6.カメラで、撮りたいと思ってしまった
「ミレディ嬢、今日もまた大量ですね」
アルはどっさりと積まれたアルバムの奥でいつもの微笑を浮かべた。
あれから、よくふたりで会うようになった。
ある時は聖地を巡り、ある時は攻略対象を撮影する。またある時は、こうして男子寮近くのテラスで写真を眺め合う。
おかげでほんの少しだが、アルの感情がわかるようになってきた。嬉しい時は声が弾み、沈んでいる時は顔を見せまいとする。
モブといえど、生きている人間。ポーカーフェイスの中にも感情の変化は当たり前にある。
ちなみにリアは留守番だ。
連れてきてもいいかな、とも思ったのだが、主人の婚約にヤキモキしてる彼女のことだ。きっとアルを質問攻めにするだろうし、わたしにもスッポン級に食らい付いて尋問してくるに違いない。
そうなったら、ちょっとどころじゃなくめんどくさい。
そもそもアルはカメラに理解があり、聖地巡礼にも付き合ってくれる友達、いわば同志なのだ。
婚約だのなんだのという契約上の関係になるなど今更考えられない。うんうん、そうだそうだ。
──そんな楽しい日々が続き、わたしたちは学院で2年目の春を迎えていた。
春といえば、『告白の丘』で満開の大樹を見れるはずだった。
が、残念ながら満開前に大雨が続き、花の季節が過ぎてしまった。
ゲームのクライマックスシーンがシャッターチャンスということらしい。まったく、粋なことをしてくれる。
「しかし、きょうはいつにも増して多いですね……」
「ええ、いつも同じような風景ばかりでしたので、きょうは趣向を変えてみました」
「それは楽しみですね」と言う口元の笑みは相変わらず変わらない。
ただ、声色が少し弾んでいるように感じられたので、多分これは彼の本心からの言葉だろう。
ぱらり、とアルバムをめくった彼の瞳はわずかに開かれた。驚いたようだ。
「きょうのアルバムは攻略たいしょ……じゃなくて、人物を写したものを主に持参しました」
「……なるほど、確かにこれは今までと趣向が違いますね……」
うなずきながらめくり続けるアルの手は、とあるページでぴたりと止まった。息を呑むような音が聞こえ、何か真剣に考え込むようにじっと写真を見つめている。
ページをめくる時は、いつも同じペースでテンポ良く見ていくのに珍しい。
なにがそんなに引っかかるのか、とそっとのぞきこんでみると、どうやらハノンとローランが一緒に写っているページのようだ。
柔らかく微笑むふたりの写真に思わずわたしもにやにやしてしまう。
のぞきこむわたしに気づかないほどに、アルは集中していた。いや、心ここにあらず、という感じだ。少々視線が険しい。
……も、もしかしてアルって……。
わたしはひとつの可能性に気づき、あとずさりした。
……ハノンのことが好き?
これだけ真剣に写真を見てるし、多分そうだろう。
ということは、厳しい視線もローランに嫉妬してるのかもしれない。
そりゃハノンは可愛いよ?
超可愛くて小動物的な可愛さと可憐さもあって、何が言いたいかというとめっちゃ可愛いよ? 惚れちゃうのも分かるよ?
でももうローランっていう決まった相手がいるからなぁ……。写真からふたりに入り込む隙間がないってわかってくれたらいいんだけど。
いや、アルもいい人なのは分かってる。
わたしに良くしてくれるし、いつもニコニコしてくれるし、急に出かけるってなってもついて来てくれるし。リアと同じくらい信頼できる人だなと思ってるよ?
できることなら、彼の恋が成就してほしいとも思っている。
ただ、恥ずかしがり屋なのかアルはハノンと接点がないのよね。お互い話しかけたりとかもないし。
それはもう、1年彼女をパパラッチしまくったわたしが一番理解してる。
この奥手男子の恋、応援したい気持ちもあるけど……結果がわかってる分それは残酷な気もする。
……うん、ごめん、アル。背中を押してあげることはできないかも。
脳内でそう結論づけると、わたしは素知らぬ顔で口を開いた。
「よく撮れてるでしょう?」
「え、ええ……ローラン王子殿下と、ブラモンド男爵家のご令嬢ですね」
後ろから声をかけられると思ってなかったのか、アルは驚いたように振り向くと再び笑みを作った。
「ええ、よくご存知で」
「なんとなく放っておけない女性だとローラン……王子殿下が仰って……たのを、友人が聞きましてね」
珍しく歯切れが悪い。
やっぱりハノンのことが……。
同志とはいえ、この手の恋愛、まして失恋確定の恋愛をしている人にどう声をかけていいか分からない。
前世でも今世でも、いわゆる喪女なわたしにはそういった経験が全くない。
わたしは曖昧に微笑むだけしかできない。
「……この写真はいつ撮られたのですか?」
アルは1枚の写真を指さした。
ハノンとローランが笑っている。
一見、他の写真と変わらない構図に見えるが、さすがアル。わかってるな。
「これはですね、つい最近、冬ごろの写真ですね。ハノ……ブラモンド男爵令嬢が階段から落ちかけ、殿下が支えられた時のものです」
その階段から落ちかけたのも、エリミーヌに突き落とされたからに他ならない。
このあたりから、だんだん嫌がらせが直接的になってくるのよね。
まぁ大体が攻略対象に助けられる展開だから、わたしは安心して撮影に臨めるんだけど。フラッシュ事件? あれは不可抗力です。ノーカンです。
わたしの言葉に、アルは納得したようにうなずいた。
「そうでしたか、他のものは殿下の目線が下を向いていますが、これだけは上を向いているので気になって」
「そうなんです!」
さすが、やっぱりアルはわかってた。
食い気味に言うわたしに、アルはこげ茶の目をぱちくりさせる。
「いつもは絶対的な身長差で殿下が下を向くので、瞳の青みが深くなるんですが、この階段の段差を利用した身長逆転! これにより斜め45度を向いた殿下のこの首筋に浮かんだ胸鎖乳突筋! これはたまりませんわ! しかもお互いの表情がより生き生きとする上に、うつむき加減のハノンという大変レアな絵を撮ることができ……」
「ちょ、ミレディ嬢、お、落ち着いてください」
慌てて止めてくるアルにはっとしたわたしは、こほんとひとつ咳払いをし、席についた。
危ない危ない。このまま性癖について熱く語ってしまうところだった。
さすがに貴族の娘がこの筋肉がどうの、シチュエーションがこうの、とおおっぴらに品評し出すのは良くない。自重しよう。
急にしおらしく黙ったわたしに、アルはくすり、と品良く笑った。
「ミレディ嬢は……ローラン王子殿下を愛してらっしゃるのですね」
あれ? なんか勘違いされてる? わたしがローランに横恋慕してるみたいに思ってる?
