11.カメラは本当の気持ちは写せない
「ミレディ様」
帰るか、と席を立とうとしたわたしに、アルが声をかけてきた。
口元にはいつもの笑み。いつものアルだ。よかった。
と思ったのも束の間、彼は頭を下げた。
「申し訳ございませんでした」
こげ茶色の頭を見つめながら、何に謝られているのか分からず、わたしは首をかしげた。
「え、いえ、わたしの方こそ、変なことに巻き込んでしまって申し訳ございません」
「いえ、もう少し早くお助けすべきでした。そうすればあんな無礼なことを言われずにすんだと言うのに……まさか彼があそこまでとは」
バツの悪そうな声色に、彼が本当にそう感じてくれていたことがわかる。
あー……アルめっちゃいい人だわ。これだけ謙虚で頭良くて男爵家の五男はもったいない。
わたしは首を横に振った。
「いえ、わたしも対話でどうにかできたらと思っていたのですが、結果的にアル様があのタイミングでお話しし始めてくださって助かりました。ありがとうございます」
笑顔を向けると、ほんの少し、アルが動揺したように視線を揺らした。頬がほんのり赤い気もする。
ん? 珍しい。
ま、でもアルも疲れただろうし、顔色くらい変わるか。
「それにしても良かったです。キャメィラとアルバムが戻ってきてくれて」
わたしはカメラを首から下げた。ああ、やっぱりこれがしっくりくるわ。
手に馴染むというか、首に馴染むというか。
アルはしばらくわたしのそんな様子を眺めていたが、机の上に残ったアルバムを手に取った。
「このアルバムは……拝見したことがないですね。中を見ても?」
「どうぞ。と言っても、入学した頃あたりのものなので、今ほどいい写真はないかもしれませんが……」
ぱらり、と彼は興味深そうにページをめくっていく。そして、あるページにたどり着くと、「これは」と声を失った。
あ、もしかしてハノンがエリミーヌに叩かれそうな写真……?
彼は食い入るようにアルバムを見つめている。何を思っているのかは分からないが、その写真がよほど彼の興味を引いたことだけは分かった。
やっぱり……ハノンのことが好きなんだな……。
ズキリ、とうずくような痛みが胸に走る。
……?
胸のあたりを触って確認するも、特にいつもと変わりない。痛いと思ったのは気のせいか。
「……ミレディ様、こちらのアルバム、しばらくお貸し願えますか?」
アルは顔を上げると、思い詰めた声色でそう告げた。
うーん、取り返したばっかりだからなぁ。ホコリとかも払いたい。
けど、今回助けてもらった恩もある。掃除は二の次でいいか。
「どうぞ」とうなずくと、彼は礼を述べた。いつもの彼と違い、妙な緊張感がある。
まー……あんな写真があったら当然か。
わたしはさして気にも留めず、ずっと気になっていたことを聞いてみた。
「ところで、どうして、モッシュさんが犯人だとわかったんでしょうか?」
わたしの問いに、アルは一瞬止まった。が、すぐに人の良い笑みを浮かべる。
「実は女生徒……御令嬢方から盗難被害の訴えが最近多い、と生徒会の方に相談を受けたことがありまして、個人的に調べていたんです」
「そうなんですか」
「ええ、まさかミレディ様が巻き込まれるとは思ってもなかったのですが……」
「それはいいんです。そういえば、生徒会の方とお知り合いなんですか?」
「ええ……まぁ……」
アルは言葉を濁した。
まぁでも、アルは頭いいし口は硬そうだし、メインキャラの面々が頼りにするのもわかる気がする。
ただゲームのシナリオでモブに頼るようなシナリオ、あったかなぁ……?
ま、いいか。犯人捕まったし、細かいことは気にしない。
「モッシュさんはやはり、裁かれるんでしょうか……?」
「……彼は常習犯です。ここ最近の学内の盗難騒ぎもおそらく彼の仕業でしょう。そうなると厳しい罰が与えられる可能性は高いでしょうね。あの調子なら罪を認め、更生の可能性も低いですし」
「そうなんですか……」
仕方がないとはいえ、寝覚めが悪いな。かといって、窃盗を見逃すというのもモッシュにとって良くないし。被害者がわたしだけならまだしも、常習犯なら尚更のこと。
うつむきかけたわたしに、アルはふっと笑いかけた。目尻の下がった笑みは、今まで見た以上に優しい。
「……お優しいですね、ミレディ様は……」
わたしにだけ届くような、ため息まじりのかすれた声に少しドキリ、としてしまう。
いやいや、こんなの社交辞令。まったく、アルったらお上手なんだから。
「そ、そんなことは……」
「いいえ、裁かれるべきだと判断し、ピアに連れて行かせたのは僕です。彼が罰を受けることはミレディ様は気にしないでください」
そう言ってにっこりと笑うアル。
わたしがモッシュの件を気に病んでいると考えてくれたのだろう。
優しいのはアルだ。
その場しのぎで感情に任せた交渉しか出来なかったわたしに、そこまで気を遣う必要なんてないのに。
もしかして婚約者候補を切望するモッシュと比べて、わたしのことを婚約を諦めた可哀想な人だと思っているのかもしれない。普通の貴族の反応としては、ある意味モッシュが正解なんだろうし。
うんうん、きっとそうだ。自分で言っててむなしいけど。
……これだけ優しくて気遣いもできる良い人なら、当然いるだろう婚約者も、幸せなんだろうなぁ……。
見たこともないアルの婚約者に想いを馳せる。
もし居るとしたら、ハノンのことはどうするつもりなのだろう。やはりそこは貴族だから、と割り切って学生時代の淡い恋として片付けるつもりなのだろうか。それはそれで切ない。彼ならば割り切れるのだろうが。
どうしてだろうか。彼のことが知りたくもあるし、これ以上は知りたくもない気もする。
どんな顔でどんな声で、婚約者に語りかけるのだろう。
どんな話をするのだろう。
どんな風に触れるのだろう──。
「ミレディ様……? どう、されたんですか?」
アルに声をかけられるまで、わたしは気づかなかった。
何故か頬をいく筋もの涙が伝っていたことを。
「あれ……? なんで、でしょうか……?」
混乱するわたしだが、涙は全く止まる気配がない。むしろそのワケに気づけとばかりに、とめどなく流れていく。
「き……きっとあれですね、安心したら涙が……すみません、すぐ、止まると思うので」
そう言って、慌ててアルに背を向ける。
今のタイミングで泣くなんてそれ以外考えられない。
なんだ、案外わたしもか弱いところあるじゃないか。でも今はアルが困るだけ。早急に泣き止むべし。
あふれ出る涙を手で拭っていると、肩越しにそっと何かを差し出された。
「これを使ってください」
アルの声が聞こえる。
受け取ったそれは白いハンカチだった。
それを無言で頬に押し当てる。彼の声と同じく、涙が染み込んだハンカチは柔らかかった。