プロローグ
憧れとは、得てして実現不可能なものである。
もちろん警察官だったり、消防士だったりと、努力すれば実を結ぶような憧れも存在する。しかし、それは本当に真の憧れと言えるものだろうか?
子供が最初に目にするのは不条理な現実でも、不自由な世の中でもない。無限大の可能性に満ちた、超常的な非現実だ。
日曜の朝にやっている特撮しかり、世界を救うスーパーヒーローしかり、初めに憧れるのはそんな存在ではないだろうか。あの希望と夢に輝いた瞳は、大人には無い物といっていい。
しかし、彼らは成長するにつれてそれを忘れてしまう。そんな事を言っていたな。などと軽い言葉で済まし、自分の心に蓋をするのだ。憧れは所詮憧れ、そろそろ現実を見なさいと。言われる人間は少なくない。今、この瞬間にも、子供が子供ではなくなっている。
かくいう僕もそうだった。
現実を知り、夢を忘れ、つまらない社会の歯車として人生を送ったものだ。それは確かに間違いではなかったと思う。日本、というか世界はいつまでも叶わない夢を見ていられるほど優しくない。
その諦念が、積もり積もったのが現状だ。それを変えたかったとは思わないし、自分の生き方に不満があったわけでもない。
——ただ、空虚だった。
それでいいのかと、自分に問いかけたのは一度や二度ではない。幼い頃に失った物は、決して戻らない。そして、人生はどうしたってやり直せない。
だがもし、二度目の人生が存在するのなら?
やり直すことはできないだろう。それはまったくの別物だ。
それでも、もう一度。もう一度。
願わくばそれが、叶えやすい世界であるように。可能性がゼロではない世界であるように。
僕は祈った。それが通じたかどうかは分からないけれど.....少なくとも、前よりはマシだろうと思う。
♦︎♢♦︎♢
目の前で開かれた大顎には、鋭利な牙が生え並んでいる。無駄に歯並びのいいその喉奥で、緋色の閃光が渦巻いていた。それを視認した直後、視界は赤色の光で塗り潰される。
その勢いのまま僕は吹き飛ばされ、岩壁に激突してやっと停止した。
竜族の十八番、ブレスともなれば中々の威力だ。空中で踏ん張ろうと思ったのに、一瞬気を抜いたらすぐに吹っ飛ばされてしまった。
そう、今僕が戦っているのはあの竜なのだ。ドラゴン、とも呼ばれるそれは、巨大な翼をはためかせながら鋭い眼光で僕を睨んでいる。
まさにファンタジーといった光景に、先程から感動が止まらない。と、雑念もそこそこに魔力を使って空中に足場を作り、竜と同じ目線に立つ。
「良い威力だったよ、今のブレス。ちょっと熱かった」
ひらひらと右手を振ってみれば、服の袖が少し焦げている。全焼して森の中で裸になるなんて大惨事を回避できてよかった。
そう思い称賛の言葉を送ったつもりなのだが、それに反して竜からの殺気は更に強まったようだ。口の端からは紅い炎が漏れ出している。熱気からもそれが分かるように、この辺り一帯の温度が上昇しているのを感じた。
動物でも人間でも、我を失っている方がやり易い。攻撃的にはなるが、比較的単調なものになりがちだからだ。相手が竜ともなれば、大雑把な攻撃など問題にはなり得ない。
身体がデカい分避けやすいから。代わりに一撃の威力は馬鹿にならないけど。
「ゴルアァァァァァァ!!!!」
発せられた咆哮に、森が揺れる。覇気、とでも呼べそうなオーラがこの戦場を支配していた。僕にかかる重圧も、一層重さを増した気がする。
一触即発の空気の中で、僕も魔力を纏うことで臨戦態勢に入った。
そして、竜が動く。
その速度はまさに音速。瞬く間に眼前に迫り、鉤爪を振りかぶっている姿が目に入る。ソニックブームが巻き起こり、空をつんざくような大音響が遅れて響いた。
