80 ネル対エリック
「なぁ、ネル。」
「……。」
「そろそろ足が痛くなってきたなぁ……。」
かなり長い間、俺の足は踏みつけられている。
「……。」
「そろそろ出番だぞ?」
「……。」
言うも、ネルは無言のまま微動だにしない。
「武器の用意はしてあるのか?」
「……。」
聞くと、ネルは無言でベルトにはめた短剣を叩いて見せた。
フレデリック戦のときは奇襲を仕掛けるため、身に付けている武器がバレないようにマントを着ていたけれども、今回は奇襲でどうこうできる相手だとは思っていないらしい。
俺と戦ったときのようにマントを捕まれるなんてことはないようにか、肌は晒されている。
つまり、かなりの軽装だ。
審判は選手に肩入れをしちゃいけないとは言われているけれども、彼女の左手の手袋を少し頑丈にしておくぐらいは許容範囲だろう。
「にしてもやっぱり露出が多いよな、お前の装備って。」
俺の言葉にピクッとネルが反応した。
少しは恥ずかしいのかもしれない。
ここでからかってやっても良い。でも流石に試合前だし、気分を下げてしまったらいけない。
誉め倒すことにしよう。
「それってやっぱりネルだから似合うんだよなぁ……。」
「え!?」
お、声を出して反応した。
「驚くことじゃないだろ?ネルみたいに細身で、それに綺麗な肌を持ってないとその装備は身に付けられないし。」
「そ、そう、かな?」
分かりやすく顔を紅潮させ、上目遣いで俺を見るネル。
恥ずかしがりながらも不安そうにこちらを見る仕草が可愛くてちょっと面食らったけれども、何とか耐える。
俺の理性がオーバーワーク気味だ。
思わず目をそらしてしまう。
「これで何で誰にも貰われていないのか、不思議なくらいだ。引く手数多だと思うのにな。」
本心からそう思う。
「あの、ご主人様。」
ルナが声をかけてきた。
そろそろ始めないといけないか。
「ああ、さっさと始めようか。」
「いえ、そうではなくて、ネルが……」
ルナは俺の言葉に首を振り、俺が目を背けていた方向を指差した。
振り返る前に一呼吸置こう。
ふぅぅ、よし。
「はぁぁぁぁ。」
見ると、ネルはどんよりとした雰囲気を纏い、うなだれていた。
さっきまでとの落差が凄い。これなら一呼吸入れなくても良かったな。
「あー、どうしたんだ?」
ルナの方を見るも、さぁ?と首を傾げて返された。
「えっと、ネル?」
再度ネルを見て声を掛けると、彼女はこちらを見ないまま口を開いた。
「コテツはさ……ボクに誰かとくっついて欲しいの?」
「当たり前だ。それがお前を仲間にするために課せられた条件だし、それに個人的に俺はお前が好きだからな、幸せになって欲しいと思ってるぞ。」
「す、好き?……ハッ、違う違う、今のは違う。騙されちゃ駄目騙されちゃ駄目。コテツの言葉は信用したら駄目だ。」
一瞬目を見開き、少し間を置いてネルがぶつぶつと自分にそう言い聞かせ始める。
……失礼な。
「おい、聞こえてるからな?」
目の前にいるんだし。
「よし!絶対にコテツに値段の高いところに連れていかせてやるから!」
と、彼女はいきなり叫んで自分に気合いを入れた。
「お、おう、頑張れ、よ?」
「うん!」
面食らいながら俺の言った言葉に頷き、ネルはリングの中心に向かっていった。
どっちみっち金の出所はお前と同じなんだけどな……。
何なんだ一体?
