78 クラレス対エリック
無事にネルが糸を回収したあと、彼女曰くワイバーンの要領で倒されたフレデリックは治療のためにツェネリに連れていかれた。
今のところ、一番辛い倒され方をしたのはあいつかもしれない。
気絶するまで電気ショックを受けたことなんてないので想像しかできないけれども、目を充血させ、よだれを垂れ流したままピクピク震えていたフレデリックを可哀想だと思わない人はいないだろう。
……特殊な業界のことは置いておく。
だがしかし、今はそんなことよりも大切なことがある。
「……ネル、そろそろ許してくれないか?」
「……。」
試合が終わった筈のネルが俺の横に立ち、俺の足を自分のそれでグリグリと踏んでいるのだ。
始めはそうでもなかったものの、じわじわと痛みが効いてきている。
「ネル、……ほら、優勝しなくても一緒にどこか食べに行こう、な?」
「ボクが食べ物に釣られるとでも思ったの?ボクだってスタイルは気にしているんだよ?」
「まぁ、特定部分を肥やすのには有効……イタイイタイイタイ……」
足がこれでもかと踏みつけられる。
今のは俺が悪いな。ネル相手だとついつい茶化してしまう。
……やめようとは思わない。
「あの、ご主人様、そろそろ大会の進行をしないと……。」
見かねてか、ルナが俺の袖を引っ張った。
「だ、そうだ。ネル、トーナメントは勝てば勝つほど出番までの時間は無くなっていくんだ。ほら、戻って休んでおけ。」
そう言って今は俺の足を蹴り始めているネルをリングの出入り口の方へ軽く押すも、彼女は再び距離を詰め、俺を睨め付ける。
「出番まではボクもここにいることにする。」
「あー、理由を聞いても?」
まさかずっと俺を蹴りながら愚痴るためじゃないよな?
「え?えっとねぇ、対戦相手の偵察!」
絶対に今思い付いただろ!
まぁ、その頭の回転の速さを評価して、そこら辺は許してやろう。
「はぁ……分かった。流れ弾とかに当たっても知らないからな?」
「コテツが全部防いでくれるでしょ?」
「フッ、〝美人さん〟を守るのは男冥利に尽きるな。」
笑みを浮かべ、少し格好をつけて言う。
「なぜか〝美人さん〟に悪意を感じる……。」
悪意しか無いんだから仕方ない。
「『ボクは強い人にしか興味ないんだ。』」
ネルの受付嬢のときの真似をしてさらに茶化す。
「ご主人様、それはネルの真似ですか?ふふ、良く似ていますね。」
「おっ、そうか!ありがとう。」
久しぶりに誰かに褒められた気がする。
『褒められるようなことをほとんどしたことが無いからのう。』
うるさい。
「ねぇ、いつまでそれを引っ張るつもりなの?」
「俺の記憶にある限り、だな。」
やはり思い出すと恥ずかしいのか、顔を赤らめて聞いてきたネルにそう返すと、足にさらに圧力が籠もった。
「はいはい、分かった分かった。」
無言の求めに苦笑して頷き、からかうのを切り上げてマイクを起動。
「では二回戦、第四試合、魔法使いコース一年生クラレス、対、魔術師コース三年生、そして昨年度優勝者にして現生徒会長、エリック!」
アナウンスがされると、エリックが槍を片手にリングに上がり、瞬間、黄色い歓声が巻き起こった。
少し遅れて来たクラレスは魔導書を片手に、エリックの前へ……行かず、こちらにずんずん歩いてきた。
クラレスはネルの前までくると、ビシッとネルを指差し、
「フレデリックの仇、取る!」
それだけ言ってエリックの前に向かっていった。
どうもネルの対ワイバーン流の戦い方はお気に召さなかったらしい。
「はは、頑張れよ、ネル。」
「そんなに酷かったかな?」
「はい、かなり残酷に見えました。」
ルナの、おそらくネル以外全員の総意を代弁した答えに、そんな!?とネルは心底驚いたというような表情を浮かべた。
それに軽く笑いながら、エリックとクラレスの間に立つ。
「両者、構えて!」
合図と同時にクラレスが懐から重厚な魔道書を取り出し、片手に持って開く。
対するエリックは手に描いた魔法陣から槍を取り出し、構えた。
「始め!」
