73 バー
バーナベルとファレリルが入った店に時間を少し置いて入る。
中の照明は暗く、ローテンポの曲が演奏されていた。
カウンター席とテーブル席があり、燕尾服を着た爺さんがカウンターの中で、座っている客と何やら談笑していた。
ここはいわゆるバーみたいなところらしい。
目当てのファレリルとバーナベルはカウンター席に座っていた。
「空いている席へどうぞ。」
と、店内の落ち着いた内装を眺めていると、燕尾服の爺さんが声をかけてきた。
もしかしてこのバーテンの爺さん一人で切り盛りしているのか?
と、バーテンに吊られてファレリル達がこっちを見た。俺達に気付くとその隣のバーナベルが手を軽く上げる。
しまったな、陰からこっそり覗こうと思っていたのに。
苦笑いを浮かべて軽く手を上げて返し、ルナを連れて彼等の隣に座る。
「奇遇だな、お前らは良くここに来るのか?」
奇遇でもなんでもない、単なる野次馬根性で入店した俺が聞くと、バーナベルは小さく肩を竦めた。
「たまに、だな。」
「このこと、お前の奥さんに言えば……」
「何もやましいことはねぇよ!」
「何かがあるわけ無いでしょう?失礼ね。」
と、ファレリルがいつものように眉間にシワを寄せて会話に入ってきた。
「それよりもコテツ、お前の連れは……」
「あ、お久しぶりです。」
バーナベルに指摘され、ルナが小さく会釈をする。
「あら、一人が寂しいからって連れ回しているのかしら?」
「そんな理由じゃない。俺に急用ができてルナに色々な仕事を押し付けてしまったからな、これはその償い、というか感謝の気持ちを表すためだよ。」
一人が寂しいって……子供じゃあるまいし。
「あの侵入者のせいか?」
「その通り。なぁ、毎年侵入者ってこんなに多いのか?そりゃまぁ、たしかにまだ数回だ。でも俺がここに来てまだ半年しか経ってないんだぞ?」
「数回、というとどれぐらいかしら?」
「少なくとも5回以上だ。」
「そんなにか!?」
バーナベルがすっとんきょうな声を上げる。やはり今のこの状況は異常なのだろう。
「コテツ、そいつはやっぱりヴリトラの手先だったのか?」
そういえばヴリトラのこと自体は皆知ってるんだったな。
「さぁな、分からん。」
「どうやって侵入したの?」
ファレリルの問いには苦笑しか返せなかった。
「お手上げだよ。こっちはいつも学生を守るのには成功しているけどな、全部が侵入された後だ。」
門番はいるはずなのになぁ。買収されているか門番に隙があるかのどっちかだろうなぁ。
「尋問とかはしていないのか?」
バーナベルの質問。
たしか、内容は教えちゃいけなかったよな。裏切り者が誰なのか分からないし。
「分からずじまいだ。侵入者は全員ヴリトラ教徒でな、捕まえたとたんに自殺しやがる。死を恐れてないらしい。」
「今回もヴリトラ教徒なの!?」
ファレリルが目を見開く。
「だから分からないって。」
「何の情報も手に入れられてないのか?」
「全くだ。」
両手を上げてヒラヒラさせ、情報が全くないことを表す。
「あら、そうなの……ほぅ。」
「残念だったな……ふぅ。」
「気が滅入るよ……はぁ。」
と教師三人揃ってため息を吐く。
「えっと、あの、良いことありますよ。」
見るに耐えなかったのか、ルナが気遣ってくれた。
「そうそう、悪いこともあれば良いこともあります。一々落ち込んでいたら良いことを見逃してしまいますよ。」
バーテンがルナに調子を合わせてそう言ってくれた。
そういえば注文をしていなかったな。
「バーナベル、おすすめってあるか?」
「じゃ、ジジイ、アレを二人に。」
アレって何だよ!?
「かしこまりました。」
俺の心の中の疑問を察したのか、バーテンは説明をしながら深みのある黒色の液体の入った瓶を取り出してくれた。
赤ワイン、か。
これ、初心者にはどうなんだ?まぁ、バーナベルが旨いと言っているのだから外れってことはないだろう。
「おう、そして摘まみは……」
「はい、分かっております。」
バーナベルが毎度のことのように頼むたのだろう、バーテンは既に料理に入っていた。
フライパンに良い香りのする油とバター(かな?)を入れ、中火ぐらいにかけているのが見える。
火の調節は魔法陣でやっているらしく、端から、というか俺からすると変な模様の上にフライパンを置いている感じなので面白い。
横にある物は鶏モツかな?筋や血合いなどはもう取ってあるようだ。それがキッチンペーパーのようなもので水気を取ってある。
「それは?」
「材料は秘密としましょう、これは水に30分、ミルクに10分つけて置き、塩、ペッパー、小麦粉を振った物です。」
この世界の物には勇者が大体の名前をつけているので、材料名が分かりやすくて良い。あのバターみたいな物もきっとバターで正しいのだろう。
しかし、いつのまにそんなものを用意していたのだろうか?
