【07】あとしまつ
学院からの取り調べで、ツェーズィー・ブルースピネル子爵令嬢は全てを自白した。
学生用倉庫の一件も、階段での一件も、はっきりとした証拠はない。だから彼女が言い逃れをする可能性は十分にあったのだが、元々その気がなかったのか――はたまた学院の対処した職員の話が上手かったのか。
ともかく、ツェーズィー・ブルースピネルは、全てを自白したのである。
目的は「カリスタ・ブラックムーンストーンを傷つける」事だったという。
――「名誉でも、身体でも、精神でもなんでもいい。なんでもいいから、傷をつけなくてはならないの。傷つくべきなのよ!! ヘレンの苦しみを、あの女に分からせなくてはッ!」
彼女はそう、証言をしているという。
ツェーズィー・ブルースピネルは、カリスタの記憶の通り、ヘレンの傍によくいた学生だった。
ブルースピネル子爵家の第三子で次女。上に、跡取りの兄と先日嫁いだばかりの姉がいるごく一般的な貴族家。
生家の状況でいえば、彼女は恵まれている側だ。
ブルースピネル子爵家は領地を持つ領主一家であり、金にも困っていない。
そんな彼女はヘレンを病的なほどに妄信していたという証言が、当時傍にいた学生たちから上がってきたという。
そのヘレンがいなくなった事により、ヘレンを追い出したカリスタ。そして一時的だが、ヘレンを自分のものにしたヘレンの元婚約者のニール・ツァボライト男爵令息を強く強く恨んだのだという。
ただ、後者のニールはヘレンがいなくなったのと同時期に学院を退学し、領地に戻っている。ツァボライト男爵家は王都からかなり遠方の地域に領地があり、あまりに遠くにいってしまったニールの方を今更害する方法は、ツェーズィー・ブルースピネルには思いつかなかった。
結果、学院に残っているカリスタに、全ての恨みがいった。
傷つき苦しんでいるヘレンに代わって、カリスタを傷つける事を目的としたのだ。
第一の倉庫の事件の時、ツェーズィー・ブルースピネルの受講していた授業は、ミニテストを行っていた。
そしてこのミニテスト中は、解き終わった者から提出し、教室を退出して良かった。
この教室は、学生用倉庫にほど近い場所に位置しているという距離的な利点を持っていた。
この教授は、『どの学生がどれくらいの時間をかけてミニテストを解いたか』という部分も情報として記録をつけていた。
その記録から、ツェーズィー・ブルースピネルが授業時間でいう所の半ば頃には教室を退出していた事が発覚した。
倉庫への距離も考えれば、彼女が倉庫を破壊するのは容易な時間だ。
実際、この時間の優位を使い、ツェーズィー・ブルースピネルはカリスタの使っていた倉庫を荒らした。事前に何日もかけて、この時間帯にカリスタの棚がある列に来る学生がいない事まで調べていたというので、驚きである。
そうして棚は荒らされて、カリスタの私物も多くがダメになった。図書室から借りた本も殆ど使えない状態になった。多くの人間に棚を荒らされたと目撃されたカリスタは、恥ずかしさからいなくなる――と、ツェーズィーは考えたらしい。
ところが話は広まらなかった。目撃者が口をつぐんだからだ。
カリスタは変わらず、学院に通い続けている。
これに焦れたツェーズィーは、カリスタをつけて回るようになった。
カリスタはごくごく普通の令嬢で、気配などを察知出来る訳ではない。カッターニたちのように視界に入ったのならばともかく、視界に入らない所でつけられていたら、気が付かない。
そうして何日間かカリスタをつけまわしたツェーズィーはある時、偶然にも誰にも見られない状況で、カリスタが階段にさしかかった事に気が付いた。
こうして、第二の事件が発生する。
――「今だと思ったわ! 精霊様が私を助けて下さったのよ!」
そう思ったツェーズィーは、カリスタを突き飛ばした。
「それでブラックムーンストーン嬢が命を落とす可能性があるとは思わなかったのですか?」
という学院側からの問いに、ツェーズィーは鼻息荒くこう答えた。
――「命ぐらいがなによ! ヘレンは今も、遠い遠い山奥で苦しんでいるのよ! それぐらいで罪を償える訳がないでしょう!」
……この第二の事件は、カリスタの背中を押してからすぐにツェーズィーは逃走した。
それ故に、カリスタが打ち身などはしたものの、大きな怪我をしなかった事を知ったのは、更に後だったという。
突き落としすら失敗――カリスタは実際に落ちているし怪我もしているが、ツェーズィーが望んだ結果とは違った――してしまった彼女は、それからもまた、カリスタを付け回した。
