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暁の黄泉鴉  作者: マサイのゴリラ
東饗──『偽りの太陽』編
34/50

33.月と水虎

「…………」


「…………」


「…………」


 パトカーの中は完全に沈黙空間。

 鬼童丸と気絶している鴉は言わずもがな、覚も窓枠に頬杖を突いて喋らず、加山も運転に集中して一言も発さない。


 虎水館を離れてからは瑞子の攻撃も無く、十数分で神宿区を抜け、パトカーは中呑(なかの)区へと差し掛かる。

 目指すは練魔(ねりま)区。そこならば四大財閥の拠点も無く、日が落ちた現在は閑静な住宅街となっている。

 少しの間身を隠すなら打ってつけの場所だと加山と覚は踏んだのだ。



『……長濱さん。私、鴉の元へ行きます。戦いの行方がどうなろうと、私は鴉だけを向かわせたままにはできません』


『ああ。パト一台ぐらい持ってっても構いやしねぇはずだ。俺からも何か言っとくから、行ってやれ』



 先日の祢々との戦いで、鴉は数時間の休眠を要するほどの負傷をしていた。

 今回は四大財閥の一角との戦い。その程度のダメージで済むはずが無い。下手をすれば……

 そう思って、加山は覚と共に警察署を飛び出して鴉を救援に向かった。

 戦闘面では役に立てないが、覚と共になら何かはできると考えてだ。


「……鴉、起きないわね」


 加山が静寂を破る。

 彼女の言葉を耳にし、鬼童丸も閉じていた瞼を上げる。覚は反応を寄越した。


「……傷は治りつつある。いずれは起きるだろうが、コートも中のシャツも服の体を保てていないぐらいの損傷だ。かなりの体力を使ってるに違いない。白かったシャツも真っ赤だしな」


 覚は後部座席の方へ振り返り、意識の無いまま座らされている鴉を見ながら言った。


 彼としては鴉の戦闘は見たことがない。初めての邂逅(かいこう)である、鬼童丸と鴉の戦いも喘息の発作を起こし、鴉の敗北後の姿しか見ていなかったのだ。

 だが彼が祢々を倒したことは加山から聞いており、覚は鴉の実力を心から認めてはいた。


「…………」


 覚は鴉の隣へと視線を移す。

 腕を組んで座る、鬼童丸と目が合った。


「お前らには、色々と聞きたいことがある。逃げるんじゃないぞ」


「……」


 鬼に捕まっていた頃の恨みから、覚の声はドスが効いて低く、威圧的であった。

 死んだことのない、人間社会に紛れて生きる妖怪を(さら)って奴隷同然の働きを課していた鬼。

 その目的は何なのか。煮え(たぎ)り収まらない、同胞を想う怒りを押し殺して、覚はそれを鬼童丸に追及しようとしていた。


 鬼童丸は相変わらず口を開かない。

 しかし、パトカーから飛び出して逃げようともしなかった。

 観念したのか、それとも別の思惑があるのか。

 

「とにかく、今は練魔を目指すわよ。鴉のことも、鬼童丸のことも、その後」


 パトカーはビル群の横を通り過ぎ、背の低い建物が建ち並ぶ景色が窓に映り始める。

 無情に思う人間は少ない。

 一目連龍水道本社が壊滅状態というのに、行き交う車通りは普段と変わらず、街には下品なネオンが輝き出している。

 加山たちのパトカーがすれ違う人間たちは、妖怪の抗争など知らず、今夜も欲望渦巻く世界に足を踏み入れていくのだった。



───────────



 その頃、何台もの消防車や救急車、パトカーに囲まれた一目連龍では中に残っていた社員の救出活動や遺体の回収作業が行われていた。

 人間の死体ならともかく、鬼の死体はどうなるというのか。

 それは瑞子すらも知らない。


「…………」


 庭園となっている一目連龍の屋上から、瑞子が夜風に吹かれながら街を見下ろしている。

 鬼童丸たちを取り逃し、会社や地下施設は大ダメージを受けた。尤も、地下に関しては瑞子自身の手によるものであるが。

 

 彼は()()()苛立ちすらも覚えていない。

 暗がりに呑まれる東饗都にポツポツと明かりが灯っていくのをただ眺めていた。


「……フン。そもそも俺は、人間の社会だなんてものはどうだってよかった。水道を手にできたのは僥倖(ぎょうこう)だったが、会社、金、社員……文明にも人間にもこだわる理由は無い」


