聖騎士団
聖教国フェルディアナ。その皇都における裏通りに似つかわしくない、白いマントの集団の姿があった。
寂れた風景とは裏腹に、彼らの装備は美しい輝きを放っている。とある建物の前にくると、集団はそこを取り囲むようにして展開した。
揺れるマントから覗く鎧は、白銀をベースに金の十字があしらわれている。この聖教国において、金の十字はただの紋様ではない。
神の代替者である教皇の下で動き、神の御心のままに悪を打ち砕く。正式名称を"聖騎士団"と呼ばれる彼らは、聖教国に住む人々に取ってまさしく正義の使徒だった。
「決して持ち場を離れるなよ。ネズミ一匹とて逃すな」
「はっ!了解しました、団長!」
1人の男が、敬礼をして去っていく。
団長と呼ばれた女性、カレン・シュトールはそれを見送り、目の前の屋敷を目を向けた。教皇のお膝元で行うには度を越し、あまつさえ"聖女"にまで手を出しかけた哀れな一組織の壊滅任務だ。哀れ、というほどの情を彼女は持ち合わせてはいないが、そんなことよりも気になることがあった。
いつも行っているような任務に過ぎないのに、何故こうも胸が騒つくのか。それが唯一の気掛かりだ。
屋敷は静かなままだ。それも、恐ろしいほどに。少しの声も聞こえず、生命反応すらも感じられない。マフィアの本部なのだからそれくらいの防犯対策はしているだろうが、それを差し引いても不気味な雰囲気があった。
だが、そんな直感のみで作戦を引き延ばすわけにはいかない。聖騎士団の名においても、悪を滅することはカレン達の使命なのだ。カレン自身はそこまで傾倒していなくとも、世間はそう認識している。
今回の任務は、成功すれば公表される案件だ。"聖女"の神性と、"聖騎士団"の力を示すために。ゆえに、失敗は許されない。
(まあ、失敗するつもりもないが)
騎士団に入ってから三年。カレンが一度も任務を失敗したことはない。最年少で団長という地位についたからにも、責任が他者よりも重いのは理解していた。
悪寒を振り払い、カレンは部下が規定の位置についていることを確認する。
「では、これから私と一個小隊で屋敷の中に踏み込む。可能ならば生捕り、不可能なら殺して構わない。何よりも貴君らの命を最優先しろ!」
「「はっ!!」」
カレンを先頭とし、騎士団の面々は屋敷の中へと足を踏み入れた。観音開きの扉を開き、手早く、静かに侵入する。
「なんだ......これは」
「うっ....」
扉を潜った瞬間、キツい鉄の匂いが鼻腔をついた。しかし、次の瞬間にはそんなことを気にする余裕は消滅する。
彼らが見たのは、打ち捨てられた数々の死体だった。床や壁、天井にすらも赤褐色の血液が飛び散っている。高級な絵画や花瓶は血をこれでもかというほど浴び、無価値な置物と化していた。
部下に生存確認をさせるが、生きている者は1人としていない。自分の感じた不安は間違いではなかったと確信し、カレンは死体へと歩み寄る。格好を見る限り、全員がここのマフィアの構成員だ。事前に渡された情報からもそれは間違いない。
だが、この惨状はどういうことか。
傷口を確かめれば、全員が急所を一撃で仕留められている。一寸の狂いもない、見事なまでの剣技。これをやった人物は途轍もなく強い。そうでなければ、こんなことはあり得ないだろう。
自らが剣の達人であるがゆえに、カレンはその技術の高さを想像して寒気が立つ。それならば、自分と同等....もしくはそれ以上であると当たりをつけた。
相手がマフィアであろうとも、これは紛うことなき殺人現場だ。犯人を探すことと並行して屋敷の捜索を続けることを決め、カレンは剣を抜いた。
「お前達は一階の捜索を続けろ。くれぐれも油断はするなよ」
「はっ!.....団長はどうするので?」
「私は2階を見てくる」
