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【02】ニール・ツァボライト男爵令息という男 

 ニール・ツァボライトはとても機嫌よく、友人のいる酒場で酒を呑んでいた。酒場といっても貴族令息も出入りする酒場で、そこまで下賤な場所でもない。ニールは王都に来て貴族学院に入学した後、そこで知り合った友人に連れてこられて初めてこの、煌びやかな世界を知った。ニールの生まれ故郷にも酒場はあるが、夜遅くでも灯を灯してここまで明るい場所はなかった。



 ニールの実家であるツァボライト男爵家は、領地を持つ貴族だ。しかしその領地はジュラエル王国内で考えると田舎も田舎で、故郷の人間の大半が一生王都に行くこともなく、生まれ育った土地に骨を埋める。行けたとしても、本家筋であるツァボライト子爵家が主催するパーティに参加するぐらいだが、六男であったニールが連れて行ってもらった事は一度もない。今となってはわざわざ顔を出す価値もなくなったと考えているが、幼い頃は連れて行ってもらえる長兄と次兄が羨ましくて堪らなかった。兄たちはパーティから帰ってくると、やれどんな料理が出ただとか、どんな人がいただとか、弟たちに自慢げに語るのだ。それがどれだけ羨ましく、六男に生まれた事を恨んだか。長男として生まれていれば、この家はニールの物になったのだ。一人目の男児として生まれた、ただそれだけの理由で長男は嫡男だった。次男もまた、二番目の男児だったという理由だけで、他の兄弟よりも優遇されていた。六男のニールはひっくり返っても手が届かない当主という立場に憧れるのは、貴族の男児ならば普通の事だ。

 ド田舎のツァボライト男爵家には、長男以外に引き継げるほど土地や財産に余裕がある訳ではない。なので子供たちは実家で飼い殺しするように働かせるほうが都合が良かった。外には出さず、労働力として働かされる。場合によっては、王都の貴族が拒否して当たり前というような仕事もニールはしていた。……両親が王都への販路拡大を考えなければ、ニールも一生、王都に出てくる事などなかった。


「ニール。お前の婿入り先が決まりましたよ!」


 泥にまみれ、兄弟や領民と共に働いて帰ってきたニールに、母が言った。

 ツァボライト男爵家の領地はどちらかというと貧しい土地で、人々は赤イモを育てていた。この赤イモは元は外国から渡ってきた物だと言う。閑話休題。

 この赤イモを使って作ったイモ酒は、葡萄酒(ワイン)等手に入れられないツァボライト領の人々に愛されている。

 しかしこのイモ酒を主に呑んでいるのはツァボライト領の人や、隣り合った領地の人位。もっと離れた土地の人にも呑んで貰えれば売り上げが……という事は、両親や長兄等がよく話していたが、ニールは自分には関係ないとまともに聞いてもいなかった。


 どうやらニールの知らない所で、両親はイモ酒を王都に売り込むための伝手を必死に探したという。そして本家であるツァボライト子爵家の紹介で、ブラックムーンストーン子爵家と繋がれることになったと。

 代々王都で暮らしている土地なし貴族のブラックムーンストーン子爵家は一人娘しかおらず、子爵夫人も新たな子供が望めそうにないので婿を取る方向で動いているという。そこにツァボライト子爵がツァボライト男爵を売り込んだのだ。

 具体的な交渉はどのような形だったかニールは知らないが、年回りを考えて、ブラックムーンストーン子爵家の娘であるカリスタと年が近いニールが婿入りし、両家の繋がりを深くし、子爵家の人脈を男爵家が使えるようにしたと……そのあたりの説明はニールにも分かった。


 次の日からニールは他の兄弟たちが畑に行っている時間も、勉強をさせられるようになった。後を継ぐのは会った事もない婚約者である年下の少女だが、婿としてニールは彼女を支えなくてはならない。ブラックムーンストーン子爵家には領地がないので領地経営を学ぶ必要はないが、王都で暮らす貴族のため社交界への出入りなどは必要不可欠、今まで人間として最低限のマナーぐらいしか知らなかったニールは王都の上流貴族たちに笑われないマナーを学ばなくてはならなかった。実家(ツァボライト男爵家)にはそんなマナーを教えられる人間がいなかったので、本家のツァボライト子爵家から家庭教師が派遣される事になった。

