【06】どうせ失望
ブラックムーンストーン子爵邸の小さなサロンに、この屋敷で暮らす四人の大人が集まっていた。正確には口の堅い使用人も数人いるが。
ブラックムーンストーン子爵家現当主ボニファーツ・ブラックムーンストーン。
その妻である、同子爵家当主夫人コローナ・ブラックムーンストーン。
ボニファーツの嫡男であり次期子爵家当主であるデニス・ブラックムーンストーン。
デニスの妻である、フィーネ・ブラックムーンストーン。
現在と未来の子爵夫妻二組がそろって話し合う事は、当然ながら本日の昼間に起こった婚約解消から発する問題に対する対処についてである。
「まず、父さんたちがヘレンとの対話に時間がかかっている間に、ツァボライト子爵家には通達を出しています」
「勝手な事を…………」
「父さんたちがヘレンとの話し合いを終えるのをギリギリまで待っていましたが? 出てこられる気配がなかったので、致し方なく私が代理で送りました。確かに私は当主の補佐という立場ですが、何よりもカリスタの父ですので」
唸るボニファーツに、デニスは感情の分からぬ声で淡々と返事をする。
そんな男たちの横で、女たちの態度もまた違った。コローナは周りもよく見えていないとばかりに頭を抱える。フィーネはデニスの横にそっと寄り添い、夫を信頼の輝く瞳で見上げていた。
「手紙を届けた者曰く、子爵家も寝耳に水という風だったと。その後、恐らくニール殿を探しにいったのだろう使用人たちの姿が見えましたから、もしかしたら彼はまだ屋敷に帰っていないかもしれませんね。ですので彼から直接話が聞けるのは、まだ先の事になりそうです。それで父さん、母さん、ヘレンから話は聞けたのでしょう? 何せあれほど長い時間をかけたのだ。仔細にわたって聞き出した事でしょう。ヘレンはなんと?」
まっすぐに父親を見るデニスに対して、ボニファーツは息子と目を合わせない。頭を垂れ、両膝に両肘を置いて、組んだ手を力なく垂れ下げている。暫くの間デニスは無言で父の返事を待っていたが、父が動きそうにないので母親コローナの方に視線をやった。
「母さん。貴女もヘレンからの聞き取りに同席していた。なんと?」
「…………ぁ…………あぁ…………」
コローナは息子に問われ、虚ろな目で体を震わせて、それからボニファーツのように頭を垂れ下げる。デニスは大袈裟に溜息を一つ吐き、両親の視線をこちらに向けるため、中指で木製のひじ掛けをたたいた。
「早くお話しください。私もフィーネも、大事な一人娘を他人に馬鹿にされて、極めて不愉快な気分でいます」
「他人ではないわっ! ヘレンは家族でしょう!? わたくしたちの孫で、貴方のむす――」
「私の娘はカリスタ一人だ!」
甲高い声で不服を申すコローナに、倍の声を上げながらデニスはひじ掛けに拳を振り下ろした。コローナは「ひっ」と小さく悲鳴を上げた。デニスは物申す時はしっかりと発言する息子だったが、あからさまに声を荒げて怒鳴るような事は一度としてなかった。ボニファーツも息子の声に、少し驚いたように顔を上げた。唖然とした顔のコローナを、デニスは睨みつける。
「この際言っておきますが私はヘレンの事を娘などと思っておりませんよ」
コローナはへなへなと力が抜け、ソファに沈み込んだ。
「それで。ヘレンはなんと?」
デニスが苛立ったように親を問いただす。ボニファーツは観念したように、口にした。
「ヘレンは……ヘレンはまともに話が通じなかった」
「今に始まった事ではないでしょう」
言い訳染みた父の言葉をデニスは無機質な声でばっさりと切り捨てた。ボニファーツは唇をかみしめる。コローナは両手で顔を覆った。
「ヘレンはニールと交友関係を、以前から持っていたらしい……確かにあの子がデビュタントをすませた時、ニールと一度ダンスを踊っているのは見た事があったが、婚約者の妹だからと面倒を見ているものだと……。…………二人はそのうち想い合うようになったのだと、ヘレンは言っていた。そしてニールが、婚約者の交換を提案したのだと…………」
「ほう、言い出したのはニールの方ですか。…………あの男、どうやら自分の立場が分かっていないようだ。それで? ヘレンはその提案をどう受け止めていたんです?」
デニスはそう問いかけながらも、父母の様子からまっとうな返事ではなかったのだろうとは察していた。
「素敵な提案だろう、と…………ニールが……ニールがヘレンを好きなのだから、カリスタとの婚約をなくしてヘレンとニールが結婚し子爵家を継ぐのが良いだろうと、ニールが当主になってヘレンの代わりに仕事をしてくれると…………あの子は、あの子はそう言っていた……」
