88 旅立ち
前にも言ったように、ファーレンの一年は九月から七月までであり、2ヶ月の夏休みを挟んでから新学期が始まる。
自然、卒業式も七月に行われる。
ファーレン学園において、卒業証書の授与ということはしない。代わりに、ファーレン学園のそれぞれのコースのシンボルマーク(魔法使いなら魔導書、戦士なら剣、魔術師なら六芒星)が描かれたバッジがそれぞれの学生に贈られるのだ。
ただ、生徒会長がもらうバッジは特別で、その通っていたコースの印を囲むようにファーレンのシンボルである八芒星が刻まれている。
その特別なバッジをつけたエリックが3年間共に学んできた学生達へ約三分間の、簡潔かつ立派なスピーチを行い、ニーナにマイクを渡し…………そして既に数時間が経過した。
相変わらず話が長い。そしてつまらない。
しかし至極残念なことに、こうなることを予測できていたとして、何かできるわけでもない。俺達聞き手はただただ耐えるしかないのである。
立ちっぱなしの卒業生達そして俺達教師陣の中には既にぐらぐらと揺れている者も何人か見受けられる。
……貧血で倒れるならさっさと倒れてくれ。俺が責任持って治療室へ運んで、ベッドに丁寧に――ニーナが話し終えてしまうぐらい――時間をかけて寝かせてやる。
マイチェアーに座って呑気に卒業式を眺めている周囲の保護者や下級生、そして学生のスカウトをしに来た貴族達が恨めしい。
そしてついに、その時が来た。
「以上を持って、ファーレン学園卒業式を終了します!皆さん、卒業おめでとうございます!三年間良く頑張りました!」
ニーナが言い終えた瞬間、ドッ、卒業生全員が沸く。
同時に周囲で待機していた皆が思い思いの相手へ走り出した。
「卒業だぁ!」
「お母様、お父様、やりましたわ!」
「よくやったぞ息子よ!」
「ああ、育ててきた私も鼻が高いざんす。」
「ああ、終わってしまった、今度からはもう仕事、か。」
「恋愛したかったぁ!くそぉ!」
「先輩、愛してます!」
「いなくならないでくださいぃ!」
皆が皆、それぞれの反応をし、叫ぶ。
ちなみに俺達教師はというと、例外なく草地に腰を落としていた。……いやはや、若いって凄いな。
しっかし、こういうときに国民性を感じるなぁと本当に思う。
故郷での卒業式と言えば、しんみりとお互いとの別れを言い、悲しい雰囲気を醸し出すのが恒例だったのに、ここじゃあ喜びを隠しもしない。
まぁ実際、めでたいことなんだから文句はない。それに、何事もやっぱり楽しい方が良い。
そう感慨にふけりながら、卒業生達とその保護者達や引き抜きをしにきた貴族達、そして彼らを慕っている後輩達との交流を眺めていると、壇上のニーナに目配せされた。
次は俺の番、か。
俺は静かにその場を離れ、ファーレン城へと向かった。
ところ変わってここは前に入学式が行われた講堂。
ステージの演台にはニーナが立っていて、その背後に横一列に並べられた椅子の一つに俺は座っている。
別に必要ないとは思うものの、退任式という奴である。
ステージの前の、上り坂のようになっている長机や椅子にはファーレンの職員が皆座っている。
学生達はアリシアやネルを含めいるにはいる。しかしその数は微々たるもの。
まぁ、別にたくさん来てほしいって訳ではない。学生達に惜しまれるようなことをした覚えもないし。
演台を挟んでニーナの前に立つと、彼女は小さく深呼吸をし、
「すぅぅ。」
「おい、ニーナ。」
嫌な予感がした俺は思わず彼女を小声で止めた。
「何?」
「短めに頼む。」
「ぐっ、でも昨日頑張って考えた物だがら……」
「長いのか?」
「言いきるのには二時間しか掛からないよ。あとは抑揚とかも考えて……」
「五分以内で。」
「ごっ!?はぁ、君のための式だしね、分かった。」
渋々ながら頷き、ニーナが理事長としての顔を作り直す。
「今回退任するのはコテツ先生です。彼は今までの実戦担当の中で最も強いとこの学園創立当時からいるラヴァルが評価し、今まで一番の雑用係でした。そんな彼も今日でやめてしまいます。学生だけでなく、私たち教師のためにも様々な仕事を請け負ってくれていたコテツ先生が辞めてしまうのは惜しい限りです。」
おいちょっと待て誰が雑用係だこら!