 瑞子を包んでいた水のベールが頭部から消えていく。

 右頬を大きく抉られたような傷跡が外気に触れ、ズキリと、弱々しくくすぐったさに似た痛みを感じる。

 虎のような鋭い瞳孔は眼下の街を映し、彼はまるで人間が害虫を見つめるような目を向けていた。


「玉藻がいない今なら…………やってやるか」


 高層ビルの屋上は強風が吹きつける。

 風にあおられることなく、瑞子は右腕を持ち上げ……その手のひらを天に向ける。

 そして静かに、妖力を解き放った。



「"天馨水蓮(てんきょうすいれん)"」



 都の夜空は街の光によって闇しか見えない。

 雲があろうと無かろうとだ。


 しかし、瑞子が呟くと同時に暗い天は雲によってあっという間に覆われていく。

 街の光を反射し、夜だというのに()()()()()ほど、分厚い雲が湧いていく。


水底(みなそこ)に沈むがいい。豪州のように」


 圧倒的な曇天。

 吹き荒れる暴風。

 鬼童丸に言い放った、「天すらも支配する」という言葉に違わぬ現象が巻き起こる。



 繁華街を歩く人々は、突然の気象変化に驚きを隠せない。通りにいた者たちは皆、風にあおられてまともに立ってもいられない。

 ビルの中にいる人間は、その強力な風によって建物が揺れる恐怖に震える。

 車を走らせる者、船を往かせる者、電車、バス……。それらの交通は止められる。あるいは不運な事故を招き、負傷者を出す。



 そして、東饗湾が──



「おっとそこまで」



「!」


 天に伸ばしていた腕を突如掴まれ、いつの間にか背後に立っていた者に制止される。

 不意をつかれた瑞子は殺気を全開にバッと振り向いた。


「まだ早いよ、それは」


「月兎……!?」


 後ろから瑞子の腕を取った者。それは月兎だった。

 洒落たネクタイと黒スーツに身を包んだ彼は、ニコッと口角を上げて振り向いた瑞子に顔を向ける。


「くッ!?」


「おっと──!」


 その瞬間、瑞子は月兎の顔に向けて水に変えた腕を振るった。

 高圧水流と化した彼の腕はさながら水のカッターであり、何とか反応して後ろへ飛び退いた月兎の左頬を浅く切り裂いた。


 垂れる少量の血を指で(すく)い、「痛いなぁもう」とおどけて見せる。

 明らかに自身を恐れて攻撃してきた瑞子の反応を、月兎は気にも留めずに続けた。


「玉藻がいないのに、そんなことさせるわけにはいかないよ。楽しみは最後に取っとこーよ」


「てめェ……!!」


「はは、そんなに鬼たちにやられたのが悔しいのかい? でも君の勝ちだろう?」


「…………。あの鬼ども、鴉と手を組んでやがった」


「! ほう」


 瑞子は怒りを月兎に向け、月兎は興味深そうに瑞子へ頷く。鴉と鬼が手を組んだという話は、彼も初めて耳にしたのだ。

 玉藻から聞くのならまだしも、瑞子から伝えられた。

 その事実も月兎からすれば驚きであった。


 瑞子はてっきり自身を嫌っているものだと思っていたからである。


「追い詰めたが……逃げられた。今どこにいるのかはわからねェ」


「ふうん。ああ……そういうこと。だから東饗ごと、いや、()()()()()()()()()()()したってことか」


「──邪魔すんのか?」


「もちろん」


 瑞子は激流のような妖力を放出し、また月兎もそれに応えるように妖力を解き放つ。

 拮抗する二つの妖力の波動は庭園の木々を揺らし、草花を空へと舞い上げて吹き飛ばしてしまう。

 暴風は止まったが、今度はビル周囲で二人の妖力が吹き荒れていた。



 顔を見てはいけないと言われる月兎。そしてその理由を、瑞子は知っている。

 だが彼は妖力を放射状に噴き出しながら、まっすぐ月兎の顔を睨みつけていた。



「……そんな怖い顔しても、僕は退くつもりはないよ。今ここで君の命を奪うのは避けたいが……()()()()()()()()()()()()()、やったっていい」


「…………」


 月兎はさらに強く妖力を放つ。

 いつの間にか上空の暗雲の一部が晴れ、その隙間から、明るい満月が顔を覗かせていた。


「どうする?」


「……フン」


「ああ、えらいえらい」


 瑞子は妖力を止めた。

 すると空の雲はたちまち消えていき、夜空は満月だけが浮かぶ闇の景色を取り戻す。

 月兎は瑞子に軽く拍手しながらおだてた。


「派手にやるなら、全員揃ってからだ。玉藻も、茨木童子も、僕も、君も──そして鴉も。それが一番楽しいからね」


「もう用は済んだろうが。とっとと消えろ!」


「厳しいねぇ。それじゃあね」


 瑞子が怒鳴ると、月兎は夜景に溶け込むようにして消えていった。

 その様子を見送った彼は、苛立ちと共に歯を食いしばりながら街へ目をやる。


 暴風で一度動きを止めた東饗の街は再び動き出していた。

 金をばら撒き、性を貪り、酒を浴びて歌い踊る……

 人々は知りもしない。

 怨嗟に揺らめく虎の牙が、自分たちに向けられていることを……


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