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水の聖者:世界暗黒戦記  作者: 森川悠梨
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第一話 足音

 青く淡く地上を照らす月の光の差し込まぬ森の中。夜の静寂を突き破るように、駆け抜ける者たちがいた。

 それは、一人の少年を大の大人たちが追いかけるという光景であった。

 少年からは赤い液体がこぼれ落ち、地面に染み込む。それでも尚、汗が吹き出すのにも、深い傷の痛みにも構わず、必死に暗闇を駆け抜ける。


「ちっ、どこへ行った」

「明かりで照らしてはこちらの居場所がバレるぞ」

「だが、向こうは狼の目と耳をもつ。アドバンテージは間違いなく向こうにあるのだぞ」

「どうしろと言うのだ……」


 大人数の男たちが、一人の少年を探し回って、夜の森を歩き回っている。

 しかし、男たちが暗闇に苦戦するように、少年もまた深傷を負っているという点では、その分は少年に不利が働いている。故にそう遠くへは行けないのだ。


「いたぞー!!」

「こっちだー!!」

「っ……!」


 少年は誰かの名を呼びながら、ひたすら男たちを撒こうと走る。涙に霞む視界に苛立ちながら重い足を持ち上げ、前に突き出す。

 息も苦しく、酸素が足りない。喉に激痛が走り、体力は腹に受けた深傷にごっそり持っていかれる。

 木々の間を擦り抜けた先の崖に出た。

 少年はそれに気づかず、足を滑らせた。


「えっ……」

「なっ!?」

「落ちたぞ!」

「うわあ……」


 男たちは高い崖の上から、少年の落ちた流れの急な川を見下ろす。少年の姿は、この暗闇では見ることなど到底不可能で、男たちも困り果てたような様子を見せていた。


「……まあ、この高さなら、あの化け物もーー」


「流石に死ぬだろう」


     *


 喧騒とした大きな街、エラリスのとある裏路地で、一人の少年が彷徨い歩いていた。

 頭には少しだけ赤みがかった黄色のバンダナを巻き、肌の露出の少ない服装をしているその格好は、冒険者の姿だった。

 紫色という滅多には見ないであろう髪色と、獣のような鋭い眼差しは美しい橙色。

 両足の太股には一本ずつ取り付けられた短剣、身長の割には細身で、とてもではないが強そうには見えない。

 しかし熟練の者が見れば、彼の持つ雰囲気は只者のそれではない。


「うーん。どうしたものか。エマはうるさいところが嫌いだから、こういうところにいるかなって思ったのに」


 少年は困ったような顔をしながら、後頭部を掻く。

 どうやら、誰かを探しているようである。


「とりあえず他のところを探そう」


 独り言を呟きながら、少年は再び人混みのある大きな通りへ。

 そうしてのんびり歩くことしばらくすると、少年に向かって声がかかる。


「あ! いたー!」

「……? あ、エマ」

「あ、エマ、じゃないわよ! どこに行ってたのよこのおバカ!」


 少年の後ろから現れたエマと呼ばれた少女は、少年に向かってズカズカ近づき、周囲の人の注目を集めるほどに通る声で怒鳴る。

 黒い髪に毛先が淡い紫に染まったツインテールの少女だった。少しきつい目つきはしているが、間違いなく美人と皆に思われる少女。

 その肩には、白銀の美しい猛禽類の魔物が留まっていた。


「うるさいよエマ。迷子になったのはエマの方じゃないか」

「はあ? 何言ってんのよ、あんたがちゃんとついてこないからでしょ? 私のせいにするなんてどういうことよ」

「むう、俺、ちゃんと『待って』って言ったのに……エマが止まらないから……」

「なによ、なんか文句あんの? だいたいあんたがね、いつもいつも歩くのが遅すぎるのよ。のろまにも程があるわ。首輪を着けられたくなかったら、しっかり私についてくることね」


