4.カメラがいうことをききません
そんなこんなで1ヶ月が経ったある日のこと。
学内のありとあらゆる場所をカメラに収めたわたしは、中庭のパラソルの下でのんびりとアルバムを眺めていた。
リアは子爵家から荷物が届いた、と言って席を外している。
彼女がいたらきっと、「お嬢様、写真よりも生身の人間、特に男性とご交流されてください」とお尻を叩かれてたに違いない。
わたしは上機嫌でページをめくった。
今のところ、イベント写真に漏れはない。
というのもイベントの中心となるハノンと同じクラスだからだ。意識的に張り付いていなくとも時間割り通りに動いていれば勝手にイベントが始まる。
ちなみに、ローランとエリミーヌ、ついでに取り巻きも同じクラスだ。
数日見た感じ、ハノンはローラン以外の攻略対象とは初回の顔合わせ程度で、同じクラスのローランとのイベントが多めだ。そしてそれを、エリミーヌたちが面白くなさそうな顔で見ている。
ま、現実でも同じクラスの方が仲良くなるよね。わざわざ他のクラスの異性とコンスタントに関わるって結構難しいし。
逆ハーレムエンドも捨てがたかった。
が、王子含めた貴族たちが、婚約者そっちのけでひとりの女性をめぐって共存するのは現実的に考えて難しいだろう。ルート分岐条件も複雑な上に、今からじゃ確実に無理だ。
いやー、でもハノンと一緒にいる時のローラン、いい顔してるのよね。ハノンも嬉しそうだし。
ふたりが写ってる写真を見ると、こっちまで笑みがこぼれそうになる。
──リアがいないからか、少し写真に夢中になりすぎたのかもしれない。
「ちょっとどういうこと? ご説明していただけません?」
ずしゃ、と何かが滑るような音ともに鋭く冷たい声が飛んできた。
なにごとか、とそちらを振り向くとエリミーヌとその取り巻きが腕組みをして立っている。そしてその足元に、ハノンが尻餅をついた形でしゃがんでいた。ドレスには泥が付いている。
その光景にピンと来た。
あ、これ……エリミーヌの嫌がらせイベントだ。
となると、たしか好感度の高い攻略対象がいい感じの時に助けに来てくれるはず。今ならローラン一択か。
下手な手出しは無用。わたしはモブなんだし。
わたしはアルバムとカメラを引っ提げ、茂みの中に隠れた。隠れる途中にカメラが枝に引っかかったが、急いでいたわたしは無理矢理引っ張った。
「え、えとその……」
「ローラン王子殿下の婚約者がどなたかご存知ないの?」
「ここにいらっしゃる、エリミーヌ様よ! なのになんであなた、王子殿下がお優しいからってつきまとって!」
「わ、わたし……つきまとってなんか……」
「おだまり!」
「下位貴族のくせに生意気だわ! 王子殿下とエリミーヌ様のお気持ちを考えなさい!」
「まさか王子殿下とエリミーヌ様の仲を引き裂こうだなんて思ってないわよね!?」
「まぁ! 下位貴族ごときが王子殿下と釣り合いが取れるとでも思っているのかしら」
ハノンの言い分を聞かず、取り巻きたちは口々に彼女を罵った。
縮こまる彼女を、エリミーヌはただ黙って見ている。その口元にはいやらしい笑みが浮かんでいた。
ハノンの言葉は本当だ。
どちらかというと、学院生活に慣れないドジっ子ハノンを構いに行っているのはローランだ。ローランにご執心なエリミーヌも本当はそこに気づいているはず。
しかし彼に直接注意するのははばかられ、ハノンに八つ当たりしてるだけだ。本当は主人公の選択の結果ではあるが、そんなことはこのふたりどころかローラン本人も理解できていないだろう。
「ほ、ほんとです! 私、何も……王子殿下に近づこうだなんて……!」
「……本当に、ローラン様のことをなんとも思っていないのね?」
口を開いたエリミーヌに、ハノンはこくこくとうなずいた。その必死な様子にエリミーヌは笑みを深くする。
「そう、なら、今からローラン様の前で裸踊りでもしてもらおうかしら」
「は……だか……?! そんな」
「できない、とは言いませんわよね? なんとも思っていないならできるでしょう? それか、ローラン様に殴りかかるのはいかがかしら? 雑巾汁のお茶をお出しになってもいいわね」
口からすらすらと出てくる辱めの数々に、ハノンは顔色を失っていく。
どれを選んでも不敬罪で罰せられる。しかし、自分にその気がないと証明するには、どれかを選ぶしかないようにエリミーヌは誘導しようとしていた。
絶体絶命だ。
不敵な笑みを浮かべるエリミーヌに勝ち誇ったような取り巻きたち。そして顔面蒼白で震えるハノン。
ゲームで見るより緊迫感がすごい。
「ほら! さっさとやりなさいよ!」
「じゃないとドレスが汚れるだけじゃ済まないわよ!?」
しびれを切らしたエリミーヌは手を振り上げ、薄笑いを浮かべながらハノンの頬目掛けて平手を打ち付けようとする。
目を瞑るハノン。
わたしはごくり、と生唾を飲み込むと、無意識にカメラに手を添えた──しかしこれがいけなかった。
パシャパシャパシャパシャパシャ……!