「ご主人様?」
「ん?ああ、そうだな。始めよう。」
ま、今はとにかく仕事だ。
マイクに魔素を込める。
「さて、これから始まるのは準決勝、二戦目!先程の試合で決まった決勝戦進出者、テオ・フォン・ハイドンと戦うことになるのは、そのテオの兄にして、現生徒会長、そして史上始めての三連覇を目指す、今大会、三年生で唯一の準決勝進出者、エリック・フォン・ハイドンか!?」
ここでエリックが堂々と入ってきて、リングの中心でネルに向かい合った。
途端、学年どころか種族さえも問わず、ほとんど全ての人がエリックの名前を叫び、黄色一色となった声がコロシアムを埋め尽した。
負けじとさらにマイクに魔素を流す。
「それとも!先程からずっとエリックやテオの試合を間近で見学し、何としてでも勝とうと、優勝を虎視眈々と狙っている、テオと同じく一年生、ネル・ファールナーかぁ!?」
観客席からはさっきの黄色い声から一転、ウオォォォとどす黒い怒号が上がった。
声を張り上げ、叫んでいるのは皆男。
ネルを純粋に応援しようとしている学生も男女問わずいるものの、それよりもエリックへの嫉妬の感情で叫んでいる学生が多い気がする。
もちろんファンクラブは健在だ。
当のネルもそれを察し、苦笑いを浮かべて観客席を見回す。
対するエリックはもうこういうことには慣れているのか、落ち着き払っていた。
「ネルさん、頑張ってください!」
女性の声は男性のそれよりも良く通るというのは本当らしく、低い重低音の中、少し高めの音域の声が聞こえてきた。
見れば、アリシアが観客席の最前列で頑張って声を張り上げていた。
ネルはそれに気付いて手を振り、アリシアも振り返す。
そろそろ声が収まってきたところで俺はマイクを口に近づけた。
「お静かにお願いします。」
静かになるまでの数秒でネルとエリックの間に立つ。
「両者、構えて!」
手をあげるとネルは右手に短剣握って足を曲げ、いつでも飛び出せる体勢になった。
エリックは腰を落とし、槍先をネルに向けて構えた。
「始め!」
手を振り下ろした瞬間、ネルは左手を振り、それと糸で繋がった短剣が斜め下から円弧を描いてエリックの目許を襲う。
汚なっ!?
「フッ。」
エリックは咄嗟に後ろに跳んであっさりと短剣から逃れた。
「雷光!」
しかしその直後、バン!と破砕音が鳴ったかと思うと、ネルは自ら投げた短剣に追い付いて掴み取って、エリックの懐に入り込んでいた。
「なに!?」
驚きつつもすぐに槍を横に持ち、エリックは短剣による激しいラッシュを凌ぎながら後ずさりし始める。
「シッ!」
そしてついにその防御を掻い潜り、短剣がエリックの顔目掛けて突き出された。
「くっ。」
しかし彼は咄嗟に首を横に倒すことでそれを躱し、短剣はその頬を薄く切り裂くに終わる。
ネルは随分強くなったと思っていたけれども、想像以上だ。
出だしで距離を詰められたのは相手の油断という要因もあるだろう。しかしそれから一度たりとも自分の間合い外に相手を出させていない。
長めの間合いという槍の存在意義を見事に潰している。
「ウィンドボム!」
「甘い!」
堪らず、エリックが距離を取るために無理矢理魔法を使おうとするも、ネルが短剣を持ったままの黒魔法製の手袋をそこに叩きつけ、打ち消す。
しかしそのせいで連撃のペースが僅かに崩れた。
「疾駆!」
ネルの左脇腹に亜青白い光を纏った蹴りが刺さる。
「うあっ!」
下半身を強化した蹴りだけあって、彼女は数メートル飛ばされた。
「ふむ、今年の一年生は際立って強いな。まさかあそこまで追い詰められるとは思わなかった。」
「ボクが立つのを待ってくれる辺り、まだ手加減はしてくれるのかな?」
そう言ってエリックが槍を持ち直すと、すぐに起き上がったネルは左の短剣をベルトに戻し、右手のそれを少し引いた。
「一年生だと心のどこかで油断してしまっていたことは事実だ。が、ここからは本気を出させてもらう。上級生として良い目標になって見せよう。」
「ごめんね、ボクの目標はもう君よりも遥かに上なんだ。疾駆!」
ネルがまた距離を縮めに走る。
今度はエリックも警戒していることが分かっているので雷光は使っていないようだ。
