【11】カリスタ・ブラックムーンストーンのその後
カリスタはその後丸々一年間、新たな婚約者を定めずに次期子爵としての仕事に励んだ。正直な所、実務だけで手いっぱいの一年間で、結婚相手とあれやこれをする余裕がなかったというのが本人の感想だ。両親の反対を押し切って無理矢理婚約者を設けて結婚していても、バタバタしていてすべてが中途半端になっていたかもしれない。
まだまだ家を担えるレベルではないものの、一年もたてば基礎的な事は大分身についてくる。簡単な日常業務なら家令ら等に交ざってカリスタもこなせるようになってきた。家令は容赦なく、では次の段階だとばかりに応用的な仕事も任せてくるようになった。カリスタの頭の中に、仕事以外の要素は殆ど入るスペースがなかった。
そんな時分に、カリスタは父デニスから新しい婚約者の話題を振られた。
「カリスタ。お前の婚約者候補なのだが」
「はい」
「親族のブラックムーンストーン男爵家から、幾人か見繕ってみた。実際に会ってみて一番お前と合う者を選ぼうと思っている」
無難な選択肢だった。正直今は仕事で頭が一杯な所があるのだが、父から会えと言われるのならば会っておこうとカリスタは考える。
「ちなみにそのブラックムーンストーン男爵家は、本家の男爵家ですか?」
「いいや、私たちの血統とは別筋の男爵家だ。本家にご相談した所、親戚全体で条件の合う男児が余っている家を探して声をかけてくださってな」
「まあ…………なんとお礼したら良い事か」
「分家の嫁探しや婿探しを手伝うのも、本家の仕事ではあるからな。下手な男を出せば親族とはいえ、自分の体面の傷になる。こちらでも独自に調べたが、問題はなさそうだった。後はお前と合うか、という点だけだろう。日程はこちらで仕事の様子を見て決めておくので、心づもりはしておきなさい」
「分かりました」
素直に頷くカリスタに少しの不安を覚えたデニスは付け加えた。
「すぐに決めろという話ではないからな。もし紹介する男が誰もお前と合わなければ、また別に婿候補を探せばよいだけだ。婚約後もしばらくは時間を置き、落ち着いてから結婚式の段取りを組む予定だ。良いか?」
「はい」
その後カリスタは三人の男と顔を合わせた。全員家名がブラックムーンストーン男爵家なので、家名の方は省略する。
一人目はアルノルトという名前の男だ。年齢はカリスタより五つ上で、次男だったという。家を継ぐ長男とは年が離れており、長男に既に男児が生まれている事から生家での役目もなくなり、よそに婿に出せる状況になっていたという。貴族学院での成績も、卒業後実家の手伝いをしていた能力も良い。
「貴女さえよければ、是非、貴女の夫となりブラックムーンストーン子爵家を支え繁栄させていきたいと考えております」
悪い男ではないとカリスタは思った。初対面で下手に「一目惚れした」等と言い出すよりは、家の事を考えての言葉の方がカリスタの印象は良い。
だが彼で良いと決断は出来なかった。家の事を考えるのは良いのだが、逆に、そこしか見ていないような気がした。あくまでも熱意があるという風だったが、カリスタを見つめる目が異様にギラギラしていた。ああいう目を、カリスタは見た事がある。上昇志向が強い人間だ。勿論それは悪い事ではない。怠惰な人間より、上を上をと考える人間の方が好ましい。……筈なのに、カリスタは何だか、一歩前には踏み出せなかった。
紹介された手前もあるので何回か彼と会い、話をした。そのうちカリスタはある事に気が付く。自分の実家について話すときのアルノルトが、少し刺々しいという事に。より詳しく言えば、将来的に彼の実家を継ぐ兄に対して、敵意があるようなのだ。敵意、或いは敵愾心、対抗心でも良い。
当主の夫となれる旨みを求めてカリスタの婚約者の座を狙うのは構わない。しかしカリスタは、出来れば夫の家ともうまく付き合って行きたいと考えていた。ベタベタした関係になろうという訳ではないが、協力が必要な事があれば協力し合い支え合えるようになりたいと考えているのである。
カリスタのそういう希望にアルノルトが沿ってくれるのか、不安が出来てしまった。
若さ故か性別的なものかは分からないが、一度嫌という風に感じるとどうにも駄目で、やんわりと距離を置きたいと連絡を取る事になった。元々両親は相手の家に、前回の婚約が上手くいかなかったので今回は慎重に考えると伝えてくれていたようで、特に問題は起こらなかった。
