98 ランクA昇格①
途中の村で休憩を取りつつ、ガラガラと馬車で揺らされること三日。
「おい、起きろ!」
昨日、一昨日と同じように、幌馬車の荷台で寝こけていた俺は、そんなだみ声に叩き起こせられた。
「あぁ?」
安眠妨害犯を探せば、借りてる馬車の御者さんが逆さまのまま俺を見返していた。
「目的地到着だ。さっさと冒険者証をあの衛兵に見せてやってくれ。じゃないといつまで経っても入れん。」
「んあ?」
寝たまま、御者さんが指差した方――俺の足元へ視線を移せば、真面目そうな顔をした衛兵が馬車から一歩離れたところよりこちらを睨んで来ていた。
……そうか、到着したのか。
寝ぼけ頭を回転させて何とかそれだけ理解。
重い上半身をよいせと持ち上げ、俺は首にかけた鎖を引っ張って金色のプレートを外に晒して見せた。
「えっと、これで良いか?」
「はい、確認しました。ようこそ、シュヴァルトへ。」
すると衛兵は一転して笑顔を浮かべて頷き、俺はプレートを服に戻すのも億劫で、そのまま荷台に頭を下ろし直す。
……眠い。
しかし、衛兵の用事はまだ済んでいないようだった。
「獣人は奴隷だとして、そのもう一人も冒険者ですか?」
言葉と共に、俺からルナを挟んだ向こう側で寝ているユイが指し示される。
「あーはい、あいつも冒険者です。……おいユイ、起きろ。」
寝転がったまま腕を伸ばし、ユイの肩を揺すると、彼女の着ている装備がガチャガチャと鳴った。
その内容は、上半身は胸元を守るライトメイルに肘当て、そして指の動きに支障をきたさない程度の籠手、下半身は丈夫な皮のブーツに膝当てと言う、かなり軽めのもの。
ユイの要望通り動きやすさを重視したそれは、着たまま寝ても熟睡できるらしい。
実際、こうして揺すってやっても彼女ははなかなか起きてくれなかった。
「おい、ユイ!」
さらに強く揺すればユイはようやく薄目を開けてくれ、一言。
「うぅ、あと……一時間。」
「図々しいわ!」
突っ込みを入れるも、彼女に起き上がる様子はない。
仕方ない。
「はぁ……、冒険者証はどこにある?」
「……首。」
「了解。……お休みなさい。」
「うん……お休み。」
その肩を軽く叩いて言うと、微睡むユイは再び眠りについた。
「よい、しょっと。」
立ち上がり、身体中からポキポキと音をさせて回しながらルナをまたいでユイの首をかかった紐を引き、彼女の胸から冒険者証を引きずり出して衛兵に見せる。
「ほら、こいつだ。」
「はい、確認しました。ようこそシュバルトヘ。」
生真面目に一礼し、衛兵は馬車から離れていき、その後すぐに馬車は街に入った。
寝ていた場所へ戻り、胡座をかく。すっかり目が冴えてしまって二度寝はできそうにない。
「集めるのはサラマンダーの角3本、ベルフラワー8本、そしてクソザルの尻尾20本だったよな?」
平屋が多く、イベラムやティファニアがやはり都会であった事を感じさせる町並みを眺めつつ、暇潰しに記憶を整理。
それらを入れるための袋は俺が作り出せば問題ない、か。
爺さん、捜索とか案内とかは任せたからな。
『良いじゃろう、任せておけい。』
おう、頼んだ。
「じゃあ帰っきたらここ、森の恵み亭に寄ってくれや。」
緑と暗い緑を基調とした様相の建物の前で馬車が止められ、三人揃って地面に降り立ち、早速依頼を達成し向かうおうとすると御者さんにそう言われた。
「はい、分かりました。」
「じゃ、帰りも頼む。」
ユイと一緒に頷き、軽く手を振る。
「あいよ。……あ、そうだ。できれば帰り、ここに来る前に風呂に入っておいてくれや。金がもったいないと思うのなら森の中を通っている川で水浴びだけでもしてくれれば良い。それじゃ。」
手を振り返してくれた御者さんは最後に何故か憐れむような目をして苦笑いを浮かべ、建物――森の恵み亭の中へ入っていった。
……なんなんだ?
