【09】まだ子供
「……どうしましょう」
はぁ、とカリスタは溜息をついた。
ニールとの婚約解消後、ブラックムーンストーン子爵家は祖父ボニファーツに代わって父デニスが当主の座についた。今すぐという訳ではないものの、以前よりもカリスタが跡を継ぐのが明確になってきたという事だ。
貴族学院は卒業している。もう、いつ結婚をしてもおかしくはない。早いものは卒業と同時に次々に結婚していくので、同世代の男性は殆ど売り切れてしまったと言っていいだろう。
「もっと関わりを広く持っておけばよかったかしら……」
カリスタは貴族学院在学中、将来的に家を継ぐ者として、それに沿ったカリキュラムを取っていた。同じカリキュラムを取っていた者の多くが、カリスタ同様家を継ぐ立場の人間だ。婚約者がいたため節度を持った適度な距離感での関係しか築いていないのだが、故に図々しく彼らに結婚相手の当てを尋ねる事など出来ない。
ならば両親が持ってきてくれればと思うのだけれど、父も母も「暫くは独り身で良いだろう」と声をそろえるのだ。愛していた訳ではないとはいえ、婚約者を失ったばかりのカリスタに気を遣っているのもかもしれないが、全く良くない! とカリスタは思う。
このままでは最悪、行き遅れてしまうかもしれない。いやカリスタは嫁がないのだが。売れ残りの方が良いか。
子供を産み育てる事も考えれば、結婚は出来る限り早い方が良い。さらに父が現役当主として腕を振るっている間に、子供を産んでしまいたい。当主の仕事と並行して妊娠出産する事になれば、大変だろうというのは想像に難くない。
「呑気な事を言っていては駄目なのよ!」
ブラックムーンストーン子爵家の雰囲気はガラリと変わった。祖父の代から勤めていた使用人は全てではないものの祖父母とヘレンの引っ越し先に付いて行っている。それに伴い新しい使用人を入れたり、彼らに仕事を教えたりと屋敷全体が慌ただしい。
「…………やっぱり、無難さを考えるなら同名親族からかしら」
ジュラエル王国における貴族の家名は、とかく同名が多い。
古くから成人した男子は独立してこそ一人前の風潮があり、成人してある程度働いた男児は生家の分家を設立するためだ。大概は生家より下の爵位、或いは同等の爵位を得て分家を設立する。
分家本家の考え方も他国と違う。カリスタの家には下に一つ分家があるが、その家から見れば本家はカリスタたちにあたる。しかしカリスタもまた彼らにとっての本家であると同時に、上に本家を持つ分家でもある。祖父母、親、子、孫、ひ孫と血脈が連なるように、家そのものも繋がっているのだ。子供にとっての祖父母は、親にとっては自分の親である形に近い。
家同士の距離感は、一族・一門毎に違うだろう。すべての大本である総本家の力の強さの差もあるし、領地持ち貴族家の数や、普段暮らしている土地が近いかどうかなども違いがある。
ブラックムーンストーン一族は、やや離れた距離感を保っている一族に分類されるとカリスタは考える。ブラックムーンストーン一族は元はムーンストーン伯爵家から別れ出た分家であるが、あまりムーンストーン一族とは距離が近くない。
そしてブラックムーンストーン同士も、困った事があったり代替わりには多少口を出したり顔を出したりするものの、普段からベタベタとなれ合う事はあまりなく過ごしてきている。ツァボライト一族がどちらかというと本家分家が密に関わっている家だったらしいので、それと比べても関係はよく言えばさっぱり、悪く言えば希薄な一族だ。
ともかく、カリスタには頼ろうと思えば頼れる本家も、本家の本家も、本家の本家の本家もあるのである。カリスタ自身の伝手が弱いのであれば、そちらの伝手を頼ろう。カリスタはそう決意すると共に、その日の夕食の席ですぐさまその事を両親に提案した。デニスもフィーネも、娘からの提案に何度も目を瞬かせて、それから不思議そうな、或いは困ったような顔で各々カリスタを見つめた。
「カリスタ。この前も言ったがそれほど急いで婚約者を見つける必要はないんだよ。まずは次期子爵となったのだから、私の仕事を手伝い、当主としての仕事を覚える所からしていけば……」
「お父様。それで私が売れ残りになったらどうしてくれますの?」
「う、うれ?」
娘の言葉遣いにデニスがギョッと目をむく。カリスタは眉間に眉を寄せ、父を胡乱な目で見た。