二人目はハーラルトという男で、年齢はカリスタより二つ上。四男だったので生まれつき家を継ぐ予定はなく、自分の趣味である生物の研究に熱中するようになったという。とはいえ彼の実家は彼が趣味だけをすることは認めず、家門の手伝いをしっかりとするのなら残りの時間は好きにしていいという約束をしていたようで、当主を支える立場での仕事ならば問題がないだろうという話だった。
特に研究観察の対象が虫らしく、会う前に何度か相手の家から虫は大丈夫だろうか、無理ならば最初からこの話は無かった事にと言われていた。害虫とかならばともかく、蝶などの虫全般自体は無理という事もないのでカリスタはハーラルトと会う事にした。
「…………はじめまして」
ハーラルトは言葉の少ない男で、最初に挨拶を交わした後は、殆ど黙り込んでいた。カリスタが話題を振れば言葉少なに返してくれるものの、自分から話題を振ってくる事はない。それでも引っ込み思案な方なのだろうと何回か会ったのだが、何回目かに顔を合わせた際、ガゼボからほど近い地面に視線をやったかと思えば「あ!」と叫んで立ち上がり、走っていってしまった。何事かと思ったカリスタだったが、暫く地面にしゃがみ込んでいた彼は笑顔で何かをハンカチに包んで帰ってきた。
虫を捕まえたのかと思ったカリスタは、ハーラルトが珍しく笑顔だった事もあり「何を捕まえたのですか?」と尋ねた。
「蝶です」
そう言って彼がハンカチの包みを開くと、体がバラバラになった蝶の死骸があった。
「ヒッ」
流石にカリスタも耐えられずに悲鳴を上げたが、ハーラルトは蝶に夢中らしく気にしていない。むしろ、今までの無口が何だったのかという程に一人で喋りだした。
「この蝶は珍しいものではないのですが、羽の模様が一頭一頭異なり趣深いのです。蟻が運んでいたのですが、綺麗な色形でしたので貰ってきました。蟻も蟻で実に興味深い生き物ですよ。あれほどの小さな体で、自分より大きさも重量もあるような生き物を運んでしまうのですから」
語られていく内容はカリスタの耳を素通りする。
生きてひらひらと舞う蝶は別に問題ない。標本も、動物のはく製を飾るようなものだと思えばそこまで気にならない。しかしバラバラになった死骸を笑顔で集め、ニコニコとそれを紹介された時、カリスタは彼と夫婦としてやっていく自信が無くなった。
お断りの連絡に彼の家族は肩を落としたという。当主の夫という地位を得られなかったというよりも、単純に息子が結婚するチャンスが一つ無くなった事への残念さのようだったと父が苦笑していた。カリスタとしてはもう無理に結婚させず、生涯独身で家の手伝いと研究に熱中させた方が良いのではないかと思ってしまうが、他家の事なので口は出せない。
余談だがカリスタは以前よりも虫が駄目になった。
三人目はイージドールという一つ下の男だった。年下は初めてだなと思いながらカリスタは彼と会った。貴族学院を卒業して間もないという彼は、一目で緊張しているのが丸わかりなほどカチンコチンになっていた。貴族学院での成績は先に会った二名には劣っているが、まだ若いし本人にやる気があればいくらでも成長の余地があるという事だった。
最初こそ緊張からかあまり話せていないイージドールだったが、何を考えているかよくわからなかったハーラルトに比べて目に見えて緊張しているという原因が分かったので、カリスタはそこまで気にならなかった。
何回か話をしていくうちにイージドールの緊張も解けてきて、次第に話が弾むようになっていった。彼は四人姉弟の末っ子で、上に姉二人と兄が一人いるという。長女次女、長男次男の順で生まれており、女二人と男二人の間は八も離れているらしく、元々実家を継ぐのは長女と決まっていたそうだ。お陰で長男も次男イージドールも伸び伸び育ったそうだ。今回長男の方が婚約者候補に挙がらなかったのは、両親が長男の方に婿入りは無理だろうと考えたためらしい。長男は幼い頃から騎士になると言ってきかず、勉強よりも体を動かすことばかりを好んでいたそうだ。貴族学院も留年ギリギリのラインばかりで、一時は卒業も危ぶまれたのだという。数十分椅子に座り続ける事も出来ないような性格なので、とてもではないが当主の夫としての婿入りは無理だろうと。
「兄は確かに学院の成績は良くなかったけど…………サッパリした良い男なんです。正義感も強くて曲がった事が嫌いで……」
