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さて、このまま大会の決勝戦へと進みたいのはやまやまながら、肝心のテオとエリックは治療中だし、空が暗くなって来たのでコロシアムの周りにいくつか設置してある魔術灯を起動しないといけない。
なので、ここからは休憩時間である。
そして貴族にとっては数少ないファーレン生の事前勧誘期間だ。
「これから、決勝戦の準備のためしばらく自由時間とさせていただきます。何か要望がありましたら、教師の誰かに聞いてください。では、魔術灯の光が付くまで休憩です!」
それだけ言って、俺はルナと一緒にリングから下りていった。
まずは両決勝戦進出者の様子を見に行くか。
「おーいツェネリ、二人とも治せそうか?」
扉を開け、そう言いながら治療室に入る。
ルナは夕食の準備をするためと言ってコロシアムの居住部屋に残った。
治療室の中には簡易なベッドがズラッと数十個、二列に並べられていて、それぞれにカーテンによる仕切りが為されている。
奥の壁には大きな棚が置かれ、中に様々な器具がある。一番上の、ツェネリの研究材料であるコロシアムのタイルの破片を片付けたことはまだ記憶に新しい。
ツェネリや保健委員が忙しそうに部屋のあちこちを歩き回っているのは常日頃の光景だ。
流石は戦闘訓練を基本とした学園である。
そして今、入り口に近い三つのベッドには保健委員の女学生が集中している。
入ってすぐの二つには決勝戦進出者のエリックとテオのハイドン兄弟。女性に人気があるのは遺伝か何かなのだろうか?
そして左側の列の手前から数えて二つ目には我らが世界を代表するモテ男、カイトが寝ているベッドである。
カイトのベッドにはユイとアイはもちろんのこと、戦士コースで見覚えのある女学生陣が大量に群がっていた。
「……こいつら、流石としか言いようがないな。」
「見舞いは良いが、あまり多いと治療の邪魔になるのである。」
若干の呆れに近い感情で女学生のわんさか集った寝台を眺めていると、いきなり聞こえた重低音に心臓が跳ねた。
振り向けば浅黒い大男が立っていた。
「お、おう、大変そうだな、ツェネリ。」
「うむ。それに決勝戦はまだ先だが、彼らトーナメント出場者にとっては大事な勧誘時間なのである。早く治療しなければ。……アリシアはまだなのであるか?」
え?アリシア?
「すみません!遅れてしまいました!人で混んでいて……。」
噂をすれば影、治療室の扉を開けて元気な声が飛び込んできた。
まぁ、大きい突っかかりが二つもあるんだから混雑の中は進みにくいだろうし、仕方ないよな。
「言い訳は良い。さっさと治療の準備をするのである!」
「は、はい!」
ツェネリの言葉に頷き、そのまま部屋の奥へと走った彼女は、棚から包帯を取りだし、そこに自分のペンで何やら書き入れ始めた。
こっそり近づいて後ろからその手元を覗くと、そこには俺には理解の及ばない図形が描かれていた。
「魔法陣、か?」
「はい。私が自分で作った自慢の魔法陣です!」
自分で作ったァ!?
『まぁ、魔法陣は今の人にとってはまだ新しい分野じゃからのう。今もどこかで数百の魔法陣が開発されておるぞ。』
いや、それでも自分で魔法陣を作るとは……成長したなぁ。
「ちなみに魔法陣の効果は何なんだ?」
「うふふ、なんと解毒と回復の両方の力を備えています!前に傷を直す前に解毒をしておいた方が綺麗に傷を治せたので。」
「ああ、俺がゴブリンに刺されたときのことか。」
そうやって経験したことを色々と活かすのは大事だよな。
と、アリシアがおもむろにバッと振り返った。
俺は急な動きに驚いてとっさに動けなかった。
少しの間、互いを見る形となる。
「コテツさん?い、いつの間に……」
「お前より先にいたからな?」
「今の話は……。」
「頑張っているようで嬉しいぞ。あとは魔法の方も頑張ってほしいってところかな。」
毎度ファレリルにどやされるのは辛い。
「は、はい……。」
「アリシア!準備はまだであるか!?」
「お、終わりました!今行きます!あの、コテツさんも、私の作った魔法陣の効果を見ませんか?」
と、少し恥ずかしがしそうに、アリシアが聞いてきた。
断る理由は思いつかない。
「はは、むしろ是非見せてもらいたいな。」
