93 足止め
「えっと、先生。」
組伏せられていながら、少しずつ起き上がって来ている先生に声を掛ける。男達は俺に気が付くと先生を開放し、師匠のいるらしい部屋へ続く廊下の前に立ち、塞いだ
「ああ、コテツ、ありがとう。それで悪いけど、協力してくれないかな?僕は一刻も早くリジイの元に行かないといけないのに、さっきから彼らに阻止されててね。」
「あー、その事ですけど、すみません、俺も阻止させてもらいます。ちょっと手荒いですけど、勘弁してください。」
「何を……!?」
怪訝な顔をした先生の胸倉をつかむ。
「ご主人様、いつでもどうぞ!」
以心伝心、ルナが俺の思考を読み取ってすかさず玄関の扉を開けてくれ、俺はそこへ向かって走って助走をつけ、先生を外へ思い切り放り投げた。
「おおぉぉぉッ!?」
「すみません、先生の足止めのしかたはこれしか思い付かなかったんで!」
宙を飛ぶ先生を追い、俺も玄関から出る。
「くっ!?コテツ、君も敵か!」
俺の裏切りに驚きながらも、先生は地面に付くなり後転して立ち上がり、素早くこちらへ走り出す。
にしても敵だなんて大袈裟な……。
「「鉄塊!」」
駆けながら、お互い同時に体を硬化させる。
「先生!久しぶりに稽古をお願いします!」
先手必勝、間合いに入った相手へと蒼白い光を纏う右拳を放つ。
「今はそれどころじゃない!」
しかしそれは立てた左前腕であっさり受け止められてしまい、先生は逆に右フックを俺の顔に撃ち込んできた。
「っ!?そこを、何とか!」
咄嗟に左腕を上げ、打撃を防御。同時に走ってきた勢いを乗せた右足で先生の腹を強く蹴り入れるも、そこに込めた力は僅かな体重移動でいなされた。
「チッ!」
舌打ちし、左足で地を蹴って下がる。
「ん?稽古をするんだろう?逃げてどうする。」
先生はすぐに追撃へ走ってきた。
そしてどうやら今のたった数発で稽古する気になったらしい。
好戦的なことは分かってはいたけれども、やはり掌返しが酷い。
「黒銀!」
体を硬化させ、腕を交差して防御の姿勢をとる。
「赤銅、ハァッ!」
直後、先生は体を赤茶色に染め、それでもなおスキルの光を纏った拳を繰り出してきた。
ズンッ、と重い一撃が交差した両腕の中心に刺さる。
「くっ……は!?」
黒銀を発動させているというのに、衝撃が体の奥にまで響いてくる。
それを何とか堪え切った俺は、踏み出しながら両腕を外へ回すことで先生の拳を上に跳ね上げ、そうして空けさせた相手の胸を左右の掌で突き飛ばした。
先生はぶつけられた力に逆らわず後退し、俺との間に三歩分の距離を取る。
「赤銅でも、スキルが……。」
「ああ、君が出ていった後、少しして完成したんだ。君はまだのようだけどね。……でも、あっさり受け止められるとは思わなかったよ。」
「あっさり、じゃないですけどね。ふぅ……鉄塊!」
一番防御力の高い黒銀で完全に防ぎきれないのなら、鉄塊を使って戦う方が勝機はある。
「うん、良い判断だ。」
「どうもっ!」
先生のお墨付きも貰ったところで地面を左足で蹴飛ばす。
対する先生は動かず、左腕を盾にしたまま右腕を引いた構えを取った。
……明らかにカウンター狙っている。
まぁ、使っている技の性能差を活かそうと思えれば当然か。
ただ、俺のすべき事は依然として変わらない。全身全霊で防御を貫きにかかるだけだ。……むしろ動かないでいてくれる分だけ力を込めやすい。
右足を強く踏み込み、引いた右拳のみに黒銀を発動。
「ラァッ!」
それを相手の左前腕へ直接叩き込んでやれば、硬質な音と共に先生の体が地面を1m程滑った。
「ぐっ、オオオ!」
しかし先生はそれでも無理矢理こちらへ右足を踏み込み、あたかもハンマーのように鈍器と化した拳を振るう。
対する俺は素早く重心を後ろへ戻し、曲げた左腕を側頭部の守りとして、体を斜めに僅かに傾かせて右脇を閉じた。
骨が折れそうな衝撃が左腕を襲うと同時に重心を前へ移動。
そうして先生の懐に潜り込んだ俺は、左肩を押す力を十全に利用して相手の顎を打ち上げ、しかし力を受け流し切ることはできず、右肩から地面を叩かされた。
すぐに転がり、距離を取って立ち上がる。
両腕が痺れて痛みを訴えるものの、その甲斐あって、先生の方も少しふらつきながら俺から距離を離していた。
……アッパーが綺麗に決まったんだから脳を揺さぶられて気絶しそうな物だけどな。まぁそこは赤銅のおかげか。