まぁ、雷光のスピードに慣れられたらこの戦いはかなり厳しくなるしな。
「疾風!加速陣!」
スキルと魔法陣の両方を使い、エリックがネルへと迫る。
接敵。
「ハァッ!スティング!」
リーチの長いエリックが先手を取り、槍を一番かわしにくい体の中心目掛けて突き出す。
「うっ!」
ネルは短剣の腹でそれを受け止め、後ろに跳んで衝撃を逃がした。
「半月薙ぎ!」
するとエリックはさらに前進しながら槍を右手に持って左から右へ大きな薙ぎ払いを繰り出し、ネルは堪らず、さらに飛びずさる。
「氷結陣!」
すかさず槍の刃が氷で伸ばされ、槍が上からネルに襲い掛かった。
「そこッ!雷光!」
再び響く破砕音。
エリックが長い槍を持ち上げて振り下ろすまでの時間はネルにとって懐に入るには十分だった。
「暴風陣!」
対し、エリックは槍を持ったまま胸を張る。そこから円形の光が輝いたかと思うと、凄まじい風が放出され、ネルを真正面から叩いた。
「うっ!」
急激に速度が落とさせられ、突撃を断念して再び距離を離すネル。
「スティング!」
エリックは氷でリーチを伸ばしたままの槍で、彼女を追撃。ネルはさらに下がってこれを避けた。
「まだまだだ!加速陣!」
魔法陣が地面に描かれ、エリックはそれを踏んで自身の速度を上げ、ネルへさらに踏み込んだ。
……案外アグレッシブな戦い方をするんだな。まぁ、テオと兄弟だと考えると納得はできるけれども。
「ストーンウォール!」
と、走るエリックの目の前に石壁が生まれた。
「石柱陣!」
すかさずエリックの足元に魔法陣が浮かび、かと思うとそこから太い柱が伸び、彼自身を一気に持ち上げた。
そうして石壁を飛び越え、エリックはそのまま石壁の反対側に、右手の槍をネルに向けたまま両足と左手の三点で着地。
一瞬後、今までの魔法陣よりも二周りほど大きい魔法陣が浮かび上がり、光った。
「二重加速陣!」
エリックは今までとは比べ物にならない速度で駆け出した。
かなりの距離を稼いで呼吸を整えていたネルは姿勢を下げ、接近してくるエリックを睨み付ける。
「これでも私は君の目標より下か?」
「フン、ずっと下だよ。」
「そうか……雷撃陣!」
槍先が光ったかと思うと、バリィッと雷を纏った。掠りでもしたらネルは痺れて二撃目を避けられないだろう。
良い選択だ。……俺もあんな能力が欲しかった。
『女々しいのう。』
強さを求めるのは男らしいだろう?
『そうやって言い訳をする辺り、自覚はしておるようじゃの。フォッフォッフォ。』
……くそ、言い返せねぇ。
おっと、ネルがエリックに向けて走り出した。スキルは使っていない。
走りながら左手の短剣をベルトに戻し、その手の平を槍に向けた。
「これで決める!」
馬鹿野郎!
と、叫びたいのはなんとか堪えた。
たしかに俺の手袋は下手な盾より頑丈だけどな、槍を、それもあんなにスピードが上がって力が上がっているうえに雷まで纏っている槍を受け止められる代物じゃないぞ!?
「何を?……まぁいい。疾風!」
激しい雷を纏い、さらにスピードの上がったエリックの槍がネルに迫る。
反則だとは分かっていたものの、俺はこっそりネルの手袋の黒色魔素を増やし、強化した。
それに気付いたか、ネルがこちらにチラリと目配せして笑った。
「剛力!」
そしてその左腕からスキルの光を放たせると、ネルはタイミングを合わせ、左の手の甲で槍を横から押した。
……へぇ、あの速さの攻撃を受け流せるのか。
それなら俺の手袋は強化してなくても大丈夫だったか、雷も打ち消せるし……いやはやよくタイミングを合わせきったもんだ。
「スタブッ!」
スキルを使い、ネルの短剣が、真横を通り過ぎるエリックの左脇腹辺りを襲う。
「ぐぅ!?石壁陣!」
しかしエリックは進行方向の足元に槍を刺してそこから厚い壁が造り上げると、それを蹴って自分の動きを無理矢理止めた。
そしてネルの短剣は彼の左腕で受け止められた。
「くっ……ハァ!」
「あ!嘘!」
痛みに耐えながら、ネルの短剣を腕に刺したまま奪い、エリックは槍を手放してネルの背後へと飛び込んだ。
刺した短剣を奪われるという事態に対応できず、ネルは追撃をし損なう。
