1.プロローグ
「エリミーヌ・ヘルトムート! 君との婚約を解消する!」
「まぁ、ローラン様! 王子ともあろう方がこのような場で婚約解消など……お戯れが過ぎますわ!」
卒業パーティでにぎわう講堂に、男女ふたりの声が響き渡る。
しぃん、と擬音が聞こえるんじゃないかと思うくらい静まり返る。周囲の貴族令息、令嬢たちは固唾を飲んでふたり、いや、3人の騒動を見守っていた。
ひとりはローラン王子。小柄ながらも整った顔立ち、金髪碧眼のザ・王子様。
相対するは、王子の婚約者でありキツい顔つきの美人が公爵令嬢、エリミーヌ。いかにも陰険そうないじめっ子だ。
その厳しい視線の先にいるのが男爵令嬢、ハノン。ローラン王子に守られるように隠れている。控えめに言っても可愛い。
「それに、そこのハノン・ブラモンドさんはどういうつもりでローラン様の横におられるのかしら? まさか婚約者がエスコートする決まりをご存知ないわけないですわよね?」
エリミーヌはねっとりと値踏みするようにハノンを睨む。その視線に、身体をびくつかせた彼女は顔を青くさせた。
周囲を取り囲む者たちは好奇心入り混じる視線を彼らに向けている。
一方わたしは……
カシャッカシャッ
「いい……っ! いいよその表情……! ああっローランの怒った顔も素敵……!」
カシャカシャカシャッ
吹き抜けの2階からシャッターチャンスとばかりにカメラを向ける。若干遠いものの、望遠レンズ完備で表情までバッチリだ。
ああ……! これが断罪イベント……! 一番盛り上がるこのクライマックスを実際に、こんなに近くで見られるなんて……!
臨場感あふれるシーンの数々に身もだえる。
シャッターを切り続けるわたしは、興奮が止まらなかった。
◇◇◇
車にひかれたわたしは、気づいたら生前ハマっていた乙女ゲームの世界に転生していた。
設定資料集で見ていたままの景色に、覚えのあるメインキャラの名前や特徴が一致。
これはもう、転生に間違いない、とわたしはそれはもう心躍った。
転生したのはもちろん、攻略対象から愛されるヒロインのハノン!
……ではなく、ハノンをいじめぬく意地悪な悪役令嬢、エリミーヌ!
……でもなく、ただのモブ令嬢だった。
そりゃ前世で徳を積んだわけでも悪行を重ねたわけでもない。
車にひかれた理由だって、猫や子供を助けたわけでもない。ただ信号無視した車にひかれただけだ。
普段から目立たないって言われるけど、まさか死ぬ直前まで目立たないなんて思いもしなかったけど。
そんな毒にも薬にもならないわたしがメインキャラ、ましてヒロインに転生なんて無理無理。
そんこんなで晴れてモブ令嬢こと、子爵令嬢ミレディ・フィーレとなったのが15歳。
ちょうど、貴族学院に入学する年だった。
ヒロインをめぐってのあんなことやこんなことが間近で見れる……!
