【01】婚約者が訳の分からない事言い出した
先にお伝えしておくと、この物語の家名はだいたい長い&同じ家名で爵位違いとか同姓の他の家とかが沢山あります。ご注意ください。
こちらの話で主に出てくる家名は以下の三つです。
・ブラックムーンストーン子爵家
・ツァボライト男爵家
・ツァボライト子爵家
「君との婚約は解消する」
「……」
カリスタ・ブラックムーンストーン子爵令嬢は、己の婚約者であったニール・ツァボライト男爵令息を無言で見つめた。
久方ぶりに、カリスタの住む屋敷に来て彼が発した最初の一言が、それだった。
ニールはカリスタより四つ年上。つい先日カリスタが貴族学院を卒業したので、準備期間を終え次第二人は結婚する予定であった。……その予定は今、無くなったようだが。
貴族らしい、家同士の結びつきによる婚約関係だった。解消されたのが誰の意思にせよ、カリスタ自身はそこまで否定はしない。
思えば、義務で出会い、義務で結びついていただけだった。互いに義理として婚約者として必要な最低限の事はしていたが、それだけ。まあ、解消ならばどちらもさほど傷にならないのでいいだろう。あえて言うのならもう少し早くしてほしかったとも思ったが。カリスタが貴族学院を卒業する前ならば、貴族学院で婿入りしてくれる相手を探す事も多少は出来た。
そう、この婚姻は婿入り前提のものだった。
ブラックムーンストーン子爵家には娘しかおらず、カリスタは跡取りとして育てられていた。ジュラエル王国は女性でも継げるので、正当な跡継ぎであるカリスタが女子爵となり、婿入りしたニールがそれを支えていく筈だった。
それが嫌だったのだろうか? ことさら自分がなにかをした記憶もないので、カリスタはそう考える。婿入りして当主になれるのならばともかく、婿入りしても当主の夫にしかなれないのに不満を抱く男性はいると社交界の噂話で聞いた事がある。ニールもその類だったのだろうか。
何にせよ、当事者であるとはいえカリスタとニールだけで決められる事でもない。そもそも婚約を決めたのは互いの親であるので、こちらは一度言葉を預かって、両親に伝えて終わりだ。突然別れを切り出された事に、怒りはなかったし理不尽にも思わなかった。貴族の中には婚約を破棄すると大勢の人間がいる場で言ってしまう愚かな令息令嬢もいるという。それならば、ブラックムーンストーン子爵家にきちんと先触れを出して訪ねてきて、従者以外誰もいない空間で解消したいと告げてきたニールは、かなり良心的な存在の筈だ。
(それにしても、ツァボライト男爵家の総意かしら)
多分違うわよね、とカリスタは思った。だって、婚約解消に伴うツァボライト男爵家のメリットが見当たらない。
この婚約は、女児しか子がおらずに当主となるカリスタの婿が欲しいブラックムーンストーン子爵家と、領地の商品を王都に売り込むために王都の人脈を求めたツァボライト男爵家の政略によるものだった。
解消になった場合、カリスタは新たに婿を一から探さなければならない。面倒だしカリスタの想像つかない問題も起こるかもしれないが、男爵家が負う可能性のある痛手を想えばそこまででもない。
男爵家はニールがカリスタの婿になるからという前提で、子爵家の持つ人脈をフルに使って商売を行っている。しかしカリスタの婿にならないのであれば、ブラックムーンストーン家側がツァボライト家の商売を手伝う理由は無くなる。既にしっかり関係を築けていれば良いが、中には手を切り出す者もあるだろうとカリスタでも予想がついた。
その事を考えれば、婚約を解消する利点がツァボライト家側に殆どないのは明らかだ。その事に疑問は覚える。
とはいえ堂々と宣言するのだからその後の算段は出来ているのだろうとカリスタは考えた。
「では、その旨はお父様とお爺様にお伝えしておきます」
「ああ、よろしく頼む」
話は終わった。メイドたちにニールがお帰りになるようだと合図を送れば、メイドたちはあくまでも丁寧にニールがジャケットを羽織ったりするのを手伝った。婚約は解消する方向で話が動くだろうが、お客様はお客様だ。当然のように手伝ってもらいながら、立ち上がったニールはカリスタを見下ろして微笑む。自信に満ち溢れた男の顔だった。
「君の今後は安心してくれ。将来のブラックムーンストーン子爵家当主として、しっかりと君の新しい嫁ぎ先を探しておこう」
「……はい?」
カリスタはそこで初めて混乱した。
婚約解消を告げられた時は、初耳の事だったのにとくに狼狽えなかったのに、このニールの言葉には狼狽えた。動揺を出来る限り抑えながら、こちらを見下ろすニールを凝視すれば、彼は人好きのしそうな好青年にしか見えない笑顔を浮かべて、訳の分からない事をもう一回言った。
「大丈夫、この家は僕と君の義妹のヘレンで守っていくから」