彼らにそう言い残し、階段を上る。いつでも戦闘に移れるように、警戒は緩めない。しかし2階に上がっても、カレンを待ち受けているのは静寂のみだった。
相変わらず気配はしない。
だが、戦士の勘とでもいえるものが、培ってきた自らの生存本能が、ここに何かがいると告げている。
十分に神経を尖らせ、長い廊下を突き進む。他に幾つか部屋があるのは知っているが、そこに気配はない。唯一、警鐘を鳴らしているのは奥の部屋だ。マフィアのボスがいるとされている、執務室。
壁にかけられた数百万の絵画には目もくれず、カレンは最奥の部屋へと辿り着いた。
「ふぅ.....」
覚悟を決め、扉に手をかける。
「やばっ!」
木枠が軋み、装飾のゴテゴテとした扉が開く。
最初にも後にも、目につくものは一つだった。部屋の真ん中——打ち倒された机の向こう側に立つ、一つのシルエット。
端が欠けたマントを羽織り、悠然とした様子で佇んでいる。手に持った剣は死体に向かって伸びており、血が滴っていることからもボスを殺したのがこの人物であることは明白だ。
そして恐らく、階下の惨状を作り出したのも。
フードを目深にかぶっているせいで、表情を窺うことはできない。しかし、気怠げな様子が見てとれる。
「それは....お前がやったのか?」
これで「いいえ」とでも答えられれば大いにに驚くのだが、マントの人物は悪びれる様子もなく頷いた。
「......ああ」
証拠は充分揃っているが、本人の口からも確証が取れた。しかし、これが不当な殺人なのかどうかは分からない。先に手を出したのがマフィア側だったのなら、聖騎士団といえど手荒な扱いをすることはできないのだ。
「私は聖騎士団団長、カレンという。事の詳細を聞くためにも、同行願おうか」
「断る」
ノータイムでの同行拒否には、さすがのカレンでも面食らった。この国で聖騎士団と名乗り、その要求を断るなど正気の沙汰ではない。
「済まないが、それは許容できないな。これは任意ではない」
「だとしても丁重に断らせてもらおう。君達に同行するつもりはない」
再び相反する意見。
マントの人物に同行する意思はない。そして、カレンは立場上それを認可することはできない。
ならば、やる事は決まっている。
カレンは自らの手に握った剣を構え、切先を相手に向けた。
「それならば実力行使に出させてもらうぞ」
「構わない。そちらの方が手っ取り早いしな」
「......恨むなよ」
「そちらこそ」
そう言葉を交わしたものの、黒マントに動く素振りはない。カレンは一瞬で魔力を練り上げ、身体強化を発動させる。滑らかな体重移動により前傾姿勢になり、その勢いのまま地面を蹴り出した。
変わらず、黒マントは身動き一つ取らない。剣を構えることもせず、ただそこに立っているのみ。それならば好都合。と、首ではなく腕に狙いを定めカレンは剣を振るう。
しかしその瞬間、ゾワリと背筋を冷たい何かが這い上がるのを感じた。
前が見えているのかどうかも分からないようなフードの底から覗いた暗黒色の瞳が——カレンの太刀筋を、首元まで引き上げた。
不味い、と思ったときには、流麗な動作でカレンの剣が受け流される。その出来事にも、自分が恐怖を感じたという事実にも、驚嘆の念を隠せない。
これでもカレンは聖騎士の中でも最上位に位置する剣士だ。少なからず、この国における正式な見解ではカレンは最強といっていい。その剣が、大した苦も見せずに受け流された。
驚愕、そして同時に嬉しさが込み上げてくる。いや、歓喜の方が勝ると言ってもいい。
あり得ないほどの剣の技量。幼い頃から剣を握っていた身だからこそ、その真価が今の一瞬で理解できた。そして、カレンは考えを改める。
これは騎士団長が悪人を捉えるのではなく。1人の武人としてこの男に挑戦する戦いなのだと。