――「もっと確実に痛めつけなくてはいけなかったのよ」
そう考えを変えたツェーズィーは、今度はチャンスが訪れたならば、確実にカリスタを傷つけると誓った。そのために、さまざまなものを日替わりで持ち歩いていた――なんて話が耳に入った時は、さすがにカリスタも身震いした。
そうしてツェーズィーはカリスタを追い続けた。カチヤがいない時の方が望ましかったが、最悪、カチヤを振り切ってカリスタだけを傷つけるのもありだなんて思っていた。
そしてついに、彼女はチャンスが訪れた事を知る。
カッターニ・ホワイトオパールとカリスタの会話の内容は、遠くにいたツェーズィーには分からなかった。ただ、カリスタたちと別れた後のカッターニに当時ヘレンを好いていた数人を連れて話を聞きに行くことで、明日の朝カリスタからヘレンの近況を聞ける事になったという話を知る。
カッターニが来るよりも早くに行けば、カリスタは確実に一人だと、ツェーズィーは考えた。
カリスタを襲う時の武器に関しては、持ち運びが容易で、簡単に使えるものをえらんだ。刃物は鞘をどうするかなど要らない事を考えなくてはならない。棒であれば、簡単に持ち運べて、持っていても即座に咎められる事もない。そして、殴られた相手には結構な衝撃がくる。
そう考えて、ツェーズィーはカリスタを襲ったのだ。
◆
貴族学院は、ブラックムーンストーン子爵家とブルースピネル子爵家、両家にこの件を報告した。
事前にカリスタが襲われ、調査を依頼していたブラックムーンストーン子爵家側はやっと犯人が捕まったと安堵した。
……その中で、カリスタが親に相談もなく自分の身を囮にしたと知り、デニスもフィーネも大層驚き、別の意味で家族会議が始まったのは、また別の話。
一方、ブルースピネル子爵家からすると、寝耳に水である。
問題も起こさずに学院に通っていたと思っていた末子が、上級生を害していたという連絡が来たのだから、当然だ。
子爵夫人はあまりの出来事に気絶し、子爵と跡取りであるツェーズィーの兄は激怒して娘を問い詰めた。
そこで初めて、ブルースピネル子爵家の人々は、ツェーズィーがかつていた友人の一人に心酔していた事を知った。ツェーズィーが、カリスタへの憎悪にとらわれている事も、それまで全く気が付かなかったのだという。
両家の意向はともかくとして。
学院側は今回の件をもみ消す気は更々なかった。ツェーズィーがダメにした本はとても高価だった事も、少なからず影響しているだろう。
かつ、学院内での問題は、学院にも責任問題が生じる。一度ならず、二度、そして三度目まで行ったツェーズィーに対する態度は厳しくなるのは当然であった。
学院からツェーズィーに下された今回の事件への判決は『退学』だった。
被害者であるカリスタとしては、学院側の対処には何も言えない。学院は、多くの学生の為の場である。一人の学生を守った結果、後々更に問題を起こし、多くの学生が巻き込まれる事にでもなったら大変だからだ。
故に、その判断自体は仕方がない。
◆
学院からの通達後。
次に訪れるのは、被害者と加害者との間で行われる、今後をどうするかという話し合いだった。
ここからは、学院の意向は全く関係ない。話し合い、交渉の仕方によっては、どのような決着もあり得る話であった。
おそらく――であるが。
ブルースピネル子爵家側としては、今回の出来事は大事にせず、内内に処理をしてしまいたかっただろう。あちらは長女が嫁いだばかりだし、長男の結婚も段取りを組み始めている段階だったそうなので、この時期に目立つ醜聞を立てたくなかったはずだ。
学院の退学については、「娘は体調が急に悪くなった」とでも理由をつけて誤魔化せるが、他家との間に賠償などの話が出てくれば、近しい相手に隠すのは難しい。
実際の所、それが出来る程度にブルースピネル子爵家は強い立場にいた。
ブルースピネル子爵家とブラックムーンストーン子爵家を単体で見た時、力関係ではブルースピネル子爵家側の方が強い。
前者は領地を持ち、いくつもの分家を抱えているからだ。
だがしかし。そうした強みを生かしてブラックムーンストーン子爵家と交渉し、すべてを有耶無耶にするには……情報をつかんだのが遅すぎた。せめてもっと早くに末子の暴走に気が付いていれば、罪を隠し通す事も出来たかもしれない。
が――彼らが全てを知ったのは、学院からの連絡だったのだ。