兄の事だけでなく、家を継ぐ姉や既に嫁いでいるというもう一人の姉についてもこんな良いところがあって、面白くて、等と説明している姿を見て、最終的にカリスタは彼と婚約する事を決める。
「イージドール様」
「はい、なんでしょう、カリスタ様」
「お話ししていて……イージドール様はご家族から愛されて、のびのびと生活されていたように思いましたわ。ですが私の夫となる事を選択すれば、いつも周りからどのような行動をするかを見つめ続けられる事となります」
カリスタの言葉から話の雰囲気を察して、イージドールは背筋をただして彼女に向かい合った。その真面目に対応しようとする心根がカリスタにはよく見えた。
「私は当主として、父の跡を継ぎますわ。当主には家門を守る責務があります。私はまだまだ未熟ですが、家門を守るために努力を尽くしますわ。その道は厳しさもある事でしょう。私の夫という事は、私が何かの理由でその責務を万全に過ごせない時に、私に代わって矢面に立つ事になるかもしれません。それは今までイージドール様が過ごしていた日常とは全く違う物であると想像できますわ」
イージドールはカリスタの言いたい事が分かっていた。確かにカリスタの言う通り、今までイージドールはそれらしい責任を負う事もなく、気楽に生きてきた。家を継ぐ事は長女が果たしていたし、家のために他家との縁を繋ぐ事は次女の結婚で十分な成果を見せている。貴族の家で男児が生まれれば様々な期待が寄せられる事が多いが、イージドールも兄も自分の向いている事を好きに行う事を両親や姉家族たちは許してくれていた。
カリスタと結婚すれば、それだけではすまない。自分が生まれ育ったのと別の家庭に入るだけでも大変だろうと想像できる上に、家一つを維持するために行わなければならない仕事は多いし一つ一つが重要だ。慣れぬ事をしていかねばならない。自分の行動一つ一つが周りから点数付けされるような事もあるだろう。
それを考えた上で、イージドールはこう答えた。
「カリスタ様。きっと私は最初、貴女にもブラックムーンストーン子爵家の方々にもご迷惑をかけるかと思います。ですが必ず、貴女の夫として相応しい男になります! …………あ、貴女が許して下されば……」
力強く言い切ったにも関わらず、途中で不安を覚えたのか、最後の言葉はどんどん小さくなって最後は殆ど掻き消えていた。しかしそれを聞いたカリスタはそっと微笑んだのだった。
こうしてカリスタ・ブラックムーンストーン子爵令嬢と、イージドール・ブラックムーンストーン男爵令息の婚約が調った。ジュラエル王国ではよくある、一族内部での婚約は、特に目立つ事もなく穏やかに受け入れられた。
二人はカリスタが二十歳、イージドールが十九歳の時に結婚した。その後二人は三人の子供に恵まれる。長女、長男、次女の順番で生まれた子供たちは両親や祖父母、使用人たちに見守られてすくすくと育った。
熱烈な恋愛から始まった関係ではなかったが、お互いの事を思いやる事をカリスタもイージドールも忘れる事はなかった。時々二人の仲を乱そうとするがごとく問題も起こったが――カリスタの愛人を狙った男の登場であったり、イージドールの親戚が彼と結婚するのは私だと主張してきたり――それでも二人はよく話し合い、信頼関係を築いて生涯夫婦として過ごした。
カリスタは自分の次の当主については、子供たちがある程度の年齢になるまで決める事はなかった。本人の意思ややる気、そして向き不向きを見て当主を定めたいと考えたからだ。父デニスもその決め方に否を唱えなかったので、子供たちは全員に当主になる可能性を残したまま大きくなった。末の次女が貴族学院を卒業したのち、長男が家を継ぐ事が決まった。長女は王宮に侍女として働きに出ており、時の王女殿下に気に入られていた。このまま王女殿下に仕え続けたいと希望したのだ。一方で次女の方はというと、貴族学院で一目ぼれした子爵令息を口説き落としていた。熱を入れている相手がいるとは聞いていたが、まさか本当に口説き落としてくるとは思わずカリスタは驚いてしまった。こう説明すると消去法のようであるが、元々兄弟の中で長男が一番当主の仕事に興味を持つ事が多かったので、収まるべき所に収まったというべきだろう。
■
子育ても少し落ち着いた頃、カリスタは父からグレイニーにいった祖父母とヘレンのその後の話を聞いた。