「お父様。私はもう十六です。とうにデビュタントを済ませ、成人も迎えております。今が一番売れるタイミングなのです。確かに私の夫になれば、子爵家の当主の夫となれる旨みはありますが、我が家は領地持ちではないという弱点もあります。年齢は、若さは大事な利点です! これは年々減っていくものなのですよ。今が一番売り込み時です!」
「ま、待ちなさい、待ちなさいカリスタ。自分をそんな物のように言うなんて良くないぞ」
「結婚相手を探すときはそのようなものでしょう、お父様。……私、婚約者がいるので関係ないとは思っておりましたが、学院では婚約者のいない令嬢たちはどの令息が狙い目だとか話しますし、逆に令息たちはどのような令嬢なら妻に出来るかとか話します。それを聞いていなかった訳ではありませんわ。…………勿論、お父様たちが私の婚約者をいつ頃までに探してみようなどと考えてくださるのなら私もこのように意見を申し上げたりしませんでしたが、あまり真剣に考えては下さっていないようでしたので、恐れ多くも私の意思を伝えさせていただきました」
「…………カリスタ。よく聞きなさい。確かに婚約、結婚では、何を持っているという事は気にされる。それは勿論だ。お前が言う自分の価値も、間違っている訳ではないだろう。…………だが、私は何も娘可愛さだけでお前に新しい婚約者を見つけてこない訳ではないのだよ。私たちはつい先日、相手側の有責で婚約を解消した。この件でお前が悪い訳ではない。それでも、世間はそう思うとは限らないし、あれこれ囁く者もいる。婚約を解消して焦っているからと、こちらの足元を見るような契約を持ち込んでくる所もあるぐらいだ。だからこそ、今は大人しく、静かにしているべきなんだ」
父の言う事は、理解出来る。貴族の当主としてそういう判断をしたのだと説明されれば、そうかと頷きたくもなった。
それでもカリスタは早く婚約者を決めたかった。彼女なりに考えた家族計画もあったし、自分に非が無い事をアピールするためにも、次の相手を早く得るのも悪くないのではと思うのだ。
手元のカトラリーを見つめたまま、自分の考えを何という言葉で伝えれば父が理解を示してくれるのか、カリスタは考え込んだ。
黙ったものの明らかに納得した様子のない娘にどうしたものかとデニスは息をつく。出来る限り言葉は尽くしたつもりだ。それで納得しないのでは、どう説得したものか。
食卓に何とも言えない空気が流れたが、その空気を換えたのはデニスでもカリスタでもなく、それまで静かに夫と娘の言い分を聞いていた、フィーネだった。
「カリスタ」
娘の名前を呼ぶ声は柔らかい。カリスタは顔を上げて、素直にはいと返事をする。
「思えば、カリスタの婚約は、随分早くに決まったわね」
カリスタの婚約が決まったのはデビュタントよりずっと前。まだ八歳になるかならないかの頃だった。多少早めでもあるけれど、家を継ぐ立場の子供であればそれぐらいの年齢から婚約者が決まるのは皆無という訳でもない。
「八歳からずっと、貴女には婚約者がいたわ。私たち大人が押し付けたものでも、義務的なものでも、貴女はツァボライト卿と結婚する事を考えていたでしょう。…………それが無くなって、初めて婚約者のいない状態になって、不安になってしまったのでない?」
カリスタは母を見つめた。母は穏やかに、窺うようにカリスタの事を見つめている。
「経験していない事には不安を感じるものだわ。自分が望んだものでないとしても、貴女にとって婚約者という立場は埋まっているものだった。空白になった事がなかった。それで、不安を感じて、焦っているという事はない?」
…………すこんと、カリスタは心の中にあった焦燥感が理解できた。
「わた、し…………」
ずっと、貴族学院を卒業し、十六を迎えたなら結婚すると言われてきた。それを前提で自分の未来について思いを馳せて、こうしよう、ああしようと考え続けてきた。
ニールに対して異性愛はなかったけれど、彼はこういう事が得意だからこういう仕事を任せようだとか、今は通いで会いに来るだけだけれど一緒に暮らしたらうまく過ごせるだろうかとか、考えていたのだ。
それだけに集中して考えていた訳ではない。それでも長い年月と共に自分の中で築き上げていた物が、婚約解消によって全て消え失せた。その事に自分は狼狽えていたのだと、カリスタは今自覚した。
「……わたし……ずっと考えていたのです」
カリスタはそっと目をつむる。