その隙に起き上がり、エリックは右手で短剣を腕から抜いてネルの方へと踏み込んだ。
「三年生だからって、戦士に接近戦を挑むのは無謀だよ!スラッシュ!」
勝利を確信し、ニヤリと笑うと、ネルは2本目の短剣をベルトから抜きざまに相手へ攻撃を仕掛けた。
しかしエリックはすぐに下がって距離を取り、ネルの切り上げは空を切る。
そして、エリックは持っていた短剣をネルに向けた。
もちろんその刃はどうあがいても相手には届かない。
好機とばかりにネルが踏み込み、
「それは私もよく分かっている。閃光陣!」
しかしエリックの叫び声と共に、彼の持つ短剣の先が目映い光を放った。
端から見ている俺でも思わず手をかざしてしまうほどよ眩しい光。
ネルはそれをモロに食らったのだ。
光が止み、勝負はもう決まってしまったか、と思いきやネルはスキルを放ってい。
「真一文字!」
短剣が水平に大きく振られる。
よく見れば、彼女は目をつむっている。やはり視界は奪われてしまっているらしい。
今の攻撃は牽制のためだったのだろう、彼女はさらに踏み込むことはせず、大きく後ろに下がった。
しかし、その背中はエリックに受け止められてしまう。
「ッ、転移陣があったね!加速!」
ネルはすぐに短剣を彼へ振り抜こうとし、
「雷撃陣!」
しかしその前に目映い光がエリックの両手から迸ると、ネルは光に包まれ、リング周りの水に落ちた。
「準決勝、第二戦を制したのは、エリック・フォン・ハイドン!」
マイクに向かって叫べば、万雷の拍手が巻き起こる。
あの貴族達でさえも皆立ち上がって賞賛声を上げている。
賭けに負けた奴や嫉妬の塊となっていた男共も「良くやった!」とか、「ネル、惚れたぜ!」などと、ネルを褒め称えている。
その歓声の中、当の本人を水から救いだしにリングの端へ移動すると、彼女は立ち泳ぎしたまま、観客をボーッと眺めていた。
「おい、ネル、大丈夫か?ほら、こっちだ。」
悪いと思いながらも声をかけ、彼女に現実へ戻って貰う。
「あ、うん。……分かった。」
上の空のまま、こちらへ泳いできたネルに手を差し出し、引き上げる。
「ネル、よく頑張ったな。はは、正直瞬殺されると思ってたぞ。アタッ!」
ついでに軽口を言ったら脛を蹴られた。
「あのさ、負けたけど、いろんな人達に誉められていい気分になってたんだよ?それを台無しにしないでくれるかなぁ?」
すまんすまん、と笑うと、こちらへ歩いてくるルナが見えた。
「なぁ、ルナ、今の試合、ネルはかなり危なかったよな?」
「ちょっと!」
同意を求めて彼女に聞くと、ネルにまたもや脛を蹴られた。
「ふふ、ええ、そうですね。」
「そんな、ルナまで!?」
信じられない、とネルが嘆く。
ルナもネルをからかう楽しさを知ったか、と思ったのも束の間、
「ふふ、ご主人様はネルが危なくなると毎回手が震えていましたよ。今にも飛び出しそうで私はずっと上着を握っていました。」
続いた言葉で俺とネルの立場が逆転してしまった。
「へぇ、そうなんだぁ?」
ニヤニヤと笑いながらネルが言う。
その顔をムニムニと揉みたい衝動を抑えながら、俺は反論。
「おいルナ、適当な事を言うな。俺はそんなこと全く思ってなかったからな。ただの思い違いだ。」
実際、俺にはそんな記憶は全くない。
「わぁ、嬉しいなぁ。無意識にボクを守ろうとしてくれるなんてねぇ。ククク。」
「いや、そんなことは……」
「コテツは優しいなぁ。」
憎たらしいほど見事な笑みで笑いながら、背伸びをして俺の頭を撫で、ネルは上機嫌のまま、負傷して思うように動けていないエリックの元へと向かった。
そして彼に肩を貸し、ネルはそのままリングから降りていく。
……さっきまでの敵にすぐ肩を貸せるネルも十分優しいと思う。
「ご主人様、あの、私もやって、良いですか?」
と、俺がネルに負けてしまった原因のルナがそう聞いてきた。
「えっと、何を?」
「私も頭を撫でたいです。」
いつも俺が撫で回しているからその仕返しみたいな感じだろうか?
「まぁ、いいぞ。減るもんじゃないしな。」
言った瞬間、ルナは嬉々として近寄ってきて、俺の頭を正面から撫で始めた。
理性!