111.継ぐ者
残暑振るわぬ短夜の始まり。
日が落ち、空が橙から暗がりに染まりゆく中、鴉と茨木童子は西神宿の街に繰り出していた。
「瑞子がいつ東饗を滅ぼすかわからないってのに……地上に出ていいのか?」
「構わん。大がかりな津波を起こすなら、東饗湾からここに到達するまでの時間のラグは必ず生まれる。俺たちのスピードなら、退避は簡単だ」
「お前……変なところで楽観的だよな。……いや、自信過剰か?」
「フン」
崩壊し廃墟と化した『一目連龍水道』。
鴉と茨木童子は並んでガレキに腰掛けて、他愛もない話を交わしていた。
「しかし、意外だったな」
「何がだ?」
「お前のことだ、鴉。俺も一度しか話したことがないもんで、パーソナリティはよくわかってねぇが……あの加山とかいう人間の願いを、叶えようってんだろ?」
「……ああ」
「人間を守りたい。そういう願いを継いだんじゃなかったのか?」
茨木童子は鴉に問いかける。
鴉は隣の鬼に顔を向けることなく、しばらく黙り込んだ。
「……まあ、そうだな」
「それならてっきり、お前は瑞子が東饗を潰すことを防ごうとするもんだと思ってたが……」
「…………」
鴉は再び口をつぐむ。
「……どうなんだ?」
「加山なら……そうしたろうな」
「じゃあお前としては、人間はどうなろうが構わんと」
「……自分でも、わからない。俺は加山の願いを叶えてやりたい。あいつの意思を継ぐと決めたからだ。妖怪ならいくらでも殺せる……だが、人間は──」
「だが」。そんな言葉を口走った時点で、茨木童子は鴉の心の内を察する。
彼にとって特別な存在は加山だけ。
いくら加山が人間を守るために妖怪の打倒を望んだとしても、鴉は社会と人間にまで入れ込むつもりはなかった。
加山と覚が死んだ夜、彼は『四大財閥』が作り上げた"社会"そのものに、守護よりも落胆と失望を覚えてしまったから。
「加山を殺したのは確かに月兎だ。だが、『四大財閥』に支配された人間たち。憎しみや恨みはないが、どうにも守る気にはなれない。加山はあれらを助けようともしていたが、俺は助けようとは思えない」
「ひどいやつだな」
「……。欲望に溺れ、目の前に帳が下されたことにも気づかない。世界を見ようともしない。そんな連中のために、わざわざ戦う理由を見出せないだけだ」
「──なるほど。お前の心づもりは、わかった。まあどちらせによ、俺たち『赫津鬼会』は瑞子への奇襲、東饗滅亡の予防に動くことはなかったがな」
「じゃあなんで訊いたんだよ」
「意思の確認は重要だ。お前が加山と『赫津鬼会』、どちら側なのか? それをハッキリさせないことには、瑞子にも勝てやしない。心を合わせよう、というやつさ。東饗そのものを守るつもりなら、ここで決裂も良かった……」
「……気持ちわりぃ。俺は鬼側に立ったつもりはない。妖怪たちを滅ぼして、加山と覚の仇──ケジメをつける。瑞子と玉藻を消した後は……お前らだ。ゆめゆめ忘れるなよ」
「フフ……それでこそ鴉だ……」
茨木童子は笑いながら懐へ手を伸ばす。
煙草の箱を取り出すが、鬼童丸を連れて来ていない今、片腕ではどうしようもできず。
しかしそこへ、鴉の腕が伸びた。
「……!」
「お前……隻腕になってからどれぐらい経つんだ? まだ慣れてないのか」
「ああ、悪いな……」
鴉は茨木童子から煙草を奪い取ると、代わりに一本取り出す。
そして、自身の懐からライターを取り出して火もつけてやった。
鴉に火をつけられた煙草を渡され、茨木童子はようやく一服にありつく。
「フゥーー……。どうにも、倅殿が優秀なものでな。俺はアレがいないと何もできない、らしい」
「確かに、便利な手足っぽくはあるな。鬼童丸のやつ」
茨木童子は自嘲気味に、それでいて鬼童丸を誇るように話す。
