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【05】バルバラの生から死Ⅴ

※こちらの回には性的被害の描写などがございます。その手の描写が苦手な方はご注意ください。

 バルバラはルーベライト子爵家で、平穏に暮らしていた。


 当初は普通の中級程度の侍女として働いていたが、ある時、バルバラが書いた字を見た先輩が、ルーベライト若夫人となったザブリーナにバルバラを推したのだ。手紙の代筆役として。


 人と人とのやり取りのほとんどすべては手紙で行われる。つまり手紙の字が美しい事や読みやすい事は加点であり、逆に読みにくい字や汚い字は忌避される。

 立場がある者であれば直筆する事で手紙の重要性を上げたり、或いは「しっかりと自分で書くほどあなたを大事に思っている」とアピールするために直筆で手紙を書く事も多い。しかし全ての手紙を直筆で処理している当主や夫人は存在しないだろう。存在するとしたら、よほど手紙のやり取りがない家である。


 ルーベライト子爵家は――バルバラは働き始めてからしっかりと認識したが――トルマリン伯爵家を本家として持ち、己の下にいくつもの分家を抱える家であった。特筆するような特産などはないが領地も抱え、当然、そこには領民たちが暮らしている。


 そんな家の嫁となったルーベライト若夫人は手紙のやり取りが多い。なので、彼女の言葉通りに手紙の代筆が出来る人間は必要不可欠であった。今までは若夫人から見て義父であるルーベライト子爵に仕える代筆担当の使用人などを借りてはいたものの、いつまでも使えない。自分の自由が利く代筆の使用人が必要になっていた時期であった。


 これ以降、バルバラは若夫人ザブリーナのすぐそばで働く傍付きに抜擢され、若夫人が書く手紙の代筆業を行うようになった。


 毎日毎日様々な手紙の代筆をするようになり、手は腱鞘炎になるかと思う事もあった。また、手紙の情報は重要であるため絶対に口外しないように契約を結ばれ、簡単に辞める事も出来なくなっていた。


 しかし責任が重い事はバルバラにそこまでマイナスな要素でもなく、バルバラは毎日毎日若夫人の手紙を手伝った。


 次第にバルバラの字の美しさは関りのある家の夫人たちの間でも有名になったらしく、ザブリーナは「鼻が高いわ」と上機嫌であった。



 ■



 代筆をするようになって暫くしてから、バルバラは気が付いた。というより、薄っすら察してはいたものの、確信したという方が正しいか。


 それはルーベライト夫人(ザブリーナにとっての義母)が、息子の嫁であるザブリーナに嫌がらせをしているという事実であった。


 若夫人は仕事が遅い訳でもないのに、毎日たくさん書類仕事を手伝っている。バルバラもその内容までは把握していないが、その量が多いがために、自分で手紙を書く時間が殆どなく、苦労していたのだ。

 これが、当主夫妻が随分年老いているために若夫妻が仕事を担っているとか、夫であるルーベライト家のご令息が仕事をしない男であるとかであれば、若夫人に仕事が寄っている理由も分かった。

 しかしそうではない。当主夫妻はまだ現役でバリバリ働いており、若夫人の夫も普通に働いている。それなのに若夫人の元には、やたら仕事が集まっている。


 その原因は、嫁姑の争いであった。


 古今東西どこでも起きる争い。その家の元々の女主人であった姑と、次期女主人として息子に嫁いできた嫁。


 ルーベライト家でもこの争いが起きていたのだ。

 いや、争いというには、若夫人が受け身であったので、一方的な嫌がらせというのがやはり正しいだろう。


 理由はいくつかあっただろうが――一番大きいのは、子が出来ぬ事である。


「いつになったら孫の顔が見れるのかしら。全く、やはり男より年上の嫁は駄目ね」


 ルーベライト夫人が若夫人ザブリーナにそう嫌味たらしく言っているのを、バルバラ自身、何度か聞いている。

 まだ結婚して数年。しかし子供が出来ていないという事を、ザブリーナはやたらと責められているのであった。


「ザブリーナ奥様、お可哀そう……。いつか追い出されてしまうなんて事、ありませんよね?」


 子が出来ぬのは確かに領地を持つ貴族家にとっては一大事であるが、だからといって、仕事を毎日頑張っているザブリーナがその理由だけで追い出されるなんて不幸があったら……と不安に思ったバルバラに、先輩侍女はあっけらかんと「大丈夫よ」と答えた。


