95 イベラムへ
「ほらほらほらほらほらほらほらほら!休んでる暇はないよ、ユイ!ほらそこ!甘い!」
「うっ、くっ。」
ユイは今庭の一角で師匠の怒濤の攻めを凌ぎ続けている。
「身体能力は種族的に君の方が上のはずだよ?ほら、もっと攻めないと逆に攻められるよ、こんな風に、ね!」
「っ……ぐっ!?」
別の一角ではルナが先生の動きに身体能力で何とか食いつきながら組手を行っている。
師匠がクロウを産んだ次の日の朝、師匠は長い間妊娠していたためにたるんでしまっているであろう体を鍛え直すためと言い、ユイと一緒に朝の稽古に励んでいた。
先生の方はついでとばかりにルナと稽古を行っている。
俺は一応師匠を止めようとはしたのだが、俺とこの先も一緒に戦っていけるようにしておきたいという口実の元、強行された。
ったく、今日の昼にはもう出発してるのに。
まぁ、見事に言い返せなかった俺のせいでもあるか。
にしても今日って出産した翌日だよな?
「師匠、大丈夫なのか?」
師匠達が稽古を行っている庭の端の方に座ってその様子を眺めながら、そう呟く。
ちなみに俺もただボンヤリしているわけではなく、遥か頭上で剣を複数本自在に操る訓練をしている。
「大丈夫なわけ無いね。」
返されるとは予想していなかった返事が真後ろから帰返ってきた。
「おっと、おはようございます。起きるの早いですね、メリダさん。」
ビックリしたぁ。
メリダさんはこれから先、師匠達の家で住むことになるらしい。
亭主はもうとっくの昔に亡くなり、独り暮らしをしていたとき、妊娠した師匠に対する正しい対応が分からなくて先生がメリダさんに助けを求めてきたのを期に財産をほとんど売り払ってこっちに引っ越して来たそうな。
先生を育ててきただけはあり、先生がそういうときに頼りにならないことをたぶん知っていたのだろう。
「年寄りは朝が早いんだよ。……ほら、クロウはまだぐっすりさ。」
メリダさんはそう言射って腕に大事そうに抱えているクロウをこちらに見せてきた。
「名前、本当にクロウで良かったんでしょうか?」
今考えてみると、あれは俺が決めるような事じゃ無かったような気がする。
まぁ、流石に「コタツ」は何としてでも阻止してただろうと思うが……。
「ヒェッヒェ、あんたは良かれと思って名前をこの子に付けたんだろう?」
何がおかしいのか、笑いながら、メリダさんは聞いてくる。
「え、ええ、まぁ。」
「それなら良いんだよ。」
質問に戸惑いながら返答すると、そう、バッサリと切り捨てられた。
「そう言う物でしょうか?」
「あんたが名付け親だろ?あたしゃね、もう年だし、この子の成長は長くは見ていられないだろうからね。せめて一生の付き合いになる名前ぐらいはちゃんとした物であって欲しいのさ。安心して死ねるようにね。」
ちょっと返答に困るなぁ。
「えっと、まぁ、俺は悪い名前じゃないと思います。」
「うん、それで良い、それで良いんだよ。ヒェッヒェッヒェ。」
何度も頷き、メリダさんは再び笑いながら家の中へと戻った。
どうも師匠の容態とか関係なく、ただ軽い散歩をしていただけらしい。
流石に俺が懸念していたことを感づいて、と言うのは考えすぎだろう……か?
「あの様子からすると、なぁ……。」
……メリダさん、ああは言っていたが、まだまだ死にはしないだろうな。
「お、お疲れさん。」
「はぁはぁ、あれで、本当にたるんでいるのかしら?」
「ぜぇぜぇ、ご主人様は、あの二人よりも、ふぅ、強いのですよね……。」
稽古が一通り終わり、俺の元へフラフラになりながらもやって来たユイとルナはそんな事を言うと、地面に寝転がった。
「おやおや、だらしがないねぇ。」
「僕もリズもまだまだやれるよ?」
後から来た師匠達は二人のその様子を見て、そう半笑いで言った。
「そういえば先生、獣人族に対して何とも思ってないんですか?」
ふと気になってさっきまでルナと殴り合いをしていた先生に聞く。
「獣人族はたしかに敵だけど、まぁ少なくとも僕は平気かな。」
「へぇ、差別ってそこまで根深い物じゃないんですかね?」
俺がそう言うと、先生が微妙な顔を浮かべて俺の耳元に口を近付け、
「(そんなこと言ってると異世界から来たことがバレるよ)。」
そう耳打ちしてきた。
ファっ!?知ってる!?