すでにツェーズィーは罪を認めていた。今から罪を否定する方向に舵を切れば、退学で話がついたはずの学院側も黙ってはいない。もし学院での聴取の発言は嘘だなんて話になれば、学院の面子に関わるからである。
そうした経緯もあり、ブルースピネル子爵家側は最初からかなり低姿勢でやってきた。
ブラックムーンストーン子爵家に謝罪にやってきたのは子爵と、ツェーズィーの兄の二人。夫人は寝込んでいて、ツェーズィー本人は未だに暴れており、連れてきても迷惑になってしまうという理由で、連れてきていなかった。
その事に、父デニスは不満な様子を見せた。
確かに、『当人がいない』すなわち『誠意がない』とみる事も出来る。
だがカリスタとしては、あの時の様子からして、本人がいた所で、冷静さを欠いて暴れる様子しか想像出来なかった。
なので、当事者を連れてこなかったブルースピネル子爵家をそれ以上責めるよりも、早く本題をまとめてしまいたいと、父を促した。
「ご令嬢に対して、我が家の娘が大変申し訳ない事をいたしました。これでもって、どうか謝罪とさせていただきたい」
ブルースピネル子爵はそう言って、カリスタたちに包みを出してきた。
実際の所、気持ち以外で出来る弁償というのは、大概お金であるので、出してくるのは当然だっただろう。
問題は、金額をどの程度にしているか――この金額が小さい場合、当然の事として「当家を軽く見ている」と判断する事になる――ブラックムーンストーン子爵家側が受け取るかの判断を下す前に、ブルースピネル子爵がこうつづけた。
「ツェーズィーに関しましては、学院から去る事は当然の事といたしまして、我が家から除籍し、生涯グローシーに蟄居させる事といたしました」
「!」
ブルースピネル子爵が出してきた強い単語に、カリスタは息をのんだ。
「どうか、ご令嬢には、そちらで、当家の者が犯した愚行を、お許しいただきたく……」
「どうか、お許しくださいませ……!」
ブルースピネル子爵だけでなく、嫡男までもがそう言葉を出し、それぞれが出来る限界まで頭を下げてきた。
しかし、カリスタはすぐには何も言えなかった。
(え……)
学院からの退学は別として、蟄居させる事自体はあり得ると思った。王都に残した所で様々な噂を立てられるだけだからだ。
グローシーという地名は記憶にない。子爵領の名前と異なっていた為、恐らくブルースピネル子爵家が何かしら伝手のある土地なのだろう。
(自領ではない土地へ蟄居する事によって、より強く罰を与えていると印象付ける事が出来る。実際の支援の程はさておき、こちらの溜飲を下げる為に、そのようにしてくる事は予想していたわ。けれど……)
家からの除籍。
つまり、これ以降、ツェーズィーは貴族として扱われないという事だ。
令嬢や令息は、親が貴族の身分を持っている事で「貴族」として扱われる。
ツェーズィーは自分の結婚が上手くいかなかったとしても、最低でもブルースピネル子爵が亡くなるまでは、「貴族」として扱われる筈であった。
生まれてからずっと当然のものとして持っていた「貴族」という地位。
それを、彼女は、たった十五歳にして失うという事である。
(そこまで、そこまで重くするなんて、思わなかった)
なんといっても、実の家族である。
詳細は知らないが、ブルースピネル子爵家が以前から不仲だったという話は聞かない。
間違ったことをした事に対する怒りはあれど、即座に除籍を決めるような判断を下すとは、思ってもみなかった。
ちらりと、デニスを見る。父は小さく頷いて、カリスタに発言を許可した。
「恐れ入ります、ブルースピネル子爵」
「はい」
頭を下げたまま、ブルースピネル子爵が答える。
そう、これも異常だ。
いくらカリスタが被害者本人とはいえ、カリスタの身分は子爵家の令嬢にすぎない。
たとえ本心から謝意の強い気持ちがあったとしても、ブルースピネル子爵がカリスタに対して下に出過ぎた態度を取る事は、ブルースピネル子爵家の家の格を下げる行為と捉えかねない。普通であれば行わない。
(何、この違和感は)
カリスタは膝の上でこぶしを握りながら、ブルースピネル子爵に問いかけた。
「今、除籍と仰られましたが、私は、そこまで重い処罰は望んでおりません。蟄居のみで十分で――」
「いえ、いえ! まさかそのような事は出来ません。愚女はご令嬢を傷つけようと、執拗に行動を取りました。その罪は、除籍という形でなければ……いえ、本来であれば己が命でもって、償わなければなりません!」
(命!?)
