プロローグ
妖怪。
それは、人知の及ばぬ奇怪な存在。
人々の幻か?
新種の生物か?
それとも全てただの作り話か?
いずれにせよ、伝聞された妖怪とはただの生命とは一線を画し、その存在は疑わしく、しかし何故か日本各地に伝説が残るもの……である。
遥か昔、妖怪の存在は確かなものであった。人を喰らい、化かし、悪戯に命を奪う……。
だがその姿の多くは、近代の日本で人間が目にすることは無くなってしまった。
彼らはどこに行ったのか?
人が死ぬことを「あの世に逝く」と形容することがある。
一定数の人間は死の先にある世界を信じている。
根拠は土地や人々によって様々だが、多くの人間は死の先にある世界について耳にしたことがあるのは周知の事実だ。
妖怪も同じ。彼らは皆、"あの世"に逝った。
『黄泉の国』。黄泉の神が治める、妖怪たちにとって死の先にある世界がそれだ。
彼らは死に、黄泉へ向かったのだ。
妖怪は古来より、自然を生きる獣や人間のような生命よりも神に近しい存在として人間たちに考えられていた。
そして、それは正しかった。
生命が生きる『現世』。
死した者は本来、この世界から追放される。
しかし神々に近しかった妖怪は、他の魂のように在るべき場所へ向かうことはなかったのだ。
神々は黄泉の神に懇願する。
世界の理、そして何より妖怪の存在が自分たちを脅かしかねないことを憂い、黄泉の国を妖怪の逝くべき場所としてほしいと。
黄泉の神はそれを承諾し、以来、黄泉の国は死した妖怪の居場所となったのだ。
だが、全てが上手くいくわけではなかった。
妖怪は数千年の時の流れを経て、現世からほとんど消えてしまった。
つまり、生まれた妖怪のほとんどが黄泉の国に入ることになったのだ。
そして黄泉の国は、そんな妖怪たちを全て受け入れられるほど広くもなかった。
黄泉の神もそうなるとは思ってもいなかったろう。
それに加え、彼の神は部外者たる妖怪を統べるつもりもなかった。
黄泉本来の住民を守るのみで、逆立ちしても己には勝てない妖怪は放置していたのだ。
しかし法も律も無い国で、混沌から生まれし無秩序な妖怪たちが大人しくしていられるわけもなく……
彼らは内乱を起こし、居場所を懸けて争った。
黄泉の各地で戦争が勃発し、尋常でないほどの妖怪たちの血が流れた。
数を増やし続ける妖怪たちにやがて黄泉の国は耐えられなくなり、ついに現世へと妖怪が溢れ出すようになってしまう。
力の弱い妖怪も、もはや修羅の国と化した黄泉から逃げ出すようにして現世を目指した。
力の強い妖怪たちも、彼らを追うようにして現世へと向かった。
近代には姿を消した妖怪は、現代にて再び姿を現すようになったのだ。
神々は当然、黄泉の神を非難する。
黄泉から逃げた妖怪の中には、神々を脅かす存在も紛れていたからだ。
そして黄泉の神は国をより堅牢に、より広く作り替え、そして使者に命じるのだった。
蘇った妖怪たちを再び殺し、黄泉に連れ戻せ。
黄泉の香りを辿り、鴉たちよ、死者を啄むのだ。