右手で綴る、左手の君へ。
◇◇◇
『ねぇ。聞きました?あのお話』
『えぇ。えぇ。勿論ですとも。例の一家殺人事件の事ですわよね?』
『まだ犯人が見つかっていないんですって!』
『まぁ!怖い!』
◇◇◇
「あら、慶太。今日もお友達との文通の返事を書いているの?」
「うん。紗英には話したい事が多くて書くことが尽きないんだ。」
冬の間、三日置きに届く紗英からの手紙。
甘い花の香りがついた便箋には丸みを帯びた左利き特有の左下がりで少々歪な文字で日々のたわい無い出来事が綴られている。
僕の日常は朝起きて、紗英から届いた手紙を何度も読み返すところから始まる。紗英への手紙を書くため日常の一コマ一コマを意識しながら生活する。
どんな事を書けば紗英が興味を持ってくれる内容になるかを考えるだけで僕の心は満たされる。
顔も知らない筆跡だけの紗英。
何を考えながら手紙を書いてくれているのか。僕のことを好いてくれているのか。紗英の一挙一動、姿を想像するだけでも僕の心は満たされる。
「今日はどんなことを書くの?」
「昨日やった天体観測のことだよ。」
机に向かい直し、引き出しから木箱を取り出して蓋を開ける。仄かな木材と便箋の香りを感じながら中に入っている便箋を取り出す。
シンプルなデザインで縁取られた便箋を丁寧に並べ机上に置かれている綺麗に手入れされた万年筆を手に取る。
使い慣れたシンプルなデザインの万年筆は僕自身の右手へと違和感なく収まる。
《紗英へ。》
手紙の初めに書く相手の名前。このたった三文字を書くことだけでも胸の高鳴りを抑えられない。
さて、今日はどんな事を書いて紗英と会話しようか。
「母さん。これ紗英に送っておいてくれるかな。」
「えぇ。分かったわ。ふふ、今日も沢山書いたのね。きっと紗英さん喜んでくれるわよ」
そう言ってにこやかに笑みを零す母。
前まではこんなに笑ってくれる人じゃ無かったのに、最近では何時もにこやかに笑って僕の事を見守ってくれる。
病気がちで身体の弱い僕は殆ど外には出られ無いため、友人など作れるわけもなかった。そんな折り母は突然、少し遠くに住んでいる幼なじみの娘さんが書いたとされる手紙を僕にくれた。
封印を切り中身を精読した。
その手紙こそが紗英からの初めての手紙だった。
恐らく僕の事を想って母から頼み込んでの手紙だったのかもしれない。けれど当時の僕にとっては、たまらなく嬉しかった。
僕に僕だけへ宛てた手紙。お互い姿も声も何もかも知らない筈なのに筆跡だけがお互いを繋いだ。
それから何度も何度も文通を繰り返し仲を深めて行った。
今日はどんなことを綴ろうか。
母が趣味で育てている花達の中にイノコヅチが突然生えてきたこと?
それに試しに触ってみるとチクチクと服にくっついてきたこと?
あぁ。どんな些細な事でも全て紗英に伝えたい。
面白い事でも。
楽しい事でも。
難しい事でも。
吃驚した事でも。
寂しかった事でも。
怖い事でも。
全部全部。全部を君に知って欲しい。
君はそんな僕の手紙を一体どんな気持ちで受け取り、どんな事を思いながら手紙を書いてくれているのだろう。
◇◇◇
『それに領主様の二番目の御子息も行方不明なんですってね』
『確か、殺された娘さんの婚約者だったのよね』
『もしかして、彼が………』
◇◇◇
「パーティ?」
「あぁ。領主様の邸宅で御息女のデビュタントを行うそうでな。慶太にも是非と招待を頂いているんだ」
この地を治めている領主様の御息女。噂に聞く絶世の美女とのことだ。
そのご自慢の御息女のデビュタントとなれば華やかなパーティを主催するのは想像に容易い。
が、しかし。僕にはなんの因果もなく繋がりも無い筈なのに招待が届くなんて。
そんな疑問を抱きつつもこれまで自分が、殆ど社交の場に姿を現していない事を思い出すと、とても断れるような相手では無いということは確かだった。
それにこの話を断り万が一領主様の不敬を買ってしまった場合、両親にこれ以上の心労を増やす訳には行かない。
「うん。分かったよ」
「本当?無理はしていない?」
「うん。大丈夫だよ。車椅子で行けば問題は無いよ。まぁ、どんな目で見られるかは予想がつくけど……」
僕は病気がちと言うのもあるが、そもそもが右足が生まれつき不自由で一人ではまともに歩くことさえままならない。