「ご主人様、食料はどうしますか?」
疑問に思いつつ、取り敢えず出発しようと歩き出すと、ルナが隣に来て口を開いた。
「何かを捕まえて丸焼きにでもすれば良いんじゃないか?一応塩は買っておいたぞ。」
考えてみれば冒険者で日銭を稼ぐと意気込んでいた割りにはさっそく貯蓄の金を使い始めているな……はぁ。
『その金もお主が稼いだものじゃろう?』
ま、それもそうか。
「分かりました。では森の中で野営するのですね。食べられる葉や木の実選びはお任せください。」
「悪いな、助かる。」
「私はご主人様のどれ「ルナ。」……すみません。」
「ちょっと待ってくれる?」
相変わらず奴隷であることを主張するルナをたしなめ、いざシュヴァルトの出口へ向かおうとするも、今度はユイからストップが掛かった。
「今、野営って言ったように聞こえたのだけれど?」
そういやこいつ、前にも野営することを嫌がってたな。……しかしだからってわざわざシュバルトと黒き森を往復するのも面倒だ。
だから伝家の宝刀を抜くことにした。
ルナの肩を軽く叩き、戸惑い顔でこちらを見上げた彼女の耳元に指示を囁く。
それを聞いたルナは、半信半疑でこちらを見返し、俺がそれに頷いて促すと不安そうにユイの方へ顔を向けた。
「あの、ユイ?」
「ルナさん?どうかし「その、私と一緒のテントで野営しませんか?きっと楽しいですよ?」……え!?あ、そ、そう……。」
効果覿面。ケモナーは分かりやすく顔を輝かせ、しかしすぐに真顔に戻ったかと思うとたったか町の出口へ歩き始めた。
あまりにあっさりした心変わりにルナはポカンと呆気に取られた表情をし、俺も思わず苦笑い。
「何やってるのよ、置いていくわよ!?」
と、平静を装ってるつもりなのか、10mほど進んだ先からユイがこちらに大声で呼び掛けてきた。
「行くぞルナ。あと、よくやった。」
「は、はあ……。」
まだ状況を理解できてないルナの手を引き、先をずんずん歩いていっているユイを追う。
……そういやどこに黒き森があるのかあいつは把握しているのかね?
『うむ、そこが黒き森じゃ。』
まぁ、だろうな。
目の前に広がる巨大な森を見ながら念話を返す。
上を見ても木々の天辺は見えず、広大な横幅は地平線まで続いているかのよう。木々の落とす影のせいで、外から森の中を覗いても真っ暗なだけでなんの情報も得られない。
まさしく“黒き森”。
「虫除けスプレーってあるかしら?」
そうして豊かな自然に少々圧倒されていたところ、右隣のユイから何とも気の抜けた感想が聞こえ、俺は思わず笑ってしまった。
「はは、元の世界なら必需品の一つだな。ま、今回は長袖で乗り切るしかないだろ。」
「ふふ、そうね。」
「……ご主人様、早く入りましょう。いつまでもここで立ち止まっていても意味がありません。」
何故か若干不機嫌そうなルナが俺のコートの袖を引っ張る。
「そうだな。」
外から眺めてたって始まらない。
「ならまずはベルフラワーからね。森の中の歩き方に慣れる前に戦闘に入っても仕方がないわ。あなたが本当にベルフラワーの場所を分かっているのなら、だけれど。」
「まぁ任せとけって。」
やっぱり俺を信用してくれてはいなかったユイに肩を竦めて返し、樹林の中へ踏み入る。
途端、肌に触れる空気が湿り気を帯び、真っ暗に見えた森の中は次第にその姿を顕にした。
ただ、木漏れ日が差しているおかげで中は案外明るい、なんてことはなく、“黒き森”の中は“黒き森”らしく、背の高い木々とその葉で外界の光のほとんどを遮っていた。
それでも生命力の高い、背の低い植物は一面に生えていて、辺りは黒と言うよりは緑豊かだ。鳥があちこちで騒がしく鳴いている訳でもないのに周囲を静かに感じないのは、それだけたくさんの生き物が周りに潜んでいる証左だろう。
「黒き森なんて剣呑な響きの名前にしては案外落ち着く場所ね。」
周りを見渡し、ユイが呟く。
「野営はできそうか?」
「ええ、ルナさんと一緒に頑張るわ。」
