96 イベラム到着
「よーし、一番乗り!」
イベラムの外壁に触り、後ろを振り返って拳を振り上げ勝ち誇る。
それから少しして、ユイとルナが俺の元に辿り着いた。
「どうして、あそこから、走らないと、いけなかったのかしら?」
「私も、できれば城壁の手前で、下ろして欲しかった、です。」
やはり200m超えのかけっこはキツかったか、二人とも息絶え絶えだ。
そう、俺は遠目にイベラムの城壁が見えてきたところで乗っていた板を地面に下ろし、残りの距離を走ってきたのである。
「俺にも色々と事情があるんだよ……。」
もちろんそれは全て、また調査隊なんかを出動させないため。
「それにほら、荷物は俺が一人で持って来たんだから許してくれないか?」
肩に担いだ2つの布袋を揺すって見せるも、二人の視線の怨みの色は濃ゆいまま。俺は逃げるように城門前の衛兵の元へ歩いていった。
「身分証を……。」
「はいよ。ほら、ユイ。」
「ええ。」
衛兵が言い切る前に金のプレートを取り出し、ユイを手招き。
そして彼女がGランク冒険者の証である木片を取り出した途端、衛兵の顔が見るからに渋くなった。
「G……?」
怪訝な目がユイを上から下までじろりと睨めつける。
「な、なにかいけなかったかしら?」
「身分を証明するものは他に何かありませんか?見たところ依頼を達成した帰りという訳ではないようですし、提示できるものがGランクの冒険者証のみならば少しお話を伺わせてもらいます。」
……まぁ、確かにGランクにはどこの誰でも簡単になれるしな。
「何かあるか?」
「……私の勇者としての身分を証明する物ならあるけれど、おそらく無効になっているでしょうね。」
小声で聞くも、彼女は首を小さく横に振った。
俺の時もそうだったけれども、身分証が無いことを知ってて送り出しているのなら、王宮は紹介状か何かを書いてくれても良いんじゃないかね?
「おい!聞こえてるのか!?」
「はいはい、分かったって。俺はこの通り冒険者で、こっちの獣人は俺の奴隷、もう片方は盗賊に身ぐるみはがされたのを助け出した奴だ。」
「待て!」
催促してきた衛兵にそう返し、奥へ進もうとするも、止められた。
「何だよ。説明はしただろ?」
「そんな理由ではいそうですかと身元が不確かな奴を入れる訳がないだろう!?ほら、お前とその奴隷はさっさと入れ。そしてあんたは俺と一緒に来てもらおう。」
言って、衛兵がユイの腕を強引に引っ張る。
「おいおい、ちょっと待てって。そいつとは前からの知り合いなんだよ。」
「はあ!?さっきと話が違うぞ!」
咄嗟に衛兵の手首を掴み、ユイから手を離させようとしながら言うと、彼にさらに激昂されてしまった。
「最後まで聞けって。こいつはな、俺と一緒にイベラムに向かっていた途中、野宿していたときに盗賊に拐われて、俺がそこから何とかして助け出したんだよ。」
「ほう、それならお前が信用に足るかどうかを証明して見せろ。」
俺の言葉で取り敢えずは立ち止まってくれ、衛兵はそう聞き返してきた。
「ランクB冒険者だってだけじゃあダメか?」
「AかSだったら考えるがな。」
「そうかぁ、信頼、信頼ねぇ。あ、そうだ。衛兵のスティーブと俺は顔見知りだ。それじゃ駄目か?」
「スティーブ?残念ながらあいつは辞めたよ。他には無いか?」
辞めたのか!?
「そ、そうか。他に、ねぇ。……ん?どうしたルナ?」
悩んでいると、ロングコートの袖をルチョイチョイと引かれた。
「ご主人様、ファーレンの教師証を……。」
「え?こいつか?」
言われ、ポケットの中から退任式のときにもらったバッジを取り出す。
「それは!?す、少し見せてもらっても構いませんか?」
途端、目の前の兵士が畏まった。
言われた通りにバッジを渡すと、彼はそれをあらゆる方向からしげしげと眺めたかと思うと、両手を添えて俺に返してきた。
「ファーレンの教師だったのですか。たしかに身分に問題はないようです。これはご無礼を。」
敬礼までする衛兵さん。
凄い影響力だな、おい。さすがはファーレンってことだろうか?