バッと師匠の方を見ると、師匠は呆れたような顔でため息を付いていた。
「教えたんですね……。」
「これからずっと一緒にいる相手と秘密はあまり作りたくなくてな。……それでアンタはどこでこの二人を見つけたんだい?」
言いながら師匠が俺の目の前に腰を下ろし、
「ああ、そうそう、僕もそれを聞きたかったんだよ。二人ともこの年で中々の腕だからね。」
先生はそう言って師匠の隣に座った。
「まず、ルナは奴隷として買いました。」
「ご主人様の奴隷になることができて、私は本当に幸運でした。」
「お、ありがとな。これからも頼むぞ。」
寝そべったまま、嬉しいことを言ってくれたルナの頭を撫でる。
「ふふ、はい!」
「そしてユイは……あー、元いた場所を追い出されたところを拾って、えー、成り行き、ですかね?」
「はぁ、言い方を考えて欲しいところだけれど、大方合ってはいるわね。」
ユイはため息をついてそう言った。
「そうか、二人ともアタシの弟子をこれからもよろしくな。……さて、話は変わるが、コテツ、アンタは冒険者として一年間やって来たわけだ。」
「え、ええ。」
師匠の言葉に何がその目的なのか分からず戸惑いながらも相づちを打つ。
「……アンタ、ランクは何になった?」
一つ間を置き、少しためをつくってそう聞いてきた。
「えっと、B、ですけど?」
「しゃァァ!」
「よォォし!」
俺が答えた瞬間、師匠と先生の両方が歓声を上げた。
「えっと、何か?」
「ククク、私達は一年間でAランクだ。」
「まぁ、当事デビュー以降最短のランクA到達だったからね、流石に君でも勝てなかったか。ハッハッハ。」
目の前でここまで勝ち誇った顔をされるとどうしても悔しくなってくる。
「あーあー、そうですかそうですか。じゃあ師匠達はSランクに到達しましたか?」
「当然だろ?なんだい?ランクが上の私達にアドバイスが欲しいってことかい?」
「あー、でも可愛い弟子のためだからねぇ、仕方がないから教えてあげようか。」
こん、の!
人をイライラさせるのが上手いなぁ、おい!
「良いですよ、アドバイスなんかしてもらわなくて。それよりも、師匠達はどのくらいでSランクに到達したんですか?」
せめてそっちは抜いてやる。
「Aランクに到達して一年半、つまりデビューしてから二年半だね。」
「了解しました、じゃああと一年以内に必ずSランクになりますね。あ、もちろんそのときはここで祝勝会をさせてもらいますから。」
自信たっぷりに言って師匠達の顔を見る。
俺としてはひくついた、少し焦るような笑みを期待していたのだが、師匠達は余裕の笑みを保っていた。
「「ま、頑張れ。」」
二人してニヤニヤしながらそう言い、師匠達は立ち上がって家の方へと歩いていった。
……何なんだ、この敗北感は!?