聞くと、彼女は楽しそうに笑顔をルナへ向け、ルナは急に話が飛んできたことに驚いてコクコクとぎこちなく頷いた。
……ユイが思ってた以上に扱いやすいのは良いことなのか悪いことなのか。何にせよ、これからも困ったらルナをダシに使わせてもらおう。
「でもなるべく早く終わらせたいわね。」
「はは、そうだな。」
爺さん、ベルフラワーは……
『そのまま真っ直ぐじゃ。』
了解。
「ルナ、ユイ、こっちだ。」
後ろほ二人に手振りで付いてくるよう言い、俺は湿った森の中を突き進んだ。
……森林浴は密林でする物じゃない。
高い湿度は気温をより高く感じさせ、流れた汗で張り付いた服は不快なことこの上なく、それなのにふと気付けば腕や足に変な虫が張り付いていることがあるから下手に袖や裾を捲くるわけにもいかない。これでリラクゼーション効果なんざある筈もない。
それは俺に限った話ではなく、後ろを付いてくる二人も、途中まで周囲のあれやこれやを楽しそうに指差しては話していたのが、次第に言葉数を減らし、最後には無言で俺の背をただただ追っていた。
そしてだからこそ、俺達は目的地の景色に強く心打たれたのだと思う。
何をどうしようと数歩先を必ず塞いでいた木々が突然無くなり、代わりに一面を埋め尽くしていたのは白く輝く花達。
見上げれば緑の額縁の中に真っ青な空が見え、久方振りのように感じる日の光は抱えていた苛立ちを消し去ってくれた。
その場で気持ちよく伸びをして、目の前に広がる花園へ目を向け直す。
ここでいいんだよな?
『うむ、その白い花がベルフラワーじゃ。』
ふーん、鑑定!
name:ベルフラワ
info:揺れると澄んだ音を奏でる花。その音には様々な生き物が引き付けられる。
へぇ、こいつらって音が鳴るのか。
『のう、もう少しわしを信じてはどうじゃ?』
お?良い冗談だな。
『冗談なんぞ言っておらんわ!』
「ふふ、綺麗ですね。」
「ええ、ここまで歩いてきた甲斐があったわ。これが、ベルフラワーで良いのかしら?」
「どうでしょう、ご主人様?」
心を洗われ、元の元気を取り戻したらしいルナとユイが揃って俺の方を向いて尋ね、俺はそれに首肯して返す。
「おう、正解。じゃあ取り合えずさっさと8本採取しようか。」
「え?一人8本でしょう?16本じゃないのかしら?」
「ん?Cランク以上はパーティー全体で一つの依頼をこなしても良かったはずだぞ?」
「そういえばそんなことを言われた気がするわね。……でもこんなにあるのだから、余分に取って得られる成果を増やそうとは思わないの?」
「ここで欲を掻いても意味がないだろ?今回はさっさとSランクになることが目標だしな。そういう欲はもっと別なところで発揮してくれ。」
「それもそうね。ルナさん、行きましょう!」
ユイは頷いて納得するや、すぐにルナの手を取って白い花畑に入っていった。
リリーン、と涼やかな音が辺りに響く。
「綺麗ね。」
「ええ、自分用に一つ欲しいです。」
押し退けられた花の奏でる音に聞き惚れる二人。
絵になるなぁ、なんて思いつつ、俺も彼らの後に続き、高い音色を鳴らさせた。
「ルナ、少しくらいなら余分に取って良いんだぞ?」
「あら、ルナさんには優しいのね。」
「はは、ユイも欲しいのなら遠慮するな。」
言いながら、しゃがみこんで採取している二人の元行き、黒い袋を作成してその口を彼らに向けて開く。
「そう、それなら遠慮なく。」
ユイはそう言うと、ベルフラワーを5本袋に入れ、
リリリリリーン。
「はいよ、ルナもこいつに入れてくれ。」
「分かりました。」
ルナも同じく5本、袋の中に置いた。
リリリリリーン。
「はは、軽く揺らすだけでここまで音が出るとはな。あれだ、風鈴を思い出すな?」
「……一気に俗っぽくなったわね。」
「そりゃすまん。」
手刀で謝る。
「まぁ、音は似てはいるのかしら?」
「だろ?」
「……良かったですね、ご主人様と話の合う人がいて。」
と、ルナがこの森に入る前のような不機嫌そうな声音で言った。
……もしかして俺とユイの会話に入ってこれないからか?