その為、社交の場に出向いたとてその場に立ち続けることも、ましてやダンスを踊る事さえ出来ないのだ。
幼い頃一度だけ出向いた社交界は白い目で見られ、自分が滑稽な姿なんだと認識しそれ以上その場に居ることが耐えられなくなってしまった。
「ごめんなさいね」
申し訳なさそうに謝る母を見てふと我に返った。
母をこんな顔をさせる為に言ったことでは無い筈なのに、結果的には行き場のない焦燥感を母にぶつけてしまっていた事に不甲斐なさを感じた。
「あ、ごめん。そんなつもりじゃないんだ。母さんは悪くないよ。」
「でも……」
「寧ろ僕を産んでくれてありがとう。でないと僕は紗英に会えなかったんだから」
僕のその言葉に母は複雑そうに微笑んだ。
・
・
・
月日は流れ、僕の彩られた日常の中に異質とされる領主様主催の御息女デビュタントパーティの日となった。
それまでも変わらず紗英との文通を続け変わらない日々を過ごしていた。
早朝からお昼にかけてはいつも通り過ごし、昼下がりから夜のパーティに向け湯浴みやらヘアメイクやら……
まるで令嬢かのように容姿を整える状況に少し笑いが込み上げた。
先に支度の終わった父が部屋に入ってきて使用人達と共に僕の支度を手伝う。
男性はこんなに身支度に時間はかからないのだと言う事に酷く、自分自身に対しての呆れや絶望が身体中を駆け巡った。
濃紺のシンプルなスーツに身を包み、タイに金の装飾を施されたネクタイピンを付け、仕上げに紗英がいつも左薬指につけている指輪を自身も同じ場所につける。
金木犀が細かく彫刻された指輪は趣味で香水を調合していた紗英にピッタリの代物だった。
大事な指輪が落ちないようにと手袋も装着しやっとの思いで身支度が終わった。
そうこうするうちに既にパーティが開催される1時間前まで迫っていた。
昼過ぎから支度をしていたにも関わらず、だ。
複雑な感情を抱きながらも両親と馬車に乗り込みパーティが開催される領主様の邸宅へと馬車を走らせた。
◇◇◇
『まさか!お優しい御子息様に限ってそんな事!』
『社交界では仲睦まじいと有名でしたのよ?』
『であれば、それに嫉妬した誰かが犯行を?』
◇◇◇
既に招待されているであろう他の招待客も到着しており、開け放たれた豪奢なドアの隙間から中の賑わった様子が見て取れた。
煌びやかに飾り付けられた庭にも立食できるスペースが設けられており、談笑している人々がチラホラと居た。
「慶太様。お背中失礼いたしますね」
そう言われ背中に腕を回し右足を軸に支えられ、侍女に下に用意してあった車椅子に移動させられる。
あぁ、とても滑稽だ。一人で歩く事さえもままならない。
馬車から降りる僕の姿を遠巻きに見ていた人等の視線は、物珍しいものを見るかのようにこちらに向けられている。
「まぁ!三角大さん!お久しぶりですわね〜」
「ふふ。ご無沙汰ですわ」
「お世話になっております」
遠巻きから近くに寄ってきたのは両親の知り合いの貴族夫人。僕は特に関わり合いの無い相手なので完全な蚊帳の外である。
侍女たちは僕達と離れた場所に移動し待機する為、話し合う相手が居なくなる。
お腹に手をやると腹の虫が静かに鳴いているのが分かった。自分自身の身支度に時間がかかりすぎてしまったので少々小腹がすいてしまった。
折角久方ぶりに社交界に出たのだ。何もせずに帰ると言うのは忍びないので、一先ずは食事で空腹を満たそうと思い自らの車椅子を使い、庭にセッティングされている立食用のテーブルへと向かう。
並んでいるのは一口サイズの大きさに盛り付けられた食事やトングで盛り付ける様式の食事がブースごとに分けられていた。
机上に置かれた取り皿を手に取り、海鮮のカルパッチョと野菜のテリーヌ、鴨肉のコンフィをよそう。
ザワッ
周囲の喋り声が一層増す。
一際服装が煌びやかな御一行が近くを通り過ぎる。嗅ぎ慣れた甘い花のような香りが鼻腔をくすぐる。
ドンッ
「あっ、ごめんなさい。よそ見をしてぶつかってしまったわ」
「いえ、僕の方こそすみません」
やはり人の多いところでは視界に入りにくい僕は人の邪魔をするらしい。
ご婦人方のドレスを汚さない為にも人気が少ない所に場所を移し、少し遠目にパーティの明かりを見つめることにする。