「若夫妻は政略結婚なの。このルーベライト子爵家は、若夫人のご生家から援助も受けているのよ。若夫人が追い出されるなんて事はないでしょうね」


 子爵家がそこまで資金繰りに苦労しているとはバルバラは気が付かなかった。だって屋敷は、これまで働いてきたどの家の屋敷よりしっかりしているから。

 しかし長年この家で働いているという先輩がいうのだから、真実そうなのだろう。

 恐らく若夫人がルーベライト夫人に強く言い返せば、立場が悪くなるのはルーベライト夫人の方である。

 しかしザブリーナは自分はまだ子爵家に嫁いできて数年であるから、と大人しく罵りを受けているらしかった。


 不満はあれど、本人がしている選択であればバルバラが口を出すことではない。しかし侍女として、以前よりもザブリーナに寄り添うようになった。その気持ちをザブリーナも感じたのか、バルバラは更に重用されるようになっていったのだった。


 振り返るに、このころがルーベライト子爵家にいて一番幸せな時期であった。



 ■



 ザブリーナは様々な手段に手を出した。子供ができやすくなると噂の食べ物は全て取り入れたし、祈ると子が来ると噂の場所や教会にも足を運んだ。体調管理にも一層気を使っていた。


 そうした努力が実を結び、ついに若夫人ザブリーナの妊娠が発覚した。


「おめでとうございます、奥様!」

「ありがとうバルバラ」


 まだ膨らんでいない腹を、ザブリーナは愛おし気に撫でている。


 念願の子宝に、夫であるギュンター・ルーベライトは喜んでいた。また義父であるルーベライト子爵や、普段はザブリーナに嫌味ばかりの義母ルーベライト夫人も、此度ばかりは素直に喜んでいた。


 妊娠した事もあり、ザブリーナの仕事は減った。結果、ザブリーナの元に届く手紙の代筆というバルバラの仕事はやや減ったが、完全には減らない。妊娠を祝い、彼女の家族友人知人から連絡が来るからだ。

 むしろ今までの手紙が細かい文章に気を遣う仕事の手紙が多かったので、ザブリーナの素が垣間見えるような手紙の代筆は、楽しくもあった。


「この子が……出来れば男児であれば良いけれど。女児であっても良いから、少しでも美しい赤の髪であれば良いわ」


 ザブリーナはバルバラにそう語ったが、それには理由があった。


 ジュラエル王国の貴族の家名は、皆宝石と同じである。そして髪の毛か瞳、或いは両方にその宝石の色を持つと言われている。バルバラであれば、髪色は母方の血で貴族らしさがないが、瞳が父と同じ薄い青であるような点だ。

 人もそうではあるが――宝石はより顕著に、同じ石でも、大きさや色見などで価値に差が出る。

 あくまでも貴族たちは人間である。だが、殆どの家で、髪色や瞳の色がより美しいとされる色である事を求められるのだ。


 宝石のルーベライトは赤色からピンク色までの色をしたトルマリンの名称だ。つまり宝石の分類としてはトルマリンなのだが、トルマリンという宝石は様々な色を持つ宝石であるので、色によって個別の名称がついていたりするのである。

 そんな宝石のルーベライトであるが、これは色がより赤い色であるほど、価値が高いというのがジュラエル王国での一般認識である。


 この認識が、ルーベライトの一族ではそのまま人間の認識に置き換わっている。

 つまり髪の毛や瞳の色がより赤に近い方が血筋が濃いとか、より精霊の加護を受けているとか言われて、人より上の立場であるように扱われるのだ。


 現当主であるルーベライト子爵はややピンクみの強い色の髪の毛や瞳をしている。

 分家出身であるルーベライト夫人は、夫よりも赤みが強い。

 そして夫妻の息子であるザブリーナの夫ギュンターは、やや夫人よりで、赤っぽさの強いピンクの髪だ。


 どんな髪色であろうとも無事に生まれる事が第一ではあるが――その後の人生を思えば、出来れば、髪色が赤っぽくあってほしい。


 子が不要な苦労を負わないように、母親が願うのは至極当然な事であった。


「きっと奥様の願い通りになります」


 バルバラはそう、若夫人を励ました。



 ■



 気が早いが、随分未来でルーベライト子爵家を継ぐかもしれない赤子は、順調に成長していた。


 ザブリーナのつわりの状態はあまり良くなかったりしたのだが、侍女たちの助力もあり、なんとか乗り切れていた。ただ、ザブリーナの精神はあまり安定していないようであった。それも仕方のない事で、ただでさえ身体的に大変であるというのに、その苦しみを一番に分かち合ってほしい夫が屋敷にあまりいないのだ。政略結婚とはいえ、大事な跡継ぎかもしれない子が出来たのに、今までなかった程に外に出ている。

 何をしているかなんて――聞きたくもない。

 生理現象は仕方ないが、いくらなんでも連日、というのはひどすぎるであろう。


 こればかりはいつも嫌味だらけの義母ルーベライト夫人も良くないと思ったのか、どうやら息子に一言言ったらしい。一転して、ギュンターは屋敷に出来る限りいるようになった。


(これで少しはザブリーナ奥様のお気持ちが晴れやかになれば……)


