ニ立目「先輩の覚悟」
「...って、何だよそれ」
ノリで参里とハモってしまったが、その言葉の意味は理解していない。横を見ると額に汗を流す参里もそんな感じらしい。
「ネーム戦とはすなわちこの大学の真の弓道部を決める戦い。つまり大会出場権を争うんでヤンス」
「!?」
つまり、俺達に大会に出るチャンスがあるってワケか...!!
「ベーちゃん、どこでそれ聞いたんすか?」
「参里くん、ベーちゃんはやめて欲しいでヤンス」
「え、良くない?仲良さげで」
「羽矢部君、とりあえず続けて」
「む~、納得いかないでヤンス...この話は監督が研究室で話してたのをこっそり聞いてしまったでヤンス。前々から噂に聞いていたので忍び寄った次第でヤンスが、まさか本当だったとは...」
「噂?」
「そうでヤンス。『魔女っ子OLヒサコ』のB2タペストリー...監督も中々の通でヤンした」
「...」
どうやら目的は別だったらしい。
しかし、この話が本当なら、俺の戦いは始まる前に摘み取られなくて済むのか...!
「今の話は本当か?羽矢部」
「...っ!だ、大前先輩!?」
声に驚き三人が振り向くと、一人の男が壁に寄り掛かって立っていた。
大前隼人。工学部四年のこの部のエースだ。刈り上げた坊主頭に鋭い目付きは、百戦錬磨の風貌を漂わせる(公式戦記録無し)。学部が学部なら堂々レギュラーが取れていたのだろうと、数日の練習風景だけでも感じ取れてしまう程美しい射型の持ち主だ。高校時代は早気に苦しみ、良い結果を残さず泣いた過去を持つという(羽矢部君情報)。
その大前先輩も、この話に食い付いてきた。それだけ待っていたチャンスなのだろう。
「だから、本当なのか」
「間違いないでヤンス。この耳でしかりと『ネーム戦を行う』と聞いたんでヤンス。あ、それと誰か女の人の声もした気がするでヤンス」
「女の声...」
うつむき、考え込む大前先輩。その考え込む姿すら様になっている。
「他のヤツに話したか」
「まだこの二人と大前先輩だけでヤンス。あっちの弓道部には友達がいないんで、どうなのかは知らないでヤンスが」
「おおっとベーちゃん、こいつぁ秘匿案件だぜ...」
いつの間にか何処からか持ってきた黒いハットをかぶり、スタイリッシュモードに入った参里。心無しか劇画タッチに見えてしまうが、袴姿なのを忘れてはいけない。
「...?どういう事だ」
「先輩、考えてくださいよ。ネームに対する権限は完全あっちにあるっす。この状況でこっちから仕掛けなきゃ、勝てる確率はとてもじゃないですがありません。数の暴力にひれ伏すだけっす」
「悔しいが、その通りだな...」
苦虫を噛んだような顔をする大前先輩と、ハットを被った袴野郎。俺が大前先輩なら後者に右ストレートをぶちこむところだ。
そこは人が出来ているだろう大前先輩。ぐっとこらえていた。
「なら考えられるのはこちらからの奇襲。何かしらの理由こじつけてあっちの監督に話を通してるんでしょう。それならこっちに事前に知らせる気はあるはずっす」
「でも参里、あっちにメリットが無さ過ぎるんじゃないか?」
「ちっちっちっ、分かってないなぁじっきーは。あわよくば『引き抜き』に来るかもしれねぇって事は考えないか?」
「引き抜き?」
「あっちの監督からすればこっちでくすぶってる先輩達を見るチャンス。登録だけ移し変えて大会に出せばいいだけっすよ」
「でも、それぐらい今まででも」
「面子、ってやつだ」
真剣な目付きで、大前先輩が壁から離れる。
「面子...」
「あっちの奴らは俺達を手を抜いたほんわかした野郎としか思ってない。というより、そういう伝統が染み付いちまったんだよ、この聖ジェイコブ学院大学にはな」
「つまり、こっちに頼る位なら負けた方がマシ、って事ヤンスね」
「そうだ。多分それでも今まで勝てていたんだろう。入った頃は実際そうだった。...だが、去年の東北リーグ、あいつらはリーグ下落の危機まで陥った」
「...!」
何となく話が分かってきた。
「そしてまた、今年もヤバそうって事っすね」
「そんなとこだな。そうでもしなきゃ、あっちが受ける勝負とは思えん。それに、いくら弱くなったとはいえウチの戦力じゃ勝つのも難しいだろう」
「なるほど。それで『頑張ってた選手もいたから、メンバーに入れてやろう』作戦というわけですね」
「ふっ、じっきーも理解したか」
「なら、話は早そうだ」
弓を取り、弦を張る大前先輩。弦の加減を気にしながら、弓を大きく引いた。
「真っ正面から、射抜くだけだろ?」
「「「...!!」」」
やっぱり、というのだろうか。
エースとしての実力は、そのままメンタルに直結していた。
「何て、な。監督から言われたワケじゃないしな、せいぜい期待しとくよ......ってか」
「どうしたんっすか?」
「早めに来て、的を付けてろと言わなかったか...?」
「...あ」
ウチの部にだって、上下関係はあるのだ。
『早気』
弓道経験者なら大半の人が通る一種の精神疾患。
本来、弓を引ききった後に狙いをつけ、その他の加減も整った状態で「離れ(矢を放つ事)」をしなければならないのだが、狙いが合った時点で離してしまう事。
最初は中るが、そのうち全然中らなくなる。
治療にはとてつもない苦労を要する。