「イグニス!」
そして開始早々、巨大な青い炎の塊が盛大にぶっぱなされ、
「ぶぁっちっ!」
俺は慌てて下がって距離を取った。
「アハハハ、大丈夫?にしてもクラレスは飛ばしてるねぇ。」
「人の不幸を笑うんじゃない。」
笑ったネルに抗議しながら服をはたき、試合の方へ目を向ける。
急に放たれた蒼炎にはエリックも意表を突かれたようで、横に飛び込み、ギリギリで炎を避けていた。
「逃がさない!」
その動きに合わせ炎の球が動きを急転換、再びエリックに迫る。
「くっ、加速陣!」
四つん這いの姿勢の彼の足元に魔法陣が現れ、光り、エリックはさらに地面を蹴って炎の球から距離を取った。
そうして魔法から逃げながらも、攻める事は忘れず、彼は大きく円弧を描くように走って、クラレスへと接近。
「追い……付け!」
クラレスが魔力をさらに使い、イグニスの速度を上げる。
「古代魔法をここまで自在に操れるとは、何人もの二、三年生が一年生に負けてしまったことを情けないと思っていたが、認識を改めるべきか。……疾駆!」
しかしエリックがスキルが発動し、加速陣も相まってそのスピードが数段上げられた。
「うぐぅ、仕方ない。……ハッ!」
クラレスの判断は早かった。青い炎が二回りほど小さくなり、その分速度が急激に上がる。
しかしそれでもエリックにはなかなか追い付けない。
ただ、威力を落とした分、クラレスの魔力にも余裕が出ている。
「サンダーボルト!」
「まだ魔法が使えるのか……土壁陣!」
クラレスの放った稲妻に対し、エリックは足元に魔法陣を念写してそれに槍で触れ、目の前に土の壁を作り上げた。
防がれた雷が散る。
そして壁の横からエリックが出た瞬間、
「イグニス!」
そこを狙って二つ目の巨大な火球が放たれた。
「くっ、二つの古代魔法の同時行使か。……怪力!」
すかさず筋力を強化し、エリックが槍を相手に投げつける。
苦し紛れなその攻撃をクラレスが難なく躱した途端、
「……転移陣!」
エリックの体がかき消えた。
いや転移陣て……ズルいなぁおい!
再び彼が現れたのはクラレスの真後ろ。
「まさかこれを使わされるとはな!」
宙を飛ぶ槍を掴むなり、大きく薙ぎ払うエリック。
「ヴァースピラー!」
しかしクラレスは前を向いたまま背後に石の柱を産み出し、彼女に襲い掛からんとしていた槍はそれに鈍い音を立ててぶつかる。
「バースト!」
すかさず前に跳んで距離を取りつつ、クラレスが大声で唱えれば、石柱が爆発し、その破片がエリックに襲いかかった。
即座に槍を手放すエリック。
「水流陣!」
彼は両手を、その掌から大量の水を激しく吐き出させながら振り回し、鋭い礫を全て吹き飛ばした。
「その水、もらう!」
振り返りながら、クラレスが空いた手をエリックに向ける。
同時に手の魔道書がパラパラとめくれ、止まった。
「アクアフロウ!」
すると宙に飛び散っていた水が彼女の手元に集まり、相手を押し流さんと噴射された。
対し、エリックは逆流してきていた水へ片手を向け、叫ぶ。
「凍結陣!」
すると彼に向かっていた水はあっという間に凍り付いた。
その噴射速度も一気に落ちている。
「疾駆!」
そうしてできた氷の柱の側面を素早く駆け抜け、相手へと迫るエリック。
「加速陣!」
彼の槍の側面が発光したかと思うと、かなりの速度で槍が突き出された。
「アイスシルド!」
クラレスはギリギリで、小さくも分厚い氷の盾を腕に作り上げることで、なんとかそれを受け止めた。
体格による力の差でクラレスは押し込まれそうになったものの、
「身体強化!」
彼女はそれをすぐに魔法で補う。
力の拮抗によるしばらくの硬直。
と、エリックがジリジリと少し後退し始めた
……完全に誘っている。
対し、クラレスは追わず、一気に後退。
これにエリックが意外そうな顔で構え直した。
「一年生なら大体乗ってくると思っていたが……。」
「魔法使いなら近接戦闘は避けるように先生に言われた。……イグニス!」
身体強化を解き、クラレスが今度は直線のビーム状に変形した青い炎を放った。