 バルバラはそんな風に思っていた。


 そんな彼女の腕を、突然男の腕が掴んだ。


 悲鳴を上げる間もなく、バルバラは一つの部屋に引きずり込まれた。


「ぇ――」


 バルバラの体は雑に、部屋にあったソファの上に投げられる。そして服がまさぐられ――侍女用の服の、スカートがめくられた。


「きゃあッ!!」


 バルバラは悲鳴を上げた。しかしその口を、即座に手で塞がれる。


「うるさい。静かにしていろ」


 それはギュンターであった。


 どうして、なんで、と思っている間にギュンターはバルバラの尊厳をあっという間に滅茶苦茶にした。


 途中、バルバラは確かに悲鳴を上げた。ギュンターが口を押えていなかったので、それなりの声量で響いたはずだ。

 廊下では人が通る足音もしていた。


 でも誰も助けてくれなかった。


 後になってから思えば、屋敷の主人の息子が一侍女を好きなようにしているだけと見られたのだろう。その侍女がバルバラであると気が付けば助けてくれた人もいたと思いたいが、実際のところは分からない。

 恐らく、皆、他人の尊厳よりも、自分の生活の方が大事だったろうなと、バルバラは思う。


 涙でぐちゃぐちゃの顔で動けないでいるバルバラに、一人満足げな顔をしていたギュンターは言った。


「誰かに言ったなら、すぐにクビにしてやる。我が家の関りのある貴族家でも雇われなくしてやるからな」


 ここを追い出されるうえに、近くの貴族家で働けないとなれば、次の仕事を探すのに酷く苦労するのは目に見えていた。


「下民を処理するのなど、簡単だぞ」


 ギュンターはそう喉を鳴らした。

 下民、と見下された事にバルバラは酷くショックを受けた。でも、今のバルバラは平民でしかない。貴族として育ってきた事など、ギュンターは知らぬのだろう。


 結局バルバラも、人間だ。

 ギュンターとは顔も合わせたくないほどであったが、仕事を失いたくなくて、何もかも黙っていた。毎日顔を合わせるザブリーナに大しては本当に申し訳なさを感じていたが、妊娠で難しい時期のザブリーナに「貴女の夫に無理矢理襲われました」と報告する勇気は持てなかった。


 二度とこんな事起こるなとバルバラは願ったが、願いは届かなかった。毎日外に出るほど、ギュンターは性欲が強かったのだろう。思い返せば、ザブリーナともかなりの頻度で閨を共にしていた。そんな男を無理矢理屋敷に押し込めれば、屋敷の中で暴れるのは当然の事だった。


 そして今、その暴力的な性欲は、バルバラ一人に向けられていた。

 何が彼の琴線に触れたのかは分からない。だが高い頻度でバルバラは雑に扱われる日々が続いた。ザブリーナと顔を合わせるのすら苦しくなった。同僚の間でも、知らぬうちにバルバラがギュンターの遊び相手であることが広まり、あるものは同情的な視線を向けてきた。ある者は、酷く差別的な視線を向けてきた。


(せめて、せめてザブリーナ奥様のお耳に入りませんように)


 同じ屋敷の中での出来事が、いつまでもかくして置けるはずがないとバルバラは分かっていたはずだったのに。

 ここを辞めたくないと、その自分の欲を優先し――そしてある日、全てがザブリーナにバレた。


 ザブリーナは信頼していた侍女が夫と関係を持っていた事実に、自尊心を大きく傷つけられて、怒りをあらわにした。


「目にかけてやったのに! 恩をあだで返すなんて!」


 何度も何度もザブリーナはバルバラを使用人に持ってこさせた棒で叩いた。

 その場には義父母もギュンターも、顔見知りの使用人たちも沢山いたが、誰も止めようとはしなかった。

 バルバラは逃げもせずたたかれ続けた。当然だった。大して接点もなかったバルバラを、雇ってくれて、しかも重用してくれていた主人に大して、手ひどい裏切りであるのは事実であった。


「出ていきなさいッ、二度と、わたくしのッ、前に、現れるな! どこぞで野垂れ死ね!」


 体中血だらけで、雨の中、バルバラは荷物の一つも持てずに屋敷を追い出された。

 子爵家の門番を担当していた使用人が、古くから屋敷で働く分家筋出身で、ギュンターの女癖の悪さを知っていたために同情的な態度でなければ、恐らく死んでいただろう。使用人はバルバラの体を覆う布を一枚だけ渡してくれた。この布のお陰で、バルバラは寒さで死ぬ事だけは、避けられたのだった。

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欲しがりな義妹に堪忍袋の緒が切れました ~婚約者を奪ったうえに、我が家を乗っ取るなんて許しません~2
― 新着の感想 ―
[一言]  バルバラが可哀想すぎる。  せめて、最後は幸せになって欲しいです。
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