彼の夜の調べ
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いつのまにか欲張りになった
押し返す重力と肉体の均衡を思い出す
なんだかとても冴えているんだ
冴えているのだけど
肌を滑る指先から心臓まで
焦がす熱は炎じゃなくて
君とのそれは優しすぎて
声が、笑みが、触れる肌が
私の涙腺を可笑しくする
声の震えも、表情も、体の強張りも
なんでも無い風に取り繕うのは慣れていた
傷口が塞がってしまいそうだった
何処にも行けなくなってしまいそうだった
鋏を首に突き刺した
薄く斜線の入った刃を縦にして
脈打つ生命線の上にある皮膚に押し込んだ
切れ味が悪いって分かっていたのに
どうして私は鋏を選ぶんだろう
どうして君は起きてしまうんだろう
どうして
もう私は死ぬこともままならなくなったのか
死ねるうちに死んでおけばよかった
不規則な心拍と冷え切った末端
首筋に垂れる血とミミズ腫れ
少し黙って、抑えた低い声で君は駄目と言った
すぐに煙草に手を伸ばして隠してた
私と一緒だ
本当に似てるよ、私と
現実を生きられない私は翼を落とせない
空を諦めたら楽になったと言う君は
本当にそう思っているの
「本当に居なくなる時は黙って消えそうだ」
君ならどうするのと聞いたら、同じだと言う
放浪猫と野犬だ
少しの苦さと温もりを感じた
ああそうだね
そうなんだよね
君も私も、崩壊した星の貉
安心して、温くなって、君に抱かれて寝た
地縛霊と妖精は別物なのに
どうしてだろうね
私は君を痛めつけてばかりだね
人生もう一度くらい
本気で飛んでみたって良いと思ったんだ
だから、今のところ言葉だけだけど
それでも欠片も諦めていないんだ
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