14.カメラのご褒美
「殿下、ひとつご報告がございます」
エリミーヌが去りひと段落した、と皆がホッとした頃、アルがローランの前にひざまずいた。
そのかしこまった様子に、なごやかになりかけた周囲はまた引き締まった雰囲気になる。
あー……この流れもシナリオにない。きょうはイレギュラーばかり起きるなぁ。
おかげで撮影もはかどるけど。
「なんだ」
「実は本日、皆様にお配りした写真以外は僕が撮ったものではございません」
一瞬ざわり、としかけたが、ローランが手で制する。
「では誰が?」
すぐさまローランが問う。まるで既定路線のようなテンポの良さだ。アルは顔を上げ、そのまま首をこちらに向けると、
「あちらのフィーレ子爵家のご令嬢、ミレディ嬢がこの2年間、撮影し続けてくれていました」
と、いつものように口元に微笑を浮かべた。
みなの視線がわたしに集まる。2階でカメラ構えて寝そべっている、わたしに。
一斉にぐりん、と向いた顔、ちょっと怖いです。
生まれてこの方、こんなに注目されるなんてこと、前世でも今世でもなかったので思わず「ひぇ……」と声を上げそうになった。
「……ミレディ・フィーレ、こちらに降りてきてくれないか?」
ローランが呼んでいる。
無理。むりむりむり。推しに存在確認されて名前呼ばれるとかなにそのご褒美。
あ、まずい。なんとか座れたけど腰が抜けた。
隣でリアが「お嬢様、皆様に見られています。早急にお立ちくださいっ!」と慌てている。
ごめんだけど立てないわ。わたしここで一生を終えてもいい。享年、17歳。この世界に来て2年。儚いけど図太い人生でした。
首を小刻みに振る。引っ張り上げようにも、リアの力ではわたしを立たせることはできなかった。
「ミレディ様」
聞き覚えのある温かな声が、すぐ近くで聞こえた。
振り向くと、いつの間にかそこにはアルがいた。わざわざ2階に上がってきてくれたのだろう。
やっぱりいつものアルだ。アレンドル、なんて呼ばれてるのは何かの間違いだったんじゃないかな。
笑みを浮かべてこちらに向かってくる彼に、そんな期待が胸をかすめる。
「腕を」と言われ、素直に彼の肩に腕を回した。
肩を貸して立たせてくれるなんて優しい──と思っていたら身体が宙に浮いた。
「……!? ちょ、あ、アル……?!」
「まぁ! お嬢様……!」
眼前にはアルの顔。背中と膝下に、自分以外の肌の温もりがドレス越しに伝う。
いわゆる、お姫様抱っこをされているのだ。わたしが、アルに。
いやいやいやいや……! ど、どどど、どういうことなの……?!
驚きのあまり固まっていると、アルは優しげな瞳をこちらに向けた。
「しっかり掴まってくださいね」
微笑みを向けられ、自分でもわかるくらい顔が熱く、真っ赤になった。
ゆっくりとローランの方へと歩き出した彼を直視できない。
至近距離すぎる。というか、肌が触れすぎる。息もかかる。かぐわしい匂いがする。やだ、匂いなんてわたし、変態みたいじゃない。
いやいや、前世でも今世でもこんなシチュエーションなかったよ。これで平常心でいろって方が恋愛経験値ゼロのわたしにはハードル高いよ……!
恥ずかしさとむず痒さに暴れ出しそうになるのを必死で抑えて、黙って彼にお姫様抱っこされるしかない。
わたしが暴れたら階段を降りてるアルもろともまっさかさまに落ちる。
もちろんみんなに見られながら。
いや、その方がむしろいいか? いやいや、わたしはいいけどアルを巻き込むのは忍びない。
リアに至っては「お嬢様、おめでとうございます!」などと意味のわからないことをのたまっている。
ホント、意味がわからない。
わたしのことをなんとも思ってないにしても、アルはハノンに、好きな女の子に他の子を抱っこしてる姿を見せてもいいの……?