 幸いな事は、ニールは体を動かすことと同じぐらいに勉強も嫌いではなかったという事だ。そういう意味でニールが婚約者に選ばれたのは良かった事だろう。他の兄弟たちは皆体を動かすのは良いが、数時間机に向かう事も出来ないような者ばかりだった。


 ニールはみっちり家庭教師に扱かれてから、王都にある貴族学院に通うため、一人王都へと向かった。


 生まれて初めての王都はニールにとって、全てが美しく煌びやかな世界だった。

 貴族学院に入学した時は周りがあまりに自分と違い過ぎて、場違いではないかと不安に駆られた。

 王都にあるツァボライト子爵家の屋敷に間借りして貴族学院に通いながら、ニールは噂の婚約者に初めて会う事となった。


「お初にお目にかかります。ブラックムーンストーン子爵家当主ボニファーツが孫、カリスタ・ブラックムーンストーンと申します」


 ニールより四つ年下だと聞いていた少女は、美しいカーテシーを披露してそういった。

 日に灼けた事等ないのだろう白い肌、毎日手入れされているのだろう輝く黒髪、青みがかった丸い黒の瞳。人形のようだとニールは思った。


「ニール・ツァボライト、です」


 婚約者を前にして、にわかに緊張してまともに挨拶も出来なかったニールだったが、幸いにもブラックムーンストーン子爵家は気にしなかったようだ。ツァボライト子爵邸に戻ってから、王都でニールの後見人を務めてくれているツァボライト子爵家の人に怒られたが。


 それからニールは貴族学院に通いながら、カリスタと交友を深めた。誕生日や祭りの時には贈り物を送りあい、社交界デビューを済ませたカリスタがどこかの夜会等に行くことになれば、エスコート役として付きあったり、日々の些細な事を手紙で記したり。

 カリスタに不満があった訳ではない。カリスタはニールにいつも優しかったし、いつもニールを慮ってくれた。

 けれどいつしかニールの心の中に、彼の語彙力では説明の出来ない、靄のようなものが生まれるようになっていた。


「いいよなぁ、ニール。六男だったのに子爵当主に婿入りなんてさ、勝ち組で羨ましいぜ!」


 貴族学院で親しくなった令息たちと酒場等に行けば、ニールは決まって誰かにそういわれた。

 彼らのいう事は正しい。ニールが親しくなった友人たちは、皆どこかの貴族の家の三男以降だった。次男ぐらいまでならばともかく、三男以降はよほどの幸運……或いは不運でもなければ、当主の座も回ってこないし、良い所へ婿入りする話も出ない。

 当主の……しかも格上の爵位である子爵位の当主の婿になれるなんて、ニールはとてつもなく幸運なのだ。


「将来の当主、なんかあったら面倒見てくれよ~!」

「おいおい、ニールは当主の夫だろ~?」

「そうだっけ? そうか~!」


 アハハハと友人たちが笑う。

 ニールはそれに軽口で返した。いつものなんてことない、酔っ払いの話のはずだ。けれど帰ってもニールの耳の中で、友人たちの声が響き渡るのだ。

 当主の夫。

 当主ではない。

 幼い頃、あれほど羨ましがった長兄たちを超えたとニールは思っていた。いや実際、立場としては()()なのだろう。あちらは二度と帰りたくないと思う程の田舎、そしてニールはこれから一生王都で暮らしていく……。

 ()()()()()()()()()()()()()


 四歳下のカリスタは、初めて見た時は本当に絶世の美少女だと思った。実家にいたころは会った事のない美少女だ。しかし王都で過ごす時間が長くなればなるほど、その容姿に特別さを見いだせなくなっていった。