いつの間にかメリダさんに作ってもらっていた朝食を食べ、俺達は早速イベラムに向けて出発することにした。
「三人とも無理はするんじゃないよ。どんなときでも油断せず、安全第一が冒険者の基本だからね。」
「コテツ、アタシとアルの子供の名付け親になったんだ。家族同然なんだから死ぬんじゃないよ。」
「そうそう、リジイちゃんの言う通り。クロウがもう少し成長したらまた顔を出すんだよ。あと、名付け親がどんななのか教えないといけないから、なるべく紹介するのにこっちを困らせないようにするんだよ、いいね?ヒェッヒェッヒェ。」
名付け親、家族、かぁ。
「ま、安心してください。無理はしませんから。じゃあ、また!」
少し感動を覚えながらもそう言って笑い、俺は三人にそう返し、扉に手を掛け、開く。
外に出ようとしたところで師匠達がユイとルナに声をかける。
「ルナ君、防御には受けると避ける以外にも受け流すって方法があることを忘れないようにね。」
「ユイ、アンタは基本は良くできてるが、スキルの運用がまだまだだ。動きとスキルがもっと噛み合えばさらに上に行ける。鍛練を怠るんじゃないよ。」
「「はい、ありがとうございます!」」
最後にされた師匠達からのアドバイスを聞き、俺達は師匠の家から出発した。
さて、ほぼ一年ぶりのイベラムだ。
ネルには悪いが、Sランクを目指して頑張ろう。
「ねぇ、ここからイベラムまであとどのくらいかかるのかしら?」
しばらく歩いていると、ユイがそう聞いてきた。
「まぁ、一日歩き続ければ着くな。」
「そんなに歩かないといけないの?」
「のんびりすればいいさ。こんなだだっ広い平原で寝るって言うのも新鮮で気持ち良かったぞ。」
とは言っても俺の場合、魔力を使いすぎて疲れて、倒れるようにして寝てしまったわけだがな。
「の、野宿をする、ということ?」
「まぁ、師匠の家を早めに出たわけだから、順調にいけば今日中に着いて宿屋を使えるだろうな。」
「私は野宿をするのは久しぶりです。」
別に野宿ってほど高尚な物じゃないがな。そこら辺で行き倒れのように寝るだけだし。
瞬間、ユイが軽く走り始めた。
が、俺とルナはボーッとその様子を眺めるだけに留まった。
「おーい、ユーイ!走ったってどうせイベラムまで持たないぞー!」
「それでも多少の時間の短縮にはなるわ。ほら、早く、走って!」
そんなに外で寝るのは嫌なのだろうか?
……仕方ない、気持ちよく寝られると思ったんだがなぁ。
「分かった、分かったから、ユイ!ちょっと待て!」
もうかなりの距離まで走ってしまっていたユイを呼び戻す。
「ふぅ、それで?何よ。」
何とか俺の声が届き、ユイは俺の所まで戻ってきてそう聞いてきた。
「空路で行こう。」
「は?」
ま、いきなりこんなこと言われても困るわな。論より証拠、さっさとやって見せた方が早い。
足元に少し広めの黒い板を作り出す。
「これをするのも久しぶりですね。」
慣れたもので、ルナはその上に乗って腰を下ろした。
……着物を来て正座する姿って、する人がすると綺麗なもんなんだな。
心のなかでそう思いながら、俺はその隣に胡座をかいて座った。
「ほら、ユイ、お前も座れ。」
「……まさかとは思うけれど、それで、いえ、そ、そんなもので空を飛んでいくつもりなのかしら?」
そんなもの?失礼な。
『大した苦労もせずに作った物に愛着が湧くお主の方がおかしいとわしは思うんじゃがの。』
くっ。
「他に何がある?不満ならこのまま歩いて野宿しても俺は構わないぞ?ルナは……」
「私はご主人様と一緒に居られれば文句はありません。」
「ありがとな、でもそんなこと言っても何も出ないぞ?」
言いながらルナの頭に手を置いてポンポンと軽く叩く。
「ふふ、手は出ました。」
あ、ほんとだ。
もちろん慣用句的な意味ではなく、物理現象的に、だ。
「はぁ、分かったわ。野宿するよりはこっちの方が幾分かはマシよ。」
渋々、といった様子でユイが足場の上に座ったのを確認し、俺は板を上空まで上昇させる。
さて、高性能ナビゲーションシステムKAMIよ、イベラムへの直線的な方向を教えてくれ。
『はぁ、10時の方向に真っ直ぐじゃよ。』
爺さんの言葉に従い、俺が進行方向を向くように板を回転させる。
「ねぇ、し、シートベルトみたいなものはないのかしら?」
「ないない、緊急時に動きにくくなるからな。」
例えば空行く鳥とすれ違うときにシーベルトなんかを付けていたら正面衝突してしまう可能性が大きい。
そう言ってらしくもなくオロオロしているユイを放置し、俺は板をイベラムへと発進させた。
たとえ落ちたとしても空中で捕まえる自信は十分にあるし、ファーレンに通っていたのだから、ネル同様、ユイも空歩のスキルを会得しているだろう。
それに加え、ユイなら勇者スキルであるオーバーパワーを使うことで着地の衝撃を耐えきることができるかもしれない。多少の骨折なら自身の回復魔法で何とかできそうだしな。
これだけの保証があれば、シーベルトは、まぁ、ユイに関してだけ言えば必要のない物だろう。
……ルナが落ちてしまわないように注意しておこう。