短編1
このようなものを書きました。そのまま掲載します。
今や新宿といえば、新宿副都心の超高層ビル群が立ち並ぶ、日本国内でも有数の大都会。
その真ん中にそびえ立つのが、東京都庁。まさに新宿は今、『東京都知事のおひざもと』などと呼ばれる。
しかし、ほんの150年ほど前の新宿は、今の時代の姿からは想像もつかないような、
雑木林が生い茂り、また、何もない原っぱ、農村の風景が広がり、
また、キツネやタヌキ、シカ、イノシシ、さらには河童やカワウソまでいたような所だったと伝えられる。
現在の歌舞伎町あたりに、かつて尾張藩の江戸藩邸があったと伝えられている。
江戸時代には、「内藤新宿」という呼び名で知られ、宿場として栄えていたと伝えられる。
しかし、やがて江戸幕府が倒れ、明治政府の治世になると、江戸藩邸などもやがて、住む者もいなくなり、荒廃していったという。
時はそんな、明治初期…。
約260年続いた徳川幕府がついに倒れ、明治政府によって『五箇条の御誓文』が発令された頃の時代。
しかしながら、それでこの先の約150年に渡る、近現代の歴史が順風満帆にいくのか、ということは実は誰もそんなことは思っていなかったという。
むしろ、新たな動乱と、混迷の時代を迎えたと思われていた。
『明るく治まる』という縁起をかついで制定された『明治』だが、一方で『治まるめい【明】』といわれ、揶揄する意見もあったという。
四民平等によって、それまで武士だけの特権だった名字を名乗ることが、平民にも許されることになり、大名や公家などは華族、旗本や藩士などの武士は、士族となり、一般庶民は平民と呼ばれるようになった。
「武士は士族か…。名字は平民でも名乗れるようになったのか…。」
と語っていたのは、元々食いづめ浪人の身分だった、八坂平四郎という者であった。
八坂平四郎は戊辰戦争では敗れた旧幕府側についていた。
一方で、果たし合いの相手となる、日下慎之介は、やはり戊辰戦争を戦い、こちらは薩長軍の一員として戦った、元長州藩士。
そんな2人が、何の理由があったのか、明治初期の新宿にて、果たし合いをすることになった。
果たしてこの果たし合い、どのような結果になったのか…。
廃刀令が施行され、これをもっていよいよ武士から刀を取り上げ、旧武士階級の士族たちが全ての特権を失うことになる、その前の、最後の果たし合いだった…。
ここは新宿の原っぱ。2人の元侍が、刀をぬき、そして刀を交える。
カキン!キン!ヒュッ!シュッ!
「てええい!」
「てやあっ!」
ヒュッ!シュババッ!
ザシッ!バシッ!
そして、2人同時に倒れ込む。これは果たして、相討ちだったのか…。
「はあ…。」
「はあ…。」
そして、これも2人同時にため息をついた…。