「私は当主になりますが、同時に、次代を産まねばならない立場です。子供を産むという事は一大事で、その時は家族を頼るしかありませんわ。だから……おじい様やお父様がお元気なうちに、早くに子供を産んで育てたいと。勿論子供は神からの贈り物ですから思う通りに行くとは思っておりませんが、それでも、まだお父様もお母様も……元気なうちに子を産んで、育てて、それから当主の仕事も覚えたいと考えていました。……勿論全部が全部思った通りになるなんて思っていませんけれど……」
「ああ」
「それから……ニ、……ツァボライト卿はどんな仕事を任せられるだろうかとか。折角かの方と縁付くのですから、ツァボライト卿のご実家とより積極的に手を組んで活動する事もありかもしれないと思っておりました。具体的に商売をするという訳ではありませんけれど、王宮で働く以外にも道を作れるようになれたらと。……子供の空論ではありますが……ずっとずっと、考え、て、いたのです。結婚、した後、の事、わたし、かんがえて、いたのですっ……!」
カリスタは下唇をかみしめて、うつむく。彼女の顔の真下のテーブルクロスに、水が染み込んでいく。
デニスとフィーネは立ち上がり、そっとカリスタを左右から抱きしめた。
「へ、ヘレンの事、も、どうしようかとか、無事に、どこかに嫁げるだろうか、とか、うまく、外でうまくやっていけるだろうかとか、しんぱいで……」
「カリスタ……」
「わたしは、当主になる、から、りっぱに、しなくちゃって、ちゃんと、考えなくちゃって…………!」
「お前は偉い」
デニスは娘の頭を掻き抱いた。
「私たちの期待に応えようとずっと努力をし続けてくれた。……私とフィーネの自慢の娘だ」
淑女としては許されないような嗚咽を上げて、カリスタは泣いた。左右から自分を抱きしめる父母の腕に縋りついて、全てを流し落とすように泣き続けた。
婚約解消の騒ぎの前後でカリスタが泣いたのは、この時だけであった。
貴族家についての補足。
(とてつもなくややこしいです。記載しておりますが、この物語に直接的なかかわりがない家についても記してありますので、フレーバー程度の理解で問題ありません)
コメントをいただきましたので、どうして爵位の上下と本家分家の関係が以下の順番になっているかの補足で、「領地の有無」及び「世襲可能か」について追記、記載しています。
このお話における貴族の家の関係が、図とかじゃないと分かりにくいと思ったので……少しでも理解しやすくなればと記しておきます。
基本的に『本家』と『分家』の上下関係が変わる事はありません。親子の上下が入れ替わる事がないような形です。
ただし、『本家』が取り潰しするような問題が起きた場合に、『分家』が繰り上がる事はあります。
またこの国における貴族関係の上下の判定には、大雑把には「領地有 > 無」「世襲可能 > 不可能」の二つの軸が関わってきます。
家の持つ力の大きさにつきましては、領地の大きさや領地からの収入など様々な要素が関わってくるので、上の二点だけで判別は出来ず、ケースバイケースになります。
カリスタ視点から見た、直系の一族
ムーンストーン伯爵家【総本家の本家】(領地持ち&世襲可能)
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ブラックムーンストーン子爵家【総本家】(領地持ち&世襲可能)
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ブラックムーンストーン男爵家【本家】(領地持ち&世襲可能)
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ブラックムーンストーン子爵家【カリスタの家。当初は男爵であったが、途中で陞爵され子爵位に】(領地なし&世襲可能)
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ブラックムーンストーン男爵家【分家】(領地なし&世襲不可能)
ニール視点から見た、直系の一族
ガーネット伯爵家【総本家】(領地あり&世襲可能)
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ツァボライト子爵家【本家】(領地あり&世襲可能)
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ツァボライト男爵家【ニールの家】(領地あり&世襲可能)