なので笑ってそう言うと、彼女はパァッと顔を輝かせ、頷き、ツェネリの元へ走っていった。俺もそのあとに続く。
「ツェネリ先生、どうぞ。」
そしてアリシアが魔法陣の描かれた包帯をツェネリへと差し出すも、彼はそれを手で制した。
「我輩はエリックとカイトの二人を治す。アリシアはテオを頼みたいのである。」
「はい!分かりました!」
元気な返事に頷き、ツェネリは隣り合っているエリックとカイトのベッドの間へと、女学生を退かしながら入っていく。
そしてアリシアは指示された通りにテオのベッドへと向かおうとし、
「えっと、す、すみませぇん、と、通りますよぉ。」
「はあ?私だってテオ様に声をかけたいの!横入りしないでくれる!?」
「え、あ、その、治療を……。」
「何!?聞こえないんだけど!?」
「あう……。」
女学生の壁に撃沈した。
にしても、テオ様、か。
凄いなぁ。
だがしかし、このままじゃあ決勝戦の進行に支障が出る。
「あの、治療を、させて……あう。」
まだ頑ってい張るアリシアの頭を撫で、任せろ、と小さく伝えると、彼女は項垂れて小さく頭を下げた。
「……すみません。」
「いや、ちょっと遊び心もあるしな。それに、アリシアはいつでも俺を頼って良いんだからな?」
「ふふ、はい!……え?遊び心?」
さて、これから使うのはかなり精密な魔力運用が必要になる魔法だ。
集中!
形作るのは、大抵の女性、いや、人間が忌み嫌い、恐怖し、その存在の根絶を願い、本能的な殺意を抱く存在。その長い触覚に光沢のある流線形のボディは、はたしてこの世界ではどういう反応をされるのだろうか。
「おーい、そこ、虫がいるぞ。」
女学生達に呼び掛ける。
「え、きゃぁぁぁ!」
お、良い声。
「え、どうしたの……いやぁぁ!」
「こんの!ハァッ!」
最初の一人に釣られてその圧倒的な存在感を見て、泣き叫ぶ者、踏み潰そうとする者、様々だ。
この世界でもこいつは人の本能に訴えかける容姿であるようだ。
あ、もちろん踏み潰されそうになった奴はちゃんとぐちゃっと潰れて、しばらくして修復、再び動き出させる演出をした。
カサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサ………………。
何だろう、物凄く楽しくなってきた。
よし、もう一匹増やすか。
カサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサ………………。
そして、ついにテオの周りにいる女学生はいなくなってしまった。
恐怖の化身達はテオのベッドの下に隠した。
「ほらアリシア、空いたぞ。テオをさっさと治してやってくれ。」
「いや、です。」
振り向き、言うも、彼女は背後から俺にしがみついてキョロキョロと床を見回していた。
俺の仕業だとは気づいていないらしい。
「大丈夫だから。」
「大丈夫じゃありません!」
あらら。
「別に死にはしないって。」
そう言い、アリシアを引き剥がして前を歩かせようとすると、俺を見る目が潤み始めた。
それはズルい!
「コテツさん、ヒグッ、せめて、一緒に。」
そんな、心中するわけじゃないんだから。
……はぁ、仕方ない。
アリシアと手を繋ぎ、そのままテオの前まで歩く。
一歩歩く度に俺の手を強く握り、さっきの喧騒で落ちた備え付けの包帯の一部がかすかな風で動くだけでも思いっきり飛び付いてきたりしたため、たった数歩の距離とは思えないほどの時間でようやくテオの前に到着した。
「アリシア着いたぞ。ほら、治療してやれ。」
「い、いません、よね?」
まだ俺の手を離さず、辺りを見回すアリシア。
ここまで怯えられるとテオのベッドの下から再登場させてやりたくなるな。
まぁ、やったらアリシアが行動不能になってしまうからやらないけれども。
「ほら、早くしないとまたいつ出てくるか分からないぞ。」
それからのアリシアの動きは速かった。
魔法陣を描いた包帯をテオの胸元にバッと広げ、一気に魔素を流し込む。
するとテオの体中の傷がみるみるうちに癒え始めた。
「ぐ、あぁ。」
その光景に素直に感心していると、テオが呻き声を上げた。
回復の速度がちょっと速すぎるのかもしれない。
「おいアリシア。落ち着け、テオが苦しそうだ。」
「いえ、でもあと少しで……はい、終わりました。」