鴉もその言葉に同調した。
「……。鬼童丸で思い出した。覚から聞いたが……お前、酒呑童子を蘇らせようとしてるんだってな」
「……そうだ」
「……"大妖魔"だろ、確か。神を殺した妖怪……。黄泉の神が、許すはずがない」
"大妖魔"。
それは神を殺した、妖怪の中で最上級の力を持つ存在。妖怪からも、神々からも畏怖される。
酒呑童子は黄泉の国が認知する大妖魔の一体であり、黄泉の神の手で直々に幽閉されていた。
鴉はそのことまでは知っている。
「"大妖魔"は黄泉の神が直接管理する存在だ。それをどうやって蘇らせるつもりだ」
「……もう手筈は整ってる。あとは、酒呑殿の意思で蘇りが果たされるかどうかってところだ」
「なんだと?」
「酒呑殿の復活に──その黄泉の神が関わっているとしたら、どうだ?」
「!?」
茨木童子は不敵に笑う。
「黄泉の神は話のわかる存在のようだ。酒呑殿の蘇りを望む俺に、あの者は現世の『神器』を集めて捧げるよう条件を出した。そして俺は、それを果たした」
「『神器』を……!? 黄泉の神は、何を企んでるんだ!?」
「さあ。それは俺の知るところじゃない」
あまりの衝撃に、鴉はガレキから立ち上がって驚きの声を上げる。
それに対して茨木童子は静かにたたずみ、冷ややかに返答した。
鴉が驚くのにも理由があり、それは『神器』のルーツにまつわる。
「……『神器』は現世の神々の神性が色濃く宿る代物だ……。それを集めるってことは、その神性が目的としか考えられん」
「それで?」
「黄泉の神は、力を求めているのか……!?」
背景はわからない。
神としての御姿も不明。
そんな黄泉の神には黒い噂も存在するが、茨木童子から話を聞いて、鴉はますますわからなくなってしまう。
「だが、どうして……」
「今考えたって答えは出ないだろう。お前は神の使命に従って妖を殺して回り……俺は酒呑殿を蘇らせるために動く。互いに、己の目的のために。お前がさっき言ったことにも通ずる」
「……裏でとんでもないことしてやがったな」
「『神器』を集め切ったのはずいぶん前のことだ。俺からすれば今更だな」
「……酒呑童子を玉藻にぶつけるつもりか。玉藻も、"大妖魔"だろ」
鴉は固唾を飲んで尋ねる。
大妖魔同士の戦い。その影響は計り知れないが、神を殺すほどの妖怪のぶつかり合いとなるならば玉藻への勝機は著しく上がる。
黄泉の神の使者としては見逃してはならないことであるが、鴉にとっても利が無いことではなかった。
「いいや。酒呑殿は、俺たちの戦いには介入しない」
「え?」
「あの方は……俺に、助け無しでやれと言った。つまり、俺の手で全てを成し遂げろと。酒呑殿の手は借りない。玉藻草司は、俺たちだけで殺す」
茨木童子は静かに、力強く言い切る。
「残念そうだな、鴉。妖を殺さねばならないお前が、妖に期待するか」
「……うるせぇよ。笑うな……。だが、その分お前の計画に期待していいってことだな?」
「フン、期待ね……。好きにしろ。俺は考えるだけ考えた。あとは、それを動きにするだけだ。お前にも委ねられていることを忘れるなよ」
「余計なお世話だ」
茨木童子と鴉の軽口はここで終わる。
鴉に続き、茨木童子もガレキから腰を上げる。
うっすらとしか風景が見えないほどにまで日が沈み、時刻は、いよいよ運命の時その直前にまで至っていた。
「……そろそろ下に戻るか」
茨木童子は遥か北西の空を見やりながら口にした。
膨大な妖力の昂り。北西に集まりゆく雲から、それを感じ取ったのだ。
「……ああ。俺も、今わかった。この妖力は……!」
「瑞子が動き出した。東饗が沈む」
黄昏を覆い隠そうとする曇天。
瑞子の"水蓮"がそこに、花開こうとしていた。