「きゃっ!」
「な、なにごと!?」
「光が!?」
突然、カメラが連写し始める。しかも、フラッシュ付きで。
……そ、そういえば、さっき学内の聖地を撮ってた時に暗かったからフラッシュ焚いたんだった……っ!
わたしは慌ててシャッターボタンから指を離した。断続的に光を発していたカメラは、荒ぶっていたのが嘘のように沈黙した。
どうやらわたしの指がたまたまシャッターボタンを押してしまったらしい。押しただけなら連写にはならないはずだが……。
もしかして……さっき枝に引っ掛けた時に連写モードに設定されちゃった……?
茂みの厚さがそんなになかったためか、フラッシュの光はハノンたちにも届いている。
エリミーヌは平手を引っ込め右往左往しているし、取り巻きはふたりで抱き合って怯えている。ハノンはうずくまって目を閉じたままだ。多分、何が起こったのかすら分かっていない。
「な、だ、誰!? こんないたずら、許しませんわよ……っ!」
「そ、そうよそうよ!」
「許しませんわ!」
光が収まったからか、エリミーヌたちはこちらに食ってかかるようにずんずんと向かってくる。三人とも、キツい顔付きが悪鬼のように怒りに染まっている。
ヤバい。バレたら何されるかわからない。
逃げようにも茂みから動いたら目立つ。そして中庭の出入り口まで隠れて移動できるほど、茂みは長くない。
万事休す……というところで、エリミーヌの足がぴたりと止まった。
「どうされましたか、エリミーヌ様」
「……ま、まさか……先ほどの光は光魔法……もしやローラン様が……?!」
怒りで赤く染まった顔が今度は青白くなる。
目は泳ぎ、汗が吹き出してきたようで、彼女は懐から出したハンカチでしきりに額をぬぐった。
……あ、そういえば王族って光魔法が固有魔法だったっけ。もしかしてさっきのフラッシュ、ローランの仕業だと勘違いしてくれた……?
じっと様子をうかがっていると、エリミーヌはゆっくりとぎこちなく回れ右をした。
「きょ、きょうのところはこれくらいにしておきましょうか。おふたりとも、行きましょう。ブラモンド家のお方、ごきげんよう」
「え、ちょ、お待ちください!」
「エリミーヌ様?!」
捨て台詞を吐き、三人はいそいそと中庭から出て行った。
後に残されたのは泥だらけでぼんやりしているハノンと、腰が抜けたわたし。
ええと……ゲームでは平手打ちの後に突き飛ばされてからの攻略対象登場、だったはずだからそろそろ……。
などと思っていると、
「どうされましたか……ってブラモンド嬢! どうしたんだ、こんな泥だらけで」
と、ちょうどローランが通りかかってくれた。
もう少し早く来てくれたらわたしの寿命も腰も無事だったんですが。
「いえ、その……転んだだけです」
「転んだ……? ならば医者に見せないといけないね」
そう言うと、彼はハノンをひょい、と抱き上げた。いわゆる、お姫様抱っこだ。
「え? え?」と動揺するハノンを、ローランは当然だと言わんばかりにのぞき込む。
あああ、そうだった!
これがこのイベント一番のシャッターチャンス……!
わたしはフラッシュを解除すると、急いでカメラを構える。
カシャカシャカシャカシャ……!
本当は抱き上げる瞬間も撮りたかった……と落ち込みかけたが、遅れを取り戻すかのような連写モードのおかげで、沈みかけた気分も少しはマシだ。
それに、撮るごとに顔が赤くなっていくハノンと優しく微笑みかけるローランが初々しくて可愛い。
やはり推しは正義……!
「で、殿下……っおろしてください……! 歩けます……!」
「もし怪我でもしてたらどうするんだ」
「だ、だからってこんな……誰かに見られたら……」
ハノンは赤い顔でくちごもる。そんな彼女に、ローランは何かを察したようにささやく。
「心配しなくていい。誰にも見せない」
微笑んだローランの言葉がよく分からなかったのか、ハノンはきょとん、とまたたいた。
ふたりが中庭から去るまで、わたしは満面の笑みで連写し続けていた。
「お嬢様、お待たせいたしました……っていかがされました?」
「……え? あー……リアか……おかえりぃ……」
どのくらい時間が経ったのか。
おそらく数分もしてないだろうが、茂みの中で余韻に浸っているわたしに、戻ってきたリアが声をかけた。
「お嬢様、もしやまた……」
「あー……うん、ちょっと写真撮ってた……」
リアは大きくため息をつくと頭を抱えた。
いい写真が撮れると大体こうなる。加えて腰が抜けて動けない。
「まったく、毎度毎度……キャメィラもほどほどにしてくださいね」とプリプリしながら言うリアに引きずられるようにして、わたしは中庭を後にした。
──その一連の光景を、他に見ていた者がいるとは知らずに──。
次回は明日です