わたしは学院生活を思いっきり楽しむつもりだった。
でもただ見てるだけじゃつまらない。せっかく実物をお目にかかれるなら、記念に何か残るものが欲しい。
サインのひとつでもねだる? ああ、でも話の腰を折っても嫌だし、グッズなんて売ってないしなぁ。
そんなことを寝ながら考えていた入学1週間前の昼下がり。
「お嬢様、ご当主がお呼びです」
メイドのリアがわたしを呼びに来た。
ご当主──フィーレ子爵、つまりわたしの父だ。行商上がりの根っからの商人気質で、爵位を得た後もいい品があると噂を聞けば半年は家を空ける人だった。
わたしは飛び起きると、乱れた髪を手ぐしでとかした。
「あら、おかえりになっていたの? またお出迎えできなかったわ」
「何度もお呼びしましたが、お返事がなかったので」
「あらー……ごめんなさい。ついつい色々考えちゃってて」
あらかた髪は整ったのだが、リアは不満だったらしい。鏡台に行くよう促され、大人しく座ったわたしの髪を櫛でといていく。
栗色の髪に同じく栗色の瞳。この世界のメインキャラ以外の貴族と同じような容姿だ。
ハノンのように小動物的な可愛らしさも、エリミーヌのようにツンツン美人でもないが、前世でそこそこ以下の容姿だったわたしにはこれでも十分、美少女に見える。
髪を扱う手つきは丁寧なままに、リアは不満を口にした。
「お嬢様、差し出がましいことを申しますが、学院は寮生活。私も帯同いたしますが時間管理などは少しずつでも身に付けていかれませんと」
「立派なお嬢様になれませんよ、ですね? 分かってますよ。もう何度も注意されたものね。大丈夫、まかせて」
胸を張るわたしに、彼女ははぁ、とため息をついた。
「その言葉遣いももう少しおしとやかにされませんと、ご令息方に少しでも覚えをよくしませんことには……」
「はいはいはいはい、そこまで。分かりました。でもわたし、残念だけど貴族の男性と婚約なんて全然考えてないの。そういうの向いてないんですもの。リアもそう思うでしょ?」
リアはもう一度大きくため息をついた。何を言っても無駄だと悟ったのだろう。手早く髪をまとめ始める。
そう、わたしには婚約者がいない。
そりゃゲームのモブまで婚約者を設定してないよね。
……と思っていたのだが、学院入学前には新入生の7割が婚約済みらしい。
残りの2割は学院生活の中で婚約者を決め、あとの1割はかなり年上のバツイチに嫁いだり、下野して平民として生きたり、独身を貫くために出家したりするとかなんとか。
わたしの性格的に、結婚も貴族も向いてないと思うから平民かつ独身ルートが一番楽だと思うのよね。出家するにはちょっとだけ煩悩が多すぎるし。
そんな考えを読んでか、リアは「お嬢様は低きに流れすぎだと思います」とぶつくさ文句を言っている。
「うん、ごめんね? でもそう言いながらも仕事は完璧にこなしてくれるし、ダメだと思ったらわたしに注意もしてくれるリアのこと、大好きよ?」
笑いながら言うと、リアはそっぽを向いてまんざらでもなさそうな顔をした。
こ、これは……………っ!
わたしは驚きのあまり口をあんぐりと開けた。
父の書斎に入り、最初に視界に入ったもの。それは──。
「……か……カメラ……? どうしてこんな異世界に……」
そう、両手に収まるサイズの黒くて四角いフォルム。その真ん中から円柱状の突起が出ている──まぎれもなく、カメラだ。詳しくないが、多分、一眼レフってやつ。
ぽかんとするわたしに、父は驚きながらも笑いかけた。
「ほう、知っているのか、ミレディ。これは異国で流行っているというキャメィラだ」
え、なにその江戸時代みたいな微妙にネイティブっぽい発音。
ううん、そんなことは今はどうでもいい。カメラ……これさえあれば……!
「なんでも、その瞬間を切り取って絵に残すことができるらしい。なかなかに面白い品だろう」
「お父様っ!」
自慢げに語る父にわたしは詰め寄った。母よろしく「また無駄遣いして!」と怒られる、と思ったのか顔をひきつらせのけぞる父。
「わたしにこのカメラをお譲りいただけませんか?!」
「あ、ああ、良い。他にもいくつか買い付けたしな」
「あと、これの使い方、わかる方に教えてもらいたいのですが……!」
「ああ、それも良いが……」
「ありがとう! お父様大好き!」
わたしは父に勢いよく飛びついた。
父の言った通り、カメラはその瞬間を切り取ることができる。
ということは、学院で繰り広げられるゲーム内イベントのあれこれが写真として保存できるのだ。これを逃さない手はない。
わたしの目的は決まった。
この乙女ゲームの世界のありとあらゆる瞬間を、このカメラに収めること。この一点のみ。いわば聖地巡礼、推し巡礼……!
ああ、これで学院生活が思う存分堪能できるのね!
力いっぱい抱きつかれた父は、「ははは、ミレディはまだまだ子供だなぁ」と嬉しそうに笑った。