グレイニーは王都の貴族の中で人気の高い避暑地である。その時期になると貴族で賑わうが、普段は屋敷の家主の留守を任されている使用人たち等ぐらいしかいない。その中でも、父が祖父母らに用意した屋敷は、グレイニーの中でも中心から離れた、周りは自然ばかりな所に立つ屋敷だったそうだ。ヘレンが騒ぐ事を想定して屋敷を選んだという。
最初の間、ヘレンは泣いて騒いで大変だったという。幼い頃と何一つ変わらず、自分の希望を叫び続けたと。ニールと結婚して幸せになるのだと叫んでいたので、どういう感情から来るものだったにせよ、ニールを想っていたのは事実だったようだ。
なんとかニールの事を諦めてからも、服が欲しいあれが食べたいお出かけしたいなど、ヘレンの希望は後を絶たない。しかし祖父母がデニスから与えられたお金は、生活する分には問題なくとも散財する事は出来ない程度の金額だ。長年甘やかされた子供は、突然お金がないから厳しいのだなどと言われても理解出来なかった。
「いやあああああ! いやあああああああ!!!! 欲しいのおおおおおおおおおお!!!!!!」
甲高い声で泣きわめくヘレンに、先に耐えきれなくなったのは祖母だった。
ある日泣きわめくヘレンの頬を強く打ったかと思えば、泣きながらヘレンの傍を離れて自室に籠ってしまったという。祖父は祖母に声をかけたが、祖母は返事をしなかった。仕方なく祖父はヘレンの元へ行き、どれだけヘレンが泣いても騒いでも叶えられない事があるのだと伝え続けた。
使用人たちの何割かは、ヘレンが癇癪を起こし続ける普段は何もない田舎に居続けるのに耐えきれず、辞めて行った。祖父はそれを引き止めたりはしなかった。
一度、ヘレンが屋敷から姿を消した事があったという。最初は珍しく静かにしているのだと思っていた祖父は、食事の時間になってもヘレンが現れず不思議に思い、使用人に部屋に呼びに行くように指示をした。少ししてから使用人は血相変えて、ヘレンが部屋にいない事、部屋の荷物がいくらか無くなっている事を告げた。その前日にヘレンは王都に帰りたがっていたので、まさか王都に向かったのでは!? と騒ぎになった。
屋敷には常駐する馬車がない。祖父母たちが簡単に出歩けないようにデニスが用意しなかったのだ。必要な時だけ、グレイニーの中心の方にある貸馬車を借りなくてはならない。
グレイニーで貸馬車業者を営んでいる者たちに使用人がヘレンの行方を尋ねに行ったが、誰も彼もが首を横に振った。その日貸馬車にしろ馬にしろ、貸し出したという人はいなかった。
となれば、徒歩で行った事になる。確かにグレイニーに繋がる道は事故等が起こらないように舗装されているが、王都までは馬車でも数日間かかるのだ。歩いて行けるはずもない。
祖父は馬を一頭借り、ヘレンを連れ戻すために走った。ヘレンの見た目はそれなりに良い所の娘という風貌だ。金目当てにさらわれる可能性もあったし、そうでなくても若い女性が一人で出歩くなど、危険すぎた。
幸いな事にその日の夕暮れが出始めた頃、祖父はヘレンを見つけた。慣れぬ長距離移動で足を痛め、道路の横に生えた木の根元に蹲っていたのだ。
「ヘレン!」
祖父は馬を飛び降りてヘレンに駆け寄ると、一人泣き喚いていたのだろう、酷い顔のヘレンの両肩を掴んで叫んだ。
「なんて危険な事をしたんだ!」
「だって、だって王都にかえりたかったの、かえりたかったのぉぉぉおおぉぉ!」
うわああんと泣くヘレンを祖父は抱きしめて、彼女が落ち着いてから屋敷へと帰った。二人が屋敷についたのは、もう夜遅くという時刻だった。
祖母は帰ってきた祖父とヘレンを見ると、ヘレンを平手打ちした。止める間もない容赦のない平手打ちだった。そして彼女はヘレンを抱きしめた。ヘレンの背中に回っていた祖母の右手は、赤く腫れあがった。
「一人で向こう見ずに出掛けるなんて! なんて子なの! なんて子なの……!」
この一件以降、ヘレンは泣きわめく事が減ったという。ゼロになった訳ではないが、以前よりも短い時間で泣き止むようになった。
次第にヘレンはグレイニーでの生活を楽しみ始める。王都にあったきらびやかさみたいなものはないけれど、自然に囲まれる生活はヘレンに意外とあっていたらしい。庭師と共に花を育てたり、グレイニーに暮らしている平民の子供に誘われて魚を釣りに行ったりと、自由に暮らし始めたという。今では癇癪を殆ど起こさなくなり、祖父母とも仲良く、平民の若い女性としてグレイニーで普通に生活しているそうだ。
