中学二年生の私と連絡先交換
なかなか会えない時期を過ごしているうちに私は中学二年生になり、スマホを買ってもらった。
颯太兄ちゃんに連絡先を聞こうと心に決める。
どうやって聞こうかと何度も頭の中で考える。
ドキドキしながら道場に通うけれど、そういう時に限って颯太兄ちゃんはなかなか来ない。
貴重なチャンスを逃してはならない、と思い道場へ行く日はスマホを忘れずに持ったか何度も確認した。
そしてついに、その日はきた。
「颯太、よくきたな」
師範が声をかける。
「お久しぶりです」
久しぶりに見る颯太兄ちゃんは、凛としていて大人っぽくなっていて私はドキッとする。
かっこよくなってる。
颯太兄ちゃんの周りに人が集まっていく。
みんな楽しそうに話をしている。
周りを笑顔にできるところも私は大好きだ。
道場にいる間は常に隣に誰かがいるので連絡先を聞くタイミングがつかめないけれど、楽しそうにしゃべっている颯太兄ちゃんを見ているだけでも心が温かくなる。
「春華」
颯太兄ちゃんは相変わらず私を見つけると声をかけてくれるのがうれしい。
「颯太兄ちゃん!」
私は嬉しくって駆け寄る。会えたことがうれしくて、名前を呼んでもらえたことがうれしくて、話しかけてくれたことがうれしくて、単純な私はそれだけで満たされてしまう。
「春華は本当に颯太が好きだな」
師範が少しからかうように言うが、私はそんなことは気にならないほどに幸せだった。
「うん、大好き」
自然と言葉に出てしまう。
颯太兄ちゃんは、ハハハと笑って頭をなでてくれる。
この時の私は、颯太兄ちゃんが自分を恋愛対象としてみていないことにうすうす気づいていた。
私が好きだと言っても、動揺もしないしただ穏やかに笑うだけだから。
今はそれでもかまわない。
かまわないから、せめてもう少しだけ、この時間が続いてほしいと願う。
うまくきっかけがつかめないまま、連絡先を聞けずに稽古が終了してしまう。
「春華、帰ろうか」
途中から稽古に参加していた父が私に声をかける。
結局連絡先、聞けなかったな。
でも会えただけでうれしかったから、また次の機会に聞こうと決めて帰ろうとすると、父の携帯が鳴る。
「分かった、すぐ行く」とだけ言って父は電話を切る。
「悪い、春華、行かなきゃいけなくなった。送迎はお母さんに頼むから」
そう言いかけたとき、颯太兄ちゃんが父に声をかける。
「俺、送りますよ。車できているので」
「そうか、悪いな、颯太、頼む」
そういって父は急いで仕事に向かう。
父は家にいてもしょっちゅう呼び出しの電話が鳴るので、それをさみしいと思ったこともあったが、この時ばかりは仕事に感謝した。
「帰るか、春華」
「うん!」
一緒に帰るなんて初めてだ。
とてもうれしい気持ちになる。
颯太兄ちゃんの車の助手席に乗ると、なんだか心がくすぐったい。
「シートベルトした?」
颯太兄ちゃんが私の方を見て確認する。
「うん、したよ」
「じゃあ、行こうか」
運転をしている颯太兄ちゃんはとても大人っぽくて、かっこいいよくてつい見つめてしまいそうになる。
なるべく前を見るようにしていたが、時々ばれないように横目で見る。
運転もとても丁寧で、少しも揺れることなく静かに止まり、いつ走り出したかも分からないくらい穏やかに発進する。
すごく居心地が良くて私は安心感と、ドキドキする気持ちの両方を感じていた。
車内ではいろんなことを話した。仕事の話とか、道場に来ている人の話とか、私の中学校の部活の話とか、何を話していても、どんな話を聞いてもすべてが楽しい。
そんな相手は颯太兄ちゃんしかいない。
優しい声も、短くて清潔感のある髪型も、きれいな形の目もすべてが私をドキドキさせる。
「着いたよ」
家の前で車を止めてくれる。
楽しい時間はあっという間に過ぎるものなのだと実感する。
急に寂しさが襲ってくるが、今はそれどころでないと気持ちを切り替える。
これは、チャンスなのだ。
私はスマホを握りしめ、勇気を出して声をかける。
「あのね、私スマホ買ってもらったんだ。もしよかったら、連絡先交換したい」
楽しい空気の流れに任せてドキドキしながら聞いてみる。
「いいよ。交換しようか」
颯太兄ちゃんは自分のスマホを取り出して私と連絡先を交換してくれる。
私の友達の欄に”結城 颯太”の名前が加わった瞬間、私は顔が緩んで笑顔になってしまう。
「ありがとう」
颯太兄ちゃんはいつものように笑顔で頭をポンポンっとなでてくれる。
私は車を降りて手を振ると、笑顔で振り返してくれる。
今日は本当になんていい日なのだろう。
颯太兄ちゃんの助手席に乗せてもらえて、連絡先も交換できて。
「おかえり、なんだかうれしそうね」
お母さんが言うと私はうれしい気持ちが抑えきれずに話す。
「颯太兄ちゃんが車で送ってくれたの。それでね、連絡先も交換したの」
「そう、良かったわね。春華は本当に颯太君が好きね」
「うん」
「でもね、颯太君はお仕事してるから、あまり頻繁に連絡して迷惑かけちゃだめよ?」
母はゆっくり諭すように言う。
「うん。私ももう中学生だからわかってる。気を付けるから大丈夫」
いつか、今の自分がそうであるように、颯太兄ちゃんをドキドキさせられるような、大人の女性になって、恋人になりたい、とその時の私は思っていた。
私がもっと大きくなればきっとそういう対象で見てくれる、そう信じるしかなかった。
“今日は送ってくれてありがとう”
と送る。
“どういたしまして。また、道場でな”
と返事が来る。《また、》と言う言葉がたまらなくうれしくなる。
私はその後も何度も颯太兄ちゃんとのやり取りを開いては眺めた。
短いやり取りだったけれど、私の心をドキドキさせるには十分すぎるものだった。