ファーレンの元教師証なんてあまり見る機会はないだろうによく分かるもんだ。
『そのような細かな細工、たとえ偽物だとしても確かな身分の者でないと作れないわい。それにそういう身分を証明する物品は覚えておくことが番兵の主な仕事じゃしな。』
そっか、ボーッと外を眺めているだけじゃないんだな。
『当たり前じゃろ……。』
「えっと、通って良いか?」
「ええもちろん、どうぞどうぞ。もちろんないとは思いますが、奴隷、もしくはその女の起こした罪は全て連れてきたあなたの責任となりますので。」
「あいよ、ありがとさん。」
そうして、俺はほぼ一年ぶりのイベラムの町に足を踏み入れた。
一悶着あったものの、何とか無事に入ることができて良かった良かった。
それにしてもピリピリしすぎだろう、あれは。俺のときは盗賊を捕まえてそいつに濡れ衣を着せることで入れたのにな。
「ご主人様、そろそろ鞄は私に……。」
「ん?あー……そうだったな。」
ある程度は奴隷扱いしないとあの番兵の様子からして、イベラムにいる誰かに怪しい奴と思われかねない。
ルナだって悪目立ちするのは避けたいだろうしな。
「重かったら言えよ?」
荷物をルナの肩に掛けてやりながら言う。
「ふふ、このくらいなら余裕です。」
そいつは良かった。
「さて、どうする?先に宿を取って荷物を置くか?それともこのまま冒険者ギルドに向かうか?」
「二手に別れましょう。あなたは宿の方をお願いできる?私は一人でも平気よ。」
「場所は分かるのか?」
分からないだろうから一緒に行動しようと思ったんだけどな……余計なお世話だったかね?
「それは、道行く人に聞いて行けば……。」
「おい。」
「ごめんなさい、考えてなかったわ。」
やはり新しい町に来て緊張というか、そわそわしているらしい。
「ご主人様、私が道を覚えていますので、私がユイと同行します。」
内心少し呆れていると、ルナがそう提案した。
「分かった。じゃあ荷物は俺が「私が持ちます。」いや「私はご主人様の奴隷ですのでッ、あう……」その中には宿代のためのお金が入っているんだよ。」
意固地になっていたルナの額にチョップをかまし、俺はそう言ってルナの両肩から荷物を下ろさせる。
「すみません。」
「いいよ。ルナ、満腹亭の場所は分かるよな?」
「はい。」
荷物の中から財布代わりの巾着袋を取り出しながら聞くと、ルナがそう答えてくれた。
「それなら宿が取れたにしろ取れなかったにしろ、そこでお前らを待っておくから。あ、あとユイはこれを持っておけ。」
巾着袋から一ゴールド取り出し、ユイに軽く投げて寄越す。
「え、これは?」
「冒険者の登録から御飯代までの何やかんやに使ってくれ。じゃあルナ、ユイのこと頼んだぞ。」
「はい、分かりました。ではご主人様、必要なお金を取ったのなら荷物、を!」
「おっと、じゃ、また後で。」
俺から荷物を受け取る、いや奪い取ろうとしたルナをかわし、俺は足早にその場所を離れた。
……さてと、満腹亭ってどこだっけ?
結局のところ、超高性能ナビゲーションシステムKAMIによる案内の元で俺は無事、満腹亭の前に、そう時間も掛からずに到着した。
扉を開け、中に入る。
「決戦は近い!わはは、飲め飲め!」
「おう!っ!っ!っ!っ!…………っ!ハァーッ!」
「良いねぇ。」
「俺もやってやるぜ!」
満腹亭の中はそんな風にかなり騒がしかった。
まぁ、一年前もこんな感じだった気がするけれども……。
「おーい、部屋は空いているかぁ?」
「あ、コテツじゃん、久しぶり!」
厨房に向かって声を掛けると、ローズが出てきた。
「おう、久しぶり。部屋は……」
「いつも通り。」
「空いているのか。」
「もちろん!」
「二つ、できれば一人部屋と二人部屋で。……あるか?」
「うん、大丈夫、ガラガラだし!……アタッ!?」
「……そんな会話を成り立たせるんじゃねぇよ。」
そんな会話をしていると、ローズの頭に拳が突き刺さった。
「はは、お前も久しぶりだな、アル……え、ゲイル!?」
ローズに刺さった拳骨を辿って視線を上げると、そこにはローズの旦那さんであるゲイルがいた。
てっきりローズに拳骨をするのはアルバートの役目だと思っていたので少し驚いたのである。