「ようこそおいで下さいました」
開け放たれた屋敷の中から聞こえてきたのは領主である八重樫家当主本人の声だった。傍らにいたのはデビュタントを迎えた大和撫子と言う言葉がとても似合う美少女が佇んでいた。
先程一際煌めいていた御一行は領主一家だったようだ。恐らくあの人が例の御息女だろう。その更に後ろに控えていたのが八重樫家の上の御子息であろう。
(………末の御子息の姿が無いな)
長々とした社交辞令の挨拶を聴きながら野菜のテリーヌを一口含む。
「ん……美味しい……紗英にもこれ食べて欲しいな……」
流石八重樫家お抱えのシェフだな、と思う程に美味な食事に舌鼓を打ちながら紗英に思いを馳せる。
あわよくば紗英もこの夜会に参加していないだろうかと思い少し辺りを見回す。
紗英は確かブライトネイビー色に所々朱殷が混じったウェーブがかった髪をしており、散らばった髪はとても美しかった。
もしかしたら初めて会えるかもしれない。
◇◇◇
『社交界で有名だったお二人を手に掛ける?領主様の御子息だとご存知無かったのかしら……』
『それに確か、御子息様繋がりで御息女様同士とても仲が良かったとの事よ』
『ご友人とご家族を同時に亡くされてお可哀想に……』
『その事件の数時間後には近くでボヤ騒ぎもありましたもの』
『焼け跡には何やら人骨らしき物があったみたいね……』
◇◇◇
「誰かをお探しですか?」
ふと声をかけられ声のする方に視線を向けると、そこにはシャンパンが入ったグラスを持ち目の前に立つこの屋敷の唯一の御息女が目の前に居た。
どうやら紗英に思いを馳せている間に挨拶が終わっていたようだ。
確か名前は八重樫深咲。
「あ、深咲様本日はデビュタントおめでとうございます。このような姿で申し訳ないですが。」
「いえ。こちらこそご招待に答えてくださりありがとうございます。」
まとめられた濡羽色の髪に映えるように挿された何処かで見慣れた様な、橙色の小さな花が連なった簪を風に揺らす姿はまるで絵画の様。
食べかけの料理が乗った取り皿を膝の上に乗せたまま深く頭を下げる。
本当は立ち上がりちゃんとした誠意を現すのが一番なのだが、如何せん僕が立ち上がるには少々の時間を要するので失礼に当たるかもしれないが最上の礼儀を見せる。
それにしても何故このパーティの主役がこんな隅の方にわざわざ出向いて来たのだろうか。
ここは庭の隅という事もあり何も無い上、若干薄暗い。
何か嫌なことでもあり気分転換に人気の少ないここへ足を運んだ先に僕が居たのだろうか。
それはそれで何だか申し訳無い気分だ。
少しの沈黙に気まずさを感じ、何か話題をと考えている内にふと疑問に思った事を口に出す。
「失礼ながら、何故私は貴方のデビュタントパーティに招待されたのでしょう。」
僕は社交界に出ておらず、友人と呼べる人はもちろんのこと、知り合いすら居ないはず。
そんな横の繋がりが無い人物をわざわざ両親を経由して招待するとは。
◇◇◇
『それに、殺された娘さんはよく文通をしていたそうですわね』
『えぇ。よく近くの雑貨店でレターセットとインクを買っていたそうなの』
『そんなにも婚約者様と仲睦まじかったのにどうしてこんな……』
『心中と言う可能性もありません事?』
『だとしても御子息様が行方不明と言うのは可笑しな話ですわ』
◇◇◇
疑問を問うと御息女はまじまじと僕の瞳の中を覗き込む。
まるで僕の心を読み取ろうとしているかのような目付きに少し動揺した。
「それは、私が貴方に会ってみたかったからですよ」
帰ってきた答えは、予想外のものだった。
「僕に……ですか」
正真正銘今まで一度も出会ったことの無い相手であるはずなのに会いたかった。
逆に考えれば今まで見ていなかったからこそどんな奴なのか見てみたかったのかもしれない。
単純明快な理由のように思えて、やはり何かが引っかかる。
「僕は、噂になっていたのでしょうか……?」
「どうでしょう。社交界では噂になっているのかもしれませんが、私はそこで知ったわけではありません」
「では、何処で僕の事を?」
問いを返すと、口を噤んだ御息女は何処か遠くの一点を眺めながら手に持つシャンパンを一口、口に含んだ。
視線の先を目で追うと、談笑しているご婦人達の姿が目に入る。
