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【05】幼少期の記憶

 貴族学院から戻ってきたヘレンはそうそうに祖父母のいる部屋に連れていかれた。彼らの会話が気にならない訳ではないが、カリスタは近づかなかった。カリスタにはこの十六年間の積み重ねがあり、その経験上、ヘレンはカリスタや父母に問い詰められると、誤魔化したり嘘をつく確率が上がる。彼女にとってはカリスタたちは敵なのだろう。だからこそ、自分を守るために意図的にしろ無意識にしろ、本当の事を話さなくなる。

 では祖父母には違うのか? そう、違う。

 祖父母はいつも、ヘレンの味方だった。ヘレンは自分が祖父母に愛されている自覚と自信があり、二人は何があろうと変わらない自分の味方だと確信している。だからこそ彼らに対しては殆ど嘘も吐かない。


「流石にこの事態だもの。……おじい様たちも、ヘレンの味方はしないと…………思いたいわね」


 カリスタは独りごちた。

 ただ正直、あまり期待はしていないのだ。カリスタにとって祖父母というのは、昔からヘレンばかりを贔屓する人たちだった。カリスタには「これぐらい、家を継ぐ者として当然だ」と言葉を吐きながら、ヘレンの事は甘やかす……。勿論、カリスタとヘレンとで対応が変わるのは、当然でもあろう。祖父母の言う通り、カリスタは父の次にブラックムーンストーン子爵家を背負う者。一方でヘレンはそんな苦労や権力とは無縁の存在。立場が違うのだから、接し方が違うのは仕方ない。


 そんな風に納得が出来るようになったのは、ある程度年齢を重ねてからだった。

 幼い頃は祖父母の事を…………恨んだりもした。



 ■



 カリスタもヘレンも、どちらも生まれた時からブラックムーンストーン子爵家で育てられた。

 幼い頃の関係は良好だったと言えよう。カリスタは生まれたばかりのヘレンを実の妹のように可愛がっていたし、ヘレンもカリスタを姉のように慕っていたと思う。


 しかし成長の過程で、ヘレンに一つの不幸が起こってから……二人の関係は少しずつおかしくなっていった。


 確かにヘレンの身に起こった事は可哀想な事で間違いない。両親とて、その出来事が起こった直後はヘレンを哀れんだし、今も何も彼女を追い出そうと考えている訳ではないだろう。

 ただ、それ以上に祖父母がヘレンの事を甘やかし始めた。それはもう、度が過ぎるほどに。

 あれが欲しいこれが欲しい。そう強請られるままに与えていたのにも両親は苦言を呈していたが、後々の事を思えばまだその頃はよかった。ヘレンは自分が欲しいものを祖父母から買ってもらい、満足していたからだ。


「おじいさま、わたし、カリスタおねえさまのドレスがほしいの」


 始まりはカリスタが祖父母から贈られたドレスを、ヘレンが欲しがった事だった。


 こういう事は実の兄弟姉妹間でも友人間でもよくある事だろう。自分が手に入れた物よりも、相手が手に入れた物の方がよく見える。どこかの国では隣の芝生は青く見えると言うらしい。

 子供がこのような事を言い出した時の対応に、一概に正しいと言えるものはないだろうが、それでもその場に居合わせたカリスタの祖父母の対応は良くないと言えるものだった。

 祖父はヘレンの頭を撫でながらこう言った。


「そうかそうか。カリスタ、そのドレスはヘレンにあげなさい」

「えっ……?」


 このドレスはつい数分前に、祖父母がカリスタへと贈ってくれたものである。カリスタも一目見て気に入る可愛らしい水色のドレスで、来月に親しい親族のみ集まるパーティに着ていくのだと母に話しているのを、祖父母も見て聞いていた筈だ。それにも関わらず譲れと言われて、カリスタは固まってしまった。