「バーナベルさんが来店なさったときはすぐに多目に用意しておいております。」
……もう心が読まれるのは慣れた。
さすが、常連なだけはある。何を頼むのかは大体把握してあるようだ。
バーテンが鶏モツをフライパンに入れ、焼き始める。
ジューッと食欲をそそる音が鳴る。
焦げ目がついたらそれぞれをひっくり返し、また焼き、焦げ目を付ける。両面にしっかり火が通ったのを確認し、鶏モツだと思われるものを皿に盛った。
「おぉ、旨そうだな。」
「いや、気持ちは分かるが、まだだ。」
皿を取ろうとすると、バーナベルに手で制された。
「バーナベルさんは前にこの状態で食べてしまいましたよね。」
「しょうがないだろ?それだけ旨そうな臭いをさせてんだからよ。」
バーテンがさっき取り出したのとは別の赤ワインをフライパンにいくらか注ぎ、煮詰める。
そして今度は茶色を濃くしたような黒に近い液体をフライパンに入れ、再び煮詰め始めた。
「そいつは何なんだ?」
「グレイプの果汁を濃縮したものを樽に移して、そして様々な木材の樽に移し変えながら長い間熟成させた物でしてね、この店で開発し、ここだけで使っております。まぁ、開発とは言っても偶然見つかったようなものですがね。」
バーテンは照れ笑いをしながらも、自慢気に話した。
これは期待できそうだ。
十分に煮詰まったのか、フライパンでできたソースを鶏モツ(仮)にかけていく。ゆっくりと、全てに行き渡らせられる。
ただでさえ腹が空いていたのに、ここまで良い臭いを嗅がされると涎が垂れそうだ。
……ハッ!
慌ててルナの方を見る。
ほっ、ルナは涎を垂らしたりしていなかった。
「ご主人様、ご主人様の考えていることは顔に出るのですからね?」
へぇ、そいつは初耳だ。気を付けないと。
少しムッとしたものの、ルナの目は今しがたできた料理から離しきれていない。
腹はやはり空いているらしい。
「ふふ、ではこれもどうぞ。むしろこちらがメインなんですがね。」
バーテンが最初に取り出したワインを俺の目の前に置き、カウンターの下から木製のジョッキを取り出す。
「おい、ジジイ、いつものだって言ってるだろ?」
「しかし、あれは別個にお金を取ることにしていますので……。」
「構わねぇよ、こいつは俺と同じファーレンの教師だ。金ならあるさ。」
おい、ちょっと待て。
「バーナベル、お前の言う通りにしたら全部でいくらぐらいになるんだ?」
小さな声で聞く。
「俺と全く同じものなら料理とか諸々を全部合わせて一人50シルバーちょいぐらいだ、安心しろ。」
一人5万円ちょい!?