 美しい女は、掃いて捨てるほどいるのだ。

 友人たちに誘われてそういう店に出入りしては、新しい世界を知れて成熟していける。それに比例して、大人しく普通のカリスタに対して、端的に言えば飽きるようになっていた。

 ニールの将来は決まっている。貴族の息子として親の決めた縁談に逆らう事など出来ない。けれどこのままカリスタと結婚すれば、ニールの一生を決める相手が両親からカリスタやブラックムーンストーン子爵家の人間に代わるだけだ。それは嫌だ。貴族学院を卒業する頃には、ニールはそう考えるようになっていた。だがしかし、そこから抜け出す良策なんてニールにはない。勝手な事をすれば実両親をとてつもなく怒らせるだろうし、今現在お世話になっているツァボライト子爵家の怒りも買うだろうというのは分かっていた。


(別に、カリスタと婚約をなくす必要もないな)


 色々な人間と会い話すうちに、ニールはそう考えをただしていく。

 ニールが欲しいものは何か? それは、ブラックムーンストーン子爵家において自由に振る舞う権利だ。義父や義祖父が健在の間は仕方がないとしても、彼らが第一線を退いた時に、カリスタではなくニール自身が判断し、決定する立場にいたい。よくある貴族の夫婦のように、カリスタには妻として一歩引いてニールを立ててほしい。

 カリスタの性格がもっと大人しいものならば、そういう未来もありえたのかもしれないが、幼い頃から次期当主として育てられたカリスタはニールに対しても気おくれする事なく、政治の話だとか商売の話もして見せる。


(そういう所が可愛げがないのだと、何故分からないのだろう?)


 男のプライドを逆撫ですると気づかないカリスタの事が、だんだんとニールは疎ましくなっていた。



 ――そんな時、ブラックムーンストーン子爵家から帰る時に、声をかけられた。



「あっ、もしかして、おねえ様の婚約者の方ですかっ?」


 明るい高い声色。ブラックムーンストーン子爵家では聞いたことのない声に、ニールは内心首を傾げながら振り返る。

 そこには愛らしい美少女がいた。

 瑞々しい橙色の髪の美少女は、ニコニコと笑顔を浮かべてニールに近づいてくる。


「はじめましてっ。ずっとずっとご挨拶したかったんですけど、おとう様たちが許してくれなくって」

「……失礼だが、貴女は?」


 ニールの言葉に美少女は傷ついたという顔をして、それから苦しそうな、辛そうな顔で視線を下に下げる。


「……そっか。おねえ様、私の事、伝えてもくれなかったのね」


 美少女は辛そうな顔を笑顔でなんとか取り繕う。


「私はヘレン。カリスタおねえ様のいもうとで、このブラックムーンストーン子爵家の末娘よ」


 それがヘレンとニールの出会いだった。

 ヘレンの名乗りにニールは驚いた。カリスタから妹がいたなんて話は聞いていない。最初は流石に疑ったが、ヘレンはあっさりと「義理の妹で養女だし、おねえ様は私の事、好いていないから……」と言葉を濁す。

 義理の妹とは言えど、養女として引き受けているのならば、正式な家族だ。最初こそ疑ったが、そもそもヘレンはブラックムーンストーン子爵家の内部で話しかけてきたのだから、よほど堂々とした詐欺師でもない限り、この家で生活しているのは本当なのだろう。


「またお喋りしましょうねっ!」


 ヘレンはそういって、子爵邸の中へと入っていった。その後ろ姿をニールはずっと目で追っていた。

余談

※赤イモ→日本におけるサツマイモの事。原産地(サツマという名前の土地)ではサツマイモの名で呼ばれているが、そこからとても遠いツァボライト領では赤いイモ略して赤イモで定着した。

※イモ酒→芋焼酎。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] ・赤イモ 酒以外に、菓子素材として売り込んだら、もう少し順調だったのでは。 干しいもは保存食としても需要が有るかと。
[一言] 「一人娘」と聞いてたはずなのにねぇ…
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