わたしは大慌てで首を横に振った。
「そういうのでは……殿下は推しというか……」
「オシ……? 愛とは違うのですか?」
首をかしげたアルに、わたしは大きくうなずいた。
「ええ、愛、となると相手とどうにかなりたいとか、そういう気持ちも含まれてくるとおもいますが、推しはそういうの、一切ないんです。愛なんて恐れ多いです」
「は、はぁ……」
「どっちかというと応援したい、とか、元気をもらえる、尊い、わたし以外の人にもこの人の魅力を知ってもらいたい、というか……」
「……………」
あ、しまった。またアルを置いてけぼりに語ってしまった。いけないいけない。これ以上は黙っておこう。
口をつぐんだわたしと彼の間で沈黙が流れる。
正直、ハノンに恋心を抱いている彼には分かりにくい感情だろう。実際彼は今、口元に手を当てて考え込む素振りを見せている。
しばらくそうしていたアルは、ひとつうなずくと口を開いた。
「……なるほど、なんとなくですが、分かりますね」
「ホントですか!?」
「ええ。僕は写真のことは素人ですが、風景はさることながら、人物の最高の時を切り取るミレディ嬢の腕は確かなものだと思います。この魅力を誰かに伝えたい、そんな気持ちが伝わってきます」
「そ、そうですか? そんな大層な」
わたしは赤くなる顔をまぎらわすように、手をぱたぱたと横に振った。
そんなに褒められると、ちょっとどころじゃなく照れる。しかも結構本気で褒めてくれるなんて嬉しい。
真っ直ぐ見つめてくる彼の視線からも、それがお世辞じゃないことは理解できた。
「事実、僕はこんな魅力的な笑顔、見たことありませんでしたし……」
ふ、とアルバムに目を落としたアルは、少し寂しそうに笑った。
ああ……ハノンが他の男の前でこんなに自由に笑ってるのが辛いのか……そうか、そこまで彼女のことを……。
でもでもでもっ、その恋路は応援できない……!
結末を知ってて応援してアルに期待を持たせるなんて、そんな残酷なことはできない。
……でもせめて、少しでも元気になれるのなら……。
わたしは意を決して、切り出した。
「あの……もしよろしければ、このアルバム、お貸ししましょうか……?」
「……!? いいのですか? 大切なものでは……?」
「いいんです」
驚き顔を上げた彼に、わたしは不器用にも微笑んだ。
「このアルバムはわたしの推しがたくさん詰まっています。これを見ると、明日も頑張ろう、とか、今日もいい1日だったな、とか思えるんです」
「…………」
「だからもし、アル様が辛い思いをされてるなら、わたしはそれを少しでも和らげたいです。そのためならなんでも、差し上げましょう。わたしたちはなんと言っても、同志…….なのですから」
アルはまばたきひとつせず、わたしをじっと見つめている。口元には相変わらずの微笑みが浮かんでおり、表情は掴めない。
ううう、なんか真面目な顔で同志、とか言っちゃったの恥ずかしくなってきた。あんまこっち見ないで。
照れ隠しで視線をそらし、わざとらしくおどけた声を上げてみる。
「あ、ああ! もちろん、これじゃなくて風景の方がよろしいならそちらをお持ちいたします」
「いえ」
アルは首を振ると、
「これが、いいです」
と、目を細めた。その腕にはしっかりとアルバムが抱かれている。
写真とはいえ、そんなにも大事に扱おうとしてくれるなんて、ハノンは幸せ者だなぁ……なんかちょっと妬けちゃうかも。
「……応援したい、か……」
ぽつりとつぶやいたアルは肩をすくめた。
何かを諦めたような、それとも新たに決意したような口調が、なぜかわたしの胸を締め付けた。
何か声をかけなければ、でもなんて言えばいいのか……。
「あの……」
「ミレディ……様」
「は、はいっ」
急に名前を呼ばれ、裏返った声で返事をする。
おかげで彼の呼び方が『嬢』から『様』になっているのに気づくのが遅れた。
わたわたするわたしを気にした様子もなく、アルは口を開いた。
「ありがとうございます。ミレディ様の推し、拝見させていただきます」
ひゅ、と息が止まりそうになる。
──破顔。
いつもの口元だけの笑みはそこになく、声は今まで聞いた中で一番明るく、頬は上がり、優しげに目は細められていた。
これが彼の本当の笑顔、なのだろう。
メインキャラ以外を今まで撮りたいと思ったことは一度もないのに、なぜか無性にアルの笑顔を撮りたくなった。