれは偶然か、物好きな奴に逢っただけだ」
「じゃあ、なんで妖怪を……」
「さっきも言ったが、俺たちは黄泉の神の遣いだ。神の命により妖怪を殺して回っているに過ぎない。俺たちの事情はわかったな」
過去に鴉に会ったきり、加山は彼らに幻想を抱いていたのかもしれない。
危機に陥った人々を助ける、ヒーローのような存在として。
だが、現実は違った。
妖怪狩りはただの任務。
そこに情はなく、自分を助け、言葉をくれた鴉はただの物好き。
誰にも知られず人を襲う妖怪の存在を認知しながら、何もできない自分を結局変えることはできなかった。
彼女はただ、よすがにしていた信条を打ち砕かれたのだった。
「黄泉の国は死んだ妖怪が向かう場所だった……。だが黄泉はそこまで広くも頑丈でもなく、妖怪共も争い、耐えきれず黄泉は妖怪を溢れさせた。神は俺たちに溢れ出た妖怪を追わせ、再び殺して連れ戻すことを命じたのさ」
「なら、私もその手伝いをするわ。結局妖怪を倒すっていうのなら、私とも目的はあったするもの!」
「どう手伝うんだ? よく見なくとも、お前が戦える存在でないことはわかる」
「それは…………」
「お前にできるのは首を突っ込まないことだ。変に騒ぎもするなよ。人を救いたいなら、余計なことはしない方がいい。そうしていれば、夜に紛れて俺が奴らを狩ってやる」
鴉は止めた足を再び進め始める。
何も言えなくなった加山は彼を引き留めず、絞り出すように口にする。
「私は……妖怪の情報を持ってるわ。きっと役に立つ」
「結構だ。それも自分で集める」
街の光の中に鴉の姿は消えていった。
夜の闇のように暗い彼の服装は、ネオンの中では逆に目立っていた。
しかしそれでも、彼を認識できているのは加山だけだった。
闇をその目にしていられるのは、彼女だけなのだ。
───────────
(さて……やつを見つけるには人間の密集地を巡る必要があるな)
加山と別れた鴉は、再び建物の上に登って街を見渡す。
妖怪を追う手がかりは二つある。
一つは黄泉の香りだ。
黄泉の国から溢れ、逃げ出した妖怪たちは黄泉を覆うように茂る葦、その香りを纏っている。
つまりそれを追えば、本体に辿り着くことができるわけだ。
しかしあくまで匂いであるため、消えることもあれば逆に利用されて煙に撒かれることもある。
「黄泉の香りは空に途絶えた。これ以上は追えない。俺も飛べれば良かったんだがな……」
鴉はその名前によらず、自力で飛ぶことができない。
人間を遥かに凌駕する身体能力を持つが、それでも飛翔には翼が必要で、鴉はそれを持っていない。
『翼なき鴉』とは、妖怪が彼らを揶揄する言葉だ。
「かと言って、追えるほど奴の『妖力』は強くない。奴の行きそうな場所に先回りするしかないか」
全ての妖怪は『妖力』を発する。
これは魂の仕組みによるものだ。
あまねく魂は『霊力』を発しており、これが肉体を動かすエネルギーとなる。
死とは魂が失われることではなく、その霊力が底をつき肉体を動かせなくなった状態を言う。
では妖力とは何なのか。妖怪の定義とは、魂から発する霊力を妖力に変換でき、自力で妖力を発することができる存在とされる。
妖怪の起こす人智を超えた現象や力は、この妖力が源泉である。
妖力が強ければ強いほど妖怪としての格も上だが、全ての妖怪が目立つほど妖力を発するわけではない。
発する妖力を隠せる妖怪もいる。ただ単に妖力が弱すぎる場合もある。
今鴉が追っているのは後者だった。
「人間は夜に眠ると聞いているが、これでは話が違う。もう夜明けまで二刻程だというのに、人間は未だに明るい街を練り歩いている。これではあの鳥の行く先を推測することもできん……」
鴉の推測によれば、件の鳥の妖怪は人間の子どもを狙う『姑獲鳥』。向かうとすれば、時間帯も考えて人間の居住区である。
しかし鴉が見下ろす歓楽街にそんな場所はない。あるとしても、せいぜい子どもがいるはずのないホテルぐらいだ。
この辺りの地理についてあの女に聞いておくんだったと、鴉は今更ながら後悔する。
(姑獲鳥が狙うのは子どもと女だ。若い女を子持ちと疑い、狙ってくるか?)
酔っているのか、ふらふらと歩いている女が目に入る。ぱっと見は二十代で、幼い子ども、赤子ぐらいならいても不思議はない女だった。
鴉がこう考えるのには理由がある。姑獲鳥の習性だ。
子どもの泣き声を真似、反応した女を殺して子どもを奪う。
何も子どもを喰い殺そうというわけではなく、自分の子どもとして育てようとする。
子どもと一緒にいない女まで狙うかはわからないが、男に反応しないのは間違いない。
加山から聞いた死体の男は、運が無かっただけだろう。
「……うん?」
鴉が思案していると、突如遠くからけたたましい音が響き渡ってきた。
音のする方へ顔を向けると、赤い光を輝かせながら道を走る、白く見るからに硬そうな塊が目に入った。
そして鴉は気がつく。
「黄泉の香り……!」
音と光を発するそれは、あの葦の香りを纏って走っていた。
何かがその中にいると確信した鴉は、屋上から飛び上がり、時速60kmで走る救急車の上にドンと着地。そしてフロントガラスに貼り付き、その中の様子を探った。
目に入ったのは白い服とヘルメットを身につけた人間が数人。そして彼らに囲まれる、横たわった一人の女。
(あれは……)
カーテンに視界が阻まれている箇所があり、一瞬しか見えなかったが、鴉はあるものを見つけた。
女の服の上に、赤い血のような液体で描かれた四本指の鳥趾の紋様があったのだ。
姑獲鳥は狙った標的に、自身の血を使ってマーキングをする。つまりこの女は、今まさに姑獲鳥に狙われている獲物というわけだ。
棚からぼたもちとはこのことである。
「運がいいな。この女を張っていれば、奴にありつける」
鴉は救急車の上に貼りついたまま、共に病院へと向かう。
運が良いとは思ったが、彼はそれ以上は目の前に転がり込んできた姑獲鳥のヒントを疑うようなことはしなかった。
誰かの策謀であることなど、まるで。
「……また新しい鴉がやって来たか」
高層ビルのとあるフロア。
中央に机とオフィスチェアを置いた広い一室で、煌めく街を一望しながら男が呟く。
滑らかで一切のくすみのない整えられた金髪。
絹のように真っ白で綺麗な肌。
そしてスーツの胸元にある、九つの房が一端で束ねられているデザインの金色のピンバッジ。
その美しい姿を一目見れば、否が応でも記憶に残るだろう。
「楽しませてくれよ。他の鴉たちよりも出来るだけ長く、生き延びてくれ。最初が姑獲鳥と魃では、難しいかもしれないがね……」
男は不敵に笑う。
彼こそが日本の支配者が一角。四大財閥『Nined Tailer Corp.』社長、玉藻草司。