とてつもない飛躍に、カリスタは言葉を失いかけたが、ブルースピネル子爵の勢いを見るに、カリスタが何も言わなければそうしかねない雰囲気があった。
それ故にあわてて、
「いえ、そこまでしていただく必要はありません!」
と、やや語気を強めて伝えなくてはならなかった。
デニスはカリスタが話をしている間、部下と共に相手方が持ってきた誠意とやらを確認していた。ただ、娘が困っている様子を見て、口を挟んだ。
「……こちらとしては、これらの条件で問題ありません」
「本当でございましょうか?」
「勿論です。此度の対話と、ご令嬢の蟄居をもって、当家と貴家との間に起きた騒ぎは、終いといたしましょう」
デニスの言葉に、ブルースピネル子爵はホッと安堵した様子であった。
ブルースピネル子爵親子が部屋を出ていく。
出入口までは見送ると、父母もついていった。
カリスタは、一人、部屋に残っていた。
「…………」
家格としては、こちらの方が劣っている。
それでありながら、あれほどにへり下り、こちらの顔色を伺うような態度を、ブルースピネル子爵家は取ってきた。
机の上に置かれたままの誠意を見る。
金額にしてみれば、かなりのものである。多少の身体的痛みなどもあった為だろう。もし消えない傷などついていたら、それを理由に多額の慰謝料を求める場合もある。
そういう揉め事を最初から予想して、最初の段階から高めの額を包んで丸く収めようとする手法もあるとカリスタは聞いている。
だがこちらから金額を吊り上げるような真似をした訳ではないのに、置かれた慰謝料の金額はあまりに大きかった。
(……そう、そういう事なの……)
ブルースピネル子爵の態度に混乱し、すぐに気が付く事が出来なかった。だが彼らが去り、冷静に振り返れば……彼らの異常な態度の原因は、すぐに理解できた。
学院側にすでに知られていて誤魔化せないから――という理由だけではない。
(私が、フェリクス様の婚約者だから……、フェリクス様に対して気を使ったのだわ)
この場に、フェリクスはいない。婚約者といえども、今の時点ではまだブラックムーンストーン子爵家の人間ではなかったからだ。遠慮してもらった。
だがしかし、目の前にいないとしても、カリスタがフェリクスと婚約している事を知っているものであれば、背後に見えるフェリクスの事を考えない訳にはいかない。
フェリクス。南のエメラルド伯爵家。それらの怒りを買いたくなくて、ブルースピネル子爵家はあのような態度をとっていたのだ。
そうでなければ、あのような態度は取ってこないだろう。
ツェーズィーは確かにカリスタを害そうと目論んだとはいえ、実際には怪我をしていないのだから……などと、言ってくる事すら予想していた位だったのだ。
実際は、相手はフェリクスの影におびえて、こちらからほんの少しの文句も出てこないようにと、過剰な対応をしていた訳だが。
(私って……愚かね。フェリクス様のお力や、お父様たちに頼り切りになっている現状が嫌で勝手な行動をしたというのに……。結局のところ、そういう目で見られているのだもの)
カリスタには足りていなかったのだ。
領地もなく、俸給を中心に暮らしている家に生まれた彼女には、大きすぎる権力を背負う覚悟も、それをうまく使う思考もなかった。
己が継ぐ家そのものは変わっておらずとも、婚姻によってこれから先彼女が気にしなくてはならない責任や力は大きく変わっている。そのことを、まだ本当の意味では理解しきれていなかったのである。
多くを持つものには、それに比例した責任や覚悟が求められる。
生まれついて己の身に付随する様々なメリットやデメリットを理解し、当然の事として扱うフェリクスたちのように、カリスタはまだ振る舞えない。
(もっと違う形を取っていれば、ブルースピネル様は除籍まではされなかったのではないの?)
今回、ツェーズィー・ブルースピネルという一人の令嬢の人生を大きく捻じ曲げてしまったという事実は、義理の妹ヘレンの人生を捻じ曲げた時と比べても、かなり重く心にのしかかった。
ヘレンの時は、それが家を守る為にも最善であった。だから、決意した後、カリスタは大きく迷う事も後悔する事もなく、行動できた。
けれど今回は……(もっと、もっと自分がよく動けば……)と思わざるを得なかった。
◆
ツェーズィー・ブルースピネル子爵令嬢は学院から姿を消した。突如いなくなる彼女の事を、騒ぐ生徒はそう多くない。
貴族学院に在学する学生は多い。悪い理由だけでなく、致し方ない理由で卒業できずに消えていく学生も多く、余程インパクトのあるいなくなり方でもしない限り、それを話題としていつまでも上げる者はいない。
ツェーズィーについても話題に上がる事もなく去っていく事となったのだ。
カリスタからすると、彼女に関わった事で学院を去る事になった学生は、二人目という事になる。ヘレンとツェーズィー。この二人の存在を、簡単に記憶から消したりする事は、おそらく出来ないだろう。
次回、短いエピローグです。