「まあ…………! 確かに、素敵な提案ですわね」
ずっと黙っていたフィーネは、耐えきれぬとばかりに呟いた。褒めている訳ではなく、完全な厭味だ。
いつもならばボニファーツも文句の一つや二つ、言っていた。古い価値観を持つボニファーツに言わせれば、女は男がいない間に家を守るものであり、当主の権限にかかわるような物事を判断してあれこれ口に出すことは有り得ないという訳だ。
けれどヘレンの言葉が貴族としてあまりに理解出来ないもので、フィーネの言葉を否定する事は出来なかった。
「まさか、それを肯定などしていませんよね」
「まさか! だが、だがヘレンは…………」
ボニファーツはデニスの言葉を即否定したが、そのあとが煮え切らない。デニスが両親を睨むと、コローナはぽろぽろと泣き出してしまった。それを慰める人はいない。息子デニスも、嫁フィーネも、コローナにまともに視線も向けない。向けたとしてもそれは冷めた目だ。頼りの夫も、コローナ同様気落ちしており慰めは期待できない。コローナは絶望し、肩を震わせて泣き続けた。
デニスはそんな母親に目も向けず、淡々と問う。
「ヘレンは、何です」
長い沈黙の後、ボニファーツはやっと口を開いた。先ほどから、こんなやり取りばかりである。
「……………………私たちが、それを喜んで、受け入れると考えていた、ようだ…………。私やコローナがどうしてそんな事を受け入れたと言ったら、何故私たちがヘレンの味方をしないのかと、不思議そうな顔を…………何度言い聞かせても、全く理解しようとしなかった! この家をヘレンは継ぐ事が出来ないのだと何度説明しても……挙句の果てに、あの子は……!」
「“おじい様たちも、大好きなヘレンが家を継いだ方が嬉しいでしょう?”」
「!」
「な、何故……」
ボニファーツはギョッとフィーネを見た。コローナも涙を流しながら息子の嫁を見る。二人の態度を見て、フィーネは小さく息をつく。
「あの娘の言いそうな事ですわ」
「ああ、言うだろうな、あの娘なら」
息子夫婦が何も疑問を持たず頷き合っているのを見て、ボニファーツは愕然とした。
ボニファーツやコローナにとって、ヘレンがこのように言い、話が成り立たないのも、何故そうなってしまうのか理解できず、驚いていた。話の成り立たないヘレンと長時間話し合った事で疲労してもいた。
しかしデニスとフィーネは、ヘレンとは最初からまともに話が出来ないと思っており、かつ、ヘレンの言葉を一言一句言い当てている。そしてそれに違和感も疑問も感じていない。そうだろうなと納得している。
「私たちは…………間違っていたのか?」
ぽつりとつぶやいた言葉を確かに拾ったデニスは、心底呆れた目を父親に向けた。
「今更?」
デニスはこれ以上両親とはまともな会話は出来ないと判断し、今のところは切り上げる事にした。
「これ以上は二人ともお疲れのようだ。今日のところは休んでください。けれど父さん、明日の朝一にはしかと話が出来るように回復してくださいね。ツァボライト子爵とは罪の擦り付け合いになるでしょうから」
「つ、み」
「何を呆けているんです。当たり前でしょう。ニールの浮気相手が何の関係もない女なら一方的にあちらが悪いが、相手がヘレンとなれば、ツァボライト側としては少しでも自分たちの立場を悪くしないために、ヘレンが先に言い寄ったのだと言うでしょう」
「あの子がそんな事するわけないわっ」
反射的なのか、コローナが泣きながら叫ぶ。デニスはそちらには一瞬視線だけ向け、顔色が蒼くなっている父を見た。
「真実などどうでもいいんですよ。そういう風に世間に思わせられればいい。どちらが先に言い寄ったとしても、どちらがお家乗っ取りを企てたとしても、後から何とでも言えますからね」
デニスは立ち上がり、フィーネに手を差し出す。その手を取ってフィーネも立ち上がった。
「先に言っておきますが、私もフィーネもカリスタの味方はしますが、ヘレンの味方はしません。二人がまだヘレンの味方をするというのなら、相応の責任は取っていただきますので」
デニスとフィーネは部屋から出て行った。息子夫婦がいなくなった部屋で、コローナがおうおう泣く声だけが暫くの間、ただ響き渡っていた。
親・祖父母の名前を出すか迷ってたんですが、このまま父母祖父母だけで乗り切ろうとすると読みにくいかなぁ……? と思い、出しました。