「おい、さすがに……」
「ほら、お前の連れを見ろ。」
促され、ルナの方を見る。
「ご主人様、どうかしましたか?」
なにも知らないルナがキョトンと首をかしげた。……はぁ、今日ぐらいは良いか。
「何でもない。」
「よろしいので?」
「ああ、構わん。」
バーテンが確認してきたのに頷く。
「では。」
バーテンが再びカウンターの下へと消える。
そして取り出されたのは、ワイングラスだった。
完全に透き通っていて、ワイングラスの向こう側に歪んだ世界が見える。
「こちらはワイングラスと言います。前にヘカルトの貴族様が来られた際、譲られたものです。ガラスという材質で大変美しいのですが、同時に大変脆いので極力気を付けてくださると幸いです。」
「そんな物をバーナベルに使わせて大丈夫なのか?」
一発でぶっ壊しそうなんだが。
「おいおい、俺は戦士コースの教師のトップ、言うなら体の使い方の専門家だぞ?」
言われてみればそうだな。
「むしろファレリルの奴の方が危ないんだからな。なぁ?」
「うるさいわね……。あ、私は木のジョッキで良いわ。」
どうやらファレリルには前科があるらしい。
しかし、ファレリルは見た目は手の平大の幼女だ。一見すると酒を飲むことすら駄目だよな。
まぁ、言ったら確実に殺されるから言わないけれども。
「ご、ご主人様、私も木の……」
バーテンの説明を聞いて青い顔で言いかけるルナの前に人差し指を立てる。
「ルナ、物は試しだ。それにお前だって武芸者だろう?バーナベルでさえできるんだから……「おい!」な?こんな粗野な奴にできてお前に出来ないはずがない。」
バーナベルの声は無視した。
それに俺はルナにワイングラスで飲んで欲しいのだ。俺がワイングラスでルナが木製ジョッキだったら誰の得にもなりはしない。
「……分かりました。」
ポンッと軽い音と共に赤ワインが開けられ、トクトクとグラスに注がれる。
さて、待ちに待った夕食だ。
ワイングラスのボウルにを持ち、香りを嗅ぐ。
良い匂いだ。葡萄のあの独特の甘い香りがする。やはりグレイプは葡萄で合っていた。
「うっ、苦い……。」
見ると、ルナがワインを少し飲んで顔をしかめていた。
まぁ、ワイン初心者には白ワインだよな、普通。
あの鶏モツ(?)を用意されていたフォークで食べる。できてから少し時間が経っているが、まだ湯気が上っている。
一口。
おお、思っていたよりも熱い。しかし、やっぱり鶏モツで合っているんじゃないだろうか。赤ワインを使ったソースと良く合う。
呑み込み、赤ワインを一口。
流石は長い間バーテンをしているだけはある。鶏モツの旨味や甘味と赤ワインの苦味がよくマッチし、バランスが良い。
「ルナ、ほら、こいつも食べてみろ。」
未だにワインで四苦八苦しているルナに声をかける。が、しかしルナは何やらワインと対話をしているようだった。
耳を傾けると、
「うぅ、ご主人様があんなに美味しそうに飲んでいるのに……。また子供みたいだと思われてしまいます……。」
そんなことを言っていた。
別に子供っぽいと思っているのは俺だけじゃないと思う。
それに最初に俺が赤ワインを飲んだときもかなりの間顔をしかめていたと思う。そのときは痩せ我慢をして飲んだっけか。
……懐かしい。
「ルナ。」
名前を呼び、その肩を軽く叩く。
救いの手を差し伸べてやろう。
「はい、何でしょうか?はむっ……!」
こちらを振り向いたルナに無理矢理鶏モツを食べさせる。
ルナは始め、いきなりのことに驚いていたが、モグモグと咀嚼すると、だらっと顔を弛緩させた。
ほっぺたが落ちるという表現はあながち間違いじゃないのかもしれない。
「ふふ、ここまで美味しそうに食べてくれるとこちらとしても嬉しいですね。どうぞ、ブラッドソーセージです。」
出てきたのは見慣れた赤茶色のソーセージではなく、黒ずんだソーセージだった。
名前からして、血が入っているのだろう。
「おお、来た来た!」
バーナベルが我先にと食べはじめる。
「私はいいわ、苦手なのよね、それ。癖が強くて。」
好き嫌いの別れる料理らしい。
俺も一つ口に入れる。
あぁ、たしかに癖があるな、これは。
血が入っているから生臭いんじゃないかと思っていたが、そんなことはない。
旨味が凝縮され、塩味も効いているから凄く濃厚だ。
「ルナ、試しに食べてみるか?」
俺は好きだったし、もし食べられなかったらその分は俺が食べよう。
鶏モツと赤ワインの組み合わせにハマっていたルナは俺に気が付くと、
「えっと、……あー」
はにかみながらも口を開いた。
「はいはい。」
パカッと開かれた口にソーセージを半分に切って入れてやる。
「はぐ、…………‼」
目の輝きが変わった。
ルナはこのソーセージの虜になったようだ。大好物となったらしい。
おっと、ワインが無くなった。
グラスを置くと、バーテンがワインを注いでくれた。
ここでグラスを手に持つのはマナー違反だっけ?ま、元の世界での話だけれども。
俺は獣人二人がソーセージに襲いかかっている間、それを少しずつ摘まみながらも鶏モツを独占した。
そういやこれは結局のところ、何の肉なんだろう?