 そんなカリスタの反応もまともに見ていないのか、祖母まで口にする。祖母はヘレンの背中にそっと手をやり、カリスタの方へと促した。


「ほらヘレン、カリスタお姉ちゃんから貰ってきなさい」

「うん!」


 固まってしまっているカリスタの傍にヘレンがやってくる。そして貰うねとかありがとうとかの言葉もなしに、カリスタの手からドレスを奪おうとした。カリスタにできたのは咄嗟にドレスに力を込めて、ヘレンに奪われないように抵抗する事だけだ。

 ヘレンは貰って良いと言われたのにカリスタがドレスをくれず、その場でうわあうわあとまた泣き出す。それを見た祖父母はカリスタの方に険しい目を向けた。


「カリスタ。お前は年上なのだから、ヘレンに譲りなさい」

「そうよ。何故渡さないの?」


 祖父母がそろって、カリスタに向かって冷たい目を向ける。カリスタには訳が分からなかった。たった数分前、彼らはカリスタを祝福して、このドレスを渡してきたのだ。「お前に似合うと思って」「ああ、やはり似合うわ」と微笑んで。

 なのにその舌の根の乾かぬ内に、彼らはヘレンに譲れと言う。


「ちょっと待ってください、お義父様お義母様、このドレスはお二人がカリスタに贈ってくださったものですわ」


 我に返った母が言葉を挟めば、祖母は母に鷹揚に頷いた。


「勿論です。ですがこのドレスはヘレンが随分と気に入ったみたいですから、ヘレンにやります。カリスタには別のドレスをまた贈ります」


 祖母の言葉に、母はカリスタの体を抱き寄せて言い返す。


「ヘレンにこそ、後日別のドレスを贈ればよいではありませんか」

「やだあああああこのドレスきるのおおおおおヘレンがきるのおおお!!!」


 母の言葉を聞き取ったヘレンは、その場で床に転がってじたばたと暴れだした。三つ年下とはいえ、カリスタだってヘレンの年にそんな態度は取らなかった。淑女の常識としてヘレンの暴れ方は異常でしかない。

 可愛い妹分だったヘレンにカリスタが引いたのは、これが初めての事だった。

 恐らく母も内心引いたのだろう。眉を寄せてヘレンの態度を厭そうに見ていたが、祖父母にとってはおかしなものではなかったらしく。


「そうよねヘレン、ヘレンはドレスを欲しいのだものね?」

「カリスタ。早く渡してやりなさい。そのドレスが欲しいのだというのなら、また同じものを買ってやろう」


 同じものを……同じものを!

 その時のカリスタに芽生えた感情は、屈辱であった。

 淑女としては落第を食らうだろうが、カリスタは手に持っていたドレスを床にたたきつけた。「いりませんわ」とでも言えれば良かったが、言葉を口にするよりも両目から零れてやまない涙を抑えようとするのに必死だった。

 母はカリスタを抱き寄せる。そのまま母が祖父母に対して何か文句を言っていたが、カリスタの記憶には残っていない。しかしそれを聞いた後の、祖父母が口にした言葉は覚えている。


「服を投げるなど。教育係に言い含めなくてはならんな」

「ヘレン、ヘレンちゃん。ほらドレスですよ」


 実の孫が泣いているというのに、二人はそれがまるで目に入っていないようだった。母はカリスタを抱いて、いったんその場を引いた。母一人では勝ち目が無かったからだ。外から嫁ぎ、かつ、女児しか産んでいない母の立場は強いものとは言えなかった。ジュラエル王国の継承権は女児にも発生するが、それでもやはり古い世代になればなるほど“貴族の妻は男児を産んでこそ”という風潮があったからだ。

 その時のドレスの騒ぎは家に帰ってきた父が祖父母に怒り、ヘレンに譲ったドレスよりワンランク上のドレスをカリスタに新しく与える事でおさまった。


 しかしヘレンの強請り癖は、この一回で終わるものではなかった。


「ヘレン、おねえさまのぼうしがほしいです」

「おねえさまのおくつ、ほしいです」

「おねえさま、そのかばん、ください」


 ヘレンはカリスタが持つもので、良いと思うものがあると、すぐそういった。多くがカリスタが気に入っていた物なので勿論カリスタは断る。そうするとヘレンはその場で、或いは場所を変えて、泣きわめくのだ。