それと同時に爪が振り下ろされ、防御を余儀なくされる。こんなものを見せられては、加減するのも無粋というもの——。
鉤爪の間に指を入れるようにして、それを受け止める。万力の一撃だったが、僕は微動だにしない。傷一つつけることも叶わない。
受け方を間違えたため手のひらがジンジンと痛むが、それも些細なことだ。今、竜の感じている驚きに比べれば。
僕はもちろん動いていないが、同様に竜も動かない。否、動かないのではなく動けないのだ。触れている手から魔力を竜にまとわりつくようにして流し、行動を阻害している。そうでなくとも、力を入れて抑えれば同じ結果が得られるのだが、少し検証してみた。
やはり魔力というのは使い勝手が良い。日本には存在していなかった謎エネルギーだが、汎用性が高過ぎる。これまで努力して魔力総量を増やしてみたり、上手く扱えるように訓練してきた日々は間違っていなかったようだ。
晴れの日も雨の日も雪の日も雹の日も火山灰の日も、来る日も来る日も行った魔力鍛錬は嘘をつかない。強さを求めた日々は、無駄ではなかった。その事実だけで救われる思いだ。
「ガアァァァァァァァァァァァ!!!」
「ああ、ごめんね。放置して」
さすがは竜というべきか。魔力による拘束を引きちぎり、一旦距離を取る。そして充分な助走距離を確保し、弾丸のように突っ込んできた。例に漏れず音速を凌駕している竜は、竜気と呼ばれる固有エネルギーを纏い突進してくる。
魔力とは別物である竜気は、さながら不可視の装甲となって竜の巨躯を包み込む。あれだけの質量を持つ物体がぶつかれば、人間の体などひとたまりもない。激突までの猶予は1秒もなく、絶対絶命の状況。
「さあ、おいで。受け止めてあげよう」
だからこそ、笑う。そうでなければ僕の理想とは程遠い。
両腕を広げ、竜を待つ。魔力による防御も忘れない。これで吹き飛ばされたりしたら格好が付かないからね。そんな醜態を晒すわけにはいかない。
「舐めるな!小僧!!」
「え?」
そう声を漏らした時には、僕達はぶつかっていた。君、喋れたんだね......。しかし、やはり僕は動かない。インパクトの瞬間、竜と激突する箇所に魔力を集中させたのだ。言っていることは単純だが、これがかなり難しい。今回は分かりやすい攻撃だったから楽だったが、実戦で使用するとなると魔力の体内移動がネックになってくる。
そんな事を考えている間に、竜の勢いは完全に消失していた。
「馬、鹿な.....」
「気は済んだでしょ?次は、僕の番。歯ぁ食いしばりな」
流麗な動作で空中に力強く踏み込み、腕をしならせる。魔力を纏ったゲンコツが、竜の脳天に突き刺さった。
たかがゲンコツ、されどゲンコツだ。きちんとしたフォームと鍛え抜いた肉体よるそれは、容易く竜の鱗を粉砕する。がちんと大きな音を立てて顎が閉じられ、上からの圧力で地面に落ちた。
断末魔を上げることすら出来ず、竜は動かなくなる。
これで遂に、僕はこの森の覇権を手にしたということになる。竜との戦いにより、見るも無惨な有様になっている森だが、そうでなければ美しい大森林なのだ。
それよりも、竜と戦って実感した。僕は強い。そこらの人間や魔物よりも圧倒的に。
最強種と名高い竜を下したことで、それは証明されたも同然だ。感動に胸が熱くなり、つい魔力を放出してしまう。この10年で練り上げた魔力が天を突き、一筋の柱を作り出す。
「これなら、いける。なれるはずだ......!」
僕がこの世界に転生して早10年。涙あり、笑いありの人生を語れば日が暮れてしまう。
魔力の存在する剣と魔法のファンタジーに転生したからこそ、前の人生でやり遂げられなかったことを今世では成し遂げて見せる。
憧れを、現実に。
そう、僕の憧れた——魔王への道は開かれた!