「はぁ、はぁ。」
テオは、うん、疲れてはいても、大丈夫のようだ。
「何してんの!?」
コロシアムに戻ろうか、というところで聞き覚えのある怒鳴り声が後ろからアリシアにぶつけられた。
見れば、いつの間にやら来ていたアグネスが肩を怒らせていた。
「あ、えっと……回復魔術を使っていました。」
……アリシア、たぶんそういうことを聞いてるんじゃないと思うぞ。
「対象に負担をかけすぎでしょ!?回復魔術も魔法も無理矢理させるものじゃないの!ったく、過回復にでもなって癒えない怪我をさせたらどうするのよ。」
「うっ、はい、すみません。」
しゅんとしてアリシアがアグネスに頭を下げる。
やっぱり俺が急かせ過ぎたみたいだ。
「なぁ、許してやってくれないか?結果は良かったんだし。」
ほぼ俺のせいだし。
「はあ?あんた教師でしょ!?学生の命を危険に晒すことなのよ、これは!」
と、アグネス。なだめようとしたらこっちに飛び火してしまった。
ガミガミと怒鳴り続ける保険委員長。
なんさま全て正論だから反論をしたり茶々をいれたりして、そのペースを乱すことができない。
……仕方ない、もう一仕事頼むか。
「あ。」
床を指差す。
「え?」
カサカサ……。
「ヒッ!?キャァァァ!」
そして、アグネスは治療室の外へと遁走していった。
素早い悪魔達はまた別の家具の下に逃げ込ませた。
「ふぇぇ、ま、また出ましたぁ。」
アリシアが半泣きで俺に抱きついてくる。
「コテツ、何をしているのであるか?」
と、治療の終わったらしいツェネリがこっちに歩いてきながら、少し棘のある声で聞いてきた。
「え、あ、いやぁ。アハハ」
頭を掻き掻き目を逸らす。
「取り合えず治療は完了したのである。コテツは早く決勝戦の準備をしにいくのである。」
ギロッと睨み付けられながら言われた。
「お、おう。了解。じゃあな、アリシア。」
「え?コテツさん、私をここにお、置いていくんですか?」
アリシアは未だにあの黒い恐怖を恐れているよう。
ここで種明かしをして俺の魔法だと言ってしまうと、目の前のツェネリにそれがバレる。
ここは対処に熟練しているであろう奴等に任せるか。
見れば、カイトの寝ているベッドのところには予想通り、アイとユイがまだ残っていた。
そこに小さい潜伏者達を送り込む。
アイがそいつらを発見した。
バシィィン!
乾いた音と共に一巻きの包帯がそれらに向かって降り下ろされる。
「ゴキブリ、死すべし!」
事が済むと、アイはそう一言だけ呟き、包帯に彼らをくるんでゴミ箱にポイと捨てた。
魔法を解除。
「な?大丈夫だったろう?」
「流石は勇者様達ですね……。」
「そうだな、じゃ、俺はこれで。」
片手を上げ、そそくさと歩いて治療室の出入り口に手をかけると、
「待って、少し話があるわ。」
ユイに肩を捕まれた。
何の用かは分からない。ただ、かなり険悪なオーラを漂わせている。
「ちょっと仕事が……。」
「手伝うわ。」
「いや、一人で「手伝うわ。」でも「手伝うわ。」カイトは?「今は安静にさせろってツェネリ先生に言われたの。」……はぁ。用件は何だ?」
会話しながら治療室の外に出て、俺は諦めて彼女に向き直った。
「あら?仕事は?」
「すぐ終わるから心配ご無用だ。」
半笑いのユイの皮肉に仏頂面で返す。
「で?何の用だ?」
「さっきの……その、アレ、あなたでしょう?」
ゴキブリという言葉を発音もしたくないのか、アレ、と表現。こいつ、ゴキブリがかなり苦手だったらしい。
まぁ得意な方が珍しいか。
「何を根拠に……。」
「これよ。」
聞くと、ユイが自分の目元を指先で軽く叩いて見せた。
なるほど、魔力視のスキルか。
「ということは完全にバレバレだったってことだな。……はぁ、それで?あれがどうかしたのか?」
「いえ、それなら良いのよ。あれが本物じゃないと確信できただけで十分なの。ふぅ、良かった。見間違いだったらと思うと……」
自分の体を両手で抱き、想像したら寒気が走ったのか、ブルルッ、と震えるユイ。
彼女はそのまま、治療室の中へと戻っていった。
あのゴキちゃん達が本物でないことを確信したかっただけらしい。
しっかしまぁ、それだけのために俺の仕事を手伝うとか、カイトの傍から一瞬でも離れるとか言うとはねぇ。
ゴキブリが苦手にもほどかあるんじゃないかね?