30."鴉狩り"の瑞子鳴河
「こっ、これは……!?」
地下で鴉と瑞子が相対した頃。
地上のテレビではどの番組でも速報が流れ、番組を中断してある場所を中継していた。
そこはもちろん、一目連龍水道本社。
「加山、一目連龍水道にお前の仲間が行ったんじゃなかったか」
「はい……しかし、こんなことになってるだなんて……」
加山と長濱、そして覚は高橋警視の部屋の中でテレビに目を向けていた。
今頃は警察署内のどのテレビにも職員が殺到し、同様に画面に食いついている。
そうでない警官は、パトカーへと急いで現場へ向かっている。
長濱と加山がやりとりをしている横で、覚はぼんやりとそんなことを想像していた。
テレビに映し出されていた光景。
それは、敷地内及び地上五階まで辺りまでが壊滅状態にあった一目連龍の本社ビルの姿であった。
全二十八階、外壁のほとんどがガラス張りであるが中は見えない。
周りは広大な駐車場と芝生に囲われ、屋上には青々とした庭園があるというビルだったが、今や見る影は無い。
ビル周囲の芝生は燃え、あるいは黒く焦げている。
五階までのガラスはほとんどが割れ、中からは黒煙が昇り、そして見えているコンクリートの壁のほとんどが煤けていた。
そして極め付けには、大きく損壊したビルの入り口。
縦横それぞれ5メートルほどの大穴が空けられており、中には大型トラックが三台見えていた。
(あれで突っ込んだのか……)
覚はそう考える。
鬼たちが鴉を呼びつけたのはわかっている以上、トラックで特攻したのも赫津鬼会の者どもだと想像がつく。
中に入って行った多くは鬼。
鬼と瑞子の戦いの結果が、この惨状である。
「……アンタたちは行かなくていいのか?」
「……加山」
覚の問いに、人間二人は答えない。
長濱は加山の方を見るが、彼女も何か思うことがあるような顔をするばかりで何も言わなかった。
「加山さん、茨木童子はどこまで知っている? アンタと鴉の関係について」
「それは……わからないわ。鴉がどこまで喋ってるかも知らないし……。でも、私のことは奴らは知ってるみたい」
「ふぅん……」
覚は視線をテレビへ移す。
よく見れば、ビルのすぐそばの地面にはモザイクが掛けられていた。
このような場合のモザイク処理の目的は大抵一つに絞られる。
あの辺りに死体が散らかっているということだ。
巻き込まれた社員か、それとも突撃した鬼が瑞子にやられたのか。
少なくとも中継が始まった頃にはこの状況だったため、真相は想像に任せるしかない。
しかし、覚はあることを疑問に思っていた。
四大財閥、あるいは妖怪が関わる事件の報道はほとんどの場合、玉藻によって規制がかけられる。
それに対して今回は──
(鬼たちの襲撃。なぜこのタイミングで、と思ったが……。まさか、玉藻が動けない状況にあるのか? それとも、現在進行形でやつはこの東饗にいないのか……?)
───────────
「くっ……!!」
一方地下では鴉が膨大な体力を使って傷を修復し、瑞子を前に何とか立ちあがろうとしていた。
瑞子は東饗最強格の大妖怪。
四大財閥の一角である、一目連水道の社長。
先程戦った大蝦蟇よりも、以前殺した祢々よりも、遥かに強い。
「てめェが前に殺した妖……魃を覚えてるか?」
「……あいつがどうした」
「魃はなァ、元々は一目連龍にいた妖だったんだよ。それを、玉藻の野郎が引き抜いてった。玉藻の能力の一つさ。妖の魂に干渉し、自分の傀儡に変える……」
「……? 何の話だ」
唐突に玉藻と魃の話を始める瑞子。
鴉にとって目標の一つである玉藻の能力の情報は収穫物ではあるが、瑞子の意図が見えない。
「俺は結構、身内には甘いんだよ。こう見えて大蝦蟇や魃のことは数少ない同胞として大切に思ってた。他の妖たちもな。だが、玉藻に奪われ、お前らに殺された」
「……それじゃあ、俺を殺しにここへ来たのは復讐のつもりか?」
「そういうことになるな。前に殺した鴉にはこう言われたよ」
「"鴉狩り"ってな」
「……」
鴉は他の同僚たちとは接したことが無い。
鴉たちの話を聞くのは、物資調達のために桃の婆の元へ赴いた時だけだ。
かつて東饗に足を踏み入れた鴉たちの間では、瑞子の名は恐れられていたのだろう。
わざわざ通り名まで付けられているのだから。
「……天下の四大財閥の大妖怪さまが……ずいぶん情けないことをしてるんだな」
「ああ?」
「先の話、お前は玉藻に勝てないから、仕方なく自分より弱い鴉を殺して憂さ晴らししていると、そう聞こえた──」
バシュゥッ──!
鴉が言い終わる瞬間、再びあの破裂音が。
しかし今回は鴉の体に穴を空けられることは無かった。
瞬間的に反応できた鴉は、刀で瑞子の攻撃を斬り上げ、防御に成功したのだ。
(やはり……あの攻撃は銃から放たれている!)