 側から見れば痴話喧嘩にしか見えないのだが、二人は周囲から視線を浴びていることなどお構いなしに会話を続ける。


「……まあ、でも」


 かなり不機嫌そうだったエマの表情は和らぎ、少年に視線が向けられる。


「……あんたが無事に見つかって良かったわ、ルイ。またどこかの誰かにとっ捕まって、逃げようともせずに大人しくしてるんじゃないかと思ったわ」

「…………」

「なによ」


 ルイと呼ばれた少年はじっとエマを見つめ、小さく呟く。


「……お前、いつもそうやって笑っていた方が可愛いぞ」

「……は」


 エマの顔は赤く染まり、再び周囲に怒鳴り声が響くのだった。


「ルイーッ!! それはどういうことよーッ!!」



「はい、エマ。これでどう?」

「……そうね、このくらいが無難かしら」


 冒険者が集うギルドのロビーで、ルイはエマに選んできた依頼書を見せる。その依頼書を、今度は受付カウンターに持って行った。


「デスモンドの討伐ですね、受諾いたしました。お気をつけて」

「どうも」

「さ、行くわよ」


 エマはルイにそう声をかけ、さっさとギルドを後にした。


「場所どこだっけ」

「リスミル山の麓の小さな草原。街道沿いに、最近よくデスモンドが現れるんだってさ」

「ふうん、そう」


 リスミル山は、このエラリスの南門から出てすぐに見える大きな山だ。

 頂上は年中雪に覆われ、冬には地上も含め真っ白に染まる。

デスモンドは春から初夏にかけてリスミルの麓の草原に現れ、冬眠と繁殖のための準備をする魔物だ。

 見た目は巨大なトカゲ。二足歩行でも、四足歩行でも行動する。

 小さくて二メートル、大きいものでは五メートルほどもあるデスモンドは、暖かい季節の草原では死神と呼ばれるほどの強さで、特に戦闘経験の少ない冒険者にはとてもではないが勝てない存在だ。

 凶暴で雑食故に、動くものを見つければ異常な早さで突進してくる。

 デスモンドに出くわしてしまえば最期、荷を捨てて逃げたとて運に任せるしかない。逃げきれなければ食われるのみ。

 そして秋に近づきつつあるこの晩夏の時期は、デスモンドがもっとも盛んに活動する季節。

 繁殖期で気が立っているし、腹を空かせれば岩ですら噛み砕き飲み込む。

 草原の街道を利用する者たちはできるだけ大人数で行動し、数多くの護衛を雇う。そしてルイたちのように、デスモンドの数と被害数を減らすべく自主的に討伐に駆り出る冒険者も少なくはなかった。

 当然、この時期のデスモンド討伐依頼は、常時依頼であるゴブリン討伐やオーク討伐などよりも破格の報酬があるというのもあるのだろう。

 おかげで、デスモンドの被害件数は年々減って来てはいるというのも事実であった。


「にしても、今年は異常に数が多いらしいじゃない」

「そうなの?」

「あんた、ほんとに周りの情報にくらい興味もちなさいよ……」


 呆れたように溜息を吐きながら呟くエマ。その後ろを、ルイは空を見上げ眺めながらついて行く。

 見渡す限り山や草や、所々に生えている小さな木しか見えない草原のど真ん中を、街道に沿って歩き続けること約一時間。エマは街道の向こう側に、何かの集団を見つける。


「……? なにをしているのかしら、あれ」

「ん? ああ、あれか。多分襲われてるんだよ、デスモンドに」

「あら、そう……って、あんたね! 私よりもずっと前に気づいてたでしょ! なんで言わないのよ!」

「だって……」

「あーもう、あんたが喋り終わるの待ってたら間に合わないわ、一応加勢しに行くわよ!」

「大丈夫だよ、どうせ負けやしないって、あ、ああ……」


 ルイが話し終えるのも待たずに、エマは走っていってしまった。


「しょうがないなあ」


 面倒臭そうに呟くルイだったが、目を細め一瞬の間を置き、走り出した。先に走り出したエマを追い抜き、二十秒もかからず戦場へと到着。

 エマは杖を構え、ルイに身体強化の補助を施すと、護身用の火球を自らの周りに待機させた。使い魔の照もエマに近づくデスモンドを一撃で狩り取り、主人を守っていた。


「加勢するよ」


 ルイは、複数の馬車を守っていた護衛の冒険者たちに一言声をかけ、短剣を抜く。


「恩に着る、頼む!」


 ルイとエマがそれなりの実力者だと判断した熟練の冒険者が、ルイにそう返事を返す。

 周囲には護衛と思われる何人かの人の遺体と、デスモンドの大量の死体が転がっていた。


(おかしいな……)


 デスモンドは群れない。基本は単体で行動する魔物のはずだ。こんなにも集まって、集団で人間を襲うことなど、本来ならばありえない話なのだ。

 護衛や、馬車を引く御者も違和感は感じているのだろう。不安げに護衛の冒険者たちの戦いを見守っている。


「うわあっ!」

「ちっ!」


 悲鳴の聞こえた方へ、ルイは急いで向かう。ようやく一人前になった、というくらいの若い男があげた声だった。

 彼のいる場所の戦力が崩れ、馬車の近くで待機していた男にデスモンドが襲いかかったようだ。


「下がれ!」


 ルイは飛び上がり、男に噛みつこうとしていたデスモンドの脳天に短剣を突き刺す。本来なら、デスモンドの硬い鱗に邪魔されて、短剣の方が折れるところなのだが、ルイの持つ妖力を切先に通すことで、魔力の塊でしかない魔物の防御力にはあまり効果がないのである。