ニーナの言葉を聞いてる教師も全員うんうんってうなずくな!用務員さんも涙を流さないでくれ!
ったく、まぁ良い。事実無根って訳でもなし。
無理矢理自身を納得させ、顔に笑みを作り上げる。
「ヒッ!」
するとニーナが小さく悲鳴をあげた。
どうも俺の作り笑いはあまり効果を発しなかったらしい。
「(だ、だから二時間必要だったんだよ。)」
「(フォローにか?)」
「(うん。)」コクッ
「(ふざけるな!)」
そんなやりとりを小声で素早く交わし、ニーナが軽く咳払い。
「ゴホン、今までお疲れ様でした!」
言葉と共に金属製のバッジを渡された。
これはファーレンに勤務していたことを表すもので、八芒星の中に盾が描かれている。
教師であろうと学生であろうと、ファーレンにいたというのはかなりのステータスになるらしい。
バッジを受け取り、俺は事前に言われていた通り、ニーナに一礼し、周りで見ていた人達にも一礼して、講堂から歩いて退出した。
ふぅ……やっと終わった。
「やっぱり俺達って荷物が少ないよな。」
今まで過ごしてきたコロシアムの部屋で荷物を纏めているルナに言うと、彼女さ同意するように頷いた。
「そうですね、ご主人様と私の着替えも下着やシャツだけですから。」
「汚れを洗い落とすなんて便利だよなぁその着物。」
「ご主人様の方は汚れたとしてもすぐに着替えられますし、それに破れても作り直せるのでもっと上等だと思いますよ?」
「上等とは言っても売れはしないけどな。」
いや、待てよ……防御力が高いから売れるのは間違いない。数日間持たせて、その後分解すれば買った奴等も自分が不注意でなくしたか、もしくは盗まれたと考えるかもしれん。
『やめんか。』
まぁさすがに実行はしないさ。……たぶん。
「この部屋にも世話になったなぁ。」
「ええ、わざわざファーレンの教師に改装して貰いましたから、無料で住むにはとても贅沢でしたね。」
そのまま二人してしばらくボーッと部屋を眺めた。
「コテツさん!」
「コテツ!来年、絶対だよ?」
ルナとファーレンの城門から出ようとしたところで、アリシアとネルに呼び止められた。
「分かってるって。ちゃんと来年には戻ってくるから。」
何度も言ったろうに、俺ってそんなに信用が無いのだろうか?
『自業自得じゃ。』
はぁ、日頃の行動か。
「別にはお土産は買ってこなくていいからさ、ちゃんと無事に帰ってきてね?」
「何言ってんだ。お土産は必ず持った上で無事に帰ってきてやるよ。そうだな、Sランク冒険者プレートと一緒に。」
笑いながら言うと、ネルは急に真面目な顔になって俺の胸元をひっ掴み、引っ張った。
自然、俺の腰が曲がってネルと視線が至近距離で合う。
「それだけは駄目。本当に危ないから。」
「はは、何を大袈裟な。」
「大袈裟じゃない!Sランクはボクも挑戦しようとしたよ、そのときに組んでいたパーティーでね。でも、皆……。」
「話の流れからして、全く歯が立たなかったんだな?」
話していく内に辛そうな顔をし始めたネルの代わりにそう言うと、彼女は小さく頷いた。
「ま、俺も無理をしようとは思ってないさ。」
「なら!」
「あぁ、美人さんに心配されるなんて、俺は幸福者だなぁ。」
「茶化さないで!ボクは真面目に言ってるの!お願いだから、ね?」
話を曖昧にしようとからかってみるも、一喝されてしまった。
「分かった、危険かどうかはルナとしっかり話し合って判断するよ。」
「違うんだよ……。」
俺の胸から手を離し、塩らしくなったネルの赤い頭をポンポンと笑いながら叩く。
「心配すんな。」
「本当に、危ないんだよ。……うぅ。」
それでもまだ表情の晴れないネルの頭を、俺は力強く撫でた。
ったく、マイナス思考になりすぎだ。
「問題ない。俺は必ず生きて帰る。絶対にお前を迎えに来るから、な?」
「どうしてもSランクになるの?」
「なれたらなるし、なれないならAランクで頑張るさ。冒険者として大成するのが旅の目的じゃないからな。」
「じゃ、じゃあSランクに挑戦する前に絶対連絡して!」
「了解。」
少しは明るくなってくれたネルの言葉に頷いて返すと、彼女はホッと息を吐き、今度は何かを真剣に考え始めた。
たぶん俺のSランク昇格を止めさせるために言うことだろう。
つい苦笑していると、アリシアがおずおずと口を開いた。
「えっと、コテツさん、忘れ物はありませんか?」
「ん?ああ、大丈夫だ。」
最初は冒険者プレートを忘れて、次にファーレンのバッジ、そしてもう一度冒険者プレートと、もう3回も忘れ物を取りに戻ったし、きっともう大丈夫だ。
これでまた何か忘れてたら潔く諦める。
「えっと、お金は十分にありますか?」
「50ゴールドもあれば十分だろ。」
「それなら、うーん、あ、歯磨きは持っていますか?」
「俺が作れる。」
「そうでしたね、えっと、あとは……。」
お前は俺のおかんか!?