「…………然る方の、…………手紙で。」
夜風が吹き荒れ、風に煽られた御息女がよろけ、その手に持っていたシャンパンをこちら側に散らした。
「あっ!失礼いたしました!お召し物を濡らしてしまいました……」
シャンパンで濡れた僕を見た御息女は慌てた表情で屈み、自らのハンカチでシミにならないようにと水滴を拭いだした。
手袋にもシミが広がり始め、焦った御息女が僕が身につけている両手の手袋を取り外す。
◇◇◇
『あの御一家は交友関係が広すぎて人物の特定は難しそうですわね……』
『ですけど、娘さんは真正面から傷付けられて亡くなられたのでしょう』
『そこから考えれば、御一家と面識があって且つ、お屋敷に招かれる程親しい人物に絞られるのでは?』
『仮にそうだとしても一つ意味が分からない事がありませんこと??』
『えぇ。』
『何故、娘さんの左手だけが切り落とされていたのか……』
◇◇◇
「…………っ!?っの………指………は…」
手袋を外した指に付けられた指輪を見た彼女は息をのみ瞠目する。
違和感があっただろうかと思い、少し不安感を覚える。
なにか、御息女に対し失礼な装いをしていたのかもしれない。
「? どうされまし……」
「この指輪を何故貴方が!?!」
「!?!?」
凄まじい剣幕で問いただされ、膝上に載せていた料理を皿ごと地面に落とす。
芝生に落ちた為、割れはしなかったが料理が辺りに散らばる。
指輪を付けている左腕をギチッと音が出そうな程に握られ、美しく整った御息女の表情が何とも言い表せないような表情に歪み、眼前に迫る。
「え、何故と、言われましても……」
更に腕を締めあげられる。
何故こんな状況になって居るのか、僕にもさっぱり分からない。
何故彼女がこんなにも怒っているのか。
何故彼女から問いただされないといけないのか。
心当たりがないことに関し、感情的にはなれなかったので至って冷静に答える。
「これは僕の大切な人から頂いた指輪です」
大切な。大切な。
「金木犀の彫刻がされた美しい指輪ですよね。」
好いてくれている彼女から。
「内側にも彼女の名前が掘られているんですよ。」
愛している、紗英から。
「この指輪と一緒で、僕とずっと文通をしてくれるとても優しく、美しい人なんですよ」
愛の証拠をくれた。
呼吸が乱れ始めた御息女の体はガクガクと全身が震え、屈んで立っていた筈が足から崩れ落ち僕の左腕を掴んだまま、その場にへたりこんだ。
何やら独り言を呟きながら俯き、フラフラと上半身を揺らし始めた。
「え、あの。ご気分が優れないのなら誰か人を……」
グサッ
簪で突き刺された腕から零れるのは赤い雫。
鮮血が目の中に映る。
パタパタと音を立て滴り落ちた赤色は自身のスーツに朱殷の様な染みを作っていく。
あぁ………まるで…これは………………
《紗英の髪の様だ》
「はっ、はぁっ、はぁっ!?」
息苦しさが全身を覆い尽くし、荒くなった呼吸が喉から吐き出される。
「貴方がっ!!!いや……貴様がっ!!!!!兄様と…………」
プツッ……………
「紗英をっ」
御息女は深く簪を慶太の左腕にねじ込む。
薄ら笑いを浮かべたのは、
「だって慶太の事を一番にしてくれなかったんだもの」
左腕に簪が突き刺さっているにも関わらず、苦痛に顔を歪めもしない狂気的な一人の男だった。
◇◇◇
『あ、そういえば、娘さんと文通をしていたのは婚約者様以外にもいらした筈……』
『あの奥様同士が仲の良かったご家庭です事?』
『ご病気の御子息がいらっしゃるお家でしたわね。』
『まともに歩けもしないそうよ。お可哀想に……』
『名前は確か………三角大慶太様』
ザワッ
『ねぇ、美咲様の簪、とっても美しくなくって??』
『本当!それにとても馨しい香りも纏われて……香りと簪はお揃いの金木犀ですわね』
ドンッ
『あっ、ごめんなさい。よそ見をしてぶつかってしまったわ』
『いえ、僕の方こそすみません』
『あら?さっきの方ってもしかして……』
◇◇◇
少し物語が察してくれ〜って感じの傾向が強い展開かな思いつつ……
真相を全て明かしてはホラーが薄れると思った結果の物語です……
内容は結構ガッツリプロットを構築したつもりですが、深い内容は読者様のご想像にお任せいたします( ˘ω˘ )