「おねえさまのいじわるうううう」

「ひどい、ひどいわあああああ」

「うわあああああん」


 人間というのは、大声で被害者面の人に同情してしまうのかもしれない。

 ヘレンがそう騒ぐと、第一に祖父母がカリスタに怒った。


「カリスタ! 何故物の一つ、ヘレンに譲れんのだ!」

「どうしてもっと広い心を持てないのです? 貴女は恵まれているのだから、ヘレンに与えなさい」


 当主夫妻がそんな態度だから、次第に使用人たちの中にもカリスタを軽んじたり、あからさまにヘレンの味方をする者が出るようになった。


「カリスタお嬢様、何故ヘレンお嬢様に冷たく当たるのですか?」

「そのような狭い心をお持ちでは、とてもではないが当主の器ではございませんね」


 あからさまにヘレンの肩を持ち、カリスタを責める。一介の使用人が、幼いとはいえ、仕えるべき家の娘にそんな口を利けばどうなるか……彼らは考えられなかったのだろう。カリスタがその件を告げ口をした訳ではないが、使用人がカリスタに苦言を呈した話は母の耳に直ぐ届き、母が父に伝えた。


 父は幾人かの使用人を突然クビにした。次の職場への紹介状も書かずに。

 前の職場で紹介状を書いてもらえないというのは、使用人にとっては一大事だ。タイミングがタイミングであったので使用人たちも皆、原因がカリスタに告げた言葉だと分かっただろう。泣いて許しを請う使用人を父は雑に追い出した。

 クビを切ったのは下級の使用人であったが、それが見せしめなのは誰でもわかった。祖父母は父の決定に何も言わなかった。父が上手く説明したのかもしれない。祖父母にも守ってもらえないのであれば、父の怒りを買えば自分も同じ目に遭う…………人間、現金なもので、自分に火の粉が降りかかるかもしれないとなった途端、使用人たちがカリスタに悪口を吐く事はなくなった。


 父は自分が信頼を置く使用人を幾人か、カリスタに回してくれた。お陰でカリスタは日常でホッと息をつけるようになった。


 しかし、根本は何も変わらなかった。


「おねえ様、どうして意地悪するの?」

「ちょうだい」

「ほしいわ」

「ねえおねえ様」

「ねえねえねえねえ」


 祖父母がどんなに物を与えても、カリスタからどれだけ奪っても、ヘレンは満たされなかった。いつまでもいつまでも幼い子供のまま、強請れば貰えると思ったまま、体だけが大きくなっていった。

 ヘレンのカリスタへの強請りは物だけに収まらず、時にはカリスタの交遊関係にまで及ぶこともあったが、流石に人に関してはヘレンの思い通りに行くものでもない。そうやって願いがかなわない事があったとしても、「世の中願いが必ずかなう訳ではない」という事をヘレンは学習しなかった。


 一方でカリスタはカリスタで、冷めた所のある子どもに育った自覚がある。自分の大切な物の多くをヘレンに奪われてしまうと分かっていて、何かに思い入れを持てる訳がない。

 ある年頃から新しいドレスを買うのが嫌になり、レンタルのドレスを着るようになった。レンタルのドレスなら元々自分の物ではないし、ヘレンが欲しがったなら、祖父母に店の名前と商品名を伝えれば済む。他の小物は母から借りる事が多かった。ヘレンが欲しがろうとこちらは母の私物で、いくら祖父母でも、母の私物を譲れとは言えなかった。

 人間も同じだ。あまり深入りし、相手を大事に思えば思う程、ヘレンのせいでその関係が崩れた時が苦しい。だから出来る限り相手に執着しないように、心がけた。


 こうしてブラックムーンストーン子爵家で育ったカリスタとヘレンという二人の令嬢は、どちらも歪さを持ったまま成長してしまったのだ。

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