「冒険者のプレートもあるし、下着の着替えもある。アリシア、心配してくれてありがとな。でも大丈夫だ。」
首に下げた金のプレートを胸から取り出して見せ、下着の入った鞄を叩いて示す。
「あとコテツさん、ポーションを買うのを忘れたらメッですよ。あと丈夫な鞄も用意してくださいね。」
「ああ、そうだった。お前がいないもんな。」
彼女をどれだけ頼りにしていたのかが今更ながら良くわかる。
「ふふ、コテツさん、不便に感じたらいつでも私も迎えに来てくださいね。わっ!?」
エヘン、とアリシアが胸を張ったので、その金髪をわしゃわしゃ掻き混ぜてやった。
「ハイハイ、来年な、来年。それまでに俺に攻撃を当てられるように頑張れよ。……じゃあ、またな。」
「はい!ルナさんも無事に帰ってきてくださいね!」
「うん、またね!そしてルナ、コテツのことは頼んだから!あと変なことするんじゃないよ!」
「ふふ、はい、ご主人様は私がしっかり守って無事にここに届けます。」
「よし。」
俺とルナは二人に手を振って、学園を出た。
「えっと、たしかこの飛行船だったよな?」
「はい、そのはずです。」
ルナと一緒に飛行船に入るなり、二人揃って足が竦んだ。
何故かというと、思っていたよりも案内された飛行船の一画が凄まじく豪華だったからである。
一つ一つの席が占める面積は広く、席そのものも手触りの良い布が貼られ、このままベッドとしても使えそうだ。
なるべく早めに出発、なおかつ席に座れるようにしたかったとはいえ、二人で1ゴールドもする指定席を買ったのはやり過ぎだったかもしれない。
「あ、ご主人様、ここです。」
と、俺より早く我にかえっていたルナが、。自分のチケットを持ったまま、一番窓際の席で手を振った。
「お、分かった。」
そう言って、俺は席をいくつか跨ぎながらルナの方へと向かった。
「ルナ、どっちに座る?」
窓際の席は二つ並んでいて、片方は通路側、もう片方は窓側だ。
「ご主人様のお好きな方にどうぞ。」
「で、どっちが良いんだ?」
「……窓側に座りたいです。」
「はは、了解。」
笑い、さっさとルナを奥に追いやって席に座って一息つく。
「ご主人様、スレインではこういう事をするのは自重してください。」
「そう……だな。変に注目を集めてしまうもんな。なぁルナ、本当にスレインに戻って良いのか?今ならまだ戻れ……「私はご主人様と一緒にいます!」……あ、はい。」
目を怒らせたルナに睨まれ、俺はあっさり白旗を上げた。
「もう、私に何度同じことを言わせるのですか。」
「まぁまぁえっと、ほら、今度尻尾をすいてやるから許しむっ!?「ゆ、ゆ、許します!」」
まだ少し怒る彼女を、宥ようと言葉をかけると、ルナが突然俺に飛びついて口を塞いできた。
ただ、今まで何度もこうして塞がれているのでさすがに慣れてきた。
落ち着いて、ゆっくりとルナの手を口からどかす。
「なぁ、やっぱりお前の尻尾って……おっと。」
するとルナは再び飛びかかろうとしてきたので、俺は彼女の両手首を掴み、話を続け、
「その尻尾には「わぁぁ!」何か特別な意味があるんじゃないか?」
そして言い終わると同時に、顔を真っ赤にしたルナの手を離す。
「……秘密、です。」
「禁忌とか、そういう悪い意味じゃないんだよな?」
「悪いことなんかじゃない!誰がなんと言おうと、絶対に!」
確認の意味で聞くと、急に激昂された。心なしか、強い決意のようなものを彼女から感じた。
「分かった分かった。それなら良いんだ。」
何か特別な意味があるのは薄々感じてはいる。でもま、本人が言わないのならそれで良いか。
と、ついに飛行船が動き出した。
これから一年はヴリトラと戦うための準備期間だ。気合いを入れて頑張ろう。
『ぷっ、似合わんのう。』
うっさい黙れ。
「アオバ君、急いで!」
「あ、うん。ごめん、オレ、急いでて……。」