「えっと、風鈴ってのは俺達の元いた世界で暑くなってきたときに窓に吊るしていた物でな、少しでも風が吹くとこのベルフラワーみたいな音を鳴らして涼しい心地にしてくれる物なんだ。」
「音で涼しく、ですか?」
小首をかしげ、不思議そうな顔をするルナ。
ま、たしかにピンと来ないわな。
「そうだな、例えば……ん?例えば?」
良い例が思い付かない。
「なぁ、何かあるか?」
ユイを見る。
「え……難しいわね。」
しかし彼女もすぐには思い付かないよう。
「んー、風鈴、風鈴。」
考えながら、目の前にあるベルフラワーを指先で弾くと、その度にリーン、リーンと花の音が響いた。
「えっと、考え付かないのなら構いませんよ?良い音色と言うことには代わりありませんから。」
「すまんな、ルナ。取り合えず、こんな音を出す小道具だとでも思っててくれ。今度作ってみせるから。」
「はい……え!?そんな、わざわざしなくても……。」
「良いから良いから、そんなに大掛かりな物でもないし、細かな小細工が必要って訳でもない。それにあと数ヵ月したら夏が過ぎてお役御免になる。作るのなら今のうちだ。」
磁器ぐらい、探せば売ってあるだろう。
「さて、じゃあそろそろ次に行こうか。次はサラマンダー探しだな。」
ベルフラワーを入れた袋を片手によいせと立ち上がる。
同時に俺の周りの花が大きく揺れ、他の花に当たってそれを揺らし、そうして揺れが揺れを呼び、結果、大合唱となって辺りを響き渡った。
「ふふ、凄いですね。」
少し笑いながらそう言って、そっと立ち上がるルナ。
「ああ、正直俺も驚いた。っと!?」
彼女に笑って返したところで、辺りの花が再び大音量で鳴り響いた。
揃ってユイの方を見れば、彼女は大きく前に踏み込んだ姿勢でちょうど右腕を水平に振り抜いたところだった。
「……ふふ。あ、い、今のは、ただ、足を踏み違えてしまってしまっただけよ。」
2組の視線に気付くや、そう言って慌てて取り繕めるユイ。
何となく微笑ましい。
「ったく、まだ口元が笑ってるぞ。正直に楽しかったと言って良いんだぞ?」
「ご主人様の言う通りです。怒ったりはしませんよ、ユイはまだそれが許される年齢ですから。」
「そんな、ルナさんまで……?」
信じられない!とでも言いたげな表情でユイがルナを凝視する。
「おいルナ、お前もユイと年は大して変わらないだろ?」
「たった数年であっても年下は年下です。」
「まぁたしかに。」
事実ではある。
「フン。」
そんな俺とルナのやり取りを聞いて機嫌を損ねたか、ユイはベルフラワーを激しく鳴らしながらさっさと花畑の端へ歩いて行った。
あとで謝って…………っ!?
「ご主人様!何かに囲まれています。」
「ああ、俺もたった今気配に気が付いた。」
「すみません、気を抜いてしまっていました。」
「俺もだ。……ユイ!囲まれてるぞ!気を付けろ!」
すぐにユイへ警告を発し、花々の中にそっと屈んで身を潜めて周りへの警戒を強める。
全く、気を抜きすぎだ。
「え、何が?キャッ!?」
しかし、ユイは俺の警告の理由が分からず、そのまま聞き返そうとしたものの、その直前、飛来してきた黒みがかった茶色の物体が彼女の後頭部にベチャッ、と命中した。
「あ、あ……あ。」
すると茫然とした様子でしばらく立ちすくんだかと思うと、直後、ユイは花々の中へと崩れ落ちた。
「「ユイ!?」」