「おう、久しぶりだな。」
「ああ、それで、アルバートもいるか?」
言った瞬間、場が凍ったような気がした。
「あー、いや、義父さんは……。」
返答に困った様子でゲイルがローズの方を気遣わしげに見る。
「……お父さん、いなくなっちゃったの。」
ポツリと、感情を感じさせない声色で、様々な感情の込められているであろう言葉をローズは呟いた。
「……は?」
咄嗟に理解できず、間抜けな声を漏らしてしまう。
「ろ、ローズ、今日はもういいから、な?戻って休憩してくれ。」
「……(コクッ)」
脆いガラス細工と接するかのような優しい声でゲイルが促し、ローズは暗い雰囲気を纏ったまま、厨房の中へと引っ込んでいった。
「何と言うか、その、すまん。」
「いや、良いんだ。知らなかった物は仕方がない。それに、悪いのは勝手に出ていった親父だからな。……それで、部屋二つだったか?」
「ああ、頼む。」
厨房に戻りながら聞いてきたゲイルにそう答え、俺は厨房の前のカウンター席に、喧騒に背を向ける形で座る。
「ほらよ、部屋の鍵だ。一応隣合わせの部屋にしておいたが、良かったか?あとこっちの奴が二人部屋の鍵だ。」
「空いてるから……いや、なんでもない。あー、まぁ、そこら辺は連れ次第だ。」
空いてるから部屋も変え放題だな、と冗談を入れようしたものの、そんなことを言える雰囲気ではない。
「で……いつだ?」
もちろん、アルバート失踪の日についてだ。
「……先月辺り、俺とローズが結婚をした数日後だ。」
「そうか、おめでとう。ん?結婚まで少し時間が掛かったな。」
「まあな、あと一歩踏み切れば良いと言うところでずっと足踏みしていたところを義父さんに背中を押されて、な……。」
明るい話題に何とか話題を変えようとして見るも、転換しきれず、間に沈黙が舞い降りた。
それを破るため、何とか口を開く。
「……で、居場所の心当たりは?」
「あったところは探し尽くした。」
「手掛りになるような物は?」
「手掛り、になるかは分からんが、義父さんの武器防具が倉庫から無くなっていた。……おそらく帰ってくるつもりが無いんだろうな。」
「はぁ、何やってんだ……アルバートの奴は。」
「全くだ。それで、書き置きが残してあってな。」
「『探さないでくれ。』とか、そんなところだろ?」
「ああ、大方な。後はローズを頼んだとも書いてあった。」
心配なら残っていてやれよ……。
「捜索願いとかは?」
「義父さんが失踪した当日にギルドに頼んだが、まぁ、その成果は……分かるだろ?ごく。」
たしかに、ここにアルバートの姿がないことが結果を教えてくれている。
「……で、あいつらは一体何の話をしているんだ?決戦だとか何とかって。」
「さぁな、騒いでいるのはいつものことだが、決戦だとか言い出したのはつい最近、義父さんがいなくなった辺りからだな。んぐっ。俺はあいつらはここで騒ぐことが仕事のように思えてなら無いぜ。ぐっ。」
俺の別の話題を見つける努力をへし折り、ゲイルはアルバートのことに話を戻した。
「ったく、まだ教えてくれてない料理もあるっれろによぉ。ローズも置いれ……畜生ぉ。」
と、急にゲイルの呂律が回らなくなった。
見れば、ゲイルはいつの間にか持っていた一升瓶を、既に半分ぐらい飲み干してしまっていた。
「おい接客業が仕事中に酒を飲むな。」
「……チッ。」
言うと片手に持っていた酒瓶を俺の手元に置き、ゲイルはカウンターの下に屈む。
カチャカチャと食器が軽くぶつかり合う音。
そしてトン、とお猪口と木製の升が酒瓶の隣に置かれた。
「こいつぁな、アルバートのボケが隠し持ってら酒ら。色々ホッポリ出してったあのアホを見返すにゃこれを飲むしかれぇらろ?」
言いながら赤茶けた瓶を傾け、ゲイルはそれぞれにトクトクとその中身を注いでいく。
「お前、相当愚痴が溜まってるな。」
「ろきにはこうしてスッキリしらいとやってらんれぇよ……。あぁ!?れめぇ!」
話ながら、しれっと升の方を取ってなみなみと注がれていた酒を飲み始めると、ゲイルが呂律の回らないまま怒鳴った。
「俺の酒だぞ?普通らら遠慮ひて猪口を取るれべきらろが。」