「なら、せめてお礼だけでも……。」
何とか断ろうとしても、オレの腕を掴んだ女の子はなかなか手をはなしてくれない。
路地裏で柄の悪そうな男達に絡まれていたところからオレが助けてあげてから、彼女はずっとこの調子だ。
お礼なんて良いのに……。
「あ、そうだ、オレはまたここに来るからさ、そのときにまた声をかけてよ。それで良いかな?」
「……はい、そういうことなら。」
女の子の雰囲気が少し暗くなってしまったけど、今はスレインの王様に呼び出されていて、急がないといけないから仕方がない。
「ごめんね。また会うの、楽しみにしておくよ。」
「あの!お、お名前を、お聞きしても?」
謝ると、顔を赤くした彼女は意を決したようにそう言い、オレは大きく頷き返した。
「もちろん、オレの名前はカイト。君は?」
「ジャ、ジャネットです。」
「そっか、じゃあジャネット、また今度、よろしくね。」
「はい!また!」
ジャネットに手を振って、待ちくたびれて不機嫌そうにして立っているユイとアイの元へ走る。
「アオバ君、時間がないの。ここからは寄り道なんかしないで真っ直ぐ発着場に向けて走るわよ。」
「あ、分かっ……。」
「何カイトに命令してるのよ。この召集だってきっとあの宝玉に関してでしょ?あんたはそんな大きな態度を取れる立場じゃないっしょ!」
叱られ、謝りかけると、アイがそう怒り出してしまった。
「アイ、ユイだって自分から宝玉を取り込んだ訳じゃないんだ。それを攻めたら駄目だよ。」
「カイトは優しいね。うん、カイトの言う通り、さっさと行こう。」
でもオレがそう言うと、ちゃんと理解して頷いてくれ、彼女は先を走り出した。
オレとユイもそれに続く。
ふと、暗い、ひっそりとした路地裏が気になってきた。
「カイト、また寄り道するつもりかしら?時間がないのよ?」
そっちに向かおうとすると、ユイに腕を掴まれた。
「でも、あの路地裏からなんか嫌な予感がして……。」
「はぁ、それでファーレンからここまでに8回も同じことがあったのよ?流石に9回目は無いわ。きっと気のせいよ。」
「え、でも……」
「分かったわ。すぐに片付けてくる。先に行っていて。」
反論しようとすると、ユイはそう言ってオレが気にしていた路地裏に素早く入っていった。
響く叫び声、そして、女の子がそこから泣きながら走って出てきた。
「大丈夫?なにがあったの?」
「うぅ、じ、実は……。」
取り合えず引き留めて事情を聞くと、数人の男に絡まれていたところをユイに助けられ、逃げだしてきたらしい。
「そう、大変だったね。でもごめん、できれば家までついていってあげたいけど、オレは今忙しくて……。自分で歩ける?」
身体を支えて上げながら聞くと、彼女は小さく頷いてくれ、オレはホッと安心して息を吐いた。
「良かった。それじゃあ……え?」
立ち去ろうとすると、ケープの端を掴まれた。
「あの、もう少しだけ、一緒にいても良いですか?」
「駄目よ。」
と、いつのまにか戻って来ていたユイが女の子からオレのケープの端を取り上げた。
「あ、さ、さっきの……。助けてくれてありが……。」
「アオバ君、この子はもう大丈夫なはずよ。時間が無いわ。急いで。」
「あ、待って!」
頭を下げた女の子を完璧に無視してオレの手を掴むと、ユイはそのまま飛行船乗り場へと走り出した。
流石に強引すぎる気がするけれど、時間がないのは確かだ。
「忙しなくてごめんね。」
「あ、あの……お礼をしたいので、名前だけでも……。」
うつむきがちに、顔を赤らめながら聞く女の子に、オレは後ろ向きに引っ張られながらしっかりと頷いてみせる。
「もちろん、オレはカイト。またここに来るだろうから、また会おう!」
「はい!」
手を振り、オレは前を向き直してユイと一緒になって駆け出した。
ティファとか、城の皆は元気にしてるかな?