瑞子の持つ大型の、カラフルな水鉄砲。
夏場に子どもたちが持ち寄って遊ぶようなそんな水鉄砲だが、その銃口から放たれる水は脅威そのもの。
鴉は一直線に飛んでくる高圧の水の弾丸に刃を当て、左右に水を散らした。
しかしその水は彼の後方のコンクリート壁へと向かい、容赦なくその表面を抉っていく。
「なるほどな……反射神経は確かに良い。だが今のは奇跡だ。冷や汗垂れてるのが見えるぜェ?」
「バカ言え。飛んできた水滴だ」
「ハッ、達者なのは口だけだろうが!」
瑞子は両手の水鉄砲をもたげ、鴉へと高圧水流を乱射。
鴉は一度後方へ跳んで瑞子から距離を取ると、瑞子の銃口から目を離すことなく水流を回避し続ける。
下手に刀で弾けば、跳弾した水流が逆に鴉の危機となり得る。
そう判断した鴉は回避に専念し、横目である物を探し始めた。
「チッ、ちょこまかと……」
瑞子は鴉を襲う高圧水の連射スピードを速める。
もはや機関銃のように撃ち出される高圧水を避けるのは、いくら鴉でも難しい。
流石に体の端を掠め、服の切れ端が飛んだり、血が宙を舞う。
(どこだ……どこにある……! あれさえあれば、瑞子にダメージを……)
間一髪のところで──側頭部を光線のごとく水流が掠めさせ──回避しながら、目的の物をひたすら探す。
瑞子は一切その場を動くことなく、しかし鴉は連射される高圧水を避けながらいつの間にか最初に鴉と大蝦蟇が対峙した地点に至っていた。
絶えず襲ってくる無数の高圧水。
水が撃ち出される音は、まるで鴉自身が滝壺にいるかのように錯覚させるほどの轟音。
そんな中、鴉の足に硬いものが当たる。
(あった──!)
「くたばれ鴉ゥ!!」
瑞子は二丁の水鉄砲の銃口を鴉に合わせ、高圧水を撃ち出す。
鴉はそれに気づきながらも、視線はなんと瑞子から外していた。
足元にあった物体を右足で空中へ弾くと、鴉は身を翻しながらそれを左手でキャッチ。
その間、瑞子から放たれた二本の高圧水流の間に身を通して回避する。
そして──
「くらえ」
バキュゥゥゥン!!
「うぐゥッ!?」
左鎖骨の上部から血を噴き出す瑞子。
硝煙と共に放たれたのは、黄泉産の鉛の弾丸。
ただの弾丸ではない。
鴉は右手に握っていた刀を逆手持ちし、その側面(=鎬)に銃口を添わせて弾丸を走らせながら撃っていた。
刀の反りによって弾丸の軌道がカーブを描くだけでなく、もう一つの効果を狙っていた。
「うっ……ぐッ……! こ、これは……!?」
瑞子の銃創からは止めどなく血が流れ出ている。
その様子に、瑞子自身も驚きを隠せていなかった。
(瑞子は……おそらく実体が無い。まだ刀に灰が付いてて良かったな)
鴉はこの短い時間の間にそう悟っていた。
というのも、水鉄砲から無尽蔵に撃ち出されてくる水。
それはどこから来ているのかという話だ。
(補填される水は、瑞子の妖力から生み出されているものかと思っていた。が、違う。瑞子の前腕辺りだ。あそこは水のベールを纏っていないが、一定の時間が経つごとに水のように変化し、鉄砲の貯水部に入り込んでいた。瑞子の正体──流動する水か)
瑞子は鴉に、自身の種族は水虎と名乗っていた。
水虎。
元は中国の水妖であるが、日本にも渡って生息していたという。
本来は人間の子ども程度の大きさであり、虎のような猫科動物に似た顔と鋭い爪、鱗を持つが、日本では河童の一種とされていた。
鴉は水虎と出会ったことはなかったが、体を水に溶け込ませ、一体化するというのは水妖の中では珍しい特徴ではない。
河童の類では特にだ。
「俺の体に、傷を……! "魂灰"か……!」
一方で鴉の弾丸。
わざわざ刀の鎬を弾丸で削らせたのには、かつて鴉が桃の婆から買ったものの一つである魂灰の効果を持たせるためである。
大蝦蟇との戦いで彼の霧を斬り刻むのに用いられたが、刀に振りかけられた灰を弾丸にも付与させたのだ。
魂灰とは黄泉にて作られる特殊な灰。
というのもその原材料は、妖怪の魂を燃やした後に出る灰である。
現世では手に入らない。
妖怪の魂から出ているのだから、この灰には妖力が宿っており、故に妖怪にダメージを与えられる。
実体が無くとも、だ。
「戦いのセンスは、認めざるを得ないな……。流石は祢々を殺した鴉だ。俺には勝てねェがな……!」
「"鴉狩り"の瑞子鳴河か……。だが、まだやれる。その首、今ここで貰うとしよう」
両者の距離は30メートルほどに離れていた。
戦いは仕切り直し。
そして同時に、歴史上四大財閥の首に最も鴉の刃が届いた戦いでもあった。