「……まさか、赤銅の防御をこうも簡単に打ち抜かれるとはね。鉄塊との強化の差は結構大きいはずなんだけど。」
「弟子時代はスキルの補助なしで補助ありの先生と戦ってましたよ?これぐらいの差、大したことありません。」
もちろん大したことある。こんなのはただの強がりだ。
「あはは、それもそうか。じゃあ、ここからは本気でいかせてもらうよ。」
笑い、両の拳を握って姿勢を低くする先生。
「本気になる前に倒したかったってのが本音で……「オオオ!」っ!」
俺が言葉を遮って雄叫びを上げ、先生は地面を蹴り、そして一瞬で俺を間合いに入れていた。
「速い!?」
咄嗟に顔を防御。
「セイッ!」
「ぐぁぁっ!?」
結果、左脇腹を打ち抜かれた。
まともに拳を喰らった俺は大きく横に吹っ飛ばされ、しかし地面に身体がつくや、すぐに両足で立ち上がる。
「イテテ……。」
打たれた腹がヒリヒリと痛む。
「その程度じゃないよね?」
見れば、先生は俺へ駆け出したところ。
「ハッ、当然!」
挑発は鼻で笑い飛ばし、右足を半歩退いて両膝を軽く曲げる。左腕は胸の前に立て、右拳は右肩付近に引いた。
「フッ!」
そして先生が放ったのは、顔面への左ストレート。
それに込められた破壊力を恐れず、俺はしっかりとその軌道を見切って左手で受け止めた。
乾いた音が鳴る。
「ウォラァッ!」
そのまま素早く左手を腰だめに引くことで掴んだ左手、ないしそれに繋がる左腕を捻ってやり、俺は先生の左頬を強く打ち据えた。
しかし、クリーンヒットの割には、手応えが……変?
「やるね。」
違和感を感じて俺の動きが止まった瞬間、先生が笑みを浮かべ、俺との距離を無くした。
鳩尾に衝撃。
「がはっ!?」
息が止まり、よろけて下がれば、先生の左肘がこちらに突き出されているのが見えた。
歯を食いしばり、追撃に備えて素早く構え直す。
「痛ッ!」
途端、右手首に鋭い痛みが走った。
違和感の正体はこれか。……右での打撃は少し控えた方がいいかもしれん。
「まだまだ行くよ!」
考えてる間に赤い右拳が迫る。
それを左前腕で外へ押し退けながら右足を先生の目の前に踏み込み、一気に体を沈ませながら右足軸に半時計回りに反転。
その間に先生の右手首を左手で掴み、右手は彼の右肩辺りを抑えて、
「ラァァッ!」
俺は一本背負いの要領で彼を地面に叩き付けた。
「っ!」
しかし先生は左手で地面を叩いて受け身を取り、かと思うと俺の右手首を左手で掴み取って自身の体の下の方へ素早く引いた。
投げた直後で油断していた俺は自然、つんのめる。
そしてそのまま、俺は真っ正面から襲ってきた先生の右膝を眉間でまともに喰らってしまった。
「ぐ、ぁあっ!」
頭を強打され、よろけながらも数歩下がって距離を取る。
「ふぅ、柔術好きは変わらないね。」
荒い息で起き上がりながら先生が笑う。
くそぅ、綺麗な一本だったのに。
額を抑え、軽く叩いてふらつく意識を無理矢理正常に戻す。
「でも、そればっかりじゃ僕の教えた技は使いこなせないよ。」
と、何か思うところがあったのか、先生は構えを解き、腰に手を当てて話し出した。
懐かしい。俺に講釈するときは大抵同じような姿勢を取っていた覚えがある。
「柔術を否定するつもりはない。僕だってたまに使うからね。だけど僕の流派の魔素式格闘術において、それは単なる小手先の技術だ。あと、確かに君には力を受け流したり弱めたりする方法を教えたけど、僕の流派は受けて壊すのが基本だよ?……初めに言わなかったかな?相手に鋼の壁を殴らせるんだって。」
なんとなく、そんなことを言われたような、朧気な記憶が蘇ってくる。
「相手の力が一番乗った所を避けて力を半減させるのも一手、だけど敢えてそこに当たりに行って、逆に相手への攻撃とするのも一つの手だよ。……君の右手を壊したみたいにね?」
なるほど、それで負傷したのか。
「思い出したかな?」
「まぁ、少しは。」
正直、はっきりとした記憶はない。
教えられたそのとき疲れて意識が朦朧としていたのか、それとも教えられた後の稽古でぶん殴られて記憶をまるごと飛ばされたのか。
今となっては神のみぞ知る。
『知らんわい。』
神失格だな。
『なんじゃとぉ!?』
「ならよく覚えて置くように!」
言い切るなり、先生が駆け出す。
「はい!」