アルを盗み見る。
いつも通りの笑みを浮かべる形のいい唇。優しげなこげ茶色の瞳に、長いまつ毛が少しだけ影を作り絶妙なコントラストを描いている。
わたしを抱えているのにも関わらず、背筋がちっとも曲がらない。
モブ男子よろしく、なんの変哲もない黒の目立たないタキシードも、アルが一番着こなしがいいように見えた。
……ズルいわ。アルだけ余裕。アルだけカッコいい。わたしだけこんなドキドキしてるなんて。
いつものわたしならカメラを向けてると思う。けど、そんなことは頭からすっぽり抜けていた。
やがてゆっくりとローランのもとにたどり着くと、わたしは支えられながら降ろされた。
と、とりあえず、カーテシー……で、いいんだよね?
及び腰になりながらも、礼の形を取る。
「良い。顔を上げてくれ。ミレディ・フィーレ」
ローランの声に、おずおずと顔を上げる。眩しい笑顔がそこにあった。
「よくやってくれた。あなたのおかげで、我が婚約者の本性を炙り出すことができた」
「い、いえっ、ワタクシなど、ただ写真を撮っていただけで……っ。ハノン様を一度もお助けできなかったのは申し訳なく思っています……っ」
首を勢いよく振るわたしに、ローランは「謙虚だな」と苦笑した。
いえいえ、ホントに。
わたしがフラッシュ焚かなかったらシナリオ通りに事が進んで、もっと楽に断罪できてたはず。ちょっとその罪悪感がすごい。変な汗出てきた。
笑顔が引きつりそうなわたしの横で、アルが声を上げた。
「殿下、この件は、僕がミレディ嬢に頼んだのです。ハノン嬢に危害が及びそうになっても構わず撮影を優先させて欲しい、と。ハノン嬢には申し訳ないことをしました」
え? そうだったっけ?
あまりに流暢な彼の物言いに、思わず自分の記憶を疑いそうになる。
「わ、私のことは大丈夫です、ローラン様にいつも助けていただいてたので……」
「ハノン……」
頬をぽっと染めるハノンを愛おしげに見つめるローラン。
これは告白の丘の結果も期待できそうな雰囲気だ。すごく、ものすごくお似合いだもの。
しばらくラブラブな空気をかもし出していたふたりは、慌てて視線をそらした。いいのよ、もっと見つめあってても。誰もとがめないから。
わたしがニヤニヤしていたのを見たのか、ローランが少々赤い顔で咳払いをする。
「褒美を取らせよう。何がいい? 富でも名声でも、なんでも好きに言うといい」
あら太っ腹。さすが一国の王子は違うわー。
とはいえ、お金も名誉も別に欲しくない。
でもなにかしら言わないと勝手にいろいろ押し付け……じゃなくて贈られてきそうだなぁ。わたしとしては写真撮れればそれでいいんだけど……。
……あ。
わたしはあることを思いついた。
「では、王子殿下の挙式にご招待いただければ、と思います」
ローランはわたしの要望に眉をひそめた。
「……そんなことでいいのか? 私の婚儀はエリミーヌがこうなった今、いつになるかは不明だ。それに元より、国内の貴族は全て招待する決まりだったはず」
「はい、存じております。その、招待客としてではなく、カメラの……撮影係として」
ゆっくりとうなずく。
そう、白のタキシードのローランと、純白ドレスのハノン。それをカメラに収める。
ゲームでは告白して終わり、だったのでその先のシャッターチャンスを得られるなら確実に得たい。
そしてついでに、あくまでもついでに、きょう取れるはずだった攻略対象が全員集合した写真が撮りたい。あくまでも、ついでに。
彼は綺麗な碧眼を大きく見開き、そして声を上げて笑った。
そんなおかしいこと言ったかな?