 しかし……。


「っ……!」


 ルイの動きが追いつかなければ、それも意味を成さない。一匹のデスモンドが、ルイの右腕に噛み付いていた。

 咄嗟にそのデスモンドの喉を反対の手にもつ短剣で突き刺し、デスモンドを腕から引き剥がすことに成功したが、ルイは自らの傷口を見て、驚いたように目を見開いていた。


「危ない!!」

「ちっ!!」


 鎧を最も簡単に破ったルイを危険視したのか、複数のデスモンドが一斉に襲い掛かろうとしていた。

 途端に、馬車の扉が勢い良く開き、気づけば、ルイの周りに群がったデスモンドは上半身と下半身で真っ二つになっていた。

 デスモンドたちが仕留め損なったルイが見たのは、内臓を散らかし地面に沈むデスモンドと、その中心に剣を振り切った状態で立つ者。

 身長はそれほど高くなく、小柄で細身なそいつは、フードを深くかぶっていて容姿はよく見えない。


「止まるな。狩り尽くせ。喰われるぞ」


 少年のような、妙によく通る声で放たれたその一言に反応し、冒険者たちは再び動き出した。

 デスモンドはその少年に怯んだのか、先ほどよりも圧倒的に狩りやすくなっていた。


(なんだ……?)


 ルイは残った左腕で最低限のカバーをしていたが、その戦いが終わるまで、先程の少年に対する違和感が拭えずにいた。


「はあ、はあ、はあ……」

「もう襲って、来ません、よね……?」

「油断すんなっ、さっさと死体焼き払ってこの場から離れるぞ!」

「おいこらそこ、素材を持って帰る余裕なんかないぞ! 死体を一箇所に集めろ!」

「火属性魔法使い、来てくれ!」

「こっちも頼むー!」


 血の臭いに惹かれて、新たな魔物が襲って来かねない。かといってこのまま放置しては次にこの場を通る者が危険に晒されるため、人間のものも含め死体は焼き払わねばならない。

 外での戦いで仲間を失った冒険者にとって、その死を弔う余裕などない。しかし、覚悟などとうにしていた。若い冒険者には辛いようだが、それを気にしている余裕も他の冒険者にはない。


「参ったな、回復魔法使いはゼロか」


 一人の熟練の冒険者がぽつりと呟く。

 デスモンドとの戦いで死者数名と怪我人多数、うち重傷者が一人。

 あと数時間も放置すれば、確実にしに至るであろう傷を負っていた。


「応急処置だけは済ませて、急いで街へ向かおう。ここからなら、あと数時間もかからないはずだ」

「……あの」


 そこにかかる声。先ほどルイたちを助けた少年と同じような格好をした青年から発せられた声だった。

 フードは被られているが、少年ほど深く被ってはいない。その顔は見事な芸術の如き美形で、絵に描かれたものがそのまま具現化されたような、そんな錯覚さえ覚えた。

 細めの吊り目は磨き上げられたエメラルドの如く、白い肌は雪のようで、冒険者のようだが、すらりとした体格はとてもではないが戦士には見えない。手には杖のようなものを持っているし、おそらく、魔法使いだろう。


「なんだ?」

「その怪我人、俺に任せてくれないか。回復魔法が使える」


 そう言って、青年は杖に巻かれた布を外す。

 それを聞いた冒険者は少し顔を見合わせ、やがて頷いた。


「頼むよ。しかしこの重傷だ、あまり無理はしてくれるなよ」

「問題ない」


 青年はそう言うと、重傷を負った冒険者の横に膝を折り、杖を添え詠唱を開始した。


「我を守りし精霊よ、この声聞いたらば答えよ、答えるならば我に力を与えたまえ。超回復(ギガヒーリング)


 金色の光に包まれた冒険者の傷口は、数秒と経たずに再生をし始めた。周囲の者はざわめき、皆がその光景に夢中になっていた。目が離せなかった。

 やがて光が収まると、青年は立ち上がり告げた。


「もう大丈夫だろう。貧血になっているだろうから、しっかり体を温めて、しばらくは安静にさせておくことだ」

「おお……なんと、上級の回復魔法の使い手だと……」

「ありがとう、ありがとう。この恩は必ず」

「いいよ。こっちも守ってもらってるからな。じゃあ」


 そう言い残して、青年は先程の少年と共に馬車の中に戻っていった。


「……?」

「…………」


 ルイは最後に一瞬だけ、少年がこちらを見ているような気がしたが、少年は、さっさと行ってしまった。


「ルイー」

「……ああ、エマ」

「何よ、今の」

「……ああ、すごかったな」


 何者なのかしら、と小さく呟くエマは、しかし対して気にしている様子はなかった。

 ともあれ今日の依頼は達成できたので、期待以上の成果を持ち帰って、今日の夕食には、少しだけ贅沢をするのだった。

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