「お、これ美味いな。アルバートめ、こんなものを隠し持っていたとは。許せん、全部飲み干してやろう。」
ゲイルの言葉を無視させてもらい、酒瓶を取って升に注いでいく。
「おい!」
「うっさい黙れ。飲んだくれは大人しくしてろ。かつて超人とまで言われた俺の飲みっぷり、見せてやるよ。」
それから6杯、7杯とゲイルに付け入る隙を与えずに酒をがぶ飲みし、ゲイルの長い長ぁい文句を聞き流していると、誰かが満腹亭に入ってきた。
「ゲイル、客。」
「あ、ああ、そう、らな。……らっしゃぁい!」
客の方をチラリと見、気の抜けた声を出すゲイル。
「はぁ、あなた、私達が必死でランク上げをしていた間、ずっとここで飲んだくれていたの?」
「ご主人様、まさかとは思いますが、もしかしてそれを、全部飲んでしまったのですか?」
馴染み深い声にそちらを向くと、ユイは頭に手を当ててため息をつきながら、ルナは信じられないとばかりに目を見開きながら俺の片手にあるほぼ空っぽの一升瓶を指差していた。
「いんや、半分はこいつだ。」
「ころ野郎、けっりょく残りをほろんろ飲みほひやがっれ……。」
「あなたは本当に何してるのよ……。」
「ん?ユイも飲むか?美味いぞ。」
「遠慮しておくわ。それに私、未成年よ?」
「なーに、一番大切なのは、酒に飲まれるか飲まれないかだ。むしろ普段から少し嗜んでいた方が飲まれずに済むかもしれないぞ?」
「でも、断るわ。」
ユイが首を横に振り、俺は笑って肩を竦めた。
「そうかい、ルナは?」
「へ!?あ、いえ、ご主人様がどうぞ飲んでください。」
「おう、了解……ッ!」
瓶の中の残りをラッパ飲み。
「あぁ!……くそぅ、神はいれぇろかぁ!」
ゲイルはそう言って台に突っ伏した。
……神なんていねぇよ。
『おるわい!』
間違えた、敬うべき神なんていねぇよ。
『おるわい!ここに!』
「で、部屋はあったのかしら?まさかたった一部屋なんてことは無いでしょうね?飲んだくれた男性と同じ部屋で寝ようとは思わないわ。」
「大丈夫、ほら、こいつが二人部屋用だ。」
ユイに二人部屋の鍵を投げて寄越す。
「ルナさんは一応あなたの奴隷でしょう?あなたたち二人で一部屋なんて使いなさいよ。」
「ユ、ユイ!?い、いきなり何を言って……。」
「ゴニョゴニョ。」
「…………チャンス?……酔って……確かに……。……あの、ご主人様と一緒の部屋ではいけませんか?」
ユイが何を言っているのか分からなかったし、ルナの小声も単語ぐらいしか聞き取れなかった。
チャンスと、酔ってと、確かに…………駄目だ、何を言っていたのか想像も付かない。
だがしかしどちらにせよ、ルナの提案は却下だな。
「駄目だ。ったく、一応俺も男だぞ?」
「でも、ファーレンでは……。」
「あれは仕方なく、だろ?」
一応俺の奴隷って身分であるルナに、一室明け渡せとは言えなかったし。
「う……。」
「ルナさんごめんなさい。まだ理性は死んでいなかったみたいでした……。」
「いえ、まだ次がありますから。」
すると何故かユイがルナに謝り、ルナはそう言ってユイを許した、のか?
「ではご主人様、私達は先に部屋に行きます。」
「ん?夕御飯は食べたのか?」
「ええ、時間はたっぷりとあったわ。あなたがその酒瓶を空にするまでの時間と同じくらいよ。」
「そうか、じゃあお休み。」
ユイの皮肉には取り合わず、軽く手を振る。
「はい、お休みなさい。」
「……お休み。」
そして、ギシギシと階段を軋ませ、ユイとルナは階段を上がっていった。
「ゲイル、俺も夕飯が食べたいなぁ……。」
「んあぁ?」
まるで寝起きのような声で俺の声に反応したゲイルはそう言って立ち上が……ろうとしてガタッとカウンターに倒れ込みそうになり、すんでのところで自分の体を手で支えた。
酒が回ってるなぁ。
「作れるか?」
苦笑すると、ゲイルの方も自分の行動が恥ずかしかったのか、笑いを返してくる。
「……簡単なものでいいか?」
問いに頷いて返すと、彼はヨロヨロと立ち上がって、厨房の奥に引っ込んだ。
笑っていたし、愚痴って多少は気が楽になってくれたのかね?
俺はカウンターに肘を付いてゲイルを待った。