「いや、すまない、アレンドルから聞いてた通りだな」
アル……ローランになにを吹き込んだのよ……。
わたしはうらめしげにアルを見つめた。
いつも通りの笑みの中に、やや苦笑めいたものが混じっていたのは気のせいではないだろう。
「分かった。あなたは写真に関して一切の妥協を許さないだろうことは、今までの写真を見ればわかる。王室の記録を残す信頼に足る人物として陛下に推しておこう」
「ありがとうございます」
よし、とりあえず撮影係になれそうね。
まだローランの肩がぷるぷるしてるし、ハノンもちょっと困ったように笑ってるけど気にしない。
仕切り直すようにこほん、とひとつ咳払いをすると、ローランはよく響く声で皆に言った。
「私個人の話に巻き込んですまなかった。どうか時間の許す限り、ゆるりと楽しんでくれ」
そこからちょっとだけ大変だった。
なにせみんな、メインキャラもモブキャラも関係なしにわたしのところに集まってきたのだ。
王子の婚約者、エリミーヌの悪事を暴いた道具であり、鏡のように本物と瓜二つの姿が写せるカメラに皆が興味を持ったようだ。
一国の王子が助けられた、というのも大きいだろう。そんなつもりで撮ってたわけじゃないんだけど。
特に「どこでキャメィラを手に入れたのか」という問い合わせが多かったので、父の商会を伝えておいた。実際、他の商会じゃ取り扱ってないしね。
途中で収拾がつかなくなって、リアに頼んで父に取り次いでもらったけど、こりゃしばらく大忙しになりそうだ。
そういえばリアがアルの方をチラチラ見ながら「お嬢様、ついにやりましたね! これでフィーレ家も安泰です!」と妙に喜んでいたけど、あれはなんだったのか。
アルのおかげでカメラが売れるからお給金が上がる、的な桶屋が儲かる話?
そんな慌ただしい波が引き、わたしは再び2階に上がった。
ローランはハノンと談笑し、他の攻略対象もそれぞれの婚約者や友人、家族とそれぞれ思い思いの時を過ごしている。
これだよこれ。こういう雰囲気、卒業式っぽいよね。
わたしはそれらをひとつひとつ、噛み締めるように写真に収めていった。
うふふ、現像が楽しみ。
「楽しそうですね」
「ぅわっ!」
ひとりほくそ笑んでいると、背後から声がかけられた。
「あ、アル様……驚かさないでください……」
「すみません、嬉しそうに写真を撮られていたので、声をかけるタイミングをはかっていました」
口を尖らせると、アルはくすくすと笑った。
その胸元にはカメラがぶら下がっている。
なんか表情豊かになってきてない? ますますあなたの写真が撮りたくなってきてるんだけど。
……なんてことは口には出せず、わたしは頬を膨らませる。
「意地悪ですね、アレンドル様は」
我ながら意地の悪い指摘だ、と思いながらもそう言わずにはいられない。
なんだアレンドルって。
聖地巡礼に付き合ってくれて、写真を褒めてくれて、アルバムをニコニコ眺めてくれる、いつもわたしのそばで穏やかに笑ってくれている。そんなアルは嘘だったのか。わたしの知ってる同志はいつわりの姿だったのか。
そんな憤りがほんの少しだけ胸の奥にあった。
ローランと知り合いなことも考えると、彼に頼まれたから正体を明かせなかった可能性もあることは分かる。
理解できるが、同志だなんだと騒ぐだけで、自分はアルのことを何も知らなかったのだと思うと恥ずかしくもあり、悔しくもあった。
アルは一瞬、視線を落とすも、すぐにわたしに向き直る。いつもの穏やかな微笑みで。
「そうですね……改めて、自己紹介をいたしましょう。僕の本当の名はアレンドル・トリアウス。宰相マルクス・トリアウスの長男です」
「…………ハイ……?」
ついさっきまであった、イジイジした気持ちはどこへやら。
予想外の彼の告白に、わたしは目が点になった。