しっかりと返事をして、俺も走り出した。
接敵。
先生の放った赤い拳を肩で受け、構わず俺が振るったのは真っ黒な右の拳。
「それは!?」
負傷している筈のそれを躊躇いなく振るうとは思わなかったか、先生は素直に驚いた顔を見せ、そのせいで防御が間に合わず、顔の中心を潰された。
「ぐぉぅっ!?」
手首は黒魔法でガッチリと固めているおかげで、不意打ちの代償である痛みは無視できるぐらい些細なもの。
ただ、非常に残念なことに、先生の意表を突けるような手札はもう手元にはない。
だから今、ここで決める。
「オオォォッ!」
雄叫びを上げて放った左のボディブローは仰け反っていた相手の体をくの字に折り曲げさせ、そうして降りてきた相手の頭部を右肘で横から打ち据える。
そして間髪おかず腰を右に捻りながら右足を強く地面に振り下ろし、俺はこちらを向こうとしていた顔に全霊の正拳突きを叩き込んだ。
……手応えあり。力はいなされても返されてもいない。
「終わり、かな?」
しかしそれでも、先生は倒れてくれなかった。
くそったれ、しぶといったらない。
避ける間もなく先生の右拳が俺の顎を捉え、体が僅かに宙に浮く。
「ぐぅっ!」
呻きながらも目は相手を逃さずにいると、先生が右の拳を引きながら俺を追って前進してくるのをしっかり見えた。
先生の左足が踏み込まれると同時に、俺は黒銀を胴体に発動。来るだろう攻撃にこれまでにないくらい集中する。
一か、八か……っ!
「セヤァァッ!」
気合いの一声と共に金属光沢のある赤の拳が放たれ、
「ここッ!」
それが胸に突き刺さる直前、俺はその左右を両手で強打した。
一瞬後、先生の拳は振りきられ、俺は背中から地面に叩き落とされる。
土煙が舞い上がる。
「っ…………はあ!ぐぇへっ、かはっ。」
呼吸が一瞬止まり、しかしすぐに回復。
吸い込んでしまった土やら何やらで咳込みながらも四つん這いになり、何とか立とうとすると、ドサリと俺の隣に誰かが座った。
まぁ、誰かと言っても、先生しかいない。
反射的に両手で地面を力一杯押し、距離を取って構え直す。軽く腰を落として鉄塊を発動するも、尻餅をついた先生は一向に攻めてこようとしない。
「今のを受けて、まだそこまで機敏に動けるのか……はあ。」
座ったままの先生は、そう、たった一言だけ言ってため息をついた。
俺としては何が起こったのかまだ理解できてない。
「全く、講釈は終わった後にすべきだったね。」
俺の訝しげな視線に気付くと、先生は右手を、左手で支えながら掲げて見せた。
力なく、だらんと垂れてしまっている右手首は、もう赤銅を発動していないというのに赤くなっており、それが少し動くたびに先生がしかめっ面を浮かべる。
「やり過ぎましたか?」
聞くと、先生は半笑いで頷いた。
どうやら“受けて壊す”の作戦は成功したらしい。
「僕の話を覚えていなくても、体が覚えていたらしいね。」
「ええ……でもまぁ言われないとやろうと思いはしませんでした。……もしかして、折れましたか?」
「いや、これはたぶんギリギリで捻挫だろうね。はぁ……これだから同門との試合は嫌なんだよね。しぶと過ぎる。」
右手首を庇うようにそっと太ももの上に置き、ため息を吐く先生。
……お互い様だと叫びたい。
ただ、もう戦う気は無くなったらしいので、俺もその隣に腰を下ろして休憩に入った。
「そういえば先生。」
「ん?」
少し体力が回復し、心拍数も落ち着いたところで頭のすみで気になっていた事を思い出した。
「師匠との結婚は、いつ?」
「はは、プロポーズは君が出ていった直後にしたよ。君がリズの家で寝泊まりしているとき、僕は気が気じゃなくて……もう他人の目を気にして離れなくて良いように、ね。」
わぁ……。
「俺って初対面の女性をすぐに襲おうとするような輩に見えますか?」
むしろそんな度胸すらないぞ。
「君にもいつか分かるよ。好き、いや、愛している女性に近付く男は皆敵だ。」
先生の言葉に思わず苦笑いを浮かべる。
何か、アイに通じる物があるような気がする。
「さて、そろそろ戻ろうか。」
「分かりました。」
立ち上がり、ポンポンと自分の尻を叩く先生に頷く。
よっこいしょと立ち上がり、尻に付いたの砂や泥を払って、俺は先生と共に師匠の家に向かった。
「ご主人様!お怪我は!?」
「もう、ルナさん、落ち着いて。そんなの、あるに決まっているでしょう。」