「ふぅぅ、食ったぁ。相変わらずうめぇなぁ。」
「本当。満足させてもらったわ。」
「恐縮です。」
バーテンがバーナベルとファレリルに対して頭を下げる。
「こんな店があるなんて知らなかったな。こんなに美味しいのに。」
良いところが見つかったもんだ。
「この店は見ての通り小さいものですから、あまり客が多すぎると……」
そこでさらっと客が増えすぎると言い切れるのはさすがだと思う。
「はわぁ。」
ルナはまだ幸せそうな顔をしている。
見ているこっちが笑顔になる。
……来て良かった。
コトッ
と艶やかな金色で蜂蜜のようにトロトロな液体が注がれたグラスがルナに出された。
何だろうか。
バーテンを見る。
「こちらはヴェリルという、凍らせたグレイプで作られたアイスワインです。このお代は結構です。どうぞ。」
「良いのか?」
「ええ、満足いただけたなら、またいらしてください。」
「はは、そうするよ。」
「わぁぁ、甘ぁい。」
話していると、ルナの方から歓声が上がった。
楽しめてくれたのなら、良かった。
「なぁ、バーナベル、お前らはどのくらいの頻度でここに来てるんだ?」
ルナは一人で楽しませるに任せ、バーナベルへ話を降ると、彼は少し思い出すように、柔らかな明かりの吊るされた天井を見上げ、口を開いた。
「……週に一度、来たり来なかったりだな。」
かなりの頻度だな。
「少しは教えてくれても良かったんじゃないか?」
「そんなことで客を増やしていたら私達が来れなくなるかもしれないじゃない。」
なるほど、ごもっともで。
「ねぇ、最初にしていた話だけど、この前バーナベルが見つけた侵入者は捕まえられなかったのかしら?」
「おっ、そういえばそうだった。逃げられちまったのか?」
「逃げられたよ。……はぁ。」
あの転移は本当に予想外だった。
「あ、すまねぇな。嫌なこと思い出させちまったか。」
「いや、いいよ。……それでお代は幾らだっけか。」
「お一人様54シルバーとなります。」
108シルバーか。
あ、やべ。ゴールドしか持ってない。
金貨を一枚だし、渡す。
「すまん、こいつからで良いか?小さいのが無かった。」
「ええ、もちろんです。」
「ありがとう。助かる。」
バーテンは店の奥へと引っ込んでいった。
本当に申し訳ない。
「1ゴールドをポッと出せるなんて、あなた、かなり溜め込んでいるのね。」
「お前、もしかしてここに毎日来れるんじゃねぇか?」
考えてみると20000ゴールドって金額はおかしいよな。一生遊んで暮らして使いきるには何回輪廻転生とかすれば良いのかね?
と、バーテンが出てきた。
「待たせてしまってすみません、まずは大きい方からどうぞ、800シルバーです。」
俺は8枚の銀板を渡された。
始めてみるな。これ一枚が100シルバーなのか。冒険者のときは一度もお目にかからなかったが……。爺さん、解説頼む。
『うむ、お主の考えている通りじゃよ。さすがに銀貨を100枚も数えるのはアホらしいじゃろうしな。ちなみに銅貨にも同じ仕組みがあるぞ。そして冒険者時代のことじゃが、お主が報酬としてもらうのは依頼主からの金じゃ。依頼主はわざわざ便利な銀板を渡したりはせんよ。』
金板はないのね。
『金板を使うことが日常的にあるとでも?』
納得した。解説ご苦労、お疲れさん。
「そして92シルバーです。」
ドサッと銀貨の入った袋が渡された。
「ありがとう。」
ロングコートの中に大きな内ポケットを作り、袋をそこに入れる。
バーナベルとファレリルはそれぞれ丁度の代金を払い、立ち上った。
「じゃあ、私達は先に戻るわね。」
「じゃあな、コテツ。」
酔っているのか、少しふらふらしているファレリルの後を追う形でバーナベルは出ていった。
「ルナ、美味いか?」
ルナはまだちびちびとアイスワインを飲んでいる。
「ご主人様ぁ、今日はありりゃとうございましたぁ。えへへ。」
声をかけるとルナがカウンターへと倒れ込んだ。
素早くワイングラスを取り上げ、ルナが顔をカウンターにぶつけないように手を間に挟む。
どうやらルナはちびちびと飲んでいたのではなく、意識が朦朧としていただけのようだ。
……そんなに美味いのか?
アイスワインをぐいっと飲む。
わぁぁ、甘ぁい。
「あ、そういえば、結局あれは何の肉だったんだ?」
ふと思い出してバーテンさんに聞くと、彼は茶目っ気のある笑みを浮かべた。
「ふふ、種明かしがまだでしたね、……ゴブリンのモツです。意外と美味しいでしょう?」
わぁぁ。