「疾駆、倍速!」
二重のスキルでそれを避けると、エリックはそのスピードを保ったまま相手との距離を詰めに行き、クラレスはそれを阻止しようと魔法を立て続けに放った。
「ストーンショット!」
「水流陣!」
石礫は水に流され、
「ブレイズランス!」
「暴風陣!」
炎の槍が風でかき消され、
「アイシクル!」
「旋風!」
無数の氷の針は槍を高速回転させることで防がれた。
「ぐぅ、……身体強化。」
近接戦はやむを得ないと、ついにクラレスは判断した模様。
そして、エリックが彼女を間合いに入れた。
「加速陣、ピアース!」
自身の動きを魔術でさらに上げ、エリックは槍をスキルを発動させながら突きだす。
「アイスシルド!」
対し、後ろに跳びながらクラレスが唱え、分厚い氷の壁を槍へと飛ばした。
槍はそれに難なく突き刺さるも、貫くまでには至らない。しかしエリックは構わず押し続ける。
氷の壁ごとクラレスに接近。
「イグニス!」
クラレスが慌てることなく放った熱線は分厚い氷を貫き、しかしエリックの僅かな体の捻りで紙一重で避けられてしまう。
「炎熱陣!」
槍から炎を噴き出、氷を破壊。
「フロストピラー!」
「フッ!」
エリックを阻もうとその目の前にできた細い氷の柱は、しかし槍の一振りあっさり壊される。
「ファイアブレ……「疾風!」…………ぐぅ。」
そしてついにクラレスが片手に炎の剣を作り上げて相手を迎撃しようとしたものの、それよりも速く槍の穂先が彼女の喉元に宛てがわれた。
「勝者、エリック!」
マイクに向かって叫ぶ。
するとエリックはスッと槍を下ろし、
「驚いた……まさか上位スキルを使うことになるとは。今年の一年生で注意すべきは弟のテオぐらいだろうと思っていたが……次も油断はできないな。」
そう呟きながらネルの方を一瞥して、リングから下りていった。
戦闘中の会話を毎回聞き取っているから本当に今さらだけれども、こういう呟きでさえも聞きとれる俺の耳って怖い。
「……少しくらい油断してくれてもいいと思うな。してくれないかな?」
俺のとなりにも地獄耳がいた。
「はは、諦めろ。」
笑いながら言うと、ネルは、はぁぁ、と重いため息をついた。
「ねぇ、コテツ。この試合の前、優勝しなくてもどこかに連れて行ってくれるって……「記憶にないな。」……うん、だと思った。」
「約束とは何のことですか?」
と、ルナが聞いてきたものの、ネルの名誉のためにもここは黙っておこう。
優勝したときの約束をしておいて、決勝戦にすらいけなかったら可哀想だ。
「ネル、言っていいか?」
駄目だ、やっぱり言いたい。
「分かりきった質問はしないでくれない!?」
「言っていいんだな?」
「駄目!」
「はいはい、分かった分かった。」
「駄目、ですか?」
「ネル……」
「駄目だってば!」
必死だなぁ。
そう笑いながら話していると、クラレスがトボトボと歩いてきた。
「仇、取れなくなったな。」
「むぅ…………!」
茶化すと、彼女は無言で火の玉を飛ばしてきた。
それを手で払い、すまん、ともう片方の手で謝る。
「仇討ちはあの人に任せた。」
ポツリと言って、彼女はネルを睨みつける。
「ねぇクラレス、あれはそのほら、勝つためにやったんだよ。だからその、さ、許してくれないかな?」
弁解しようとネルが言うも、話せば話すほどに、フードの中身が険悪な雰囲気を醸し出し始める。
……もう完全に逆効果だな。
ここは俺もネルを擁護してやろう。
「そうだぞ、いくらフレデリックのためとは言っても、本人がリベンジしたいと思っているかもしれないだろう?」
「フレデリックのためじゃない!」
途端、クラレスが叫び、その目の前にいたネルがビクッと跳ねる。
俺もこれには驚いた。
「えっと、じゃあ誰のためなんだ?」
「アイシクル!」
聞くも、クラレスは氷の杭を俺に向けて一つ飛ばし、逃げるようにリングから去っていった。
……ほほう。
摘みとった氷の欠片を片手で弄びつつ、俺はこれからの楽しみが一つ増えたことに口角を上げた。