先生に続いて家に入るなり、ルナとユイに声を掛けられた。
ちなみに先生の方は既に他の男達に肩を叩かれたりしながら談笑しはじめていた。
師匠へと突進する様子は……いや、よく見てみると先生の目が笑ってない。
体力を失って強行突破を断念しただけで、全く諦めてないぞ、あれ。
「ほら、早く怪我を見せて。カイトのために学んだ回復魔法だけれど、あなたに使ってあげるわ。」
「あ、ああ、ありがとな。」
「どうたしまして。」
恩着せがましい物言いに苦笑して言うと、ユイは早速俺からロングコートを引っぺがした。
「お互いに武器なんて使ってないから、そんな目立った傷はないはずだぞ?」
「……それでどうしてあんなに硬い音が鳴るのよ。どこか痛いところは?」
「強いて言うなら頭がまだ多少くらくらするくらいだな。」
「キュアー!」
答えると、ユイはすぐに俺のシャツの襟を引っ張り、屈ませた俺の頭に手をかざして淡い光をそこから発した。
途端、みるみるうちに頭痛が収まっていく。
……俺も回復が使えたらなぁ。
「そういやお前、頭の治癒ができるようになったんだな。前は複雑で難しいとか言っていたのに。」
「ええ、でも私はまだ頭部にはキュアーまでしか使えないわ。」
「へぇ、そうなのか。ちなみにアリシアはどうだったんだ?」
「彼女も魔法は私と同じくらいだったけど、魔術は誰の追随も許さなかったわね。回復魔術ならもう自由自在なんじゃないかしら?」
「はぁ……、入学させるコースを間違えたかなぁ。」
ため息をつくと、ユイはようやく俺を解放してくれた。
「はい、これで終わり、もう大丈夫なはずよ。……それでアリシアさんの事だけれど、彼女はファーレンに入るまで魔術を学ぶ機会すらなかったそうよ?だから、きっと間違いなんかじゃないわ。」
「そうか、ああ、だと良いな。……ふぅ、ありがとな、ユイ。随分楽になった。」
「あなたには私を守ってもらわないといけないのよ。そう簡単に死んでもらっては困るわ。」
立ち上がり、笑うと、ユイはそう言って微笑を浮かべた。
さて、先生の動きをどうやって阻止するか。
考えを巡らせ始めたところで、ユイがボソリと呟きを漏らした。
「それにしても、あなたは体術もスキルに昇華させていたのね……。前に聞いたときは上手くはぐらかされたと言うことかしら?」
……それを言われると辛い。
「あー、まぁ、それはその……あ、そうだ!ユイ、先生の指導を受けてみたらどうだ?有って困るような事もないだろ?」
我ながら名案だ。これでユイをはぐらかせるし、先生を忙しくさせられる!
珍しく冴えてるな、俺!
「え?いきなり何よ?確かに、少しは身につけたいと……「よぉし任せろ!」え?あ、ちょっと!?」
ユイが言い切る前に立ち上がり、その手を掴んで先生の所へ歩いていく。
「先生、紹介します。こいつはこれから俺のパーティーに入ることとなる子で、ユイって言います。」
「え、えっと、初めまして。」
いきなり紹介され、ユイはしどろもどろになりながら頭を下げる。
「ああ、初めまして。僕の名前はアレックス。一応、コテツの体術の先生だ。……見事に負けてしまったけどね。」
「それで先生、こいつに少し稽古を付けてくれませんか?」
「え?君がした方が良いんじゃないか?」
チラチラと師匠がいるらしい方向へ目を向けながら先生が言う。
そうはさせるか。
「いえいえ、俺は人に教えるのはあまり得意じゃないんで。」
師匠が無事出産するまでの時間稼ぎも兼ねているから俺がやったって意味がない。
さぁさぁ、急かし、先生とユイを家の外へ押していく。
「ま、まぁ体力も多少は回復したし、そう言うことなら。」
お、先生はやる気になってくれた。
俺にまだ勝ってる部分があるのが分かって嬉しかったとかかね?やっぱり戦いが好きってだけな気もしないでもない。
「ほら、ユイ、行ってこい。」
あとはお前だ。
「え?私一人で?えっと、ルナさんは?」
一人で行くことが不安だったか、彼女はバッとルナの方に助けを求め、
「ユイ、頑張ってくださいね。」
にっこり笑顔に撃沈された。
「そんな……。」
「ほら、俺も行くからさっさと行くぞ。」
愕然としたユイに言い、二人で先生の元へ向かう
結果、俺と先生の二人でユイをいじめ抜くという、なかなか酷い光景がオレンジ色に染まった、凹凸のある庭で繰り広げられた。