そのような話を聞いて、カリスタは良かったと思った。祖父母に対する複雑な感情が消えた訳ではない。ヘレンを嫌いだと思った事も変わらない。
それでもかつては本当の姉妹のように仲良くしていた事だってあったのだ。会いたいとは思わないが、彼女が成長して変わってくれるのならば、それが一番良いに決まっている。自身も結婚して子供を持った事で、カリスタはそう思えるように心境が変化していた。
■
物語を閉じる前に、その後の彼らについて軽く触れておこう。
祖母はヘレンとの関係が良好に戻った後、数年は元気だったが、階段で足を踏み外して歩けなくなってしまった。車いす生活になった祖母を祖父もヘレンもよく支えたものの、運動量が減った事が原因か、祖母はそのまま弱り、歩けなくなった次の年の夏に息を引き取った。生前の希望で葬式はグレイニーで行われ、デニスらも参列した。葬式でカリスタは久方ぶりにヘレンと顔を合わせたものの、少しの間お互い見つめ合った後、どちらからともなく視線をそらして、二度と彼女たちが会話を交わす事はなかった。
祖父とヘレンはその後もグレイニーで生活していた。ある年、避暑地を訪れた一人の貴族令息にヘレンは一目惚れをされ、随分と熱烈に口説かれたそうだ。ところがヘレンは彼が結婚後は王都の屋敷で自分と暮らそうと訴えてきた事を理由に、彼を振った。振られた後も令息はヘレンにしつこく迫ったが、ヘレンは頷く事はなかった。貴族を振ったヘレンは、それから暫くして庭師をしていた七つ上の男性と結婚し、子供には恵まれなかったが夫婦でグレイニーにある貴族の家の庭の手入れをして日々を過ごした。
祖父はヘレンの結婚を見届けた後、眠るようにして亡くなった。彼は妻同様、グレイニーでの葬式を希望した。
カリスタの母フィーネは、孫の結婚を見届けた翌年、息を引き取る。晩年は体を悪くしていたが、いつも笑顔を絶やさなかった。
妻を失った後、カリスタの父デニスはひ孫が生まれるのを見届けた一か月後に七十二歳という高齢と言える年を迎えてから亡くなった。年齢により体は弱っていたので前々から当主としての仕事の多くはカリスタに任せていたが、それでも毎日執務をこなし、王都を散歩するぐらいに元気であった。倒れる予兆らしいものは殆ど無かったが、前年に亡くなっていた最愛の妻フィーネの命日に、息を引き取った。
父の死後正式に爵位を継いだカリスタは、夫イージドールと息子たちの支えもあり、女子爵として三十年強に渡り、その責務を全うした。彼女は父に倣うように息子や孫たちに、早い内から仕事を手伝わせて覚えさせた。
長年彼女を一心に支えてくれたイージドールは、カリスタより先に亡くなった。それをきっかけとして、カリスタは息子に爵位を譲る。爵位を譲った後も、カリスタは家族のためによく働き、彼らを支えた。
イージドールが亡くなった一年後。ひ孫と遊んだ後、日の当たるサロンで一人ゆっくりと椅子に腰かけ休んだまま、カリスタは眠るように息を引き取った。奇しくも母を追うように亡くなった父のようであった。
享年八十五歳。彼女の子供たちは大往生だったと語り合った。
後書き
恐らく、こういう所がもっと見たかったというご意見があるかと思います。
ただこのタイトルで書きたかった話は既に書き終えていますので、ダラダラと続けたくない気持ちもあり、これを話の〆とさせて頂きました。
拙い部分が多い作品ですが、多くの方に読んで頂きました。皆さまのコメントやアクセスのお陰で、速度をあまり落とさず最後まで書くことが出来ました。本当にありがとうございました。
【追記】年齢についていくつかご指摘をいただきましたので、少し訂正させて頂きました。本筋には何も影響ありません。
ちょっとした補足
・デビュタント
王国でのデビュタントは「もういつでも婚約・結婚できますよ」的な意味合いのもの。成人とは異なり、何歳でデビュタントさせるかの決まりは正直ない。家による。だいたい十二、三歳ぐらいから十六歳ぐらいまでの間にすませる。
・貴族学院の入学年齢
何歳で入学という決まりはない。早ければ十歳ぐらいで入学する子供もいるし、家の都合で入学が十六歳とかになる子供もいる。また留年制度もあるので、同年入学しても同年卒業しない事も。飛び級もあるが、基本的には四年間在学する。遠方出身者のために寮もあるが、殆どの貴族は王都に暮らす親族や友人を頼って子供を下宿させて通わせる。